【びわ湖回想 PART2】

炎天下、いくら走っても走っても、煮えたぎるのは熱き血潮。
この暑さを拒否すればするほど、まともに走れなくなる。
悟りを開いた仙人のごとく、決して暑さに逆らわず、
現状をそっと静かに受け入れることで、心の重荷は多少なりとも軽くなるもの。
距離が伸びなくても走り続けていれば何とかなる。
まずは一歩ずつ、着実に、確実に、前進…。
そんな敬虔な気持ちで走り続ける。
ゴールできるのだろうか?
先の道程を考えれば気が重くなるばかり。
びわ湖一周を走る…そう宣言したからには走り切る。
意地でも、這ってでも、何日かけてでも、ゴールする。
暑さと距離と完走にこだわっているだけでは疲れるばかり。
風の歌に耳を傾け、大自然が織り成す風景を見渡す。
太古の昔から変わらぬもののことを考える。
かつて自転車で大陸を旅していた時に、
地球という惑星を走っているのだ…という思いを忘れずにいた。
そう、ここは地球という惑星。
そして私は地球人。
何のための旅なのか?
この惑星に生まれ育ち、この惑星のことを知るため…。
何のために走るのか?
走るのは旅の手段であって目的ではない…。
そして自分自身は一人のランナー、旅人…。
過去という自分の歩んできた道を振り返る時
決して忘れてはならぬことがある。
それは、今自分がいる所には決して戻れないということ。
今という去り行く時間に永遠の訣別をすること…それが旅。
今日出会った人も、今日訪ねた町も、一度限り、その場限りの出会いと別れ。
だからこそ、この一歩一歩に意味があるのだ。
旅を生涯のテーマとするならば、この旅もまた通過地点。
ゴールは次のスタートに他ならない。
まだ見ぬ世界が僕を呼んでいる。
道祖神の招きに誘惑され、きっとまたふらりと旅に出たくなるに違いない。
これまでそうしてきたように…。
これからもそうしていくであろう…旅人の自分。
そしてまた、ひとつの季節が終わる…。

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- 2008/08/19(火) 23:36:02|
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【びわ湖回想 PART1】

燃え尽き症候群というのがあるが、今の自分に当てはめてみれば、あきらかに不完全燃焼症候群である。
琵琶湖一周を完走したものの、満足のいく走りができたというわけでもない。予定の二倍の日数がかかっているし、炎天下、ただのらりくらりと走っただけではないか。
旅のレポートを書こうとしても、一本の道を二本の脚(足)でただ走ったという記憶が残っているだけ。
「俺は一体何をしていたのだ!?」
もし自分に師匠がいて、こんな結果で帰ってきたら恐らく文句を言っていただろう。
「予定の2日で戻れずにちんたらちんたら走ってきよって、お前はそれでもいっぱしのランナーか?中途半端な修行の旅ならしない方がマシであろうが。もう一度走りなおして来い!」
確かに自分は甘かった。
暑さを理由に、いい加減をしていた。
今その反省も踏まえて、舞台裏の事実を語ろうと思う。
1)スローペース:1日平均47.5キロしか走れなかった理由荷物なしで炎天下、気温35度のような猛暑でなければ、時速10キロは1キロ6分。ジョギングのペースである。浜大津を出てからononoさんが自転車で伴走していただいている時は時速7〜8キロ。
35度前後で30〜40分運動を続けていると血液の温度は確実に上昇する。血管が沸騰する…そんな危険を感じていたのは事実だが、40分走って20分休むというサイクルが、時に20分走って40分休むような横着をしていたことも反省の材料である。
コンビニやスーパーがあれば、中に入ってエアコンの涼風に当たる。そうすることで体温を急速に下げるよう努めていたわけである。長く休めば休むほど炎天下に戻りたくなくなるのは誰でも同じ。
朝5時台から走り、夜7〜8時まで走っていて平均47.5キロという距離。もちろんずっと走っていたわけではないけれど、これでは歩く速度(時速約4キロ)と何ら変わらない。いかに休んでいる時間が多かったことか。
2)水分補給:脱水症状を避けるために数えていたわけではないけれど、500ミリリットルのペットボトルに換算すれば、スポーツドリンクやお茶などの飲料を1日あたり20本(10リットル)以上飲んだことになっている。
昔、トライアスロンをやっていた頃の経験から、のどの渇きを感じてから水分を摂取するようでは遅すぎる、ということを教えられていた。10〜15分に一度は水分を口に含ませること。がぶがぶ飲まない。ちびちびだけど、確実に体を冷やすのとのどの渇きを抑えることを実行することだ。
3)体重増加:走り終えてやせなかった理由1日平均47.5キロ走り、さほどの量を食べたわけでもないのに体重が2キロ近く増えて帰ってきた。考えられるのは水分だ。一時的に水をためやすい体になったのか。まるでラクダのこぶのような機能が自分の体内にも備わったのだろうか。スポーツドリンクがメインだが緑茶や麦茶も積極的に飲む。
実は、昼食時に生ビール(中ジョッキ)も飲んでいた。ほとんど酔うこともなく、すぐに汗として流れていったように思う。昼食後はたいてい仮眠を取っていたから、その間にすすーっとアルコールも抜けていったのではないか。飲酒ランニングは心臓にはよくないので、いい大人は真似しないでください。
主に食べていたのは、間食にバナナ、プルーン、レーズン、フルーツゼリー、サンドウィッチ、ようかん、といったもの。食べた後すぐに走り出すから消化のいいものが理想的。こういう旅行では急性の便秘になることが多々あるが、プルーンはお通じが実によくなって助かっている。
昼食や夕食には、冷麺や冷やしうどんなど麺類が多かった。炎天下を走り通した後で、のどを通りやすいのはやはり麺類であろう。
4)道路事情:国道と湖岸道路びわ湖は一周に渡って走りやすい平坦な道が多い。悪くいえば単調過ぎる嫌いもある。
特に湖西の国道161号線はトラックやダンプが多く、空気も良くない。
サイクリストと同じルートをたどって走るのがいいだろうということで、自分も大半自転車ルートを選択してきた。湖岸の県道は、風光明媚で静かではあるが、商業施設には乏しい。
大きな街ではスーパーやコンビニに不自由しないが、いったん街を出たら、コンビニはなかなか見つからない。国道沿いなら要所要所でファミマやセブンイレブンが見つかることもある。
国道はたいていの場合、湖岸の県道や農道とは離れたところにあって、その距離は近くて1キロ未満から3〜5キロ。出たり入ったりを繰り返すと走行距離もぐぐっと伸びてしまう。
二度ばかりあったのは、国道のコンビニで買い物をするために2キロ走り、また走って湖岸道路に戻るというパタン。自動車なら苦にならない距離でも、自転車乗りやランナーには応えてしまうもの。
最終日、走っても走ってもコンビニが見つからず、待望のコンビニまで3時間あまりという苦しい場面もあった。飲料水と食糧だけは、そういった事態に備えてストックを携帯しておくべきであろう。
*******
非日常世界という空間で旅をする。時に、当たり前のことが当たり前でなくなることも多々ある。自分が持っていた常識を、いとも簡単にくつがえされることも覚悟しておかなくてはならない。
すべてをありのままに受け入れる寛容さ…風や陽射し暑さ寒さを、空気のようにそっと受け入れてしまう。そういった柔軟な姿勢はいついかなる時も必要であると感じている。生来の頑固者は旅には向かないものなのだ。
たとえ、不思議の国のアリスのように別世界に入り込んでしまったとしても、好奇心を旺盛にして、臆せず、ためらわず、何らかの発見を求めて旅を続ける。旅から学ぶことが、生きた学習になる。そこからいろんな学問も生まれてくる。
コロンブスやマルコ・ポーロも、そういう意味では、規模は異なるにせよ、同じような立場にあったのだろうと思う。
いつの時代にも、パイオニア(先駆者)やフロンティア(開拓者)がいて新しいものが生まれ、新しい時代が築かれる。冒険家や旅人は貴重な存在なのだと自負している。
(その2につづく)
テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行
- 2008/08/18(月) 23:31:26|
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【“Yes, I can!”と“Damn it!"】
「不屈の精神」というものについて考える。
何があっても打ちのめされない強さを持った人間は、いつか必ず成功を勝ち取るだろう。ちょっとやそっとのことでくじけたり愚痴をこぼしたりしている内は、まだまだ人間が甘いのである。自分に対する厳しさを持ち、自分を律することのできる人間になろう。
年間最多安打を記録したシアトルマリナーズのイチロー選手は、記者団から野球少年へのメッセージを求められたときに、こんな風に答えている。
「こちらにきて思ったのは、体が大きいことにそんなに意味はない。僕は大リーグに入ってしまえば一番小さい部類です。でもこういう記録を作ることもできた。大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性を潰さないで欲しい。自分自身の持っている能力を生かせれば、可能性はすごく広がると思う」
可能性とは自分の目には見えないものであっても、いつか起こりうるもの。チャンスである。
チャンスはいかにしてやってくるのか。チャレンジである。
できる・できないは別にして、まずは挑戦することなのである。一度や二度やってみて失敗したからと言ってあきらめないことなのだ。
「もうダメだ」と自分で勝手に限界を作ってしまったのでは可能性はそこで消えてしまう。チャンスをモノにするためには常にチャレンジし続けることが必要なのだ。
できなかったことで言い訳をするのは見苦しい。努力を怠ったことを省みず、いろんな理屈をこねくりまわして、チャレンジすることを断念してしまう者がいる。やりもしないのにできないと決めつけてしまうことの見苦しさよ。
イチロー選手がここまで頑張れたのには理由がある。彼にチャンスとチャレンジを与え続ける原動力となっているもの…それは「何くそ」と思う気持ち、加えて「自分ならできる」と可能性をひたすら信じ続け「全力」でことにあたること。
「なにくそっ!まだまだ俺なんてこんなもんじゃない!俺はできるぞ!俺は負けない!勝てるんだ!」
弱い自分の弱さに気づいた時、「もっと強くならねば…」と思えるのであれば一人前。
「どうせ俺なんか…」と思ってしまうようでは半人前。
ダメ人間を作るのは自分自身。周りの誰がどう言おうと、「自分はこうなんだ」とはっきりとしたヴィジョンで自分自身を見つめているかどうか。
今の自分を信じること。そして今の自分を越えようと常に努力をし続けること。
失敗の連続にあろうとも、それは自分に対する試練だと受け止める。打たれても叩かれても、めげない・へこたれない。踏まれても踏まれてもすくすくと伸びていく雑草のように…強く、前向きに…。
可能性を伸ばすためには、今いる自分をありのままに受け入れ、今ある自分をとことん信じることなのだ。
「ああ、できるとも」
自分にそう言い聞かせ続けることで、いつか必ず不可能(can't)は可能(can)に変わる・変えられる。
ひたむきに、そして前向きに…
イチローと誕生日を同じくする自分にも、きっと何か素晴らしい変化が訪れんことを…。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
- 2008/08/17(日) 21:26:06|
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【The Day After】

旅の翌日も5時前に目覚めた。
朝起きて天気を確かめる。旅人の習慣のひとつだ。
が、もう既に昨日で旅は終わってしまった。
旅の翌日はまず洗濯と荷物の片づけから始まる。
旅はある程度自分のペースで進められるが、世の中は自分のペースで動いてはくれない。
すぐさま現実に戻らねばならぬと言う宿命。
本当は今日出勤して、夏期講習の準備をするつもりだったのだが、明日以後に回すことにする。
何より仕事のことを思い出すのはプレッシャーでしかない。
ブログのコメントの返信46件、メールのチェックをして、写真約百数十枚の整理。
これがたった4日の旅だったからいいようなものの、
アメリカ大陸横断自転車旅行のように5ヶ月にも渡る旅となると大変な作業となる。
朝食をとるのも忘れて作業にふけっていた。洗濯物を干すのも忘れてしまっていた。
本来仕事をためるのは好きじゃない。すぐに済ませるべきことはすぐに終わらせるに限る。
「すぐやる・必ずやる・確実にやる」
の「やる気3原則」を生徒に提唱しておきながら、自分自身ができていないようでは話しにならないから。
気持ちを落ち着けてから、旅のレポートを書こうと思うが、いったん仕事が再開したらなかなか時間を捻出するのも難しい。高校3年生の担任は、これからが受験指導で一番多忙を極める二学期を迎えるのだ。
旅の記録としてまとめておくべきことがいくつかある。
順を追って、このブログで紹介して行こうと思う。
ポケットに入れて使うタイプの万歩計を利用した。
単に振動するだけで歩数がカウントされる一般のものとは少し違って、走るリズムを感知してかなり正確にカウントしてくれるものだと言うことで今年はじめに購入した。
*4日間の経路と歩数と推定距離
第1日 8/12 浜大津〜近江高島駅…………………………………… 53391歩(約52キロ)
第2日 8/13 近江高島駅〜高月町駅前つるや旅館…………………… 47160歩(約45キロ)
第3日 8/14 高月町駅前つるや旅館〜近江八幡ユースホステル…… 50022歩(約48キロ)
第4日 8/15 近江八幡ユースホステル〜浜大津……………………… 48804歩(約46キロ)
計 199377歩(約191キロ)
*1日の平均走行距離…約47.75キロ
ALPSLABrouteの投稿にあった
琵琶湖一周の距離が179km。ただし、今回は、そのルートから外れて買い物や宿探しをしたりで、国道と県道の行き来があったため若干距離が増えている。
国道と県道の間(最大距離は約3キロ)で道に迷ったこともあり、地図とポータブルナビのデータを基にして、トータルのルートを推定約191キロと見積もった。1日辺り約48キロを走った計算だ。
たった4日間だけだったが、1990年の夏には
東海道行脚の旅と称して同じような感覚で京都三条大橋から東京日本橋までの523キロを11日で走っている。
この旅は実際死に物狂いだった。名古屋に到着したら絶対やめてやると思いながら走っていたし、途中辛さと苦しさで大の男が泣きそうになったことも何度かあった。生涯で一番苦しかった旅は…と聞かれたら間違いなくこの東海道の旅をあげるだろう。
暑さを敵に回してもどうにもならないものだけど、暑さに勝とうとは思わないことだ。暑さをありのままに受け入れる。夏とは暑いものだと割り切るに限る。それでも我慢ならないのであれば、旅をしなければいいだけのことだ。
コメントの中にもあった「熱中症に注意してください」、実際に血液が沸騰しそうになるくらい暑いわけだが、意識を失うまで走ることは普通しない。熱中症でよく倒れる若者がいるが、明らかに暑さの中での経験不足であろう。親が子供に外で遊ばせる機会を奪っていたりして過保護になっているという時代背景も影響しているのだと思う。
昔の子供は親から干渉されることは少なかった。今ほど暑くはなかった時代でもあったのだが、それでも暑さの中、親は子供に「帽子をかぶって遊びなさい」くらいのことしか言ってくれなかったもの。「水分補給をしなさい」なんて誰も言わない。なぜなら、子供はのどが渇いたら必然的に水分補給をすることくらい本能的に分かっていたからだ。
親から干渉される機会の多い子供は強い子供には育たない。むしろ放ったらかしでも、自分から強く生きていこうとする力を身につけるようになるのが自然だった。自然から学び、他人から学び、経験から学んだ。
旅の最終日に、近江大橋に行く手前のところで39度を示すデジタル温度計(写真上)があった。故障していたのか何だか知らないが、一瞬たまげてしまって写真を撮った。暑いのは確かだったが、それでも実際35度程度であったのでは…?
「俺ってこんな暑い中を走ってる…ふーん…すげぇなぁ…」
などと他人事のように思いながら走っていた。
旅の経験がいろんなところに生きてくる。またそれを日常の生活の中で活かすことも可能だ。
冒険も経験も、ある意味実験かも知れない。両者とも、若い内にできるだけたくさんの冒険・経験を積むこと。
それが人生を豊かなものにしてくれるのは、間違いないのだから…。
テーマ:夏休みの旅先は? - ジャンル:旅行
- 2008/08/16(土) 23:09:27|
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旅が終わってしまうと、旅人は一時的にブルーな状態に陥ってしまう。
もはや走るべき道を失ってしまって、行くあてもなく軽い放心状態を迎える。
今、一体何がしたいんだろう?何が食べたいんだろう?
明日の朝目覚めて、また走り出してしまいかねないような、そんな予感…。
★本日の歩数…48804歩
★写真は浜大津港。ミシガンの前で。
- 2008/08/15(金) 19:19:09|
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