【新たな風が吹く】

現在は、戦後焼け跡闇市状態である、
ということをある方がおっしゃられていた。
仕事を失った大量の帰還兵が、新しい時代を模索している。
そのエネルギーを感じる人だけが、次の時代を作る。
すっからかんからはじめよう…というお話。
0(ゼロ)からのスタートで構わない。
毎朝目覚めたらリセット・リフレッシュ・リスタートするあの感覚。
昨日までの自分にとらわれていてはダメだ。
古い慣習や伝統にこだわるのも然り。
どうでもいいような常識や規則、固定観念に縛られていたら先に進んではいけない。
とらわれないこだわらないしばられない…
常々口にしている言葉だけれど、これは風のように大気中を自由自在に
行き交うことができることなのかもしれない。
風の流れが変わるというけれど、それは常に周りになじむようにしているだけのことなのだ。
新たな風が吹く。
新しい時代がやってくる。
備えよう。
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- 2020/06/04(木) 23:52:09|
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【父の日に想う】
趣味の俳句で掛け軸の俳句も字も自分で書いて飾っている今日は父の日。
今年88歳になる私の父も、足腰はかなり弱ったとはいえ、何とか元気で毎日を送っているようだ。
朝日新聞社を定年まで勤め、趣味の俳句はかれこれ60年以上も続け、句集も1冊出した。
旅が好きであちこち出かけ、絵もやっていたし写真を撮るのも大好きだった。
過去に自転車で走っていて心不全で救急車に運ばれたことが二回。
二回目の事故のあとペースメーカーを入れて、それ以来自転車に乗って出かけることは母親に禁じられてしまった。車の免許は持っていない。
買い物に行くと言って8〜10キロ歩いたりするのが習慣となっていたが、昨年の鼠径ヘルニアの手術以降今は5キロ程度で、そう頻繁に歩けなくなっている。
父にもロマンがあり、きっと大きな夢があったことだろう。
息子の自分がやっている世界を股にかけたチャレンジを父は誇りに思ってくれている。それがせめてもの親孝行なのか…。
時折実家を訪ね、その時だけ父は母に飲酒を許可されるので父と盃を交わす。昔ほど飲めなくなったし、食も細くなった。
耳が遠くなり、脚が弱り、じわじわと老いていく姿を見るのは辛くも悲しくもあるけれど、せめて生きている内に父の喜ぶことをしてあげたいと思う。
一方で私もかつては父と呼ばれた存在。13年も逢えなかった一人娘は6年前にインターネットで僕を見つけ出してくれた。
彼女も4月から社会人となり、国家公務員として世のため人のために働いている。明日が誕生日でもう23歳。
彼女が小学校に上がる直前のある日、大人の勝手な事情で、さよならも言わずに別れてしまった。
それでも、5年前、母親には内緒でわざわざ逢いに来てくれたことは幸せの極み…
二度と逢えないと思っていただけになおさらだ。
子育て時代に「お父さん」と呼ばれた期間は6年半と短かったし、その後も実際に父親らしきことはこれまでほとんどできていない。そんな僕を「お父さん」と呼んでくれるのは世界にたった一人彼女だけ。
父の日は、娘に恥じることのない父親であろうと心に誓う日でもあるのだ。

先日名古屋に出張した際に、うまいタイミングで娘と8ヶ月ぶりの再会
*第6回弥富チャリティマラソン
今年もゲストで走らせていただきますスポーツエントリーでエントリーできます。公式サイトはこちら*エコマラソンを走ろう
PEACE RUNTシャツ・スウェットシャツ・パーカをオンデマンド販売しています。
売上はアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の活動資金になります。6月分のオンデマンド受付スタートしています。締切は6月15日、完成・発送は7月中旬になります。*詳細はこちら
引き続き全国各地での学校・企業・ランニングクラブや走友会、個々の家庭を対象としたトークライヴや講演会のオファーをお受けしております。「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の生の声をお聞きいただき、生きる・走るモチヴェイションとしていただければ幸いです。小学校高学年〜高校生くらいのお子様をお持ちの方には個々のご家庭を訪問することも可能です。講演・トークの内容・時間等については柔軟に対応させて頂きます。詳細はこちら
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- 2019/06/16(日) 16:03:34|
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【平原の夢】

時々、夢の中に現れる砂漠の平原…
僕はいつも、どこでもない所の真ん中に一人ぽつんと立ち、行くあてもなく途方に暮れている。
気の遠くなるような真っ直ぐな一本道は、地平線の果てまでも続く。
何もないところ…とは言っても、一本のハイウェイだけが僕の過去と未来を結んでいる。
そう、僕が立っているここが「今」だ。
どこでもない所の真ん中で、どこにも行けずにたたずんでいる…僕は永遠の旅人。
黙っていれば、広大な原野に自分の存在さえも否定されてしまいそうなくらい…。
僕は、必死になって、自分の存在をアピールする。
だが、こんなちっぽけな存在をすっかり無視するかのように風が僕の頬をかすめる。
風は何かを語っている…いや、正確に言うならば、風が語るものは言葉ではなく歌だ。
風の歌に耳傾け、そのメッセージから僕は何かを探り出そうとしている。
解読不能なメッセージは、僕を悩ませ続ける。
そのメッセージの中に、僕がたどり着くべき場所へのヒントが隠されているかもしれないのだ。
ひとすじの風が僕の頬を撫でるようにかすめ、またどこか遠くへ去っていく。
風は、ひょっとしたら、いつの時代も僕にそんなメッセージを送り続けていてくれたのかも知れない。
ただ僕がそれに気づかなかっただけのこと。
風の歌はいつまでも続いていた。
砂漠の乾いた風は、遠い遠い、僕の未来圏から吹いてくるかのようでもあった。
そう、あの時、確かに僕はあれらの風景の中に含まれていた。
僕もまたその風景を構成する一要素として、その場になくてはならない存在だったのだ。

あの時の風は、僕に確かこんな風に囁きかけていた。
「君がこの風を感じたければ、いつでも感じることができるんだ。君の行く所に必ずこの風は吹いているからね」
僕の心に静かに吹き抜ける平原の風…それはきっと道祖神の仕業かもしれない。
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ニュージーランド~オーストラリア横断自転車旅行・
エッセイ「どこでもないところの真ん中で」
テーマ:オーストラリア - ジャンル:海外情報
- 2013/05/21(火) 17:00:58|
- エッセイ
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【旅の時間】
神戸三宮をスタートしたのがもう数ヶ月も前のことのような気がする一方で、旅の16日間はほんの数日間程度のことだったように思えるのはなぜだろう?
物理的な時間は普通に過ぎていくものだけれど、それとは違った、何か特殊な時間というものがどこかに存在しているということなのか…?
楽しい時間は速く過ぎるというし、辛く苦しい時間はなかなか過ぎていかない…。
メンタルな時間というものもきっと存在するのだろう。

訪ねた街と出会った人々…そして、そこで行われた会話…すべてが脳に焼き付けられている。
記憶はまだ新しいけれど、これが5年、10年と経っていく内にどう変化していくだろう?
一番最初に経験した旅は、20歳になる前の夏のこと、下宿していた枚方の町から福井県の若狭地方へ自転車で走ったのだった。
30年以上経った今も、まだ頭に残されている数々の記憶…断片的に思い出せないこともあるけれど、旅の概略的なものは忘れはしない。
旅人は、旅をするごとに、町の名前をフォルダにつけて、その中に出会った人たちの顔や交わした言葉なんかをファイルとして頭に保存するのだろうか?
僕にとっては、すべての旅が一本の道でつながっている。
いつであろうとどこにいようとそれは同じ…人生というつながった時間の中で、それらは連続したドラマとして常に流れる時間として時を刻んでいるのだ。
次の旅のことを既に考えている。
終わりのない旅をする永遠の旅人は、旅の空の下で、一体どんな思いに浸っているだろうか?
そして、旅を終えて、またその旅を振り返る時、何を思うのだろうか?
果てしなく続く旅の時間…旅をしていない今であっても、僕の心はあてもなく、 旅の空をさまよい続けるのだ…。

*衣装提供…ファイントラック
*バギー提供…pleasant(プレザント)
*シューズ提供…アシックス
テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学
- 2013/05/15(水) 18:02:39|
- エッセイ
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