KAY'S BLOG

独行道~Lonesome Road of Running

蚊にまつわるお話〜アラスカ北極圏1994年

【蚊にまつわるお話〜アラスカ北極圏1994年】

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1994年6月、米・アラスカ州を自転車で走っていた。

当初はアラスカ〜ユーコン〜カナダ横断を目論んでいたが、

オプショナルツアーとしてアラスカ北極圏を目指すことを思いつき決行することになった。

フェアバンクスに着いてすぐ、街の観光案内所で地図やら資料をもらった。

受付のお姉さんに「北極圏を自転車で横断することは可能ですか?」と訪ねたら、

「たまにいるけど、とても危険よ。グリズリーもいるし、北極海辺りではシロクマもいるわよ」

という答え。

ダルトンハイウェイが北極海の町プルドーベイまで続いていて、アラスカを縦断する石油を運ぶためのトランスアラスカパイプラインがハイウェイに並行して走っており、このパイプラインを整備するためにトレーラーがひっきりなしに行き交っているのだそうだ。

ハイウェイとはいえ、道は一部舗装されているが途中から完全な地道。雨が降ると道は崩れ、とんでもないことになるらしい。

冒険的要素はふんだんにあるし、この話を聞いていて常にワクワクドキドキが止まらなかった…ということは自分の中では完全にGOサインが出ていたということ。

フェアバンクスにあるアメリカ最北端のショッピングモールへ直行。食料やら備品を購入。

そして、いざ北へ…。


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アラスカの州鳥とも言われている蚊、英語ではモスキート。

町を出て森林に囲まれたハイウェイでは、上り坂でちんたら走っていると獰猛な蚊の群れに追いかけられる。

アラスカの蚊は日本の蚊よりも一回りサイズが大きく、ジーンズの上からでも刺してくる。

一度血を吸われたら一週間くらいは痒みが続く。特に初めて刺された時には免疫がないので相当腫れて痒くなる。

キャンプ場でもじめじめして湿度が高いところでは蚊の歓迎を受ける。

ある時、あるキャンプ場でテントを張っている間に10数箇所刺され、テントを張った後も中に荷物を入れている間に蚊が何匹か侵入。

恐らく20匹程度。目をつぶってパンと手を叩けば数匹つぶれている…そんな感じ。

蚊に刺されて痒くて気が狂いそうになるという経験を初めてしたのがこの時。

アマゾン川に飛び込んだ瞬間にピラニアに入れ食いされてしまうかのような経験。

トイレに行くのにテントを出入りする際にもやはり蚊が出入りする。蚊取り線香をテントの外で焚いているけれどあまり効果がない。虫除けスプレーも汗で流れたら効果なし。

それどころか、虫除けスプレーを塗らなかった唇や目・耳・鼻の中を刺してくる蚊がいるのには衝撃的!

アラスカに行けば蚊の洗礼を受けるのは必至。

さすがに目の玉は刺されなかったが、耳の穴の入口部分や唇は何度か刺されてしまった。

こういうことは日本ではまずあり得ないことだろう。


キャンプ場のトイレも掘っ立て小屋みたいなところでは隙間だらけ、蚊はいくらでも入ってくるし、油断しているとお尻や局部も刺されてしまう。


また、北米大陸最高峰マッキンリー山の麓、標高がかなり高いところで雨が降って気温が5度近くでも蚊が飛んでいる。

寒さに強い種類の蚊もいるのだ。


今は、ぴんぽん地球ス(テラス)の蚊帳(かや)の中で安心して眠れるものの、蚊が一匹でも飛んでいると気になってしょうがない。

僕にとっては、グリズリーやシロクマよりも恐ろしかったのがアラスカの蚊の群れ。

蚊に刺されて出血多量で死ぬことはなくても、同時に20〜30箇所刺された時のあの狂喜乱舞にも似た感覚はとてもじゃないが言葉にできない。

今なお、蚊に対してトラウマがあるのはこういった理由からなのだ(笑)。


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時折、こういったハイウェイの道端でもテントを張った…



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  1. 2018/07/11(水) 23:24:18|
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アリゾナの思い出

【アリゾナの思い出】

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2011年の今頃はアリゾナ州フラッグスタッフにいた。

アメリカ横断ランニングの旅25日め。

この周辺は標高約2000メートルで、酸素も薄く、普通に走るだけで高地トレーニング。すなわちこの町に住んでいるランナー・アスリートは全員高地トレーニングを望むと望まざるにかかわらずしていることになる。

間寛平さんのアースマラソンもサポートした地元のトレイルランニングクラブNATRA(North Arizona Trail Runners Association)のニールと縁あってお友達になり、町を案内してもらったり、フラッグスタッフの町を出る際にはランナー仲間が共走して見送ってくれた。

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ニールからもらった北アリゾナトレイルランニング協会のキャップとTシャツとステッカー



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ニール(この当時47歳)との2ショット。モーテルの前で…。 

後にこの写真は、地元紙「サン」に掲載された。


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快晴、心地よい風が吹く中、フラッグスタッフの町中を抜け、フォレスト・ガンプの撮影現場となったサンフランシスコストリートを経由で4thストリートまで、わいわいおしゃべりしながら約6キロを走った。

フォレスト・ガンプの映画の中で、"Shit Happens(ついてないこともあるさ!まぁしゃあない!)"のバンパーステッカーを思いついた男が車にぶつけられるシーンはここフラッグスタッフで撮影されたのだとか…






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集まってくれたランナー仲間、標高2000メートルの高地でごく普通に走っている彼らだが、なぜか私は彼らのペースに追いつけず、息が上がってゼイゼイを繰り返していた。心肺機能がやはり違っているのだろうか?



この日のイベントをニールが走りながらポイントごとに撮影してくれた動画…




NATRAのこの日のブログはこちら

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「重いよ〜!」



行く先々でいろんな方々にサポートを受けるが、やはり嬉しいのはランナーがやってきて共走してくれること。

フォレスト・ガンプも映画の中でたくさんの共走仲間が一緒に走る場面で先頭を切っている。



Forest Gump long run scene

実際、彼はモニュメント・バレーの中を走る国道163号線で、「もう疲れた、家に帰る」と言って走るのをやめてしまうのだが、私は彼が走るのをやめたその地点からさらに東へ走り続けた…この話題については追ってまた書いてみたい。



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  1. 2018/06/20(水) 23:22:39|
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不合理と不条理

【不合理と不条理】

1979(昭和54)年、大学に入学してすぐに剣道部に入った。

上下関係がはっきりしていて、先輩に対してのあいさつは常に「押忍(オス)」。

イエス・ノーはない。

「おい、高繁。たばこ!」「押忍!」

「おい、高繁。酒屋に行って缶ビール買ってきてくれ。カネがないので立て替えてくれるか」「押忍!」

「おい、高繁。3限目の倫理学、代わりに出席票書いて出しておいてくれるか」「押忍!」

コンパではたびたびイッキ飲みを強要される。バケツや洗面器でビールを飲んだこともあった。

何を言われても、個人的な感情が含まれない「イエス」を意味する「押忍」としか言わせてもらえなかった。

逆らうことはあり得ない。「押忍」の声は大きくなければならない。声が小さければ自分への評価が下がってしまうのだ。

先輩に食事や酒をごちそうになったら「押忍、ごっつぁんです」というのが決まり文句。

剣道の稽古では、気合が入っていないという理由でしばしば個別で特別稽古を受けた。

掛かり稽古という名目で、足払いをされ、喉に突きの連発。

ひっくり返され、胴の上に先輩が乗っかって動けなくなる。

夏の合宿、一年目は奈良で8泊9日に渡る激しい稽古が続いた。

全日本学生優勝大会への団体戦出場を目指していたので、そのためには関西学生選手権でベスト16に入らないといけない。

思い出すのもおぞましいほどの猛練習。今も疲れていると夢の中に出てくる稽古の場面。

あの1979年夏の合宿では一日三部練習(計6〜8時間)が続いた。

仲間が倒れ、救急車で運ばれる。そうすると残された者への精神的・肉体的な負担が一気に増える。

4回生は神様、3回生は人間、2回生は奴隷、1回生はゴミ…そんな階級制度が暗黙の内に存在していた時代。

人権という言葉は知っていたが、自分たちのいる世界ではあまり意味のない架空のものでしかなかったのであろう。


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大学時代は趣味で自転車を楽しんでいた。




一年ごとに階級が上に上がっていく。そしてついに、最上級生となる。

大学3回生の終わり、体育会本部役員に抜擢される。


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関西外国語大学体育会本部企画部長をやっていた…写真左最後部が私




4回生になって、もう誰からも無理や無茶を言われることもなくなった。

応援団でもないのだけれど、学ランがフォーマルウェア。

慣例のように後輩を顎で使い、無理無茶をいう連中もいたが、見ていて気持ちのいいものではなかった。

辛く苦しい時代を経験してきた僕は、下級生たちに無理や無茶を押しつけることはしなかったししたくもなかった。

押して忍ぶ…不合理と不条理が当たり前だったあの時代に生きていて、僕は自然と強さを身に着けていったのだ。

強さとはやさしさ…自分に厳しく、他人にやさしくあってこそ強い人であるということなのだろう。


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1981年の学園祭での私


あれらの日々を思う度、今の平和な時間に感謝だ。

今から思えば、あの時代を生きてきたからこそ、今の僕がある。

あの時代の稽古の時間を思えば、走るなんていうのは本当に楽しいもの。

どんな辛いことも乗り越えられるように鍛えてもらったのがあれらの時代…。

仲間がいたからこそ耐えてこれた。あれらの時代を闘ってきた仲間はまさに戦友と呼ぶにふさわしい。


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1982年卒業式の日…羽織袴をまとう


誰も見ていなかったかもしれないが、卒業式の日、大学の門を後にする時、大粒の涙を流した。

これですべてが終わった…そんな安堵感だけで僕は4年間の学生生活を終えた。

大学の行事に参加もしたしバイトもいろいろやった。


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居酒屋「牧野酒道場」では3年半ほどアルバイトをしていた


でも、剣道部時代の様々な経験はいろんなことを僕に教えてくれたと思う。

いつか、あの不合理で不条理だらけだった時代のことを物語にまとめてみようと思う。

今の若者達は決して知ることもない…あれらの時代を…。







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  1. 2018/06/13(水) 23:53:52|
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ひょっこりひょうたん島

「ひょっこりひょうたん島」

井上ひさしほか作詞・宇野誠一郎作曲




波を ちゃぷちゃぷ

ちゃぷちゃぷ かきわけて

(ちゃぷ ちゃぷ ちゃぷ)

雲を すいすい

すいすい 追い抜いて

(すい すい すい)

ひょうたん島は どこへ行く

ぼくらを乗せて どこへ行く

ウーー ウーー

丸い地球の 水平線に

何かがきっと 待っている

苦しいことも あるだろさ

悲しいことも あるだろさ

だけど ぼくらは くじけない

泣くのはいやだ 笑っちゃおう

進め

ひょっこりひょうたん島

ひょっこりひょうたん島

ひょっこりひょうたん島



***


今も、走りながら時々勝手に口ずさんでしまう曲のひとつがこれ。

昭和という時代、今からもう50年も昔、テレビがメディアの中心だった時代の子どもたちは人形劇を楽しんでいた。

今のデジタル全盛の時代からすればあまりにもちゃちなのだが、子どもたちはモノクロの画面を皆真剣に見入っていた。

ひょうたんの形をした島がひょっこり海の上に現れ、そこに暮らす人達は広い広い海をさまようように旅をしていく。

何が起こるかわからない。

僕が未知なる冒険の世界に憧れるきっかけがこんなところにもあったのだろう。



「丸い地球の 水平線に 何かがきっと 待っている」

地平線の向こうに何があるか知りたいからバギーを押して走る…アドヴェンチャー・ランナーが走るのもそれは同じ。


「苦しいことも あるだろさ 悲しいことも あるだろさ だけど ぼくらは くじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう」

どこへ行こうと何が起ころう構わない。自分に降りかかるどんなことをも拒むことはしない。

それがポジティヴな姿勢。

あらゆるものをありのままあるがまま、快く心地よく受け入れるからこそ笑顔で前に進んでいける…。

シンプルなこの歌詞にも生きていくための深い意味が隠れている。


【講演・トークイベント】

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引き続き全国各地での学校・企業・ランニングクラブや走友会、個々の家庭を対象としたトークライヴや講演会のオファーをお受けしております。

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  1. 2018/04/25(水) 23:59:38|
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忘れられない日・忘れてはいけない日

【忘れられない日・忘れてはいけない日】

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1994年11月から1995年2月までニュージーランドを自転車で走っていた…写真はマウントクック近くのハイウェイ



今日1月17日、1995年に起きた阪神・淡路大震災から23年目を迎える。

ウィキペディアで「阪神・淡路大震災」の項目を改めて読み直し、震災がその後の日本にどんな状況をもたらしたのかを考えてみた。

当時、僕は自転車旅行で日本を離れていて、震災の当日にはニュージーランド南島フォックスグレイシャーの町にいた。

その日のことは今も忘れていない。

決して忘れてはいけない日なのだ。

キャンプ場でテント泊だったが、コインランドリーで洗濯をしていた時に、キャンプ場のオウナーが震災のニュースを知らせてくれたのだ。

「日本が大変なことになってるよ!」

僕はオフィスに走っていって、震災のニュースを報道するテレビに釘付けになった。

阪神高速が倒壊し、たくさんの車がつぶされている…。

銀行のビルが崩れ落ち、神戸の町が炎と煙に包まれている…。

まるで戦争が起こった後のような光景だった。



大阪の実家は大丈夫なのか?

僕は公衆電話で実家に電話したが一向につながらない。

何度もコインを入れなおし、ダイヤルを回し、応答を待つが、ツーツーという音が続くだけ。

そんなことを2時間近く繰り返した。

ひょっとしたら…という思いが頭を駆けめぐったが、異国にいて焦ってみても仕方がない。

その後のテレビのニュースで詳しい状況が分かるのを待つしかなかった。

電話がつながったのはそれから5時間ほど経ってからのこと。

幸い両親は無事で、家の門柱が倒れて、応接間の窓ガラスに亀裂が入っただけで済んだようだった。

大阪は震度4だったという。


ニュージーランド一周とオーストラリア横断の自転車の旅を終えて、僕は5月に帰国した。

オウム真理教による地下鉄サリン事件発生当時もオーストラリアにいたため、僕は歴史に残る二つのできごとについて、あとから人に聞いてその状況を確認するくらいのことしかできなかった。


その16年後、2011年3月11日に東日本大震災が起こった。

阪神・淡路大震災で得た教訓が生かされたことも多かったのだろうと思うが、津波の発生によって起こった原発事故など、誰もが予期しなかったような事態も起きてしまった。


これは戦争でもテロでもないのだけれど、自然の力によって、同時に多くの人の命が奪われ、たとえ生き残れたとしても、家や財産を失った人たちが数多くいる。


アメリカ横断中、いくつかの学校や教会を訪ねた際に僕は子供たちに東日本大震災について話しをした。

震災や津波の写真をスライドショーで見せながら…。

子供たちの中には、実際に震災を経験したわけでもないのに涙を流している者もいた。



「震災や津波は自然が引き起こしたものだから、誰を責めることもできない。

でも、同じような結果を招くものとして、例えば戦争やテロはどうなんだろう…?

人為的に多くの人の命が奪われ、家が壊され、街が燃やされる…。

同じ人間が同じ人間に対してそんなことをすることが許されるんだろうか?」




僕は子供たちにそう問いかける。



「生き延びることはできても、震災や津波で家や家族を失った人たちは、みんなで力を合わせて、また頑張ろうっていう気持ちで、今は復興のために一生懸命頑張っている。

平成という時代の30年間に二つの大きな震災を経験した日本という国、どんなに大規模な被害を受けても必ず立ち直れる…僕はそう信じている。

この地球上でごく普通に生活している人がいる一方で、今も紛争やテロが続いていて、震災や津波以上に悲惨な状況が起こっている。

平和な社会に生きているからこそ、僕達は普通に生活できて、食べるものもお金を出せば手に入れられる。

でも、それが当たり前じゃない国や地域もこの地球にはあるということを忘れないで欲しい…」




想像力を働かせて、子供たちが誰かの痛みや悲しみを共有してくれたのであればそれでいい。

次代の世界の平和を担うのはこの子供たちなのだから…。


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2011年のアメリカ横断ランニングの旅…モニュメント・ヴァレー付近のハイウェイ



話しはさかのぼるが、アメリカ横断の旅に出る前の2011年1月17日、僕は神戸市にあるアシックス本社を訪ねた。

2010年、教員を辞めて7月に日本縦断ランニングの旅をスタート、11月に旅を終えて、PEACE RUNの組織づくりに忙しく走り回っていた頃…。

PEACE RUNのスポンサーを依頼するのが目的だった。

PEACE RUNに初めて関わっていただいた公式スポンサーがアシックス(*注)。

シューズやウェアは必要なだけ提供してもらえることになった。

阪神淡路大震災のあった神戸で、しかも震災のあった1月17日に神戸を訪ねた…それが「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」の始まり…何か妙な縁を感じた日。


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最初の日本縦断ランニングの旅で北海道宗谷岬から沖縄県波照間島を走った…写真は広島付近






その日の夜、僕はブログを書きながら決断した。


この日のブログ「アドヴェンチャー・ランナーとして」


「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナーとして残りの人生を進んでいこうと…。

本来なら、日本縦断とアメリカ横断の旅を終えて教職に戻るつもりであったのが、僕は違う道を選ぶことになったのだ。

人生の分岐点、これもすべて意味や理由があり、定められたことだったのだろう。今となってはうなずけること。


2011年1月17日はアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦がデビューした忘れられない日。

しかし、同年3月11日、アメリカ横断出発直前に東日本大震災が起きた。

一時は出発を思いとどまったが、その直後に1キロ走るごとに10円を被災地に送るRUN×10(ランバイテン)運動を思いつき、被災地復興支援活動がスタート。僕は走ることで被災地をサポートしようとアメリカ行きを決意。

ヨーロッパの旅に出る直前、2016年4月にも熊本大分地震があった。

不思議な事だが、PEACE RUNは震災に関わることが何かと多い。


アドヴェンチャー・ランナー開眼からまる7年が経過した。

49歳3ヶ月でスタートしたけれど、気がつけば僕は今年10月で58歳になる。

世界五大陸4万キロの内、3つの大陸で約1万7千キロを走破、残り2万3千キロ。

まだ半分にも到達していないけれど、プロジェクトは確実に、着実に前進していると信じている。



1月17日はいずれにしても忘れてはいけない日、忘れられない日。

未来はまだ見えてこないけれど、真っ白なキャンヴァスに絵を描くように、僕はたくさんの夢と希望を胸に、現実の世界に一本の轍(わだち)を描きながら走り続ける。

舞台はこの地球という惑星、地球こそ我がふるさと。

そして、その地球にいる70数億人がみなファミリーだ。

70数億人すべてが愛と平和に包まれて暮らせるように…。

僕は祈り、そして走り続けよう。



阪神淡路大震災・東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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写真は「1.17希望の灯り」。御影石で作られた本体とガラスケース。その中で、美しくも炎が揺らめいている。この火は、被災地各所を巡った火種と、全国47都道府県から贈られた「支援の火」を合わせたもの。多くの人の願いが込められた、まさに「希望の灯(ひ)」なのだ。

建立は震災5周年の2000年1月17日、午前5時46分に灯りが灯された。


(*注)アシックスには2011年1月から2013年3月までお世話頂きました。


「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト


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  1. 2018/01/17(水) 18:40:36|
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プロフィール

KAY(高繁勝彦)

Author:KAY(高繁勝彦)
走る旅人:アドヴェンチャー・ランナー、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー、 旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。

大阪府松原市生まれで、現在、大阪府富田林市に在住。妻はミュージシャンでかつてぴよぴよ名義で「らんま1/2」エンディングテーマ「虹と太陽の丘」を歌っていた。

楽天ブログ時代(2006.4.2)からノンストップブログ更新中。公式サイト 「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」“KAY’S WORLD”もよろしくお願いします。 プロフィール詳細はこちら

二度の日本縦断(「PEACE RUN 2010日本縦断3,443kmランニングの旅「PEACE RUN2012 日本縦断ランニングの旅 PART2」で実質の日本一周ランニング6,925kmの旅を完結。

2011年はPEACE RUN 2011アメリカ横断5,285kmランニングの旅を138日で完了。 2013年9月から163日で「PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅」5,205kmを走破。

2014年11月から2015年2月、83日でPEACE RUN2014ニュージーランド縦断ランニングの旅2,796.6kmを走破。 2016年7月〜11月、110日間で7カ国3,358.8キロ、「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」を走破。

2017年9月〜10月、「PEACE RUN2017四国一周ランニングの旅」1000キロ走破。2018年5月「九州一周ランニングの旅」で約900キロ走破。 

2011年3月14日、東日本大震災の3日後、「RUN×10(ラン・バイ・テン)運動」を発案・提唱、全国に展開させる。

2012年末、facebook上の公開グループ、平和的環境美化集団"THE SWEEPERS"を発足、活動を展開中。

2013年、一本歯下駄で世界平和をめざすfacebook上の公開グループ「一本歯下駄クラブ」を発足、活動を展開中。 講演・セミナー・取材などの問い合わせ・依頼は下のメールフォームでお願いします。

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