Pippa's Song
Robert Browning
The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ―
All's right with the world!
(Pippa passes, 1841)
春 の 朝
ロバート・ブラウニング/作 上田 敏/訳
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(「万年艸」明治35年12月発表)
(『海潮音』明治38年10月刊所収)
*******
高校時代の英語の教科書の扉にあった詩…。
なぜか今も忘れずに心のポケットにしまっていた。
好きだったのは、
「すべて世は事も無し」
という下り。
いろんなことが多々あったけど、
最後には全てうまくいきましたとさ…。
そんなオチを感じてしまう。
人生もそうあって欲しい。
そうしなければならないのだろう。
全て最後はうまくいく。
春の朝、めざめてみて、一日の始まりにそう誓う。
テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
【メンタル・タフネス】
辛さとは
耐え忍ぶものではなく
楽しむべきもの
苦しいことを
ただ苦しんでいるだけでは
苦しみは
消えはしない
心から楽しもうとすれば
苦しみは
おのずと消えて行く
試練とは
ハードルではなく
あなたが生まれた時から
あなたの人生に組み込まれた
オプションのようなもの
だから
無理に乗り越えようとせず
その試練を
吹き抜ける風のように
感じてみればいい
どんなに辛い苦難や
厳しい試練も
いつか過ぎ去っていく
嵐のように
永遠に続くものでは
ないのだから
逆らわず
あるがままの自分で
じっと持ちこたえて
心が痛んでも
肉体が傷つけられても
あなたの魂は
決して
傷つくことはないから
心も
体も
魂も
強く
ひたむきに
たくましく
まえむきに
いさぎよく
したたかに
【ひとりの時間】
(Photo: Interstate Highway Route-90, Spocane, USA 1991)
仕事が立て込んでいてなかなか自分の時間が作れない。自分のために何かをする。それは今の日常では食事・睡眠・入浴・排泄といったたぐいのことだけ。趣味や娯楽を楽しむ時間を持つことになぜか罪悪感を感じることもある。
そんな時、ふとひとりになって広大な原野に佇(たたず)む自分自身を思い返してみる。360度目前に広がる地平線を追いかけた日々、あるいは砂漠の大平原にただひとり、月明かりで本を読んだキャンプの夜…。今となっては遠い昔ではあるけれど、確実に僕はそこに存在していた。
どうしようもなくひとりきり。でもひとりになることで、自分自身と対話しながら、それまで生きてきた人生を振り返り、良かったこと悪かったことのひとつひとつを吟味している自分がいた。ひとりでなければ、決してそのような時間を堪能できはしなかっただろう。孤独であるがゆえに人は強くなれる。ひとりでいることを恐れてはなるまい。
「忙しい」という字は心を無くしてしまうということを意味するらしい。時間という洪水に流されていることにも気づかずに、時間を金に替えるような毎日を送っていると、心はどこに行ってしまうのやら…。
旅にあれば、時計を見ることもほとんどなかった。腹が減れば食べ、眠くなれば眠る。そんな、原始的ではあるけれど、ゆっくりと流れていく時間を実感できる毎日がうれしかった。「自分自身のために生きること=人生」という理屈を、身を持って経験した。それもひとりでいれば自(おの)ずと理解できることなのだ。
『我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或(あ)る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない』
…リンドバーグ夫人「海からの贈り物」(新潮文庫)より。
【Live For The Very Moment】
Lake Tekapo, New Zealand 1994
昼下がりの草原で
青空を眺めながら
君のことを考えている
空と大地が交わるこの世界に
僕たちはそれぞれ
ひとつの魂を与えられ
生きている
目には見えない
不思議な力で
生かされている
眩い日の光を受け
心も魂も研ぎ澄まして
今日あの空に語りかけよう
今この命と魂で
心行くまで己の生を
満喫しているって
ちょうど野の花が
与えられた命を使って
精一杯に美しく
咲いているように
今この一瞬に賭けて
輝きを放つことがなくても
曇らぬ自分でありたい
Yellowstone River, Wyoming, USA 1991
【遠く離れてただひとり~All Alone Far Away From Home】
米カリフォルニア州クラマス河河口 1991年6月
誰もいない夕暮れの海岸。
曇っているせいか夕陽は見えなかった。
どんよりとした灰色の空は、見る者を重く、憂鬱(ゆううつ)な気分にしてしまう。
波は静かに、規則正しく、寄せては返していた。辺りは次第に薄暗くなっていく。すぐそばには灰色の海、浜辺の砂もなぜか灰色をしていた。
その砂の上に、大小多くの流木があちこちに死体のように転がっていて、それはまるで流木の墓場とでも言うべき光景であった。直径1㍍・長さ5㍍ほどもある巨大な、灰色がかった流木が、果たしてどこからこの岸辺にたどり着いたのか僕には知るよしもない。
寂寞(せきばく)とした風景の中で、僕はふとこの海の向こうにあるはずの我が故郷(ふるさと)のことを思いやった。
海から吹く風が肌に冷たく、僕はジャケットを羽織り、火を起こすことを思いついた。
辺りに散らばっている流木の小枝を拾い集めるのはいとも簡単なことだった。流木はどれも乾き切っていて火をつければパチパチと言う音を立てて勢いよく燃える。メラメラと燃え上がる炎をじっと見つめていると、僕の心は不思議と和(なご)むのであった。
カリフォルニア州北部、クラマス河が太平洋に注ぎ込む、その河口にあるキャンプ場。
今宵も僕は1人。キャンプファイアの夜、フォークダンスでも踊りたかったがあいにくパートナーはいない。
火があることで幾分元気づけられたものの、1人の夜はやはり長い。流木を次々と火にくべる。勢いを増した火は僕の背丈を越えるほどになり、その炎は荒れ狂ったかのように燃え上がった。バーボンウイスキー入りのホットチョコをすすりながら、冷えた体が芯まで温められるのを感じた。
僕がここにいるのにはそれなりの理由が存在する。
僕は何か「見えない力」によってここまで導かれたのだ。
僕は北米大陸横断の旅に出た。最初それを自分の意志によるものだと信じていたが、3週間ばかりたってみて僕の考え方は次第に変わり始めていたのだ。
僕のやっていることにはすべて理由がある。何か「見えない力」が、今この時間・この場所に存在する僕に働きかけ、この僕にサインを送っている。今夜、僕はそれを感じる。
今までどうして気づかなかったのだろう?
だが、今ならそれをごく自然に受け入れることができる。
この世にある全てのものから何かを学び、そこから吸収できるものは少しでも吸収し、これから生きていく自分の糧(かて)とせよ、というサインが僕には感じられるのだ。
遠く異国にただひとり、誰かが僕の心の扉を開けて、安らぎの歌を歌っている。
寄せては返す波は心地よい弦楽器の響き、燃え上がる炎は打楽器の軽やかなリズムだ。
灯台の灯りが遥か彼方にぼんやり…。
洋上には何隻かの船が往来し、淡く弱々しいその光が蛍の灯火(ともしび)のようにも見えた。
『夜は更けて ひとりの中に もうひとりいる僕』
旅人はいつか故郷に帰る日を夢見ていた。
*******
種田山頭火
山頭火句集(四)[山頭火文庫(春陽堂)]より
Photo: A fisherman and the Pacific Coast (by Kay)
新入生歓迎遠足で大阪のユニヴァーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行ってきました。
あいにくの雨でしたが、午後には上がって曇り空の下での楽しいひと時を過ごしました。
こういった遊園地的なテーマパークは、遠足ででもない限り訪ねることはないのですが、
たまにはいいものですね。
子どもたちの笑顔を見るというのはやはり気持ちのいいものです。
今夜も寮監室詰め。生徒たちから遠足の楽しかった話など聞かせてもらっています。
【旅について語ろう】
人生80年とも言われる昨今、人は一生の内にどれだけの思い出を心に刻むことができるのだろうか?
楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったことなどを含め、記憶されたもののほとんどがやがて歳月とともにそのディテイル(詳細)も色褪せていき、次第に心の片隅に押しやられる。いつしか、それが本当に自分に起こったものなのかどうかも分からなくなる時がくるのだろうと思うと、妙にやるせない気分になってしまうもの。
実際、旅をしている時が一番楽しい。
毎日がドラマの連続、だが、全くのフィクションではなく、いいことも悪いことも全て現実のものとして自分自身で受け止めていかなくてはならない。
旅とは、一般の社会から隔絶された所に自分独自の世界を構築する行為でもある。
言い換えるなら、自分を主人公にしたドラマを非日常世界にいる自分自身が監督・演出しながら、同時にそれを自分の目で追っていくという作業なのだ。
旅をしながら、いつかこう言ったこともすべて単なる思い出になってしまうのだ、と考えるのはある意味で酷で辛いことだ。
出会いは別れの始まり。自分が手に入れたものがいつか失われていくという寂寞感。
愛娘が嫁いでいく瞬間を嬉しいような悲しいような思いでただじっと待っている父親の胸のうち…。
浦島太郎が竜宮城で楽しい日々を送っている時にも、恐らくそのような思いが頭を掠めていたに違いない。
だが、長旅で得た思いは単にそれだけでは終わらないということに最近気付き始めた。
蓄積された様々な想い出が自分の中で膨らみ始め、ちょうどウィスキーの原酒が樽の中で歳月とともに熟成されていくかのように、じわじわと深みのあるものに変わっていくのだ。
ひとつの出会いがまた別の出会いを導いてくれるように、ひとつの思いがまた別の新たな思いを導く。
物理的・精神的な連鎖反応がそこには起こり得るのである。
旅を続けるという行為は自分に対するチャレンジでもある。
自分にどれだけのことができるのか、自分に何が必要なのか、自分は一体何者なのか…?
そんな疑問を胸に、次から次へと移動を繰り返していく中で新しい出会いと発見を繰り返し、自分自身を見つめなおしていく。自分がそこに存在する理由を求めてさらに街から街へ…。
今一瞬を生きることの意味とその尊さを、自分の心と身体で実感する日々…。
平凡な毎日を生きながら、私たち自身も何か大切なことを見過ごしてはいないだろうか?
一見平凡に見える毎日の中にも、目には見えないのだけれど自分にとって重要な意味を持つ何かが隠されていて、そのことに気付かないまま、ただ漠然と一日を送っているのではないか?
ありふれた日常といいながら、その実よくよく注意してみれば、いろんな出会いや発見がその中に含まれているということに気付くかも知れない。
今日という日が二度と自分のもとには帰らないものだということを真に悟っているのであれば、今日と言う日を、ひいては今を生きる自分を、もっと愛し慈しむべきなのだろう。
旅はよく人生に例えられる。
旅は確かに人生の縮図だ。が、本当はこの人生こそが最も偉大な旅であり、
その主役となるのが自分自身という旅人だということを肝に銘じておきたい。
自分自身の旅を心行くまで楽しもう。
旅の終りはいつか必ずやって来るだろう。
その時、本当にいい旅だったと心から言えるように、今一瞬という時間を大切にしたい。
「今」という時間がやがて「過去」となり、「今」が「未来」を創る。
誰だって必ず後悔はする。
それが人生だ。だからこそ、後悔すべきことを最小限にとどめておくためにも、
「今」が「過去」になる前に、自分にできることをやれるだけやっておくべきではないのか。
「夢が有れば素晴らしき哉我が人生」
Pat Metheny/Lyle Mays - A Map of the World/In Her Family
【何くそ!全力!!】
「不屈の精神」というものについて考える。
何があっても打ちのめされない強さを持った人間は、いつか必ず成功を勝ち取るだろう。ちょっとやそっとのことでくじけたり愚痴をこぼしたりしている内は、まだまだ人間が甘いのである。自分に対する厳しさを持ち、自分を律することのできる人間になろう。
何年か前に、年間最多安打262本を記録したシアトルマリナーズのイチロー選手は、記者団から野球少年へのメッセージを求められたときに、こんな風に答えている。
「こちらにきて思ったのは、体が大きいことにそんなに意味はない。僕は大リーグに入ってしまえば一番小さい部類です。でもこういう記録を作ることもできた。大きさや強さに対するあこがれが大きすぎて、自分自身の可能性を潰さないで欲しい。自分自身の持っている能力を生かせれば、可能性はすごく広がると思う」
可能性とは自分の目には見えないものであっても、いつか起こりうるもの。チャンスである。
チャンスはいかにしてやってくるのか。チャレンジである。できる・できないは別にして、まずは挑戦することなのである。一度や二度やってみて失敗したからと言ってあきらめないことなのだ。
「もうダメだ」と自分で勝手に限界を作ってしまったのでは可能性はそこで消えてしまう。チャンスをモノにするためには常にチャレンジし続けることが必要なのだ。
できなかったことで言い訳をするのは見苦しい。努力を怠ったことを省みず、いろんな理屈をこねくりまわして、チャレンジすることを断念してしまう者がいる。やりもしないのにできないと決めつけてしまうことの見苦しさよ。
イチロー選手がここまで頑張れたのには理由がある。彼にチャンスとチャレンジを与え続ける原動力となっているもの…それは「現状打破」、「何くそ」と思う気持ち、加えて「自分ならできる」と可能性をひたすら信じ続け「全力」でことにあたること。
「なにくそっ!まだまだ俺なんてこんなもんじゃない!俺はできるぞ!俺は負けない!勝てるんだ!」
弱い自分の弱さに気づいた時、「もっと強くならねば…」と思えるのであれば一人前。
「どうせ俺なんか…」と思って卑屈になって諦めてしまうようでは半人前。ダメ人間を作るのは自分自身。周りの誰がどう言おうと、「自分はこうなんだ」とはっきりとしたヴィジョンで自分自身を見つめているかどうか。
今の自分を信じること。そして今の自分を越えようと常に努力をし続けること。失敗の連続にあろうとも、それは自分に対する試練だと受け止める。
打たれても叩かれても、めげない・へこたれない。踏まれても踏まれてもすくすくと伸びていく雑草のように…強く、前向きに…。
可能性を伸ばすためには、今いる自分をありのままに受け入れ、今ある自分をとことん信じることなのだ。
「ああ、できるとも(Yes, I can.)」
自分にそう言い聞かせ続けることで、いつか必ず不可能(can't)は可能(can)に変わる・変えられる。
ひたむきに・前向きに…
イチローと誕生日を同じくする自分にも、きっと何か素晴らしい変化が訪れんことを…。
【Winners~勝利者】
Winners must have two things;
definite goals and a burning desire to achieve them.
勝利者はふたつのものを持たねばならない;
はっきりとした目標、そしてそれらを成し遂げようとする
燃えるような情熱である
*******
モチヴェイションが低下しそうな時に、まず何のために、
今そのことに取り組んでいるのかを考えなければならない。
事務的に、義務的に、仕方なくことにあたっていれば、
当然満足のいく結果は望めない。
全身が熱く燃え上がるような思いを胸に、
今自分が頑張らなければならないことに全力を尽くそう。
悔いを残すことのないよう、
持ちうる力を思う存分発揮しよう。
(Illustration: desert run by Kay.T)
高く波立つ海と
静かな入り江
長い旅を続けて
ぽつんと浜辺に寝そべる流木と
海岸を思う存分に駆け回る犬
動きとはエナジーが形になったもの
しかし、動かぬものの中にも
エナジーは隠れている
蕾のままの桜や
眠っている赤ん坊
夜明け前の東の空
風もなく止まっている風車
立ち止まって物思いにふける老人
静かな中にも
沸々と沸き起こるものがある
目には見えないけれど
分かる人には分かるものがある
いつも内に潜む激しいエナジーを
感じてもらえる人でありたい
(Photo: Pacific Coast, Northern California 1991)
桜咲く 笑顔の君の 愛らしさ 赤らめた頬も 輝いている
*******
4月第3週に入る。
新学期がスタートしてちょうど1週間。
慢性の睡眠不足でいつも目がしょぼしょぼ。
顧問をしているテニス部の公式戦の付き添いで土日とも津市内の県立高校へ。
車の運転がいつも辛い。
今夜は宿直。
新入生たちがようやく寮生活に慣れてきた。
期待と不安が交錯する中、まずは仲間作りから。
まともに中学校に行ってなかった生徒たちもたくさんいるし、
人間関係のトラブルを抱えて他の学校から転校してきた生徒もいる。
寮生活を通じて社会性や協調性を学び、何とか社会にうまく順応していってもらいたい。
幸い上級生たちがよきサポーターとして下級生たちの面倒を見てくれている。
ちょうど自分たちが新入生だった時に、いろいろと支えてきてもらったように、
その恩返しの意味も込めて、今下級生たちを育て上げようとしてくれている。
夜の巡回…生徒たちの部屋を懐中電灯を持って見て回る。
すやすやと眠る中学生たちの寝顔…。
健やかに育てよと思わず親の気持ちになってしまう。
100人あまりが生活するこの寮は、自分の家であり、生徒たちはみな自分の子ども同然なのだ。
この子らの未来が素晴らしいものになりますように…。
【友達をつくろう】
友達の友達は皆友達である
友達をたくさん作ること
それが不老不死の道でもある
Share your friends, it is a way to reach immortality
(ネパールのトーテムタントラから)
薄紅色のハート 水面(みなも)に浮かび
揺れ動く 愚かなる 我が魂
【ダンを偲んで】
"You've got to just follow your heart and do your best work," he said.
"For better or worse, I have followed my heart.
There is no doubt in my mind or heart that everything I've done
is exactly what I intended to do."
「自分の心にただ忠実に、そして自分ができる最大限の取り組みをすることだ。
良かれ悪しかれ、自分は自分の心の赴くままにやってきた。
自分の心の中では、自分がしてきたことは自分が意図してきたことそのものである
ということに何の疑問の余地もない」
ダン・フォーゲルバーグは、2007年3月24日に56歳の生涯を閉じるまで多くの佳曲を残してくれた。
彼のアルバムを最初に耳にしたのは、フルートのTim Weisbergとのコラボレーションアルバム"Twin Sons of Different Mothers" だった。
時は1978年、自分が高校3年生の頃。ロックとフュージョンをクロスオーヴァーさせたような音楽が印象的だった。
ダンはギター、ピアノ、シンセサイザー、キーボード、パーカッションと一人で何役もの楽器を担当。マルチレコーディング(多重録音)の技術も優れたものがあった。
彼の歌が優れている理由として、メロディの素晴らしさだけでなく、そのシンプルでロマンティックな歌詞もあげられる。
時には歌にドラマがあり、彼が持つ宇宙観や自然観というものが、至る所ににじみ出ている。それは、派手に主張こそしないけれど、ある意味で彼の哲学となっているのかも知れない。
代表曲のひとつ“LONGER”はラヴバラード。
愛しい人への思いの深さを彼らしく律儀に、かつ丁寧に語っている。
どれだけ言葉で説明しても、その募る思いは語り切れないのであろうけど…。
邦題「懐かしき恋人の歌(Same Old Lang Syne)」はミュージシャンになった主人公が、昔の恋人と再会し、しみじみと懐かしい思いに浸るドラマが歌の中で完結する。クリスマスソングとしても定着した感がある。
誰にでも起こりうるような物語が彼の言葉で淡々とつづられ、時には胸をときめかせ、時には涙を流してしまう。ごく普通の人間(=ordinary people)の気持ちを見事に代弁してくれるのが彼の歌なのかも知れない。
「バンドリーダーの贈り物(=Leader of the Band)」では、楽団のリーダーを務める彼の実の父への思いを語っている。
Living Legacy(=生ける遺産)として、ダン自身も多くのファンに語り継がれることだろう。
"Run for the Roses(バラに向かって走れ)"の歌詞の中で、ダンは
It's the chance of a lifetime in a lifetime of chance...
(生涯のチャンスであり、チャンスにかけるための生涯…)
と語っている。賭けるべきものがあるならば、生涯を懸けてでもチャレンジすることの必要性をアピールしている。
彼の歌に何度も涙を流した。
学生時代に失恋をして、誰をも信じられなくなった時、彼の歌に耳を傾けた。
純粋な気持ちで人を愛していたのだろうかと、思わず自分に問いただすことになった。
「ビリーヴ・イン・ミー」で彼は歌う。
「信頼というものは言葉で語られるだけのものじゃないんだ。その愛が本物なら決して間違った方向には進まないものだよ」
「ゴー・ダウン・イージー」
クロスカントリースキーを履いて颯爽と雪原を走る彼の姿が素敵だ。
「のんきに構えているなんて決して簡単なことじゃないさ…」と彼は力説する。
人生哲学を語ったものの中には"There's A Place In The World For A Gambler
"がある。
ギャンブラーにとっての場所がこの世界にはある…
There's a light in the depths of your darkness...Let it shine...
(君の暗闇の深みの中に一条の光が差している…輝かせてみるがいい)
人生はいちかばちかの賭けなのだ。当たるか外れるかは分からない。
当たると思って賭けなければギャンブルは成功しないということ。
「ハート・ホテルズ」はダン自身の心象風景。決して誰も訪ねてくることはない自分自身という空虚なホテル…。
30年にわたる彼のミュージシャンとしての生涯はいつまでも語り継がれることだろう。
ダンは、彼を愛して止まない多くのファンに心の中にLiving Legacy(生ける遺産)として生き続けるのだ。
今改めてダンの冥福を祈ろう。
テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽
【LIVE~生きる・生活する】
寝たり食べたりしているだけでは
単に「体」で「生活している」だけに過ぎない。
何かを考えたり、感動したり、
「心」と「魂」を伴ってこそ「生きている」と言えるのである。
心も体も精一杯動かすことで、生きているということを実感しよう。
魂が喜ぶ生き方をすべきなのだ。
僕が求めているのは
僕が求めている強さというのは
勝ったり負けたりする強さではないのです。
外からの力をはねつけるための壁が欲しいわけでもない。
僕が欲しいのは、外からやってくる力を受けて
それに耐えるための強さです。
不合理さや不運や悲しみ…
そういったことを
静かに受け入れて、
耐えていくための強さなのです。
(Illustration "mugen" by Kay.T)
4月に入ってから自転車通勤を再開。
わざと遠回りして片道6キロ。
この近辺は自然がいっぱいで、いろんな発見があります。
ガソリンは一時的に値を下げていますが、極力車に頼らない、
地球環境に優しい生き方を実践したいものです。
今あるものを心から素直に喜べること
*******
今日は我がブログ(KAY’S BLOG)の2周年記念日。
2006年4月2日に楽天ブログを始めて、今年1月にFC2ブログに移転。この2年間ノンストップでブログを更新しつづけて来た。
その楽天ブログの一番最初に書いた記事が上のことばだ。
新年度がスタート。
いろいろと多岐にわたる複雑な仕事が次から次に舞い込んでくる。
軌道に乗るまではとにかく必死になって頑張るしかない。
今年もまた高校3年生の担任を引き受ける。
男子寮の寮監、テニス部顧問、生徒募集に関わる企画広報室所属、そして校内で一番多忙な英語科…。
さまざまな部署でいくつもの顔を持ちながら、うまく切り換えていかねばならない。
ストレスを溜めるだけの仕事では意味がない。
ひとつひとつこなしていくことで、達成感や充足感を得られるようにしていくのが理想だ。
不平不満を言い出したらきりがない。今ある状況からプラスになるものも引き出していけるように…。
頭を使い、気を遣い、体力を使う。
口はコミュニケーションのために使うものであって、文句を言うために使うものであってはならない。
2008年度、良き一年としよう。
(Photo:KAY'S BLOG 自作ポスター)
Author:KAY(高繁勝彦)
冒険家:アドヴェンチャー・ランナー、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー、 旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。
大阪府松原市生まれで、現在、大阪府富田林市に在住。妻はミュージシャンでかつてぴよぴよ名義で「らんま1/2」エンディングテーマ「虹と太陽の丘」を歌っていた。
楽天ブログ時代(2006.4.2)からノンストップブログ更新中。公式サイト 「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」と“KAY’S WORLD”もよろしくお願いします。 プロフィール詳細はこちら。
二度の日本縦断(「PEACE RUN 2010日本縦断3,443kmランニングの旅、「PEACE RUN2012 日本縦断ランニングの旅 PART2」で実質の日本一周ランニング6,925kmの旅を完結。
2011年はPEACE RUN 2011アメリカ横断5,285kmランニングの旅を138日で完了。 2013年9月から163日で「PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅」5,205kmを走破。
2014年11月から2015年2月、83日でPEACE RUN2014ニュージーランド縦断ランニングの旅2,796.6kmを走破。 2016年7月〜11月、110日間で7カ国3,358.8キロ、「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」を走破。
2017年9月〜10月、「PEACE RUN2017四国一周ランニングの旅」1000キロ走破。来年の「PEACE RUN2018ヨーロッパランニングの旅PART2」に備える。
2011年3月14日、東日本大震災の3日後、「RUN×10(ラン・バイ・テン)運動」を発案・提唱、全国に展開させる。
2012年末、facebook上の公開グループ、平和的環境美化集団"THE SWEEPERS"を発足、活動を展開中。
2013年、一本歯下駄で世界平和をめざすfacebook上の公開グループ「一本歯下駄クラブ」を発足、活動を展開中。 講演・セミナー・取材などの問い合わせ・依頼は下のメールフォームでお願いします。
ご意見・ご感想お待ちしております。
地球にいいことしませんか?
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PEACE RUNテーマソング “Go The Distance”収録
PEACE RUNサポートソング “My Goal”収録