【明石グルメポタ】
兵庫県明石市に明石焼きを食べに行こうとふと思い立ち、早朝に三重県伊賀市を発ちました。
近鉄電車に乗って鶴橋へ、JR環状線に乗り換え大阪駅へ。
大阪からは新快速で明石を目指します。自宅から約2時間少々。
明石でダックスを組み立て、まずは山陽電鉄人丸前、子午線のある明石天文科学館へ。
ここは東経135度の子午線が通る場所。日本標準時もここが基準。
プラネタリウムは自分にとってお気に入りの場所。
しばらく見ていなかったので、始まるまでわくわくドキドキ。
ドイツのカールツァイス社製のこの機械、この天文科学館開館当初(1960=昭和35年)から稼動。
ちょうど私と同い年ということです。
約50分の投影時間があっという間に過ぎてしまいました。
館内を見学。
14階の展望室から瀬戸内海が見えます。明石海峡大橋の向こうは淡路島。
建物の中央を子午線が走っています。
あちこち子午線だらけ。
ちょっと早いお昼は、明石駅近くのアーケード、魚の棚(地元の人は「うおんたな」と呼びます)へ。
魚大好き人間の私にとっては、この商店街が天国のよう。
まずは何をおいても明石焼。
あげ板の上に並んだ明石焼、ふんわりとろり、まるでシュークリームのような歯ごたえ。
中のたこは明石で採れたぷりぷりと身がしまって最高。
明石市内に約70軒もある明石焼のお店。
地元では玉子焼きと言われていますが、その歴史は約160年。
商売として始まったのは大正8年のこととか。創業者は屋台を引いていた向井清太郎さん。
あまりのうまさに大阪にも評判となり、業者が見学に来るまでになったということ。
のちに大阪で「たこ焼」が誕生したのも明石焼があったから。
地元でも評判の
「あかし多幸」 を訪ねました。
16個入り600円。これだけでも結構お腹が膨れます。
さらにこれに加えて1200円の鯛茶漬けにチャレンジ!
すりゴマをかけて、鯛の刺身が乗った熱々のご飯にお茶をぶっかけます。
わさびと柚子胡椒がぴりっときいて…サイコー!
周りのお客さんが大食漢の私に注目していました。ちょっと恥ずかしい…。
商店街をぶらぶらと…。
明石はたこでも有名。
たこが干されていました。
たこのコロッケまで…。
いかなごの釘煮もおなじみ。
たこのてんぷらなどたこを使ったお惣菜がわんさか。
他にも新鮮な取れたての海鮮品が山ほどあるのですから…。
次に来る時は2泊3日くらい必要かな…?
さあ、食べたら走る。
ダックスを駆って明石市内の散策へ。
海が見える場所へ…。
築港の旧灯台、明石藩主松平忠国によって1657年に造られたとか。
淡路島に渡るには、たこフェリーを使ってもいいし、ジェノバライナーというフェリーもあります。
潮の香りに癒されます。
(…写真をしこたま撮ってきたので続きは明日に…)
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2009/03/31(火) 23:59:59 |
自転車
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【春うらら堺ポタ】 昨日の青山高原ヒルクライムの筋肉痛もいざ知らず、せっかくの休みを有意義に過ごすべし、ということでルイガノ・ダックスで大阪堺へ。 近鉄鶴橋でJR環状線に乗って天王寺へ。天王寺から阪和線の三国ヶ丘に。 ここでダックスを組み立てて、日本最大の前方後円墳仁徳天皇陵がある大仙公園を訪ねた。
桜は五分から七分咲きくらいか、青空の下、柔らかな日差しが気持ちいい。
昨日の朝、伊賀市内は氷点下の気温だったのがまるで嘘のよう。 博物館の大半が月曜定休日ということを知る。 堺は自転車の町、サイクルセンター・自転車博物館も休館日だった。 大仙公園から続いては新金岡町にある大泉緑地へ。
この公園も思い出がいっぱい詰まった場所。 21年前に10キロのロードレースで35分12秒を出したのもここだった。 1周約3キロのジョギングコースがある。 自転車でもランニングでもどれだけこの周回コースを走ったことか…。 春休みの家族連れで賑わっていた。 園内のベンチでサンドイッチとおにぎりのランチをとる。 平和な公園で、何もかも忘れてボーッとしているのが一番いい。 池には水鳥も…。
中央環状線を通って今度は長居公園に向かう。
大阪国際女子マラソンもこの長居競技場が発着点だ。 セレッソ大阪のホームグランドもここ。
天王寺まで走ってダックスを分解・輪行。 40キロ足らずのポタリング。 満開の桜はまだこれから。 いろんな花がまた見られる季節。 野山に、フィールドに繰り出そう。 さあ、明日はどこへ…? グルメ・ツーリングもいいな…。
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2009/03/30(月) 21:31:20 |
自転車
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【明日、青山高原へ】
明日は
alialiさん と
ononoさん 合同企画、「春を感じる青山高原ツーリング」に出向く。
調べてみて分かったのだが、去年も全く同じ日(ただし土曜日だった)に
「花冷えの青山高原ツーリング」 (写真上)に出かけていた。
ルイガノRC-20も去年の夏以来日の光を浴びていない。
手入れも十分にされぬままバイクスタンドに掛けられたまま。
近頃はルイガノ・ダックス(LGS-CM)で出かけてばかりだったので、さぞかし嫉妬していたことだろう。
ただ、心配なのは増えた体重と衰えた体力(スタミナ)…。
鍛え方が足りない…と分かっていても、体力はもとより、気力不足を感じるばかり(原因は寝不足)。
かつての
鉄人(アイアンマン) もすっかり錆びついてしまったか…。
まあ、明日から3連休。楽しめる時間を大切にしないと…。
4月がスタートしたらゴールデンウィークまで休めないし。
いやいや、5月の連休もクラブの公式戦や寮の勤務があった。ということはお盆までは一気に走り続けないと…。
先のことは考えないようにしよう。
今朝は、伊賀地区は小雪が舞っていた。
「なごり雪」である。
明日も
青山高原ウインドファーム がある笠取山あたりは相当の冷え込みが予想される。必要以上に防寒対策はしておいた方がいいだろう。登りで汗だくになってもダウンヒルでいっきに体温を奪われてしまうから。
ふだんできない掃除や洗濯、部屋の片付けや料理などを連休中にやっておきたいのだが…。
週に一度でも休みがあれば可能なことだが、月に一度休めるかどうかという状況ではかなり厳しい。メンタル面でリラックスするためにも「休み」という概念はぜひ必要である。
週休二日を当たり前と思われている皆さん、休むのは当然の権利ですが、それを当たり前だと思っていてはダメですよ。
ありがたく感謝の気持ちを持って休まれるべきですよ。1日16~20時間、1年350日働いてみて、たった一日の休みが本当に尊いものだということを実感します。
休日…だらだらと過ごすのではなく、肉体も精神も解放された状態に…。
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2009/03/28(土) 16:56:37 |
自転車
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【Satisfaction】
The Rolling Stones - Satisfaction (live)
I can’t get no satisfaction I can’t get no satisfaction And I try and I try and I try I can’t get no I can’t get no 満足なんかしちゃあいないぜ ちっとも満足なんかできゃあしない どんなに頑張っても無駄さ “(I Can’t Get No) Satisfaction”
by THE ROLLING STONE
Lyrics by Mick Jagger
From “Out Of Our Heads (1965)”
*******
西暦2000年(20世紀末)に発表された“The Greatest Pop Song Top 100”(MTVとRolling Stone誌による)では第1位にBeatlesの“Yesterday”が、そして第2位には上に紹介したRolling Stonesの“(I Can’t Get No) Satisfaction”が選ばれた。
1963年デビュー。ビートルズとほぼ同じ時代を経てきたが、そのビートルズは結成から7年余りで解散。ストーンズの方は、メンバーの大半が60代半ばを過ぎた今もなお衰えぬロックンロール魂で数多くのミュージシャンたちに影響を与え続けている。
音楽の志向性から見れば、一方のビートルズが「エリート育ちの秀才」だとしたら、ストーンズは「怒れる不良軍団」かも知れない。たとえ金や名声や権力を思いのままに操ることができたとしても、彼らは決して満足することはあるまい。現状に満足などしたら、恐らくその時点で彼らのパワーは消滅してしまうことだろう。ハングリー精神(飢餓感)こそがまさに彼らのエネルギー源となり、40年にも及ぶミュージックシーンでの原動力となってきたのだから。
「満足なんかしちゃあいないぜ…」
と鬱積(うっせき)した不満を音楽にぶちまけるミックの叫びに、世の中年オヤジたちもきっと胸を熱くするだろう。
なお、このTOP100には、彼らのヒットナンバーから“Brown Sugar(1971)”《14位》“Miss You(1978)”《43位》の2曲もフィーチュアされている。
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2009/03/27(金) 23:32:04 |
MUSIC
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【イチローに学ぶ】
今自分がやっていることが好きであるかどうか ---イチロー(メジャーリーガー)
*******
好きなことをやれるのはある意味幸せなことかも知れない。
多くの人は、やりたくもない仕事をあくせくやりながら、文句をたれながらも、日々の生活を営んでいる。
嫌なら辞めればいい…そんな風に言われても、生活がかかっているのだ。
扶養家族がいたり、家や車のローンがあったりすればなおさら。
手かせ足かせをつながれた状態で何処にも行けないでいる一家の主は、さまざまな苦悶と闘いつつ、毎日を必死で生きている。
好きなことをやっているかどうかよりも、いま自分がやっていることを好きになること、が実は一番大切なのだ。
長期に渡ってスランプが続いていたイチロー。
WBCファイナルのラストの打席で、タイムリーヒットを打って日本に勝利をもたらした。
プレッシャーの連続で、一時は引退まで噂されていたとか…。
ヒット一本に生活が、首がかかっている。
好きな野球とはいえ、そうなってくると「好き」だけではできないもの。
数々の修羅場を経て、今のイチローがある。
好きだったはずの野球が、辛くて、苦しくて、心が痛むくらいに感じたことも数え切れないはず。
そういったシチュエーションを何度も乗り越えてきて、はじめて自分がやっていることの真価を知るのだろう。
酸いも甘いもとことん経験しなければ分からないことがある。すべてをやり抜いて、最後に、自分のやっていることを本当に好きといえれば本望である。
好きなことも嫌いなことも、実は表面的なものであって、どんなことでも好きになろうと思えばなれるのだ。
食わず嫌いであってもいけないし、若い内は、好き嫌いに関わらずいろんなことにチャレンジするだけの価値はあると思う。
4月、新しい年度が始まればいろんなことが同時にスタートする。
自分の生活においても、さまざまな苦難が待ち受けていることは分かっている。
逃げず怯まず、真っ向からそういった試練に挑むまでだ。
叩かれ打ちのめされそうになっても食らいついていくだけのガッツは忘れずにいたい。
2009.3.24 WBC決勝 10回表 イチロー、値千金の決勝タイムリー
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
2009/03/26(木) 19:21:23 |
語録
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【少子化+少女化】
~最近のニュースから~
日本女性が海外流出? 推計人口で初めて減少 2009.3.23 16:47
日本国内の女性の人口が初めて減少に転じたことが23日、総務省の発表した昨年10月1日の推計人口(確定値)で分かった。出生児数から死者数を引いた自然動態は前年よりも7000人増えたが、入国者数が出国者数を下回る「社会減」が2万7000人(前年比2万5000人増)と大幅に拡大したことが要因となり、差し引きで前年比2万人減少し、6544万1000人となった。女性の人口減少は、昭和25年に現在の方法で統計を取り始めて以降初めて。
男性は5万9000人減って6225万1000人となり、4年連続で減少した。
男女を合わせた総人口(外国人を含む)は1億2769万2000人(前年比7万9000人減)で、平成17年以来、3年ぶりに減少に転じた。死亡者数は114万2000人で過去最高。出生児数が3年連続増加の110万8000人(前年比7000人増)だったにもかかわらず、全体の数は減少した。総人口の「社会増減」は4万5000人の社会減だった。とくに日本人は11万人減となっており、総務省統計局は「海外に長期滞在している日本人が増えた結果、全体の人口が減ったのではないか」と分析している。
年齢別の人口構成では、14歳以下が1717万6000人(全体比13・5%)で過去最低記録を更新した。65歳以上も2821万6000人(同22・1%)となり、過去最高となった。
(msn産経ニュース)
ニュースソースは
コチラ *******
こういったニュースが何を意味するのか。
女性が国内から消えていくことでさらに少子化が加速することは間違いない。
日本男児はますます女性から見放され、結婚しない女性同様に結婚できない男性が増えていく。
海外を旅している間、あちこちで一人旅をする女性にたくさん出会った。
その大半は25~30歳で、しばらく日本国内でOLを経験してお金を貯め、日本を脱出してワーキングホリデーで海外に来ている人たちばかりだった。
彼女たちの多くは日本という国にあまり魅力を感じることなく、英語をマスターして海外で(日本人以外の男性と)結婚して、日本以外の国籍を取得し、その国に永住しようというプランを持っていた。
日本という国は、政治も経済も低迷し、そのアイデンティティを失いつつある。
海外ニートと呼ばれる若者たちが、働いて貯めたお金で海外に脱出し、お金がなくなればまた働いて海外に飛び出すという、そんな生活を繰り返している。
このまま少子化が進めば、労働人口の大半を外国からの労働資源でまかわなないといけなくなる。
「草食系男子」ということばをよく耳にする。
日本男児は、かつて骨太で体育会系のたくましい硬派人間が中心だったはずだが、それももう過去のこと。
1970年代に「おれは男だ」という
森田健作 氏のドラマがあった。今どきあんな男子高校生は珍しいだろうけれど、今だからこそあんな堅物で頑固な男性が必要なのだと思う。
「おれは男だ!」
男性が軟弱化・軟体動物化する勢いは止まらず、女性にも適当にあしらわれる存在になっていくであろう。
女性に捨てられてメソメソ泣いている情けない男性がそこかしこに現れてくるのだろう。
そんな男性に女性は見向きもしなくなっていく。
世の若い男性諸君、ニートになったり引きこもったりしている場合ではない!
このままでは君たちの居場所はなくなってしまう。
それだけではなく、あと数年もすれば若い女性はすべて海外に脱出し、日本はじいちゃんばあちゃんとおっさんだけの国と化してしまう。
そうならぬ内に、今、自分自身をしっかり磨いておくべきなのだ。
ちなみに今日のブログのタイトル「少女化」は、女性人口が減少していくという傾向を意味する個人的な造語である。
テーマ:ニュース - ジャンル:ニュース
2009/03/25(水) 20:39:18 |
憂慮すべきは…
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【Let It Be】
あれはまだ僕が小学校6年生の頃、いつも遊びに行く公園 のすぐ近くのアパートに一人の青年が暮らしていた。
彼は無精髭を生やし、いつも大きな音でステレオを鳴らしていた。
何をしているのかよく分からなかったが、近所の人の話では彼は大学受験に何度か失敗している浪人生だったようだ。
ある日、彼は初めて僕に声をかけてくれた。
「なぁ、ビートルズって知ってるか?」
「何年か前に日本に来たっていうロックバンドのこと?」
僕は答えた。
「そうだよ。武道館ですさまじいコンサートをやったんだよ」
彼は、4人のメンバーが映っているLPレコードのジャケットを僕に見せ、うんちくを語り始めた。
「いいかい、この曲を聴いてくれ。たまらなくいいんだぜ」
ピアノのイントロに始まり、ポールのソロヴォーカルが歌い出す。
「何て歌ってるの?」
僕は彼に尋ねた。
「『レリッビー』てしか聞こえないんだけど…」
「ふふーん。おまえいい耳してるよ。これはな、『レット・イット・ビー』って言ってるんだ」
「どういう意味なの?」
「『すべてなすがままに』ってことさ。運命には逆らえないってことだよ」
「運命に逆らうと何か悪いことが起こるのかな?」
「違うね…それは既に神様によって仕組まれたことだから、逆らったところで、それもまた運命なんだろうな」
「ふうん」
約5分ばかりの曲を、彼は3度繰り返して聴かせてくれた。彼も小さな声で歌詞を口ずさみながらメロディに合わせ歌っていた。
30センチの黒いLPレコードが、プレーヤーのターンテーブルで回転するのをしばらくの間じっと見つめながら、僕はビートルズがどんなグループなのか思いをめぐらせていた。
「どうだい?気に入ったか?」
「うん」
彼と交わした会話はただそれだけだった。
僕は彼に礼を言って家に帰り、それからしばらくビートルズを耳にすることはなかった。
その数ヶ月後に彼はアパートを引き払って引っ越してしまったことを知る。
彼が大学受験に成功したのかどうかは分からない。ただ、いつも2階の窓からやかましく鳴っていた音楽はもう聞こえなかった。
中2の英語の授業で、担当の先生がこの曲を紹介してくれて、久々に「レット・イット・ビー」を聴くことになる。
When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom,let it be...
「すべてなすがままに…」
そう語ったのは聖母マリアさまだったのだ。
僕はその時初めてそんな事実を知った。
叡智の言葉「レット・イット・ビー」…あの浪人生は僕に叡智の言葉を伝えてくれていたのだ。
ビートルズは既にその時点で解散していた。
その後、ビートルズのアルバムを友人から借りたりして順番に聴いていく内に、僕はあの浪人生の様々な言葉や表情を思い浮かべるようになった。
あの時、彼は僕に哲学を語ろうとしていたのか、それとも彼自身悟りを開こうとしていたのか…。
今となっては分からないことだけれど、確かなことは、彼がいなければ僕はビートルズを知ることも聴くこともなかったかも知れないということ…。
Let it be, let it be.
Let it be, yeah let it be.
There will be no answer, let it be.
Let it be, let it be.
Yeah let it be, yeah let it be.
Whisper words of wisdom, let it be.
ポールの歌声が耳にこだまする。
叡智の言葉を忘れてはならない…。
amazon.co.jpでこのCDを購入する
テーマ:ビートルズ関連 - ジャンル:音楽
2009/03/24(火) 15:49:52 |
MUSIC
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【不幸な結婚、幸せな離婚】
私は変化が欲しかったのであり、平穏無事な生活など望んでいない。
刺激と危険と、それに愛するもののために身を捨てる機会を求めていたのだ。
自分の内部には、エネルギーがありあまっていて、われわれの静かな生活には、そのはけ口がなかった。
----レオ・トルストイ「家庭の幸福」
I wanted movement and not a calm course of existence.
I wanted excitement and danger and the chance to sacrifice myself for my love.
I felt in myself a superabundance of energy which found no outlet in our quiet life.
----Leo Tolstoy, "FAMILY HAPPINESS"
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
----レオ・トルストイ「アンナ・カレーニナ」
Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.
----Leo Tolstoy、"Anna Karenina by"
*******
結婚とは…
誰かを幸せにするための、あるいは自分が幸せになるための、ひとつの選択肢かもしれない。
もしくは、
誰かを不幸にしないための、あるいは自分が不幸にならないための、ひとつの選択肢かも知れない。
離婚とは…
結婚が紙切れ一枚だけのつながりではなく、夢を見させてもらうための、人生の猶予期間であったということを確認する瞬間かも知れない。
もしくは、
独身に戻るだけでなく、さまざまな可能性がまだ残されていることでハングリー精神を持ち、青春を再び謳歌するための時間を与えられる記念すべき瞬間かも知れない。
KAY.T(バツイチ)
*******
同僚A「藤原紀香と陣内智則、離婚するくらいならなぜ結婚したんだろうね」
KAY「ばっかだなぁ~。結婚しないと離婚できないじゃない!」
テーマ:離婚 - ジャンル:結婚・家庭生活
2009/03/23(月) 23:59:59 |
語録
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【「学校」って何?】
「平日に授業休んでTDL」 学校側が容認している? (J-CAST)
小学校などを休ませて子どもと家族旅行…。一昔前なら考えられなかったことを学校が認めていると、関係者らが新聞社サイトの掲示板に書き込んで話題になっている。平日なら旅行代金が安いといった理由もあるというが、本当に容認している学校があるのか。
*市立小学校校長「容認ではなく事後承諾」 「学校を平日に休んでTDL、最近はこうなのですか?」
これは、読売新聞オンラインの掲示板「発言小町」に2009年3月3日に掲載された質問の投稿だ。
それによると、自らが経営する英語教室では、受講生の小学生が、東京ディズニーランドや沖縄旅行などで学校を休むとしばしば言うのだとか。夏休みや週末はツアーが高いのが理由。義務教育の授業を自己都合で休むだけに、この投稿主は、教師としてリアクションに困ると漏らす。
しかも、子どもたちに聞くと、小学校の教師は、旅行で休むことについて、「そう」とこともなげに言うというのだ。この投書には、11日までに200件近い賛否両論のコメントが寄せられたが、教師など学校関係者とみられる人からも、休みを容認するかのような声があった。親子のコミュニケーションによい、保護者と後で面倒なことになる、といった積極的・消極的な理由からだ。
学校現場では、旅行のための授業欠席を本当に容認するようになっているのか。
大阪府内のある市立小学校の校長は、「『旅行に行きますから休みます』と言われれば、『困ります』とは言えません。義務教育と言っても、教育を受けさせる責任は親にあるわけですから」と明かす。ただ、「容認」ではなく、「事後承諾」だと説明する。「推奨しているわけではなく、やむを得ないということです」。
また、東京・多摩地区の市立中学校の校長も、同様な立場だ。「旅行に行くのはダメでは、やっていけません。親などから申し出があれば、認めざるをえません。権利といったオーバーなことではありませんが、不登校などと同じ流れですよ」。
小中学校の現場では、旅行による授業欠席を積極的に認めているわけではないものの、ダメとは言えないので仕方がないということのようだ。
*「表立って聞かれれば、それはまずい」 文科省の教育課程課によると、学校教育法などでは、家族旅行での欠席について、規定したものはない。学校が出席停止にできるのは、病欠、事故欠席、忌引きぐらいだ。旅行欠席を容認している学校や教育委員会があるかについては、「承知していない」と担当者は話す。教育現場で多くは、出席簿上、「病欠」としたり、親戚の法事などと同じ扱いの「家事都合」としたりしているらしい。
ところで、平日に学校を休んで家族旅行に行く子どもたちは、学校が対応に苦慮するほど増えているのか。
前出の大阪府内の市立小学校校長によると、都市部では時々耳にする程度で、「夏休みは旅行代金が高くなるので、その直前に早めに休むというのを聞く」という。東京・多摩地区の市立中学校校長は、「病欠ということにして、旅行代金が安い夏休み前に休んだという話は聞いたことがあります」としながらも、都内ではそんなに例は多くないはずだとする。
内閣府が2005年に行った世論調査によると、家族旅行をするために子どもを平日に休ませる考え方に近い親が約2割いた。また、ケーブルテレビ会社のイッツ・コミュニケーションズが同年に行ったアンケートでは、学校を休ませたと答えたのが6割強もあった。
実態はよく分からないが、家庭より学校が優先された時代からは変わりつつあるのは確かだ。
学校を休む理由は、説得力のあるものもある。親の仕事の関係で平日しか休みが取れないといった場合だ。親子のコミュニケーションを深められる旅行は、この場合は平日しかない。読売の掲示板「発言小町」では、地球博など社会見学ならいいのでは、といった声もあった。
もっとも、学校現場では、授業の大切さを親に分かってほしいというのが本音らしい。前出の市立中学校校長は、こう打ち明ける。「旅行に賛成する意見は、もっともなものが多いとは思います。しかし、旅行の理由によっては、表立って聞かれれば、それはまずいですよ、と答えるでしょう。教員の立場としては、やはり学校に来てほしいと思うからです」
[2009年3月22日12時16分]
ニュースソースは
コチラ *******
「子供の仕事は勉強…お金を稼げない子供は、しっかり勉強して稼げるようになるまでは、勉強しないとあかんのだよ…」 「なんで勉強せんとあかんの?」
そう父親に訪ねるといつもそんな答えが返ってきた。自分が小学生くらいの頃のことだ。
今の親はそんなことは言わないのだろうか?
親は子供に「勉強してもらっている」とか本気で思っているのだろうか?
「そんな必死になって勉強しなくても…」 確かにそんな考え方をもった親も実際いないわけでもない。
このニュースでも、学校側が「やむを得ない」などと言えば、今の時代「容認」ととられてしまうのも「やむを得ない」のだろう。
社会が子供を育てていない現状が垣間見える。
本当に親が子供を育てようという気持ちがあるのなら、まず勉学を優先させて然りだろう。
学校サイドも「ま、いいか」で本当に済ませてしまっていいのだろうか?
親や教師の意識のありかたで、次代を担う子供たちの意識が変わる。
学校を休んで家族と旅行した子供たちも、それを正しいこととして認識するだろう。
こうやって日本の社会はますます崩壊していくのだろうか?
子供に何を教えるのか、親や教師が正しいことを教えずして誰が教えるというのか?
離婚して7年来逢っていない娘がこの4月に中学生になるはず。
子育てには6年間しか関われなかったが、その後、全うな躾(しつけ)・教育を受けてくれていることを願うばかり。
世間様は3連休だった様子。
春分の日はオープンキャンパス、土曜日は春期講習最終日と二次入試、今日は入学予定者の準備登校日。
連日、中学生や高校生になる子供たちの保護者と顔を合わせる機会があった。
親子というもののあり方も変わってきているのかも知れないが、明らかに自分たちの時代とは違っているのだということを実感する。
孤立した親と孤立した子供が、たまたま同じ家で同居している…そんな家庭も実際にあるのではないか。
経済的には恵まれていても、何か満たされないものを持った親や子供の後ろ姿が見える。
教育の現場で、一教育者としてできることにはいつだって限界があるのだろうけれど、日々の闘いの中で、「どうにもならない」「無理だ」などと決して諦めてはならないのだということ。
あと10日足らずで新年度が始まる。
数々の修羅場は経験してきたつもりだが、再び迫り来る怒涛の日々に負けてなるものか。
日本の未来のために、子供たちの幸せのために、孤独な教育戦士は今日も戦い続けるのであった…。
テーマ:子供の教育 - ジャンル:学校・教育
2009/03/22(日) 18:37:24 |
教育
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【人生、毎日が訓練】
今、この瞬間こそ出発点 人生とは毎日が訓練である わたくし自身の訓練の場である 失敗も出来る訓練の場である 生きているを喜ぶ訓練の場である 今、この幸せを喜ぶこともなく いつ、どこで幸せになれるか この喜びをもとに全力で進めよう わたくし自身の将来は 今この瞬間 ここにある 今ここで頑張らずに いつ頑張る 尾関宗園(京都大徳寺大仙院住職)
*******
「あとから頑張ろう」
そう思っても後の祭りということが多い。
歳をとってからだとなおさらである。
日に日に怠けがちになり、やろうと思ったことを先延ばしにしてできなかったり、
気力が先に萎えてしまったり、体が言うことを聞かなくなったり…。
やがて悲しき中年かな…。
若さとは気力が体力に勝ること…だと最近つくづく思っている。
もちろん体力も必要であるには違いない。
体力というエンジンを動かすイグニッションキーとは、気力そのものなのだ。
今ある現状に満足すればそれ以上のものは望めない。
今頑張る自分が未来を築きあげる。
求められる限り素晴らしいものを求めなければ…。
今この一瞬こそが勝負。
日々鍛えられる人生を求め続けていくことなのだ。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
2009/03/21(土) 23:05:42 |
語録
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【風のささやき】
あの時の風が
僕に
こう囁きかける
君がこの風を 感じたければ いつでも感じることが できるんだ 君の行くところに 必ずこの風は 吹いているからね 風は優しく
撫でるように
僕の頬をかすめ
またどこかへ
去っていく
ひょっとしたら
風は
囁いているのではなく
僕に
歌いかけてくれて
いるのかも知れない
風を感じて
風の歌に
耳傾けて
ひた進む
一本の道
テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学
2009/03/20(金) 19:23:53 |
ぽえむ
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【1千万円あったら…】
デンマークで車体が金でコーティングされた「黄金の自転車」登場 値段は約1,000万円世界的に景気が低迷する中、デンマークにとてもゴージャスな「自転車」が登場した。
異様な存在感を放つ自転車は、世界で10台しかない「黄金の自転車」で、フレームやペダルは金色に輝いている。
車体は24金でコーティングされていて、数百個のスワロフスキーのクリスタルでびょう打ちされている。
値段は日本円にしておよそ1,000万円。
この価格にもかかわらず、すでに3台売れているという。
(03/14 18:52 FNN:フジニュースネットワーク)
ニュースソースは
コチラ *******
1千万円あったら皆さんは何に使いますか?
宝くじでも当たらない限り、家とか高級車を買わない限り、そんな大金は触れることさえないのでしょうね。
1千万円の黄金の自転車があるというニュースを見つけました。
全体を純金でコーティング。600個の「スワロフスキー」製のクリスタルがあしらわれています。
値段は8万ユーロ(約1015万円)です。
デンマークのデザイナーが作ったもので、これまでに10台が販売され、3台はすでに売れたということです。
金で作られた車輪のフレームも約25万円で販売されているとのことです。
身近なブログ仲間で、
100万円程度の自転車(上の写真)に乗っておられる方 は知っていますが、0の数が一桁違うとなると、これはなかなか手が出るものではありませんね。
もしこんな自転車を手に入れても、保険に入っておかなければ怖くて街を走れません。
1000万円って1億円の10分の1なんですね。1万円札が1000枚。
既に3台買ったのはどんな人でしょう?
こういう買い物をするのはやはり小切手かキャッシュでポンと買うんでしょうか?
ローンで買うなんて恥ずかしい気もします。
動画のニュースでしかなかったのですが、画像を探してみたいものですね。
買った人は恐らく、見せ物にしてお金を取っているのではないでしょうか?
見るのに1回500円、写真を撮るのは1000円とか…。
そうすれば結構元が取れると思うのですが…しみったれた考え方でしょうか?(笑)
テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース
2009/03/19(木) 17:24:39 |
ニュース
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【You Are What You Eat】
寮のある学校に勤務していて、子どもたちの食生活にいつも関心を持ってみている。
校内の売店でもスナック菓子は売っているし、実家から宅急便でお菓子入りの段ボール箱が送られてくることもしばしば。
クラブの試合で外に出たりすると、子どもたちは当然の成り行きのように、まずはコンビニに行きたがる。
やたら塩辛くて脂っこいポテトチップス系のスナックやフライドチキン、そして思いっきり砂糖を使用した炭酸飲料水…。
自分自身が汚染されているとも気付かずに、黙々と、ひたすらムシャムシャと、むさぼるようにそれらを食す若者たち…。
アメリカがジャンクフードの有害性に気づき始めた頃、大人はもちろん、多くの肥満で悩む子どもたちが世間で騒がれていた。
血液中のコレステロール値がどれだけ高くなろうとも、病気になるまで気がつかず、体が蝕まれていくという意味ではニコチンやアルコールと何ら変わらない。
かつて日本では自然の物をできるだけ多く食していた。焼き魚や野菜の煮物がどの家庭の食卓にも並んでいたはずだ。
「おふくろの味」という言葉もやがて死語になるのであろうか。
今は親が料理することを面倒がって、外食をする方が子供たちにも喜ばれる風潮がある。
一家団らんは家庭ではなくファミリーレストランにあるのだ。
「食育」という分野も話題にはなりはするものの、家庭と学校が連携しなければ実際には難しい。
自分の勤務している学校は寮があるおかげで、箸や茶碗の持ち方、食べる姿勢もできるだけ細かに指導するようにしている。
「おせっかい親父」と彼らに思われたとしても、日本人として正しい食文化を次代に継承していくことは何よりも重要なことだと考えている。
衣食住のひとつ「食」という行為は、ただ食欲を満たすだけのために食べる行為で終わるのなら「本能」的な行為で終わってしまう。
「食べる」という行為に人間的なもの、理性的なものを付加することが必要な時代なのだろう。
食事に対して感謝の気持ち、「いただきます」や「ごちそうさま」が、せめてまともに言える子供に育てていくのが親の義務なのだ。
食に対しても親の愛情が大きく影響する。
家族と一緒に食事をした幼い頃の思い出、今自分にとっても忘れがたい大切な記憶として頭に残っているが、これを読んでいる皆さんはどうでしょうか?
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2009/03/18(水) 20:35:52 |
憂慮すべきは…
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【現状打破~なにくそ】
「現状打破」と書いて「なにくそ」と読む。
「全力」とは、「命懸け」「必死」「死に物狂い」「一生懸命」「精一杯」を意味する。それはひとつの物事を「とことん」やり切ること。「手を抜かず」最後まで取り組むことを表している。
「現状維持」と書いて「まあいい」と読む。「まあいい」はあきらめ・妥協の言葉。すべてを中途半端で適当に・いい加減にごまかしてしまう言葉。ひとたびその言葉を口にしたら、それ以上のものを求めようとしても手に入らなくなる。
ハングリー精神を忘れてしまった今の日本。明治維新という一大カルチュア・ショックを経て、敗戦というものを経験し、その後、半世紀あまりをかけ、一時は経済大国として登りつめたはずなのに、やがてバブルが崩壊し、そして今のこのありさま。
人々は学ぶ意志・働く意志を失い始め、政治も経済もその質を低下させ、得意であったはずのものつくりもレベルを落としてしまっている。自分中心のものの考え方が横行し、協調する・協力するという集団・組織を大切にする生き方はもはや時代遅れのものとなってしまった。
希望を失った約3万人の人間が毎年自らの命を絶ち、数百万人もの引きこもりやニートの若者を輩出する国、日本…。現状から見れば、既に日本崩壊のシナリオは始まっているのかも知れない。
どんな国であろうとも、その国を誇りに思えるものにするためには、やはり「現状打破」を選択すべきなのだ。ひとりひとりが誇りある生き方を実践し、世の中を変えようとプラス思考で努力し続ける国民に変えて
成功する人間は「成功したい」と思うだけで終わらせない。
「必ず成功させる」と決断する。その意志を持ち続ける。
願望や目標は、意志・決断に変えなければ、永遠に願望・目標のままなのである。
その場で足踏みをしているだけでは前に進まない。
前進しようとして足を一歩踏み出すことで、目に映る風景も変わってくる。そうやって自ら状況を変えていくことが大切なのだ。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
2009/03/17(火) 23:30:10 |
語録
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【窓をあけよう】
窓をあけよう もっともっと窓をあけよう それから心の窓もあけよう 心の窓をあけると何が見える 心の窓をあけると世界が見える 宇宙が見える 神秘な宇宙のいのちが感じられる 窓をあけよう なんでも見えなんでも感じられるように 窓をあけよう きみの ぼくの 心の窓を -----江口 榛一「窓」から
*******
今一度
心の窓を閉ざしてはいないか
自分を振り返ってみよう
誰とも会いたくなくなって
ふさぎこんでしまったり
誰かと話すことを拒んでしまったり
一人で悩むのは止めてしまおう
心の窓をあければ
何かが変わるから
新しい空気の流れを感じ取ろう
心の窓をあけて
今とは違う自分を
見つけてみよう
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学
2009/03/15(日) 23:59:59 |
ぽえむ
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【めぐる季節の中で】
いつものように僕は近くの林道をのんびり走っていた。雨上がりで路面は少しぬかるんでいたが、仕事で忙しいことを言い訳に2日ばかり朝のロードワークを怠けていたこともあって、久々のジョグに気持ちもリフレッシュしていたし、足取りもいつになく軽かった。
ふと足元に目をやれば、可愛らしいタンポポの黄色い花が一輪。
僕はタンポポを踏みつけそうになった片方の足をすぐさまその脇によけ、タンポポが無事であることを確認してから、林道を南に向かって再び走り始めた。
ランナー的生活を実行しているおかげで、季節の微妙な変化に敏感に反応することができるようになったと自分では思っている。
とかく街の暮らしは自然の営みに逆らうようにして進化してきたために、季節感という言葉が通用しないような状況も今となっては避けられなくなってきているのだ。
高度に発達した文明の恩恵を顧みることもなく、ただその便利さにどっぷりと使ってしまっただけの人間には、もうこれ以上の進歩はありえないのだろう。そんな気がしてならないのだ。
ともあれ、ランナーであるがゆえに、自然の恵みを慈しむ心だけは常に育み続けたい。たとえどんな状況にあろうとも、それをありのままに受け入れることの大切さを、僕自身走ることを通じて学んできたつもりである。
風の匂いを嗅ぎ分け、陽射しのやさしさに心躍らせ、また時には自然の厳しさを身をもって知らされることもあるだろう。
日本という国に生まれ、四季があることを心から素直に喜べる、ただそれだけで自分がランナーであることに感謝したくなってしまう。質素ではあるけれど、質素であるがゆえに得られる満足感を我々文明人は忘れかけているのではあるまいか。
オーストラリアのナラボー大平原をただ一人自転車を走らせていたあの頃、まる1日ペダルを踏んでも変わることのない風景の中を黙々と前進する。
白夜のアラスカ北極圏、いくつものアップダウンを越え、タイガの森を抜け、ツンドラの原野を地平線に向かって走る自分自身がそこにはいた。
フルマラソンレースを走りながら、時々僕はそんな光景を頭に思い浮かべる。
『僕は地球を走っていた。そして、今も同じこの地球を走っているのだ』 というある種の新鮮な驚きと不思議な感動に包まれる。
『僕はどこへ行くのだろう?何に向かって走ればいいのだろう』時としてそんな疑問が頭をかすめるけれど、足の向くまま、気の向くまま、僕はただ走ればそれでいいのだ。答えはすべて風に吹かれていくものなのだから。
大自然の中に身を置いた時に初めて感じる自分という人間のちっぽけさ。
宇宙の大きさを僕はまだ現実としてとらえることはできないけれど、自分という存在は自分が感じている以上にちっぽけなんだということを知るべきなのだ。
テーマ:心のつぶやき - ジャンル:心と身体
2009/03/14(土) 23:59:59 |
日常
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【TODAY】
広大な原野に
ひとりぽつんと
たたずめば
己のちっぽけさが
嫌というほど分かる
それは
自分が
この大自然の
ほんの一部分でしか
ないということ
そして
宇宙は
想像もつかないくらい
果てしなく大きな
ものであるということを
おのずと知らされるから
それでも
この宇宙に
誕生し
今という時代に
与えられた命
どんなにちっぽけな
ものであっても
大切なもの
今日
たとえありふれた
一日であっても
この世で過ごす
貴重な一日
愛おしく
生きるべき時間
テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学
2009/03/13(金) 23:34:38 |
ぽえむ
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【アースマラソン】
間寛平さんが昨日太平洋横断ヨットの旅を終えて、アメリカ西海岸ロス・アンジェルスにたどり着いたという。70日間1万2710キロヨットの旅、時化(しけ)、船酔い、実際ひとことで片付けられるような単純な旅ではなかったと思われる。
昨年12月にスタートした「アースマラソン」、この後はアメリカ大陸を二本の脚で走って横断する。
現在彼は59歳。アメリカの道中どこかで60歳の誕生日を迎えるのだろう。
1990年春に彼が東海道を走って(大阪~東京)旅したという話を聞き、自分自身も
京都から東京を11日かけて走った 。
彼にはサポートクルーがついていたが、私は単独での荷物を背負っての旅。初日京都三条大橋から滋賀県の土山までの55キロで足の裏に数箇所マメができ、デイパックのベルトで肩から胸にかけて擦過傷ができた。おまけに炎天下、何度も暑さ(熱さ)でくらくらして倒れそうになる。
最近自分のブログを訪ねられた小林さんという男性は66歳。手作りのジョギング用三輪車を押して、昨年夏日本縦断(約3000キロ)を達成された。氏の旅については
「ジョギング三輪車で日本縦断マラソン」 に詳細が記されている。
日本縦断もアメリカ横断も、ぜひ残りの人生でやっておきたいと考えているけれど、誰かが既にやったことは実際面白みに欠ける。どうせならまだ誰も成し得たことのない冒険にチャレンジしてみたいもの。
地球を旅するという発想はなかなか素晴らしい。
自転車で北半球から南半球を走りはしたが、我々のこの惑星「地球」も奥が深い。まだ見ぬ世界をできるだけ隅々まで見ておきたい。ちっぽけな島国で暮らしていては見えないものも、ひとたびこの国を脱出することで見えてくるももあるはず。
間さんの旅の成功を祈りたい。
ニュースソースは
コチラ 公式ブログ>間寛平アースマラソン
テーマ:ニュース - ジャンル:ニュース
2009/03/12(木) 17:09:51 |
マラソン・ランニング
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【詩篇:道祖神3】
たなびく雲
追いかける
フルムーン・ライド
旅に出る
理由(わけ)
知りたくて
旅に出る
さまよえど
さまよえど
続くのは
この旅
テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学
2009/03/11(水) 21:48:51 |
ぽえむ
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【強烈なプラス思考】
マイナス(-)にマイナス(-)を掛けるとプラス(+)になる。
その事実を中学に入って間もない頃、数学の時間の「正負の計算」で教わって、ある意味衝撃的だった。
マイナス(-)からマイナス(-)を引くとさらにマイナス(-)になる。
気持ちがブルーで鬱(うつ)に近い状態になって、何か気の滅入ることがあった時、人は余計に落ち込むもの。
ならば、マイナス(-)にマイナス(-)を掛けてプラス(+)にしてみる。
徹夜に近い状態で仕事を終えて、睡眠不足でテンションも思いっ切り低い時に、1時間で10キロばかり走ってみる。
最初は頭もぼんやりして、体もだるく最悪なコンディションでどうにもならないのだが、徐々に血流がスムーズになってきて、じわっと汗が全身ににじみ出してくればしめたもの。
いつの間にかハイな気分でクールダウンしていることだろう。
辛くて苦しい時こそ、さらに辛くて苦しいことに挑んでみる。
あえて「泣きっ面に蜂」の状況を意図的に作り出してみるのだ。
キリスト教でいう、「右の頬を叩かれたら左の頬を出す」というポリシーに似ているかも知れない。
年間約3万人の人間が自ら命を絶つこの日本という国で、経済危機はさらに加速し、日常生活さえどん詰まりの状況に陥っている者も少なくはない昨今、マイナス思考でいればマイナスの波にどんどん流されていってしまう。マイナスモードの中でじっとしていたらとんでもないことになってしまいかねないのだ。
「イントゥ・ザ・ワイルド」 がDVD化されて既に発売されている。
主人公クリスはせっかくエリート生活のスタートに立ちながら、自ら世捨て人同然の生き方を選択する。持ち金も財団に寄付し、愛車もハイウェイに乗り捨てて、最小限の装備で荒野に乗り込んでいくのだ。先にどんなことがあろうとも、彼は自分の運命を快く受け容れる人となる。
Into the Wild - Trailer(「イントゥ・ザ・ワイルド」予告編)
逆境の中でさらなる逆境を求める時、人は真剣に自分の生き方を模索するようになる。魂の赴くままに生きていこうとするのはそんな場面だ。
敬愛する種田山頭火やヘンリー・デイヴィッド・ソーローもそうだった。かの剣豪宮本武蔵も然り。
マイナスをマイナスとも思わない。たとえ今マイナスの境遇におかれていても、それを逆手にとって、さらなるどん底に陥ろうとする。
自分はマゾヒストではないけれど、そんな極端に自虐的な生き方に憧れる。
放っておいても人はマイナス思考に陥りやすい生き物。
自ら命を絶ってしまう約3万人もの同胞たちには申し訳ないが、心も体もタフ(強健)でなければ今の時代は生きていけない。行き場を失って引きこもっていては、やがて自分の首をくくって息絶えるだけ。 犬死や野垂れ死にであってはご先祖様に合わせる顔がない。
たとえあの世に逝っても、この強烈なプラス思考で閻魔さまに対面したいものである。
命を懸けて生きるだけではまだ物足りない。
この魂のすべてを懸けて生きてこそ価値ある人生なのだから。
テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ
2009/03/10(火) 13:12:18 |
人生論
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【春はそこまで…】
宿直明けの日曜日、午前8時過ぎに帰宅してシャワーを浴びる。
日曜日が休みというのは天国である。たとえ夜勤明けで2~3時間程度の睡眠しか取れてなくても、せっかくの休み、部屋で寝ているというのはあまりにももったいない。
遅い朝食の後、さっそく街へ…。
わが町伊賀市、伊賀上野城のある上野公園へ出かけた。
気持ちのいい青空。春が近いことを感じる。
自宅から13キロ自走。国道422号線を北上。
今日も花粉が悲惨なくらい飛散しているんだろう(シャレにもならないか…)。
寒さは和らいだが、まだ観光シーズンはこれからが本番。
伊賀上野城は小天守閣が工事中だった。
高台にあるお城から平野部を眺める。
石垣は結構高い。お城の前から内堀を臨む。
上野市内のショッピングモール「ジョイ・シティ」の100均で買い物して、すぐまた自宅に戻る。帰りは裏道を通り、往復で約30キロ。平均時速20キロを下回らないように、高いケイデンスをキープ。シングルギアも慣れると面白い。
午後2時、遅い昼食をとって洗濯と掃除を…。
昼間に飲むビールってどうして美味しいのだろう。
掃除の後、PCの前に座り込んだらいつの間にか意識も飛んでしまう。
気がつけばもう日が暮れてしまっていた。
夢の中でもダックスを駆って静かな道を走っていた。
テーマ:ちょっとおでかけ - ジャンル:旅行
2009/03/08(日) 19:45:40 |
自転車
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【Nothing stays the same...】
まことに、
木々の葉の世のさまこそ、
人間の世の姿と変わらぬ、
木の葉を時に、風が来(きた)って
地に散り敷くが、他方ではまた
森の木々は繁り栄えて
葉を生じ、
春の季節が循(めぐ)ってくる。
それと同じく人の世系(よすじ)も
かつは生い出で、
かつはまた滅んでゆくもの。
----ホメーロス「イーリアス」(岩波文庫)
*******
ひと雨ごとに暖かくなってきている。
季節は間違えることなく前に進んでいるのだ。
諸行無常…万物流転…。
そして、すべてが移り変わっていく。
この魂も実は、かつては誰かの肉体に宿っていたものなのかも知れない。
そんな気がする。
桜のつぼみも少しずつ膨らみ始める。
いつかその愛らしい花を咲かせるまでは、つぼみは大地のエナジーをフルに吸収して、花開くその瞬間を心待ちにしているのだろう。
新しい時代を自らが作りあげていかねばならない。
昨日の自分を繰り返していてはいけないのだ。
日々生まれ変わる細胞のごとく、新たな自分として今日、そして明日を生きるのだ。
自分自身の内に革命を起こしつつ、未来に向けて今の自分を生きる。
心ではなく、命ではなく、この魂の命ずるままに。
明日は常に新しい。まだ見ぬ自分がそこには潜んでいるのだから。
テーマ:ひとりごと - ジャンル:ライフ
2009/03/06(金) 19:45:30 |
ココロとカラダ
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【Dachs近況】 1月19日に愛車ルイガノ・ダックス(LGS-CM)を手に入れてからこれまで100キロばかり走った。 一度に走った最長距離は先日の当尾~大和路ポタ でのせいぜい50キロ程度。 走行距離こそ短いが、大阪新世界や天王寺・難波界隈 、神戸 、名古屋市内 、奈良飛鳥方面 を電車で輪行しながらあちこちでポタリングを楽しんでいる。 8インチの極小径車はそのコンパクトさが魅力だが、街や野山を縦横無尽に走り回る700Cや26インチホイールのロードバイクやマウンテンバイクとは訳が違う。ゆっくりのんびりのポタリングで街を散策したり、グルメツーリングしたりするにはダックスのような折りたたみ小径車が適している。 サイクルコンピュータのデータでは、先日走った岩船寺と浄瑠璃寺の間の坂道でこれまでで最高の時速43キロをマーク。8インチの極小ホイールが超高速回転すると、ロードの700Cとはまた違ったスピードとスリルが味わえる。スピードを出して走るのが目的ではないので、平均時速が20キロも出せれば十分。 昨日の夕方も近隣の山(自宅周辺も山だし、職場も山の中)を走りに行った(写真)。 三重県伊賀市は自転車で走るには環境抜群。国道をのぞけば交通量も少ないし、鹿や猪が出没するような山里があちこちに散在している。 ダックスで20分も走ればいくらでも峠がある。最近増えてきた体重を減らすには、あえてダックスで峠越えをするのもいいかも知れない。 これから桜も咲くだろうし、暖かくなれば自転車通勤も再開したい。 今となって思うことだが、さらなる高速化を図るためにクランクに変速機(フロントドライヴ)を内蔵したLGS-CMFD2 を購入しておくべきだったか…。LGS-CM より3万円ほど値は張るのだが…。 もう一台購入?…う~ん…。悩むところである。
(写真:一昨日の夕暮れスキマ・ポタ~伊賀市比自岐付近…パノラマ風、残像を加工してみました。写真をクリックし拡大してご覧下さい)
テーマ:自転車(スポーツ用) - ジャンル:スポーツ
2009/03/05(木) 19:34:42 |
自転車
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【内なる声に】
渇いた心の奥深く
内なる声に
耳傾けて
魂の喘ぎを知る
内なる声は語る
命で生きるな
魂で生きよと
声はさらに語る
魂の赴くままに
最高を求めよと
今の自分を
自分たらしめるもの
それが魂で
あるべきなのだと
テーマ:自作詩 - ジャンル:小説・文学
2009/03/04(水) 19:45:05 |
ぽえむ
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