【映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た】
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PEACE RUNTシャツ・スウェットシャツ・パーカで被災地復興支援
PEACE RUNTシャツ・スウェットシャツ・パーカ(写真上)を一枚ご購入いただくと500円が被災地復興支援義援金として寄付させていただきます。11月分のオンデマンド受付スタートしています。締切は11月15日、完成・発送は12月中旬になります。*詳細はこちら
*申し込みは11月15日まで。
9月分の売上は8枚、1枚500円☓8=4000円。今後の売上と合わせてまた寄付先を検討させていただきます。
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テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2018/11/13(火) 23:08:11|
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【小さな恋のメロディ】

中学生の頃にテレビで見た映画「小さな恋のメロディ」(1971年イギリス映画)。
規則や理屈で子供たちをがんじがらめにしようとする大人たちから逃げ出して、自分たちだけの世界をつくろうとしたメロディ(トレーシー・ハイド)とダニエル(マーク・レスター)。
まだ幼い二人の初々しいまでの表情・演技はいま見ても清々しい。
パブリック・スクールに通う二人の少年と少女、11歳という年齢で「結婚したい」と願う二人の純粋な気持ちに、今はただ心打たれる。
にわかに二人の結婚で神父を務めることになったジャック・ワイルド演じるオーンショー、脇役ながら立派に存在感をアピールしている。残念なことに、ウィキペディアで調べて分かったのだが、11年前に既に他界してしまったという。
クラスの全生徒が一斉に授業をエスケープ、教室から抜け出ていよいよ結婚式が行われるのだが…
発明狂の少年が作った爆弾が爆破して大人たちは一目散に逃げていった、あの場面では僕も拍手をしながら大笑いしていた。
当時、映画を見ていた15歳頃の僕にはあまりよくわからなかったのだけれど、今考えると「イノセンス(純粋無垢であること)」というものは、失われてしまって「もう永遠に取り戻せないもの」であることに気づいて初めてその価値を知るのだということ。
あの映画が教えてくれたことは、やはり「いつまでも子供のようにピュアな気持ちを忘れない」ということだったのか。
未来を恐れることのなかった子供の時代、なぜならそこには夢や希望がいっぱいあったから。
現実に縛られることなく、ワクワクした気持ちでいろんなものを見たり聞いたりすることができた。
本当に面白いから笑ったし、本当に悲しいから泣いた…。
本来、子どもには子どもだけの世界があるべきもの。だが、大人になるにつれほとんどみんなそんな世界から遠ざかっていってしまう…。
子供の頃一度は誰もが思ったはず…
「大人は何も分かっちゃくれない」
思春期…それは、若さゆえに、不安定で、脆く傷つきやすく、心が揺れ動く時代でもある。
いろんな不合理や非条理を経験しながら、僕らは当たり前のように大人になってきた。
「早く大人になりたい」と思っていた少年は、「なぜこんなにも早く大人になってしまったのか」とため息をつく中年になってしまった。
常識や世間体にこだわるのはいつの時代も大人という存在。
四半世紀もの間教員をやってきて、ただ権力を振りかざす愚かな大人を演じていたのかもしれないが、既に僕自身も完全に頭の固いオヤジになってしまっていた。
まだ、自分の中には大人になりきれていない部分がどこかにあって、疲れを知らない子どものように野山を駆けまわりたいという願望が、今じわじわと沸き上がってきているのだと思う。
僕たちは、大人であれ子供であれ、先に進んでいくしかない訳だし、少なくとも今を精一杯楽しみながら、常にワクワクすることを求めるべきなんだろう。
大切なのは感性のチカラ。
いくつになっても子供の頃の純粋な瞳でこの世界を見つめ続けていたい。
ビージーズが担当したサウンドトラックも「メロディ・フェア」や「イン・ザ・モーニング」「若葉のころ」など名曲揃いで秀逸。
*** Melody Fair by The Bee Gees - Music Video
*** In The Morning - The Bee Gees
若葉のころ/ビージーズ
【活動支援のお願い】
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」がスタートしてはや6年め。
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の取り組みもこれからが正念場となっていきます。
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」と「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」ではクラウドファンディングを利用しましたが、次回のプロジェクト「PEACE RUN2017ヨーロッパランニングの旅PART2」では企業・法人レベルでのスポンサード・協賛をお願いするつもりで現在取り組んでいます。
もちろん個人レベルでご支援頂けるスポンサーも引き続き募集しています。
活動支援についての詳細はこちらで…【講演・トークイベント】
引き続き全国各地での学校・企業・ランニングクラブや走友会、個々の家庭を対象としたトークライヴや講演会のオファーをお受けしております。「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の生の声をお聞きいただき、生きる・走るモチヴェイションとしていただければ幸いです。小学校高学年〜高校生くらいのお子様をお持ちの方には個々のご家庭を訪問することも可能です。講演・トークの内容・時間等については柔軟に対応させて頂きます。詳細はこちら
テーマ:色あせない名作 - ジャンル:映画
- 2017/05/01(月) 19:07:41|
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【今日はE.T.の日】

1982年のこの日、アメリカ映画「E.T.」が日本で公開された。
地球に取り残された「地球外生物」E.T.と1人の少年の友情を描いたスティーヴン・スピルバーグ監督の名作は、世界中で空前の大ヒットを記録。
観客は1000万人を突破し、『タイタニック』と『もののけ姫』(いずれも1997年)に抜かれるまで最高の配給収入を記録していた。
*
今日は何の日?〜12月4日の記念日から
*****
当時僕は大学生だった。
映画館でこの映画を見たけれど、単なるSF映画とはまた違った印象を持った。
だいたいのところ、その当時、SF映画で宇宙人と言うと、タコかクラゲのような火星人やエイリアンのような侵略者のイメージが強かったけれど、E.T.は全く違ったインパクトを持っていた。
どことなく間が抜けていそうでユーモアにあふれたかわいいマスコット的な宇宙人。
人の言葉を話し理解する、非常に高い知能を持った地球外知的生命体。
ところが、外観もさることながら異星人というだけで人々の奇異な目にさらされる。
悪意など微塵もない、愛と優しさに満ち溢れたE.T.であっても、我々人類とは違っているがゆえに排他的な目で見られ、よそ者・異端児扱いされる。
異なるものに対して友好的な態度で接するか敵意を持って接するかで相手の立ち位置も変わってくる。
これまでの歴史がそれを物語る。文明と呼ばれるものを持った人々が大陸にやってきた時、先住民に対してどんな態度で接したか。あるいは、平和な土地に突然争いをもたらした人々も…。
違った物同士でも仲良くやれるのであればそれで言うことはない。
さまざまな価値観や個性を持った人種や民族がいるこの惑星でもそれは同じ。
人であろうと動物であろうと、この宇宙に生きとし生けるものならば、基本的にはみな命を持ったひとつの生命体、そんな風に個人的には考えている。
「共存共生」
みんなちがってみんないい…この考え方があることで世界は平和へと向かっていく。
笑い合い、手をつなぎ、助け合う。
みんなが感謝感激感動できる、感性のチカラをもって私達人類がうまくやっていけるのであれば、故郷の星に帰っていったE.T.もまた地球に戻ってきてくれるかもしれない…。
映画 「E.T.」 劇場予告
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
- 2015/12/04(金) 23:59:59|
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【映画「わたしに会うまでの1600キロ」レビュー〜その2】
*その1をまだ読まれていない方はこちら*注意:一部映画のネタバレがあるのでこの映画を見る予定の方はスルーして下さい。それでも差し支えなという方、あるいは映画をご覧になられた方はぜひご一読ください。*大陸の旅
一人で大陸を旅をすることがいかに過酷であるかは想像するに難い。
言葉をかわす相手もいない、そんな時間が長くなれば言葉も口からでなくなる。たまに出会う旅の仲間は何よりも嬉しい。たった一度の出会いがまさに一期一会。旅で得られた親友は一生の友とさえ思える。
雄大な大自然の懐に包まれそこに息づく動植物の生命力、灼熱の砂漠の猛暑から深い雪の中を歩く極寒の旅。
道は決して平坦ではない。辛く苦しいこともあれば本当に幸福の極みと思える瞬間もある。
人間だから持ちうるいろんな感情を旅で経験しつつも、最終的にはどんなことに対しても寛容に振る舞えるのが旅人。過去の自分がどんな人間であっても甘んじて受け入れる。そして、過去から学んだ教えを糧に、未来に向かって今を真摯に見つめながら生きていく人となるのだろう。
*リスク・マネジメント一人旅には様々な危険がつきまとう。
自然災害としては、落雷、大雨洪水、突風、竜巻、砂漠なら砂嵐といった自然災害。
熱波で倒れてしまえば命取りになることもあり得る。大雪も地域や季節によっては起こり得る。
動物なら、アメリカロッキー山中にはグリズリーと言われる獰猛なクマもいる。時速50キロで走れる動物なので走っても逃げ切れない。嗅覚が鋭いので、テントの中に食料を入れていて襲われるというケースも多々あるようだ。砂漠にはコヨーテという野犬のようなヤツもいる。
毒蛇やサソリやクモなどの毒虫は砂漠ならあちこちにいる。ガラガラヘビはモハヴェ砂漠のルート66上でひなたぼっこしている場面もよく見かけたし、サソリやレッドバックスという毒グモはオーストラリアで何度かお目にかかった。
テントを張る場所も考えなければいけないのだ。

そして、恐らく最も怖いのは人間。道を歩けば大型トレイラーのような車も時速100キロを超える高速で飛ばしているし、都市では金品だけでなく命を狙われる危険性もあり得る。
女性の場合、男性に襲われる可能性もより高くなるだろう。
すべての人を疑うわけにはいかないのだが、長く旅をしていれば危険なにおいには敏感になるはずだ。
水や食料が尽きるというのは砂漠の旅では最悪なパタンだ。誰かが突然現れて水や食べ物をくれることをあてにしていては旅人として失格。
いずれにしても起こり得る危険を想定しながら、回避できるものは回避する工夫は必要であろう。
*アウトドア的側面からの考察1)バックパック彼女の背負っていたバックパックには「モンスター」というニックネームがつけられていた。旅のスタート時、モーテルであれこれいろんな荷物を詰めて、その重量は女性の彼女が持ち上げるには超ヘビー、推定30キロ。旅の途中で不要な荷物を処分して最終的には20キロくらいにはなったのか。ちなみに私は50〜70キロの荷物を積んだバギー=ジョギング用のベビーカーを押して走っていた。背負うよりもはるかに多くの荷物を搬送できるし、バックパックのベルトが擦れたり、背中に汗がたまったりすることもない。
2)水バスルームで大量の水を携帯用のタンクに入れる。水は重い。1リットルで1キロ。砂漠の40度超の気温下を歩くなら少なく見積もっても1日5リットルはいるだろう。当然水道やシャワーもないし顔も体も洗うことはないので、調理に使う水も入れれば7〜8リットル。
私の場合、ナラボー平原で無補給区間194キロ(4日かかる)を走る際に約25リットルの水を積んでスタートした。幸い気温が低い時期で助かったのだが。
砂漠の真ん中で貯水タンクを見つけても水がカラになっていた。テントで目覚めた朝に、日中と夜の気温差でテントについた水滴を舐める場面もあった。そう、砂漠は日中45度あっても明け方25度くらいになってブルブル寒さで震えるのだ。気温差が20度あるということは20度から0度に下がるのと同じレベル。
3)ツールいろんなアウトドアツールが登場する。もちろんテントや寝袋はキャンプの必需品。
乾燥食品も常備品。水で戻したり加熱調理して食べるものもある。
彼女が使っていたガスストーブはMSRのウィスパーライト。ガソリンスタンドでも手に入る無鉛ガソリンを使うタイプ。1リットルの水を3〜4分で沸騰させられる。私も「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」では同じMSRのホワイトガソリンや灯油が使えるタイプを使っていた。
アウトドアの経験も知識もほとんどなかった彼女、燃料の種類を間違えてストーブが使えず、本来は加熱調理して食べるマッシュポテトを水で作って食べるという場面があったり、ブーツは本来大きめのサイズを選ぶべきところを、普通のサイズを買って足に豆を作ったりと大変な状況も経験していた。
ウォーターフイルターも砂漠の旅では必携。水たまりの水を濾過して、ヨウ素を使って消毒。こういったツールは自然災害時にも重宝する。2000年の東海豪雨の際、あたりが浸水しているのに水道は断水。飲水がなくて困ったことがあった。
キャンプ中、寝袋に何か生き物の気配を感じた彼女、テントから飛び出て寝袋を引っ張り出した。蛇か何かと思って買っておいたホイッスルを思い切り吹き鳴らす。かなりの音が出せることを発見。女性は痴漢撃退に使えるかも…。
彼女がいろんなアウトドア用品を揃えたお店が
REI(=Recreational Equipment Incorporated)。

これはアメリカのアウトドアの生協とも言うべきシアトルに本社があるブランド。全米の主要都市に店を構える。私も何度も利用した。
サイズが合わなかったシューズを無償で交換するサービスなんてあったのかと思わされたが…。
思いバックパックを背負って歩くことで、背中や腰にも擦過傷ができる。爪が剥がれたり血豆が潰れることも当たり前のこと。旅とは決して楽なことばかりじゃない。少しでもそういったトラブルを軽減させるためにもアウトドアツールはやはり慎重に選ぶのがいい。
基本は軽くてタフ、コンパクト。あれば便利というものは要らない。絶対に必要なもののみを持つ。映画の中で、シェリルの荷物チェックをして荷物の量を減らす場面があったが、あれもアウトドアマニアにはいい教えになるだろう。
*音楽的側面の考察
サイモンとガーファンクルの名曲「コンドルは飛んでいく」のイントロが何度も登場する。
物悲しい寂れたイメージを持つあの歌が、荒涼とした砂漠の風景であったり山中のトレイルを歩く場面の中でサブリミナル的に使われている。
他にもクワイ河マーチなど鼻歌で歌われる場面もあった。
砂漠を走っている際、私自身もひとりで歌うことで退屈さを紛らわせていた。歌でも歌わなければやってられない…そんな気持ちにさせられる。
シェリルがトレイルを歩いていると、パニアバッグを着けた誰かのアルパカがいきなりトレイルに現れ、その後おばあさんと小学校低学年くらいの男の子がやってくる。年齢に相応しくないバカ丁寧すぎる言葉遣いとありえないくらいの礼儀正しさ…。
この男の子がシェリルのために歌を歌ってくれるのだが、この歌の歌詞がシェリルのハートに突き刺さる。
二人と別れたあと、シェリルはひざまずき、初めて声を出してオイオイ泣き始める。

今まで強がっていた彼女が自分を解き放つために流した涙。
無理していたのだろう。いろんな悲しみを受け入れられなかった彼女は、虚構の世界に生きようとして自分自身が崩壊する一歩手前にいたのだろう。
別の場面、彼女がヒッチハイクした車のカーステレオから流れてくるカントリーミュージック。家に帰ることをやたら強調する歌詞…彼女はしんみりとはしたものの泣くところまでは行かなかった。ずっとこらえていたのかもしれない。
*写真は
「わたしに会うまでの1600キロ」フェイスブックページと
公式サイトから
テーマ:今日観た映画 - ジャンル:映画
- 2015/09/03(木) 17:42:11|
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【映画「わたしに会うまでの1600キロ」レビュー〜その1】
*注意:一部映画のネタバレがあるのでこの映画を見る予定の方はスルーして下さい。それでも差し支えなという方、あるいは映画をご覧になられた方はぜひご一読ください。*パシフィック・クレスト・トレイル(=the Pacific Crest Trail、略称PCT)アパラチアン・トレイル(en:Appalachian Trail)、コンチネンタル・ディヴァイド・トレイル(en:Continental Divide Trail)と並ぶ、アメリカにおける三大長距離自然歩道のひとつ。
全長は2,650マイル=約4,264キロでアメリカ合衆国の長距離自然歩道。
この映画で主人公シェリルは、カリフォルニア州のモハヴェ砂漠〜カスケード山脈〜オレゴン州のクレーターレイク〜ブリッジ・オブ・ザ・ゴッド(神の橋…オレゴン州とワシントン州の境を流れるコロンビア川に架かる橋)までの1000マイル=約1600キロを歩いている。
*あらすじ
主人公の女性、シェリル・ストレイドは、7年間の結婚生活、母の病死をきっかけにドラッグ中毒、セックス依存症となり離婚。自暴自棄の中で転落まっただ中の人生を送っていた。
人は転落する時には歯止めが効かない。転落するところまで転落するものだけれども、どん底にいる自分に気づいた時点で人はいつでも変わることができる。もちろんすぐには変わらないかもしれないし変えられないことだってあるだろう。
彼女を変えるきっかけとなったのは旅。それも砂漠や山岳地帯をひたすら歩き続けるトレイルの旅だ。

シェリルの母バーバラは、DV(家庭内暴力)の夫の悪夢から逃がれ、女手ひとつでシェリルと兄リーフの二人を育てていた。
十分な学歴がなかったこともあって、自らの意志で40歳を超えてから娘と同じ大学で学ぶことを決心。辛く苦しい人生であったことは容易に想像できるが、どんな逆境にあっても生きることを楽しもうとする楽観的な生き方は素敵だ。
それからほどなくして癌の宣告を受け、儚くも他界。
母がシェリルに言った「美しさの中に身を置く」ということばが印象に残っている。
大自然そのものの美しさを彼女は旅のさなか経験する。そんなピュアで美しい風景の中に身をおくことで、彼女が一体何を学んだであろうか。
察するに、今の自分を快く受け入れなさいという宇宙からのメッセージではなかっただろうか。
*タイトルについて

荒野とは、文字通り荒れて荒(すさ)んだ手付かずの原野ということ。
しかし、荒んでいようがなかろうが、それは本来嘘偽りのない自然のあるべき姿、きっと人間も同じだ。
化粧したり着飾ったりすることで自分を隠さず偽らず、ありのままあるがまま、等身大の自分を受け入れて生きていくことが何よりも大切なのだということをこの自然から教えられる。
原題”WILD”にはそういった意味も隠されていたのかもしれない。
邦題「わたしに会うまでの1600キロ」は、ヒューマン・ドラマとロード・ムービーの2つの要素を兼ね備えた、言うまでもなく「自分探しの旅」である。
*まとめ
シェリルのモノローグが要所要所で我々に対する貴重なメッセージとなっている。
時に言葉使いが荒れる女性ではある(笑)が、本音ですべてを語るストレートな部分は美化されてなくていいのかもしれない。
「いつでもやめてやる」が「決してあきらめない」に変わる時、どんな辛いものであっても旅のゴールは自ずと近づいてくるもの。
シェリルを演じるリース・ウィザースプーンがすっぴんで取り組む体当たり的な演技もワイルドであった。
過去に見た「イントゥ・ザ・ワイルド」(私の人生を変えた映画のひとつ)にも共通する部分だが、過去のさまざまなしがらみから解き放たれるために自分をリセットするという明確な旅の目的がまずあるということ。
そして、歩くというシンプルな行為が、実は過去と未来をつなぐ「今」という自分のあり方を考え、「今」の自分と真摯に向き合うための純粋な行為としてフィーチュアされている。
人は様々な理由から旅に出る。そして、その旅の手段も人それぞれ。
どこをどんな風に旅しても、旅は旅。楽しい旅もあれば苦しい旅もある。
人生悲喜こもごもと言われるように、旅もいろんなエッセンスが詰まっているから面白くもあり悲しくもある。
同じ二本脚の旅人としてこの映画を見た時に、感じることがいくつかある。
旅の手段がシンプルであればあるほど得られるものは大きい。
そして、時間をかければかけるほど旅は面白くなる。旅そのものが人生、あるいは人生そのものが旅と化していく。
旅と人生の境界線が引けなくなればいよいよ本物の旅人だと私は考えている。

アメリカやオーストラリア、ニュージーランドを走っていて、よく旅の理由・旅に出るきっかけ(=CAUSE)をたずねられた。
「なぜ旅をするのか?」
それは、拡大解釈をすれば、「なぜ生きているのか?」という問いにも通じるものがある。
真の自分に出会う旅があるとするならば、この人生こそは真の自分と出会う場でもあるのだろう。
悩める人々は自ら悩みを作り出して悩むもの。悩みの元はすべて自分であり、そういった悩みにも意味があるということを今一度考えることが解決の糸口なのかもしれない。
悩める人々はぜひご覧下さい。
*その2につづく*写真は
「わたしに会うまでの1600キロ」フェイスブックページから
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:今日観た映画 - ジャンル:映画
- 2015/09/02(水) 23:59:59|
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