KAY'S BLOG

独行道~Lonesome Road of Running

ひょっこりひょうたん島

「ひょっこりひょうたん島」

井上ひさしほか作詞・宇野誠一郎作曲




波を ちゃぷちゃぷ

ちゃぷちゃぷ かきわけて

(ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ)

雲を すいすい

すいすい 追い抜いて

(すい すい すい)

ひょうたん島は どこへ行く

ぼくらを乗せて どこへ行く

ウーー ウーー

丸い地球の 水平線に

何かがきっと 待っている

苦しいことも あるだろさ

悲しいことも あるだろさ

だけど ぼくらは くじけない

泣くのはいやだ 笑っちゃおう

進め

ひょっこりひょうたん島

ひょっこりひょうたん島

ひょっこりひょうたん島



***


今も、走りながら時々勝手に口ずさんでしまう曲のひとつがこれ。

昭和という時代、今からもう50年も昔、テレビがメディアの中心だった時代の子どもたちは人形劇を楽しんでいた。

今のデジタル全盛の時代からすればあまりにもちゃちなのだが、子どもたちはモノクロの画面を皆真剣に見入っていた。

ひょうたんの形をした島がひょっこり海の上に現れ、そこに暮らす人達は広い広い海をさまようように旅をしていく。

何が起こるかわからない。

僕が未知なる冒険の世界に憧れるきっかけがこんなところにもあったのだろう。



「丸い地球の 水平線に 何かがきっと 待っている」

地平線の向こうに何があるか知りたいからバギーを押して走る…アドヴェンチャー・ランナーが走るのもそれは同じ。


「苦しいことも あるだろさ 悲しいことも あるだろさ だけど ぼくらは くじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう」

どこへ行こうと何が起ころう構わない。自分に降りかかるどんなことをも拒むことはしない。

それがポジティヴな姿勢。

あらゆるものをありのままあるがまま、快く心地よく受け入れるからこそ笑顔で前に進んでいける…。

シンプルなこの歌詞にも生きていくための深い意味が隠れている。


【講演・トークイベント】

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引き続き全国各地での学校・企業・ランニングクラブや走友会、個々の家庭を対象としたトークライヴや講演会のオファーをお受けしております。

「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の生の声をお聞きいただき、生きる・走るモチヴェイションとしていただければ幸いです。

小学校高学年〜高校生くらいのお子様をお持ちの方には個々のご家庭を訪問することも可能です。

講演・トークの内容・時間等については柔軟に対応させて頂きます。

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 4月9日発売の月刊誌"Fine(5月号)"の冒険者特集ページに掲載して頂きました。

 Fineは「新世代の“海オトコ”のためのライフスタイルマガジン」というキャッチフレーズで創刊40週年を迎える歴史ある雑誌です。 

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  1. 2018/04/25(水) 23:59:38|
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忘れられない日・忘れてはいけない日

【忘れられない日・忘れてはいけない日】

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1994年11月から1995年2月までニュージーランドを自転車で走っていた…写真はマウントクック近くのハイウェイ



今日1月17日、1995年に起きた阪神・淡路大震災から23年目を迎える。

ウィキペディアで「阪神・淡路大震災」の項目を改めて読み直し、震災がその後の日本にどんな状況をもたらしたのかを考えてみた。

当時、僕は自転車旅行で日本を離れていて、震災の当日にはニュージーランド南島フォックスグレイシャーの町にいた。

その日のことは今も忘れていない。

決して忘れてはいけない日なのだ。

キャンプ場でテント泊だったが、コインランドリーで洗濯をしていた時に、キャンプ場のオウナーが震災のニュースを知らせてくれたのだ。

「日本が大変なことになってるよ!」

僕はオフィスに走っていって、震災のニュースを報道するテレビに釘付けになった。

阪神高速が倒壊し、たくさんの車がつぶされている…。

銀行のビルが崩れ落ち、神戸の町が炎と煙に包まれている…。

まるで戦争が起こった後のような光景だった。



大阪の実家は大丈夫なのか?

僕は公衆電話で実家に電話したが一向につながらない。

何度もコインを入れなおし、ダイヤルを回し、応答を待つが、ツーツーという音が続くだけ。

そんなことを2時間近く繰り返した。

ひょっとしたら…という思いが頭を駆けめぐったが、異国にいて焦ってみても仕方がない。

その後のテレビのニュースで詳しい状況が分かるのを待つしかなかった。

電話がつながったのはそれから5時間ほど経ってからのこと。

幸い両親は無事で、家の門柱が倒れて、応接間の窓ガラスに亀裂が入っただけで済んだようだった。

大阪は震度4だったという。


ニュージーランド一周とオーストラリア横断の自転車の旅を終えて、僕は5月に帰国した。

オウム真理教による地下鉄サリン事件発生当時もオーストラリアにいたため、僕は歴史に残る二つのできごとについて、あとから人に聞いてその状況を確認するくらいのことしかできなかった。


その16年後、2011年3月11日に東日本大震災が起こった。

阪神・淡路大震災で得た教訓が生かされたことも多かったのだろうと思うが、津波の発生によって起こった原発事故など、誰もが予期しなかったような事態も起きてしまった。


これは戦争でもテロでもないのだけれど、自然の力によって、同時に多くの人の命が奪われ、たとえ生き残れたとしても、家や財産を失った人たちが数多くいる。


アメリカ横断中、いくつかの学校や教会を訪ねた際に僕は子供たちに東日本大震災について話しをした。

震災や津波の写真をスライドショーで見せながら…。

子供たちの中には、実際に震災を経験したわけでもないのに涙を流している者もいた。



「震災や津波は自然が引き起こしたものだから、誰を責めることもできない。

でも、同じような結果を招くものとして、例えば戦争やテロはどうなんだろう…?

人為的に多くの人の命が奪われ、家が壊され、街が燃やされる…。

同じ人間が同じ人間に対してそんなことをすることが許されるんだろうか?」




僕は子供たちにそう問いかける。



「生き延びることはできても、震災や津波で家や家族を失った人たちは、みんなで力を合わせて、また頑張ろうっていう気持ちで、今は復興のために一生懸命頑張っている。

平成という時代の30年間に二つの大きな震災を経験した日本という国、どんなに大規模な被害を受けても必ず立ち直れる…僕はそう信じている。

この地球上でごく普通に生活している人がいる一方で、今も紛争やテロが続いていて、震災や津波以上に悲惨な状況が起こっている。

平和な社会に生きているからこそ、僕達は普通に生活できて、食べるものもお金を出せば手に入れられる。

でも、それが当たり前じゃない国や地域もこの地球にはあるということを忘れないで欲しい…」




想像力を働かせて、子供たちが誰かの痛みや悲しみを共有してくれたのであればそれでいい。

次代の世界の平和を担うのはこの子供たちなのだから…。


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2011年のアメリカ横断ランニングの旅…モニュメント・ヴァレー付近のハイウェイ



話しはさかのぼるが、アメリカ横断の旅に出る前の2011年1月17日、僕は神戸市にあるアシックス本社を訪ねた。

2010年、教員を辞めて7月に日本縦断ランニングの旅をスタート、11月に旅を終えて、PEACE RUNの組織づくりに忙しく走り回っていた頃…。

PEACE RUNのスポンサーを依頼するのが目的だった。

PEACE RUNに初めて関わっていただいた公式スポンサーがアシックス(*注)。

シューズやウェアは必要なだけ提供してもらえることになった。

阪神淡路大震災のあった神戸で、しかも震災のあった1月17日に神戸を訪ねた…それが「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」の始まり…何か妙な縁を感じた日。


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最初の日本縦断ランニングの旅で北海道宗谷岬から沖縄県波照間島を走った…写真は広島付近






その日の夜、僕はブログを書きながら決断した。


この日のブログ「アドヴェンチャー・ランナーとして」


「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナーとして残りの人生を進んでいこうと…。

本来なら、日本縦断とアメリカ横断の旅を終えて教職に戻るつもりであったのが、僕は違う道を選ぶことになったのだ。

人生の分岐点、これもすべて意味や理由があり、定められたことだったのだろう。今となってはうなずけること。


2011年1月17日はアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦がデビューした忘れられない日。

しかし、同年3月11日、アメリカ横断出発直前に東日本大震災が起きた。

一時は出発を思いとどまったが、その直後に1キロ走るごとに10円を被災地に送るRUN×10(ランバイテン)運動を思いつき、被災地復興支援活動がスタート。僕は走ることで被災地をサポートしようとアメリカ行きを決意。

ヨーロッパの旅に出る直前、2016年4月にも熊本大分地震があった。

不思議な事だが、PEACE RUNは震災に関わることが何かと多い。


アドヴェンチャー・ランナー開眼からまる7年が経過した。

49歳3ヶ月でスタートしたけれど、気がつけば僕は今年10月で58歳になる。

世界五大陸4万キロの内、3つの大陸で約1万7千キロを走破、残り2万3千キロ。

まだ半分にも到達していないけれど、プロジェクトは確実に、着実に前進していると信じている。



1月17日はいずれにしても忘れてはいけない日、忘れられない日。

未来はまだ見えてこないけれど、真っ白なキャンヴァスに絵を描くように、僕はたくさんの夢と希望を胸に、現実の世界に一本の轍(わだち)を描きながら走り続ける。

舞台はこの地球という惑星、地球こそ我がふるさと。

そして、その地球にいる70数億人がみなファミリーだ。

70数億人すべてが愛と平和に包まれて暮らせるように…。

僕は祈り、そして走り続けよう。



阪神淡路大震災・東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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写真は「1.17希望の灯り」。御影石で作られた本体とガラスケース。その中で、美しくも炎が揺らめいている。この火は、被災地各所を巡った火種と、全国47都道府県から贈られた「支援の火」を合わせたもの。多くの人の願いが込められた、まさに「希望の灯(ひ)」なのだ。

建立は震災5周年の2000年1月17日、午前5時46分に灯りが灯された。


(*注)アシックスには2011年1月から2013年3月までお世話頂きました。


「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト


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  1. 2018/01/17(水) 18:40:36|
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カナダ・ケベック回想

【カナダ・ケベック回想】

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*ケベックシティ(カナダケベック州)1994年10月




僕にとって秋という季節はいつも旅の終わりを意味するものだった。

うだるような夏の暑さを経て、頬をなでるようにして吹き抜ける秋風はいつも優しく、それでいて、どこか物悲しげなムードが漂う…。

旅を終えて、たくさんの思い出とともに故郷に帰らなければならない季節…それが秋なのだ。



紅葉の季節になれば思い出す。

1994年カナダ、ケベック州ケベックシティで出会った一人の女性…。

名前はルネ。

でもフランス語を知らない僕には彼女の名前Reneeはうまく発音できなかった。



「違うわ、鼻に抜けるような感じで『ウ』と『ル』を同時に発音するのよ」



外大在学中選択していた外国語はドイツ語だったが、やはりRの音は難しく、マスターするのに半年くらいかかったのを思い出した。


彼女の前で必死になって何十回とReneeを繰り返す。


「……」


彼女は沈黙したまま妙な笑顔を浮かべながら僕の発音に耳を傾けている。

しかし、何度やってもフランス系カナダ人の彼女の出す音は出せない。



「結構いい感じになってきたんだけど…口はこんな感じ、舌は奥に引っ込めるの。いい?」



しまいにはのどやら舌が痛くなってきた。



「無理しないでKAY(僕のニックネーム)、私が生きている内にマスターできればいいから」



と言って微笑む彼女。




*****




アラスカ北極圏~カナダ横断の自転車での旅をケベック市で終えてすぐ、町まで自転車で買い物に来ていたキムという女性とサンジャン門で出会った。

彼女もサイクリスト。大学の事務職員で、市内のアパートに友人の女性二人と共同生活している。

20分ほど旅の話をいろいろとしていたが、僕のアラスカ北極圏の話に関心を持ったようである。


「北極圏は私もいつか走ってみたいと思ってるの。ところで、今夜の宿は決まってるの?もし狭いところでよかったら家に来ない?」


ルームメイトの二人は既に部屋にいて、今夜また別のお友達のバースデーパーティがあるとのことで準備している最中だった。

このパーティであとから3人やってきたゲストの一人がルネだった。

キムと職場が同じで出身大学も同じだったという。




ここケベック州はフランス語圏、ルネやキムはじめみんな僕と会話する際には英語で話しかけてくれる。

このアパートを訪ねてから二日後、ルネとキムが知人のコテッジに行くというので同伴することになった。

ルネのお姉さんのお友だちが所有するコテッジ、スキー場の近くにあり、標高も1000mを越える山の中腹にあった。


夏の間は管理人がいたのだが、既に寒くなって空家状態のコテッジ。

それでもきれいに掃除され、冷蔵庫やストレージには食料もふんだんに残されていた。

2泊3日の予定で、紅葉狩りのハイキングだ。


大阪や東京よりも季節が1ヶ月以上進んでいるのは高緯度のせいもあるのだろう。

それにしても見事な紅葉…。



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夜のコテッジではポーカーをしたり、旅の話をしたり…。

キムもルネもフランスにルーツがありながらフランスには行ったことがないのだ。



嬉しかったのは、ルネと最初に出会ったパーティの夜、彼女と約束したフランス語特別講座。

コテッジの暖炉のそばでワインを飲みながら個人教授。


二日間限定なので、ベーシック・フレンチ…フランス語の数字やあいさつ、簡単な表現などを教えてもらうだけだったが、それでもうれしかった。


二日目の夜、フランス語講座の時間で、えと(十二支)の話になって、彼女が僕の6つ年下であることも分かった。



「ステディ(決まった恋人)はいるよね?」



お互い酔っていたので結構打ち解けた話題がいろいろでてきたついでに、冗談半分でそんな質問をしてみた。


「……」



「えっ?まずいこと聞いたかな?」



「…死んじゃったの」



「…ごめんね」




「…12歳で…ゴールデンレトリバーだったわ……ははは」



「何だ…ペットの話だったのか。びっくりした!」




彼女は時々シリアスな冗談を言うので困る。



「あたしね、フィアンセがいるの」



「……」




再びショッキングな言葉に、僕は一瞬フリーズした。



「あ、あ、そうだったんだ。おめでとう!」



すぐさま笑顔を浮かべたが、彼女も僕の表情から何かを察したに違いない。



「もう6年も付き合ってるんだけど、なかなか結婚に踏み切れないのよ」



「彼がプロポーズしたんだよね?」



「そう…なんだけど、恋愛と結婚ってやっぱり違うのかなって思ったり…」



「…なるほど」



「彼のことは大好きなの…でも結婚した後、愛情が冷めてしまうんじゃないかって…」




その後、彼女の話をきっかけに、フランス語講座はそっちのけで、お互いの恋愛論で議論は白熱した。



「KAYは結婚しないの?」



「ガールフレンドがいたら旅なんてしてないよ」



「旅先でのロマンスは…?」



「ないね!」




「もし…あたしに、フィアンセがいなかったらどうする?」



「……」



ずいぶん突っ込んだ質問に僕は唖然とした。



「…考える…」




ボトルの赤ワインはもうなくなりかけていた。

時計を見れば、既に午前0時を回っていた。

キムはもう先に寝てしまったようだ。



「Reneeは素敵な人だよ」



「ありがとう」




Reneeの発音がこの時やっとまともにできたのではないか…と思った。


この二日後、僕はケベックから知人の待つトロントに電車で移動しなければならなかった。

キムの車で駅に向かう。ルネも一緒だ。



駅のホームまで着いてきてくれた。

キムにまずお礼を言ってハグをした。



ルネは寂しそうな表情でハグを求めてきてくれた。



「ひとつ言いたかったこと…KAYもとても素敵な人よ」



「Merci…Renee」



「発音完璧!」



「先生がよかったんだよ」





トロント行きの急行列車がやってきた。

僕は車中の人となり、手を振る二人を列車の窓からじっと見つめ、僕も手を振り返し続けた。





車窓から見えたのは、紅葉と夕日で真っ赤に染まる山…。



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あれほど美しい紅葉を僕は知らない。



カナダという言葉を聞くたび、今も紅葉と一人の女性を思い出してしまう。

23年たった今も、あの真っ赤に染まった山とReneeの微笑みは僕の思い出の宝石箱の中に大切にしまってある。


ひとつ気になるのは、今口にしているReneeの発音が果たして正しいものなのかどうか…。


僕には知る由もない…。



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エッセイ「秋風の薫り漂うモン・ロワイヤル・パーク---1994年10月モントリオール」 




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  1. 2017/10/25(水) 00:22:59|
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心は折れても魂は折れない

【心は折れても魂は折れない】

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2011年10月18日 

Day101:イフィンガム~ケイスィー(イリノイ州)

*以下は過去のPEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅のさなかのツイートから


今日ばかりは心が折れて折れまくった。その折れた心を無視して走り続けた。朝の気温4度。雨はずっと降り続いた。午後多少雨脚は弱くなったけど、止み間がなかった。濡れた手はかじかみ、シューズもソックスも濡れた。


足元は走っていれば冷たくはない。だが、かじかんだ手は麻痺してしまってペットボトルを開けられない。日中も気温は7~8度止まり。雨の中でほとんど休憩なしに58キロ。5時頃にモーテルに着いて涙が出そうだった。生きていてよかった…。辛くてもありのままあるがまま。


心が折れても魂は折れない。辛いと感じている内は実際辛くはない。辛く感じなくなるまでとことん頑張ることだ。好きでやっていること。辛いことも愉しいと思えるまで堪能すべし!生きることそのものが本当は辛いことなのだから…。


雨そのものよりも雨によるいろんなトラブルが強烈だった。

心が折れた場面その1…路肩にたまった水溜り、18輪トレイラーが通過する際に津波のような水しぶきを頭から浴びてしまった。レインスーツを着ていたけれど、その衝撃にびびってしまった。


心が折れた場面その2…今日58キロの間、屋根の着いた橋のたもとで昼休憩した以外は座ることもなかった。それ以外は雨の中立ったままの休憩。氷水のような雨で濡れて冷たくなったシューズの中で足は冷えていく。休憩はウルトラマン並みに3分以内で済ませるしかない。




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心が折れた場面その3…走るのをストップして小用を足そうと木が茂った路肩へ…。しかし、かじかんだ手で感覚が麻痺してしまってファスナーを下ろせない。手をこすりあわせ温めて感覚が戻るまで5分くらいかかった。濡れて体感温度は下がる一方。こんな場面が3度はあった。


我々が日々生きている中で、頑張って、精一杯努力して、得られるものが、感激や感動といったご褒美なのだ。努力なくしては何も得られるものはない。


さらには、生きて生かされているこの命の尊さ、この世に誕生させてもらったことに感謝する気持ちを常に忘れてはいけないのだと思っている。ゆえに、感謝・感激・感動に満ち溢れた日々を送れることこそが幸せな人生なのだ。


*****


走っている間はまだいいのだが、こういった状況で立ち止まってじっとしていると、汗冷えで低体温症となり、震えが止まらなくなって、場合によっては危険な状況にも陥る。

この日は、雨といってもみぞれ混じりのような冷たい雨だった。アメリカ北東部やアパラチア山系では雪になっていたという。まだ雪の中を走っている方が濡れも少なくてよかったかもしれない。

さらに風が吹くと体感温度は下がる。体を冷やさないためには走り続けるか暖房のきいた部屋にいるしかない。

この2ヶ月ほど前には、アメリカカンザス州キングマンで摂氏47.7度という暑さの中を走っていた。

この日、朝の外気温4度は宿泊していたモーテルのオフィスの外にあった温度計の表示。

雨と風の中、濡れたまま走り続けていれば、実際の体感温度は氷点下に近いものになっていた可能性もある。


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走り終えてモーテルに到着して涙が出そうだった…という記述があるが、冷たい雨の中、バギーを押して58キロはやはりきつい。いくら熱いハートを持っていたとしても、50歳をすぎた大人のやることではない。

冬は基本的には走らないのだが、半年にも及ぶアメリカ大陸ではじめてのランニングの旅、想定外のことはいくらでも起こる。経験や装備がどんなものであれ、その場その場で柔軟に対応しなければならないのは当然のこと。

この3年後、ニュージーランドの旅でも似たようなことが一度あった。気温はそう低くはなかったものの雨風が激しく、指先が冷え切って唇も紫色になっていたかもしれない。

気持ちがトーンダウンしてネガティヴな状態になれば、さらに旅は辛いものになる。

受け入れる…ということ。大らかで寛容な気持ちを持って走れるのであれば、こういった環境にも左右されることはないのかもしれない。まだまだそこまで僕はできた人間ではない。

辛く苦しいことも楽しめる、そんな旅と走りができるように、今なお修行中の身である。


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  1. 2017/10/18(水) 23:10:58|
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あれから6年…

【あれから6年…】

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ちょうど6年前、2011年の今日(アメリカ時間7月10日)のことだった。

僕はアメリカ横断ランニングの旅でコロラド州パゴサスプリングス辺りをバギーを押して走っていた。

アメリカ横断ランニングの旅DAY47のブログ


その日、ロッキー山脈のウルフピーク(標高3309メートル)を越えるために14キロほどの登りを走ることになっていた。

朝、フェイスブックを開けるとお友達リクエストとメッセージが来ていた。

妙なプロフィール写真(今も変わらない)に一瞬引いてしまったが、文面は至ってまともだったのでリクエストを承認。

その時、それが後になって自分の人生に大きな影響を及ぼすきっかけとなるなんて知る由もなかった。

11月に帰国、翌2012年2月7日に天満満天堂を訪ねて初めてリアルに出会う。2013年6月9日婚約。2014年夫婦の契りを交わす。実際に入籍したのは2016年11月22日でいい夫婦の日。記念日が多すぎ(笑)。

フェイスブックでの出会いがすべての始まりだった。

あのメッセージがなかったら僕の人生は今どうなっていただろう?

いろんなことを教えられ学ばせてもらっている僕のソウルメイト…

ぴあぴこと高繁 千秋 (森千秋)、僕を見つけてくれてありがとう。

そして、これからもどうぞよろしく…。


*****


その日のことをぴあぴはこう書いている。





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  1. 2017/07/09(日) 23:59:59|
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プロフィール

KAY(高繁勝彦)

Author:KAY(高繁勝彦)
冒険家:アドヴェンチャー・ランナー、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー、 旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。

大阪府松原市生まれで、現在、大阪府富田林市に在住。妻はミュージシャンでかつてぴよぴよ名義で「らんま1/2」エンディングテーマ「虹と太陽の丘」を歌っていた。

楽天ブログ時代(2006.4.2)からノンストップブログ更新中。公式サイト 「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」“KAY’S WORLD”もよろしくお願いします。 プロフィール詳細はこちら

二度の日本縦断(「PEACE RUN 2010日本縦断3,443kmランニングの旅「PEACE RUN2012 日本縦断ランニングの旅 PART2」で実質の日本一周ランニング6,925kmの旅を完結。

2011年はPEACE RUN 2011アメリカ横断5,285kmランニングの旅を138日で完了。 2013年9月から163日で「PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅」5,205kmを走破。

2014年11月から2015年2月、83日でPEACE RUN2014ニュージーランド縦断ランニングの旅2,796.6kmを走破。 2016年7月〜11月、110日間で7カ国3,358.8キロ、「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」を走破。

2017年9月〜10月、「PEACE RUN2017四国一周ランニングの旅」1000キロ走破。来年の「PEACE RUN2018ヨーロッパランニングの旅PART2」に備える。

2011年3月14日、東日本大震災の3日後、「RUN×10(ラン・バイ・テン)運動」を発案・提唱、全国に展開させる。

2012年末、facebook上の公開グループ、平和的環境美化集団"THE SWEEPERS"を発足、活動を展開中。

2013年、一本歯下駄で世界平和をめざすfacebook上の公開グループ「一本歯下駄クラブ」を発足、活動を展開中。 講演・セミナー・取材などの問い合わせ・依頼は下のメールフォームでお願いします。

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