KAY'S BLOG

独行道~Lonesome Road of Running

Remember 2.22〜クライストチャーチ地震から6年

【Remember 2.22〜クライストチャーチ地震から6年】

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日本人28人を含む185人が犠牲となったマグニチュード6.3のニュージーランド、クライストチャーチ地震(カンタベリー地震)から今日で6年。

3年前の「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」ではクライストチャーチを二回訪問。

一度目は南島の北端ピクトンから走って南下して通過する際。二度目はファイナルランのゴール地点が大聖堂前広場、日本に帰国するフライトもクライストチャーチ空港からの出発。


一番大きなショックを受けたのはやはり20年ぶりに見たクライストチャーチ大聖堂。

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2012年に二度目の日本縦断をした際に太平洋沿岸を南下、被災地の津波の爪痕を目の当たりにしてきた時と同じくらい衝撃的だった。

崩れ落ちた屋根や側壁…まるで広島の原爆ドームのよう。大聖堂前周辺には柵が張り巡らされ中には入れない。

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再建するのか壊してしまうのかといった議論もあったようだが現在もまだ放置されている。

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その代わりに、日本人建築家坂茂(ばんしげる)さん設計の紙で作られた聖堂が少し離れた所に建てられている。

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椅子も机も紙でできている



20年前に訪ねた大聖堂前広場、週末には屋台があちこちに出て、大道芸人やストリート・ミュージシャンたちでかなり賑わっていたはず。

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日本人留学生たちが犠牲になったカンタベリーテレビのビル跡地


エイヴォン川のほとり、元は住宅地だったレッドゾーンにも足を踏み入れた。土地は国が買い取り、殆どの家は解体され更地となっている。

道路はいまだ凸凹で亀裂が入ったところも残っているし、更地には雑草が生い茂るだけ。


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町の中心部ではあちこちで工事の真っ只中、クレーンや重機がそこかしこに見られる。

人が少ないのと経済的な面でコストも掛かるため復興にはかなり時間がかかっているという。

被災することで生じる様々な問題は東日本大震災と共通している部分も多々あるのかもしれない。

観光客もじわじわと増えてきて、少しずつ町は活気を取り戻しつつあるものの、復興はまだまだこれから。


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次にあげるのは、クライストチャーチ滞在中にお世話になった早坂さんから私のフェイスブックのクライストチャーチ地震に関する投稿に頂いたコメントから…

「私の家は震源地にごく近く、水道も電気も日常生活も完全にストップしました。かなり強い余震が続いたので基礎の壊れた家には住めずに10日後に家族で日本に避難しましたが、今度は東日本大震災に遭いました。約1ヵ月後にニュージーランドに戻ったら、多くの見ず知らずの通りすがりの方達から話しかけられ、共感と同情(まさに言葉の通りの)の言葉をたくさん頂きました。同じ経験を持つもの同志だから分かる優しさと思いやりでした」


クライストチャーチ在住の日本人の中には早坂さんのような方も他にいるという。

早坂さんの紹介で、クライストチャーチ在住の日本人会の何名かとお会いしてお話する機会を持つことができた。

その中には、福島原発の放射能汚染を危惧してごく最近母子留学で来られている方々もおられたし、かなり昔からクライストチャーチに住まわれている日本人の方もおられた。

言葉や生活習慣の問題もあるし、日本とはまたちがった社会で暮らしていくのは決していいことばかりでもない。逆に、日本以上にありがたいシステムや住みやすい環境もあるというのも事実なのだ。


いずれにしても、被災するというのは、災害から学ぶことでもあるのだ。次に生かせる教訓を得て人は叡智を磨いていく。歴史は繰り返されるけれど、人もその歴史の中で成長し続ける。


クライストチャーチ地震と東日本大震災ではそれぞれの地震の直後、相互に救援活動が行われていた。

2011年に起きた二つの地震、2.22と3.11があって以降、日本とニュージーランドはいい関係を構築してきている。

今回ニュージーランドを訪ねてみてわかったことだが、親日的なキウイ(ニュージーランド人)が非常にたくさんいるということがそれを物語っている。



6月4日にはクライストチャーチマラソンが開催される。



空港の周りを走るのでコースは非常にフラット、記録を出しやすいコースと言われている。

日本から参加するランナーはまだ少ないのだけれど、時間的・経済的にも余裕のあるランナーはぜひ走ってみて欲しい。走ることでクライストチャーチの復興に貢献できるはず。

走ったあとはクライストチャーチのみならず周辺の観光も楽しめる。

1週間くらい滞在できれば南島のいろんな観光スポットが訪ねられるだろう。



震災から6年めの今日、犠牲となった方々のご冥福をお祈りするとともに、クライストチャーチの一日も早い復興を祈念します。





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*講演について

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今年は「PEACE RUN2017ヨーロッパランニングの旅PART2」が7月からスタート。

それまでは国内におりますが、講演やセミナー・トークライヴなどでまた全国各地を訪ねたいと思っています。


学校や企業、走友会・ランニングクラブ等でお話させていただく機会をご提供いただければ嬉しく思います。

テーマも多種多様、その場の状況に応じて柔軟に対応します。

詳細はこちらから…




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  1. 2017/02/22(水) 23:42:38|
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原風景として

【原風景として】

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何度も夢に現れる原風景。

通り過ぎる車もなく、いつも荒涼としていて、人影もなく、人の住んでいる気配さえない。

一般的には、こういった場所は、荒野か原野と呼ばれる場所。

不毛の地となれば、砂漠のようなものか。

ここでは、人間が作ったシステムやルールなど一切通用しない。

それも当然のこと、人が棲み着くような場所でもないからだろう。

アラスカのタイガとツンドラの原野か、オーストラリアの砂漠ナラボー平原か、過去に自転車やランニングで足を踏み入れて、とことん辛い目に遭っているにもかかわらず、また足を踏み入れたくなる土地。

いっそのこと、自分自身が人間であるという意識を捨てた方がいいのだろう。


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ここでは、自分自身がひとつの命を持った生命体であるということだけが確かな事実だった。

生きて生かされていることに一体どんな意味や価値があるのかをあらためて考えさせられる。

これからまだいくつかそういった土地を僕は訪ねるのだろう。

風景の一部として存在する「私」という命。

やがてその魂は土に帰り、宇宙の一部になるであろう存在。

原風景はそんなことを考えさせてくれる場所…。


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ほんの一瞬かもしれないけれど、砂漠の原野で僕の心と体はあらゆるものから解き放たれる場面に遭遇した。

その時、僕は風景の一部となり、宇宙に同化したのかもしれない。

確信は持てなかった。

それは、まだ心と体に微妙な温度差があったからだろう。

まだまだこの魂は修行が足りない、ということ…なのだ。


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  1. 2017/02/06(月) 21:10:32|
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あれから22年&6年

【あれから22年&6年】

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1995年の今日、僕はニュージーランド南島フォックスグレイシャーのキャラバンパークで阪神・淡路大震災のニュースを知った。(写真はニュージーランドマウントクックをバックに)


キャラバンパークのオウナーが日本で大地震があったということを朝一番に教えてくれたのだ。

すぐさま公衆電話で大阪の実家に電話するが、何度ダイヤルを回しても通じない。回線が麻痺していたのか…。

6時間近く経ってようやく連絡が着いた。幸い家は門灯が倒れ、窓ガラスにヒビが入ったくらいで住んだらしい。

その後、テレビや新聞のニュースで次々と届く知らせに僕は愕然とする。

高速道路は柱から折れて倒壊、大きなビルはこなごなに…神戸の町が炎に包まれていた。

自分のいない日本でよもやそんな大震災が起ころうとは…。

22年が経った今も、異国で知った大震災のニュースで全身鳥肌が立ったあの日のことを忘れない。

2011年の3月11日に起きた東日本大震災もそれは同じ。

いつ何時やってくるかは分からない。今日かもしれないし明日かもしれない。まさに「天災は忘れた頃にやってくる」のだ。

神戸の町はほぼ復興したようだけれど、失われた多くの尊い命は帰ってこない。

そしてまた、二ヶ月後には3.11がやってくる。

今あらためて、ここ大阪は富田林、ぴんぽん地球ス(テラス)から祈りを捧げます。

合掌


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*写真は「1.17希望の灯り」。御影石で作られた本体とガラスケース。その中で、美しくも炎が揺らめいている。この火は、被災地各所を巡った火種と、全国47都道府県から贈られた「支援の火」を合わせたもの。多くの人の願いが込められた、まさに「希望の灯(ひ)」なのだ。

建立は震災5周年の2000年1月17日、午前5時46分に灯りが灯された。



そして、1月17日はもうひとつの記念日。

2010年3月、最後に勤めていた私立高校を退職、しばらくのんびりしていたが、6月に最初の日本縦断ランニングの旅へ…。


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その翌年、2011年1月17日に僕はアドヴェンチャー・ランナーとしてデビュー。


PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を目指すことになる。



この日、PEACE RUNアメリカ横断を前に、神戸にあるアシックス本社を訪ね、シューズやウェアの提供をいただけることになったことがきっかけでもある。奇しくもそれは、同じ神戸で起きた阪神淡路大震災からちょうど16年目にあたる日だった。

同年10月、私がアメリカ横断中にはPEACE RUNをサポートするためにPEACE RUN PROJECTという組織(母体はNPO法人)が作られた。

50歳と3ヶ月、遅すぎたチャレンジかもしれないが、間寛平さんは60を過ぎてもアースマラソンを成し遂げることができた。

あと10年は頑張れる…そんな思いで宣言したのが6年前のこと…。

この決断の4日後1月21日に間寛平さんはアースマラソンを大阪城公園野外音楽堂で終えることになる。

その現場をこの目でしかと見届け、見えないバトンを寛平さんから受け取り、それから4ヵ月後に寛平さんも走ったアメリカ横断ランニングの旅へと出て行くのであった。


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「見えないバトン」



アドヴェンチャー・ランナーとしてまだ残り3大陸で2万6千キロあまりを走り続けていく。

今年夏には「PEACE RUN2017ヨーロッパランニングの旅PART2」がスタートする。

新天地、富田林のぴんぽん地球ス(テラス)でスタートした2017年、まだまだ自分自身も発展途上中。

一本歯下駄のように不安定な人生がなおも続いているが、これもあえて自分が決めた生き方・選んだ道。

悔いの残らぬように、一歩ずつ前へ、前へと邁進していければいい。




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  1. 2017/01/17(火) 17:07:15|
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どこでもないところの真ん中で

【どこでもないところの真ん中で】

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今も時々、夢の中に現れる砂漠の平原…

僕はいつも、どこでもない所の真ん中に一人ぽつんと立ち、行くあてもなく途方に暮れている。

気の遠くなるような真っ直ぐな一本道は、地平線の果てまでも続く。

何もないところ…とは言っても、一本のハイウェイだけが僕の過去と未来を結んでいる。

そう、僕が立っているここが「今」だ。


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どこでもない所の真ん中で、どこにも行けずにたたずんでいる…僕は永遠の旅人。

黙っていれば、広大な原野に自分の存在さえも否定されてしまいそうなくらい…。

僕は、必死になって、自分の存在をアピールする。

だが、こんなちっぽけな存在をすっかり無視するかのように風が僕の頬をかすめる。




風は何かを語っている…いや、正確に言うならば、風が語るものは言葉ではなく歌だ。

風の歌に耳傾け、そのメッセージから僕は何かを探り出そうとしている。

解読不能なメッセージは、僕を悩ませ続ける。

そのメッセージの中に、僕がたどり着くべき場所へのヒントが隠されているかもしれないのだ。


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ひとすじの風が僕の頬を撫でるようにかすめ、またどこか遠くへ去っていく。

風は、ひょっとしたら、いつの時代も僕にそんなメッセージを送り続けていてくれたのかも知れない。

ただ僕がそれに気づかなかっただけのこと。


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風の歌はいつまでも続いていた。

砂漠の乾いた風は、遠い遠い、僕の未来圏から吹いてくるかのようでもあった。




そう、あの時、確かに僕はあれらの風景の中に含まれていた。

僕もまたその風景を構成する一要素として、その場になくてはならない存在だったのだ。


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あの時の風は、僕に確かこんな風に囁きかけていた。

「君がこの風を感じたければ、いつでも感じることができるんだ。君の行く所に必ずこの風は吹いているからね」



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僕の心に静かに吹き抜ける平原の風…それはきっと道祖神の仕業かもしれない。



そして、再び、僕は途方に暮れる…


どこでもない所の真ん中で…


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*平成28年熊本地震復興支援…ランナーが走ることでできることがあります

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RUN×10(ランバイテン)運動

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  1. 2016/05/20(金) 23:59:59|
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やさしさに包まれたなら

【やさしさに包まれたなら】

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昔々、といっても時をさかのぼること約30年ばかり。

僕の20代は1980年に始まった。

まさに青春時代の真っ只中、僕は大阪北部の片田舎にある私立大学の2年生で、キャンパスから歩いて15分ほどの所に下宿していた。

下宿とはいっても、それは6畳1間のおんぼろアパートで、建物は相当老朽化していつ崩れてもおかしくなかった。

雨戸はきしんで動かないし、廊下や階段は人が歩くたびギシギシ鳴るし、共同トイレも夏になれば失神しそうなくらいの悪臭を放った。

すぐ近くには竹やぶと、花池という名の池があり、一年を通じて湿気が多くジメジメしていたから、ゴキブリやムカデ、ハエ、蚊、蟻などがひっきりなしに現れた。

誰かが影で「昆虫の館」と呼んでいたくらいだ。

いくらおんぼろでも、家賃だけは他のどこよりもはるかに安かったから文句は言えない。

僕はそんな小さな城のになって、ささやかではあるが誰にも干渉されることなく憧れの1人暮らしを満喫していたのだ。



仕送りを使い果たし、バイトの給料が入るまではいつもサヴァイヴァル生活が続いた。

冷蔵庫には例によって、バターとマヨネーズ、ケチャップ、水の入ったポットと製氷皿が行儀良く納まっていた。

貧乏学生の冷蔵庫といえば大体がこんな具合なのだ。

日曜日は昼過ぎまで寝て朝飯代を浮かし、おもむろに起きだして顔を洗ったら、隣人から卵と牛乳を恵んでもらって近くのパン屋に行き、食パンの耳を20円で買ってくる。

わずか20円で両手に余るほどの量があるので、うまくいけば3日間は何とか飢えることなく生き長らえることができた。

早い時間ならまだ食パンの耳も柔らかい。

それが僕の好物フレンチトーストを作るのにうってつけの材料となるのだ。



砂糖とバニラエッセンス、卵と牛乳をかきまぜ、4つに切ったパンの耳をその中によく浸しておく。

途中で裏返して、漬け汁がパン全体にたっぷり染みるまでじっくり待つこと2時間…焦ってはいけないのだ。



暖めたフライパンにサラダ油をひき、卵と牛乳をたっぷりと吸収したパンの耳を裏表ともキツネ色になるまでじっくりと焼く。

片面7~8分が目安。

焼きあがったフレンチトーストに蜂蜜とバターをたっぷりと塗って食べる。

空腹にはこのひと口がこたえられない。

年がら年中活躍しているやぐらコタツのテーブルに、ミルクティーとフレンチトーストというささやかだけどこの上ない贅沢。

ステレオでユーミンのLPを聴きながら本当にやさしい気分になれそうな気がした。

卵と牛乳をくれた隣人にも何切れかを皿に盛って届けた。

それ以後、彼も僕のフレンチトーストのファンとなった。


ひもじい思いをするたびに何度も食パンの耳には救われたものだ。

インスタントラーメンを食べた後のスープにパンの耳を浮かべて食べたり、オーブントースターで焼いてマヨネーズとケチャップだけをつけて食べたり……。

何度か店に通う内にパン屋の主人とは顔見知りになり、彼もやがて食パンの耳代20円を僕から受け取らなくなった。


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今思い返せば、あんな貧しい時代もあったということがまるで嘘みたいだが、当時は当時で、「苦労」というものを楽しむ余裕があったのかも知れない。

あれ以来もう僕は食パンの耳にお目にかかっていない。

それに、あのパン屋の主人は今でも元気にしているだろうか?

その当時は豚のエサと言われた食パンの耳だが、あのフレンチトーストの味はもう蘇ることもあるまい。

貧しくていろんなものが不足していたけれど、心が豊かだったあの時代に、どうやら僕はたくさんの忘れ物をしてきてしまったようだ。






人間という者は、

少しやさし過ぎるくらいでなくちゃあ、
  
十分やさしくあり得ないのだ。



---マリヴォー『愛と偶然との戯れ』(岩波文庫)より




*平成28年熊本地震復興支援…ランナーが走ることでできることがあります

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  1. 2016/05/11(水) 23:59:59|
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プロフィール

KAY(高繁勝彦)

Author:KAY(高繁勝彦)
冒険家:アドヴェンチャー・ランナー、NPO法人“PEACE RUN”代表、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー
旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。

大阪府松原市生まれで、現在、大阪府富田林市に在住。

楽天ブログ時代(2006.4.2)からノンストップブログ更新中。公式サイト
「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」
“KAY’S WORLD”もよろしくお願いします。

プロフィール詳細はこちら

二度の日本縦断(「PEACE RUN 2010日本縦断3,443kmランニングの旅「PEACE RUN2012 日本縦断ランニングの旅 PART2」で実質の日本一周ランニング6,925kmの旅を完結。

2011年はPEACE RUN 2011アメリカ横断5,285kmランニングの旅を138日で完了。

2013年9月から163日で「PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅」5,205kmを走破。

2014年11月から2015年2月、83日でPEACE RUN2014ニュージーランド縦断ランニングの旅2,796.6kmを走破。


2016年7月〜11月、110日間で7カ国3,358.8キロ、「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」を走破。

現在まで3つの大陸で16,637キロ走破。残り三大陸で23,363キロを走ることになる。

東日本大震災から3日後に「RUN×10(ラン・バイ・テン)運動」を発案・提唱、全国に展開させる。

2012年末、facebook上の公開グループ、平和的環境美化集団"THE SWEEPERS"を発足、活動を展開中。

2013年、一本歯下駄で世界平和をめざすfacebook上の公開グループ「一本歯下駄クラブ」を発足、活動を展開中。

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