KAY'S BLOG

独行道~Lonesome Road of Running

ランニング道~マラソン講座(31)

【ランニング道~マラソン講座(31)】

*つま先ランニング

手の指は英語でFINGERだが、足の指はFINGERと言わない。

そう、つま先はTOE(トウ)なのだ。

巷ではベアフット(=はだし)ランニングがブームになってきている昨今、VFF(ビブラムファイブフィンガーズ=写真下)やはだし系ランニングシューズを履いて故障したという話をよく聞く。


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今までのランニングシューズと違ってアウトソールは数ミリと薄く、路面の衝撃をダイレクトに足に受けるために足の指や土踏まず、さらにはふくらはぎやすねなどを痛める可能性が高いのだ。



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ニューバランスのミニマスもはだし系シューズ。



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VIVO BAREFOOT ULTRAは超軽量はだし系シューズ。クロックスのサンダルのよう。



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先日ご一緒させていただいたワラーチプロジェクトの木村東吉さんも自作のワラーチで河口湖から神戸までをずっと走られていた。



中学時代から剣道をやっていた。

高校から大学でも、さらには教員時代もずっと剣道部の顧問をしていたが、剣道部のない学校もあったためここ10数年は竹刀を持つこともなくなってしまった。

空手や合気道・剣道などの武道は素足で行われる。

板の間で稽古をすることが中心になるが、当然ながらはだしのまま動き回る。

剣道では右足を前に、左足はかかとを上げてつま先だけで立つことになる。

フットワークはすり足が基本。

重心移動をスムーズにするために上下動は抑えて、前後左右に動くわけだ。

ランニングは左右に動くことはないが、重心移動という意味では武道の動きは大いに活用できる。


80年代にダイエーで活躍していた中山竹通選手は細身で長身の選手だった。

彼はつま先で着地し、つま先で蹴りだすという走りでフルマラソンを2時間8分台で走っていた。

当時、彼の走りを意識しながら、フルマラソンを5度目にしてサブスリーを初めて記録した。

つま先といっても指だけではなく、つま先から足の指の付け根までを使う。

土踏まずよりも前の部分を鍛えることが必要になってくるのだ。

ビギナーはいきなりこの走りは難しいので、最初はつま先だけで歩くことを実践してみよう。

普段立った姿勢が心持ちかかとを浮かせた状態…剣道では足の裏に紙を一枚置いたような感覚と言っていたが…。

電車通勤の方は、この状態で立った際に、揺れる電車の中でバランスをとるだけでもいい練習になる。



ランニングで特につま先が使われるのは山の登りだ。

着地と蹴り出しがほぼ同時になって高速で登坂路を登っていく。

階段でも構わない。リズミカルにつま先の中指の付け根で走る。

特に蹴りだす瞬間は意識的に…。



平行して縄跳びもお勧め。

つま先だけでジャンプ、着地もつま先で。

週に2~3回やるだけでシャープな走りに変わる。




いずれの動きも上半身はリラックス。

腰から上はまっすぐ。

走る時は腰が引けないように。

側面から見て尻が後ろに残っていてはスムーズな重心移動ができないのだ。



アフリカの黒人選手たちのばねのある走りはこのつま先のチカラももちろんだが、着地の瞬間に蹴り出した足がピンと伸びている。これによって一歩のストライドはかなり大きくなる。

初めて参加したホノルルマラソンでケニヤの選手は実際に宙を飛んでいるかのように見えた。

身長180センチくらいの選手が、わずか一歩で3m近く前に跳んでいたのではないか…?


故障しないように走る前後のストレッチや下腿の筋力トレーニングも平行して行うのが望ましい。



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*「ランニング道~マラソン講座」 バックナンバーはこちら

*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦自ら編集・発行する無料メルマガ「週刊PEACE RUN」でも「ランニング・クリニック」を好評連載中!





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テーマ:ジョギング・ランニング - ジャンル:スポーツ

  1. 2012/11/30(金) 12:36:27|
  2. マラソン・ランニング
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風は歌う

【風は歌う】

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いつも、いつの時にも、僕には一本の道があった。


果てしなくどこまでも続く道…。

野を横切り、山を越え、川を渡り、谷を抜ける。

大陸からやってくる冷たい北西の季節風に吹かれるまま、ウインドブレイカーに包まれたこの細身の体は二本の脚に支えられ、大地を縦横無尽に疾駆するように初めから造られていた。

少なくとも僕にはそう感じられた。


獣のように荒々しく地面を蹴り、大空をはばたく鳥のように華麗に宙を舞う。

僕の中の野性が目を覚ます瞬間、僕の脚は鋭利な刃物のごとく、研ぎ澄まされた空気の流れを切り裂いていく。


全てがこの一瞬に砕け散ってしまうほどの強烈なパワーとエナジーが、僕の理性や感情を超越した独自の世界を創り上げていた。

余計な感情は要らない。

理性さえも棄ててしまってもいい。

過去も未来も今の僕には無意味であるかのように思えた。

大地を走る今この一瞬があればすべてはうまくいくのだ。



気がつけば、いつもそこには風が吹いていた。

僕は風の吹く方向に目をやり、風の匂いからその風がたどってきた道を推測してみる。

そして、この風が行き着く先に思いを馳せ、ほんのしばし、風になった自分を頭に思い描いてみようと思った。

風の言葉は分からなくても、僕のハートに語りかけてくれる何かがそこにはありそうな気がしたのだ。


正確に言うならば、風が語るものは言葉ではなく、歌だ。

思い思いのメロディが、気まぐれな風に乗って宙を舞う。

耳をすませばそれは聞こえてくる。

いつの時代の、どこの世界のメロディかは分からない。

だが、その歌に耳を傾ければ妙に懐かしい気分になって、まぶたを閉じれば遠く離れた故郷の風景がおのずと目に浮かぶ。

見慣れたはずの故郷の山や川のイメージが風とともに僕の脳裏へとたどりつく。



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そして僕は、この風がいつか自分の生まれ故郷で吹いていたものだということを知らされる。

僕はそんな心地よい風の歌に酔い痴れるようにして、さらに一歩ずつ前進する。

遠く、遥か彼方の世界からやってくるであろう僕の未来に向けて…。



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友よ…西暦2013年の夜明けは近い…。




テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体

  1. 2012/11/29(木) 17:13:31|
  2. エッセイ
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Walk Don't Run ~ファイントラック

【Walk Don't Run ~ファイントラック】

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たまには走らずに歩くのもいい。

スピードを落として、リラックスしながら…ゆったりまったり。

歩くならアスファルトの上ではなく土の上がいい。

柔らかな大地の感触を足の裏全体で感じるためだ。

車のやって来ない木々に囲まれた静かなフィールドを歩こう。



というわけでお昼前に伊賀市にある上野森林公園へ。



PEACE RUNの公式スポンサー「ファイントラック」から冬物のアパレルが届いた。

去年の「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」からずっとウェア類でお世話になっている。


ファイントラックのウェアは「5レイヤリング」をアピールしている。

季節や用途に応じ、ウェアもその機能ごとに選ぶ必要がある。

どんな温度や湿度であっても、暑さ・寒さにオールマイティに対応できるレイヤリングのスタイルがある。

ウェアの一つ一つのもつ機能の高さにも目を見張るものがあるが、さらにその組み合わせによって相乗効果も生まれてくる。

これがファイントラックのウェアの魅力なのだ。



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アウターはフラッフジャケット


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軽く、濡れに強く、保温性も抜群。

撥水加工されているので多少の雨や雪が降っても水を弾いてくれる。

特殊なポリエステル繊維はエアフラッフィーと呼ばれ、見た目はダウンに似ているが、ダウンと違って生地表面から抜け出ることもないという。


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フラッフジャケットの脇の下にあるファスナーはリンクベントと呼ばれるベンチレーションシステム。暑い時にはファスナーを開けて蒸れを防ぐことが可能だ。



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フラッフジャケット…胸にファイントラックの青いロゴが…。



フラッフジャケット…選んだカラーはライム。タウンでもアウトドアでも映える色合い。

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フラッフジャケットは収納用のスタッフバッグがついている。メンズのMサイズでも262グラムという驚くべき軽さとコンパクトさ。



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フラッフジャケットの下には中間保温着として着用するドラウトソルジャケット

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フリースと違って汗で蒸れることがなく、ジャケット内はいつも快適で暖かい。こちらも脇の下にリンクベントがついている。

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これまでのアウトドアではフリースやダウンを使ったウェアをよく着用していたが、一度汗をかくとウェア内が濡れてべたついてしまってどうにもならなくなる。

ドラウトソルジャケットは保温性はもちろん、かいた汗をダイレクトに吸い取り、それをすぐさま蒸散させてしまう。




以下は、冬季必要なアクセサリー類。

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アルパインビーニー…かさばらないし、縫い目が全くないので自転車や登山のヘルメットの下にもかぶれるのがありがたい。

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グライドビーニー
…スキーやスノーボードに適した耳あてのついたモデル。一度かぶるとセンターが頭頂部に来るように設計されたオフセットセンター構造。激しい動きでもずれないのが魅力。


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どちらのビーニーも「アンチフォグシステム(特許出願中)」採用で、額部分から発生する湿気を上部に逃がしてゴーグルやメガネが曇らないような工夫がされているのだ。


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フラッドラッシュEXPグローブ…昨年もアメリカ横断ランニングの旅で使用したが、多少の雨や雪も弾くので濡れても冷たくならないし、いつも内部はさらっとしている。昨年は氷点下4度の中でも私の手を守ってくれた。軽くて手にぴったりフィット。自転車やスキーのストックを握っても滑らないグリップ加工がいい



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フィールドを歩くのが楽しくなるウェア…ファイントラック、おすすめです!


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ファイントラック公式サイト

5レイヤリングについて


*今日撮影した写真一覧はこちら 

*ファイントラック製品はPEACE RUN2011 GEARPEACE RUN2012 GEAR&SPONSORSのページでも紹介!


テーマ:商品紹介 - ジャンル:趣味・実用

  1. 2012/11/28(水) 19:00:06|
  2. アウトドア
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思えば遠くへ来たもんだ

【思えば遠くへ来たもんだ】




思えば遠くへ来たもんだ/海援隊




昨年、アメリカ横断ランニングの旅の最中、ユタ州ブラフでヘルペスを患った際に、たまたま泊まっていたモーテルで、僕はこの動画を見ていたのだった。



「思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど…この先どこまで行くのやら…」



このフレーズに思わず込み上げるものがあって、声を出して泣いてしまったのだった。




幼い頃から旅に憧れ、野心を持って大都会へ…。

女にも惚れ、恋にも破れ、様々な辛酸をなめながら、やがて一人前になっていくのだけれど、ふとしたことからまた一人…。

先の見えぬ今、現実はいつも悲しく、旅人は疲れ果てうらぶれて行き場を失っていく…。

そんな哀愁を帯びた中年男の歌なのであるのかも知れない。




僕はといえば、19の頃から一人暮らし。

大阪から名古屋、名古屋から三重へ…一度は家庭を持ち、夫と父にはなったけれど、今はただの旅人。

転々と移動を繰り返し、挙句の果ては風来坊のような人生…。



現実だけでは人生はあまりにも乾きすぎてしまって、つい浪漫を求めてしまいたくなるのが男の常。



振り返れば頬をかすめる風の歌…。

360度広がる地平線、どこまでも自由に、さらなる自由を求めて前へ前へと…。



人は感性だけでは人は生きていけないものなのだろうけれど、感性なくしてもまた生きていけないものだと思いたい。



僕はどこに向かっているのだろう。

見えない力に引き寄せられるように、世界の果てまでも旅を続けるのだろうか?

地球こそ我がふるさと…そんな思いで





*****





「ふるさとは遠きにありて」

         室生犀星(むろうさいせい)

          
               
ふるさとは遠きにありて思ふもの
               
そして悲しくうたふもの
               
よしや
               
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
               
帰るところにあるまじや
               
ひとり都のゆふぐれに
               
ふるさとおもひ涙ぐむ
               
そのこころもて
               
遠きみやこにかへらばや
               
遠きみやこにかへらばや
                     


[小景異情ーその二] より




*私 訳:

旅に出て、遠く離れてみた時に自然に思い出されるのがふるさと。

そして旅人は例えようのない郷愁の念に駆られる。

何もかも失ってどうしようもなくなって、たとえ異郷の地でホームレスになったとしても、

ふるさとは帰るべき所ではないのだ。

一人ぽつねんと都会の夕暮れにたたずみ、ふるさとの空を思い浮かべながら涙ぐむ。

初志を貫くために、街へ帰ろう。

ふるさとではなく、自分が暮らすべき街へ。




*****




東日本大震災で故郷を失い、異郷の地で暮らすことを余儀なくされている人たちもたくさんいるのだろうけれど、様々な理由で故郷に戻ることができない人たちが他にいるはず。

生まれ育った町から生涯離れることのない人たちはある意味幸せかも知れない。



僕自身生まれてから何度も引越しを繰り返し、小学校だけでも4回転校した覚えがある。

行く先々でたくさん友達はできる。

でも、せっかく新しい友達と仲良くなった頃にまた転校という経験もあった。



人間だからいつも強い自分でいられる訳でもない。

何かに動揺したりとまどったり、イライラしたり落ち着かなかったり…揺れ動くことも多々あるもの。

人生の大半を一人で生きてきたけれど、まともな人間になるまではなおも一人で修行を積むべきなのか…。



「思えば遠くへ来たもんだ…この先どこまで行くのやら…」



分からないよ…そんなこと…。




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*「思えば遠くへ来たもんだ」歌詞はこちら

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

  1. 2012/11/27(火) 23:46:30|
  2. 日常
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ハングリーに生きる

【ハングリーに生きる】

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常に満たされることのない人生を生きること。

あらゆるゴールは通過地点であるということを悟ること。

「何くそ」と思って現状打破に努めること。

「今のままではダメだ」という危機感の中で暮らすこと。

今持っているものをすべて捨ててでも手に入れたいと思えるものを持つこと。

今やっていることではまだまだレベルが低いと言い聞かせること。

「非常識」と言われても貫き通せる意志の高さを持つこと。

具体的にいつまでに何を実行するかを明確にすること。

自己に対してシヴィアなものの見方をすること。

言葉ではなく行動を何よりも重んじること。

自身をリフレッシュさせ、行き詰ったらリセットし、疲れたらリカヴァーすること。

時にはとことん体を動かしてくたくたになるまで自分を追い詰めること。

成功するイメージを持つと同時に、最悪の事態に常に備えておくこと。

明日この世から消えても惜しくないと思える生き方に徹すること。

必死になって何かに取り組んでいる時は永遠に生きているように思えること。

大きな夢を実現させるために小さな目標をいくつも設定し順番に達成していくこと。

モノやカネを含めあらゆるものにとらわれないこと。

変なプライドや過去の生き方・考え方にこだわらないこと。

常識や固定観念にしばられないこと。

10日で「10」ではなく1日「1」を地道に守ること。

心落ち着けて物事に集中する時間をたとえ1日1分でも持つこと。

生活を質素・簡素にすること。

烏合の衆の一員にはならぬこと。

世の中は常に不合理であると思うこと。

理屈をこねないこと。理屈に振り回されないこと。

生きて生かされている自分であると感謝すること。

一日に一つ何かに感動できること。

謙虚であること。


ハングリーであること。




テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ

  1. 2012/11/26(月) 23:59:59|
  2. 人生論
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あれから1年…Dream Is Still Alive

【あれから1年…Dream Is Still Alive】






2011年11月24日午前10時55分(アメリカ東部標準時)、日本時間同年11月25日0時55分、LAから138日目、5285キロを走って、ニューヨーク、マンハッタンのバッテリーパークで無事ゴール。


「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」ゴールから気がつけば早1年。

「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」をスタートさせ、その第一章としてアメリカ大陸を選んだ。

1991年の北米大陸横断単独自転車旅行からちょうど20年目のチャレンジでもあった。

車や動力機関を用いずにアメリカ大陸を三度横断したわけである。







昨年の3.11東日本大震災で一度は旅を断念しようかとも考えた。

それでもすぐに「RUN×10(ランバイテン)運動」をスタートさせ、復興支援をしながら走り続けることを決断。


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多くの仲間を巻き込んでのチャレンジとなった。

その前年の2010年、教職から離れ、一度目の日本縦断「PEACE RUN2010日本縦断ランニングの旅」へ。

この旅をきっかけとして、PEACE RUN PROJECTの組織が生まれた。







アメリカ大陸は時に常軌を逸するような場面にも遭遇させられた。

灼熱の砂漠や標高3000メートルを越えるロッキー山脈越え、360度地平線に囲まれた大平原…。

時には死の危険さえ感じられた。


「明日はもうこの世にいないかも知れない」


特に砂漠では、そんな思いが何度も脳裏をかすめた。



日本とは違う大自然のスケールの大きさに圧倒された…と同時に人々の温かさにもふれ、その都度心動かされる。

PEACE RUNは「みんながつながる みんなとつながる」旅。

地球上にいる70億人の一人でも多くの人々と出会い続ける旅。



昨年、アメリカ横断ランニングの旅を走りながら、東日本大震災の被災地のことを何度も思った。

アメリカを走っている間、少しでも復興が進められていることを祈った。



そして、今年、「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」へと。

アメリカが終わったら被災地である東北3県を訪ねる…これは昨年のアメリカ横断スタート前から考えていたこと。


実際に、被災地を北から南に下りていく中で、津波の爪あとを順番に訪ねてみて、僕は言葉を失った。

その約半年後、数日前にTOMOSU RUNで陸前高田、大船渡、釜石を訪ねた。

少しずつ復興は進んでいるかに見えるが、まだまだこれは復興の途上でしかないのだ。


来年2013年9月、「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」に出る。

「RUN×10(ランバイテン)運動」とPEACE RUN×10は継続、旅の先々で今の被災地の状況を伝えながら走ることで被災地の復興に少しでも貢献できればと考えている。



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今、走らせて頂いていることに心から感謝しながら、支援して頂いているスポンサーやサポーターの皆さんに感動を伝えられるような走りを伝えていくこと。

一歩一歩に魂を込めて、前へ前へと…。

それが自身のミッションであるのだから…。



すべてのゴールは僕にとっては通過地点でしかない。

旅の終わりが人生の終わりであっていいと考えている。

人生において「何をしたか」というのは僕にとってはどうでもいいこと。

一度しかない人生を「どう生きたか」こそが大切なことなのだ。



残り4大陸で3万4715キロ…。







さあ、どんな旅が待ち受けているのだろう。



人生波乱万丈でなければ面白くない。

破天荒であるからこそ人生は面白い。


一年前のニューヨークシティゴールの走りを思い返しながら、新たな決意でアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦は明日に向かって走る…。






・PEACE RUNプロモーションビデオ





・PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅ファイナルラン





ゴール当日のブログ


「PEACE RUNアメリカ横断ランニングの旅」


KAY’S WORLD PEACE RUN


エッセイ「アドヴェンチャー・ランナーは荒野を駆ける」


「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」関連動画

テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ

  1. 2012/11/25(日) 23:59:59|
  2. 冒険
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TOMOSU RUN~その3

【TOMOSU RUN~その3】

そして、TOMOSU RUN本番の朝…午前3時起床。

陸前高田ドライビングスクールの寮に宿泊していた。

自動車学校に合宿で運転免許を取得するためにやってくる人たちの寮だが、門限やら飲酒禁止など、結構規則がたくさんあって厳しい。

外はまだ真っ暗…でも夜空を見上げれば満天の星。

同じ部屋だった釜石出身の菊池さんが、震災のあった夜も同じように満天の星だったということを話してくれた。


車で再び陸前高田市立米崎小学校へ。

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午前5時、当日の受付開始。

ランナーたちは荷物を預け、走る準備にかかる。

続々とやってくるランナー。

5時半を過ぎて開会式。


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スタート前に、震災と津波で失われた方々のご冥福をお祈りするために、ランナーとスタッフ全員で1分間の黙祷を捧げる。


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TOMOSU RUNのフラッグに書かれた寄せ書きもほぼスペースいっぱいに…。


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メディアの取材もあった。



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実行委員会からの連絡…



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スタート前の記念撮影…。



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うれしいことに、仮設住宅に住まわれているご婦人の何人かが朝早いのに応援に出てきてくれた。



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午前6時、10キロと60キロのランナーたちが一斉にスタート。



コースは…





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国道45号線へ…。



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エイドステーションごとにチェックポイントがある。




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マラニックなので競争ではない。

エイドステーションでいったんみんなが揃ってから走り出す。


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エイドステーションもコミュニケーションの場、他のランナーと、あるいはスタッフたちといろんなやりとりがあるもの。

支える側と支えられる側がひとつになるというのも大切なことなのだ。



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ランナーにとってはアップダウンがやはりこたえる。

気温は10度を超えることはなかった。


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大船渡小学校に立ち寄った。


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やってくるランナーたちにハイタッチ!

まるでエイドステーションごとにゴールがあるようだ。


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ここから何名かの子供たちが一緒に伴走してくれる。


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10キロゴールはおおふなと夢商店街。

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商店街の皆さんが笑顔で迎えてくれる。



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いい匂いがすると思ったら…イカとホタテ貝のバーベキュー!!

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さんまのつみれ汁やおにぎりも…。


津波の様子を記録したDVDを鑑賞する時間もあった。


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TOMOSU RUNの寄せ書きを商店街に寄贈。


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8時半過ぎ、60キロの部が再スタート。


10キロ以降、先頭集団から最後尾までかなりバラけてしまって、できるだけ後ろの方を観察しながら走る。



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道の駅さんりくのエイドステーションではふかひれスープもあった。

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少し日ざしも出てきたが、山あいは気温も5度前後で寒い。

停まったり歩いたりすると急激に体も冷えてくる。


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紅葉も美しい。


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自動車道ができて国道45号線の一部は交通量も少ない静かな道になる。

 

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ウルトラマラソンや距離の長いマラニックでは、同じペースで走るランナーは皆仲間。

ただでさえ辛い走りが退屈で苦しいものにならないように…走りながら語らい、少しでも心身の疲労を癒すのがいい。

自分自身、いろんなランナーと走りながら交流することができた。

オーストラリア大使館の職員の方と、来年の「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」について話すと、ぜひオーストラリア観光局にも働きかけようと快い返事が…。

今年の「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」の様子をずっとブログ等で追っかけていてくれたランナーもいた。

それまで「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」や「アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦」の存在を知らなかった人たちが知るようになってくれるのはありがたいこと。


何度もアップダウンを繰り返し、トンネルを抜けて前進。

一番長い2300mのトンネルは中に入ると車の排気ガスのせいで空気がよどんでいて息苦しかった。

暗闇の中を走る車の騒音もけたたましい。

狭い路肩でトンネルの壁に肩や腕が触れるか触れないかの状態で走るわけだ。

普通のマラソン大会ではトンネルを通過するのはまれだろうが、自分の国内の旅ではこれまで5000mもあるトンネルを含め数え切れないほどのトンネルを通ってきた。


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ローソン釜石平田店で地元の多くの子供たちが加わって残り約7キロをみんなで走る。


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JR釜石駅を通過。


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最後のエイドステーションは地元のMAIYAというスーパー。

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店長さんの計らいでアンパンやバナナ、みかん、ドリンクを大量に提供していただく。

走ってきた子供たちも大喜び。

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そしてゴールの釜石中学校まで残り1.2キロ。

ランナーたちは疲れていたのだろうけれど、元気な子供たちに励まされながらゴールを目指した。


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「歓迎 釜石へようこそ!」のバナーが見えてきた!

ついにゴールだ!!



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ゴールする時のランナーの笑顔がやっぱりいい。

続々と帰ってくるランナーたちに拍手が送られる。


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最終ランナーを待つゴールテープ。



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日が沈み、真っ暗になったので釜石中学校の生徒たちがゴールの花道にキャンドルを設置してくれた。



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最終ランナーが帰ってきた。

全員が無事完走した訳だ。


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スイーパーは走る.jp/代表の山田さん。

スタートからゴールまでずっと最後尾に付きっ切り…お疲れ様でした!




参加したランナーの多くがきっと楽しめたことだろう。

手作りの大会でありながら、いろいろと試行錯誤的にやっている部分も多々ありながら、それがいい意味でランナーたちには新鮮に見えたことだろう。


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競争ではなく「共走」。

みんながつながる、みんなとつながる…まさにそうなのだ。

同じ時代に生きて走って、同じ時間を共有する。

「友」と走る…「共」に走る…それがTOMOSU RUN。



沿道にいた地元の方々も笑顔で手を振り声援を送ってくれた。

被災地の方々にしてみれば、モノやお金はある程度揃ってきたけれど、何よりも、被災しなかった人たちが被災地を訪ねてきてくれることが一番嬉しいのだ。

コース上にあったがれきの山や津波で何もかも流された町の風景を目にすることで、今の被災地の現状を目の当たりにしたランナーは、何かを感じたはず。

その何かを故郷に帰ったら誰かに伝えるべきなんだろう。

復興は終わらない…まだまだ今後も続いていく。

少なくとも、被災地が復興再生するまで続けていかなければならないと思う。




午後5時半、体育館で後夜祭が始まる。

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TOMOSU RUNのロゴの形に灯されたキャンドル。



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大船渡出身のシンガーソングライター濱守栄子さんのライブ…リハーサルが行われていた。

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ゲストランナー宮地藤雄さんと私のあいさつも…。

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阪神・淡路大震災を経験した神戸のダンスチームのパフォーマンスが…。



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三人合わせて150歳…浜のキャンディーズのプチライブも…。



そして、個人的には一番楽しみにしていた濱守栄子さんのライブ。

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TOMOSU RUNのfacebookページで初めて彼女の存在を知った。

「国道45号線」のミュージックビデオ、初めて見た時に、訳もなく涙が流れ熱く込み上げるものがあった。




濱守栄子【国道45号線】MV


自分がこの夏たどってきた風景が映し出され、その中には彼女の母校岩手県立高田高校の被災した校舎もあった。


昨年8月、東日本大震災チャリティプロジェクトCDとして発売された。

岩手県トラック協会と有限会社フォーユーネットワークスのCMソングなのだという。

売上の半額を義捐金として、陸前高田市と大船渡市に寄付している。

彼女は東京在住だが、各地でチャリティーコンサートやライブ活動を展開。

既に彼女のCDはアマゾンで購入していたが、前夜祭で今月リリースされた「わたまち」を入手。


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後夜祭では、この動画をバックに歌ってもらった。



国道45号線/濱守栄子/Instrumental/Director's Edition


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何度聴いても心に染み入る…。



ふるさとを心底愛しているから…

ふるさとにいる人たちが大好きだから…

心の琴線に触れるメッセージ…それが歌になる

彼女の歌が、聴く人の魂を揺さぶるのはごく自然なことなんだろう。



7月と今月であわせて二度走ったけれど、またいつか走って思い出を作ろう…国道45号線。

またこの場所を訪ねて、この土地に住む人たちの笑顔を見に来よう。



失われた風景がいつかまたよみがえる日を心待ちにしている…。

「いつかまたあの頃のようにあの場所で笑い合いたい…」

濱守栄子さんのそんな思いがきっとかなえられると信じて…。



誰もが自分自身のふるさとを愛しているはず。

ならば、ふるさと日本もきっと愛することができる。

日本だけじゃなく、70億人の同胞が暮らすこの世界も、我らのふるさとの星「地球」さえも…。



3.11が教えてくれたことがたくさんある。

失われたものは帰ってこないのかも知れない。

でも、きっと形を変えて、別の時間と場所を選んで戻ってくるのだろう。

いろんなつながりの中にいる自分であることに気づこう。

夢をかなえるために、このつながりがきっとプラスに働いてくれるはず。

そして、自分自身も誰かの夢のサポーターになって、誰かとつながり続けていくこと。



いつの日か、世界が一つになるために、70億人の人々が少しずつつながっていく必要がある。

そして、そんなつながりを作っていくために走り続けるのがアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のミッションでもあるのだ。





*毎日新聞にもTOMOSU RUNが紹介されました。

東日本大震災:阪神の希望、広めたい 「希望の灯り」掲げ、岩手・陸前高田から釜石へ


Eiko.Hamamori | 濱守栄子 オフィシャルウェブサイト

TOMOSU RUN公式サイト

TOMOSU RUN公式ブログ



テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2012/11/24(土) 23:59:59|
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TOMOSU RUN~その2

【TOMOSU RUN~その2】

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23日は朝から前夜祭の準備だ。

陸前高田市立米崎小学校体育館が会場となる。

会場内の机や椅子の設置、受付で配布するナンバーカードや参加賞等もセッティング。

後夜祭では、古今亭駿菊さんの落語やキャンドルを作るワークショップもあったり…。

平行して24日本番のエイドステーションの準備も。



午前9時から受付開始。



午後2時、気仙大工左官伝承館にて「希望の灯り」分灯セレモニー。


「1.17希望の灯(あか)り」は、阪神大震災の犠牲者の慰霊と復興を願い神戸市中央区の公園「東遊園地」で燈されているガス灯だが、現在、岩手県陸前高田市と福島県南相馬市に分灯されている。

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TOMOSU RUNは、その希望の象徴の灯りを東北三県にもっと増やし、点と点を結ぶように一本の線で繋げようとするイベント。

今回は、この希望の灯りを陸前高田から釜石まで二本脚で走りながら運んでいく。


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伝承館エリアの風景…。

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軒先につるされた柿のオブジェ。


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希望の灯りは箱根山にある伝承館の一角、太平洋を望む場所に設置されている。



分灯式では、伝承館にある希望の灯りをトレイルランナーの宮地藤雄さんがトーチに点火。

伝承館から米崎小学校までの約5キロをランナーたちと走る。


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トーチを手に希望の灯りの前に立つ…。


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チームジャパンのメンバーの寄せ書きを集めた日の丸を持つ宮地さん。



午後2時半ランナーたちがスタート。

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途中、宮地さんから私がトーチを受け取り、集まってくれた子供たちも合流し、米崎小学校まで走った。



その頃米崎小学校では既に前夜祭会場の準備も完了。

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小学校のグランドは仮設住宅が立ち並ぶ。



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被災地に届けるTOMOSU RUNのフラッグには多くのランナーたちからの寄せ書きが…。



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写真では宮地さんがメッセージを書いている。



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交流会の準備に関わるスタッフ。


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各宿泊施設に送られるランナーの荷物。


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受付風景。

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受付業務も忙しい…。



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TOMOSU RUNで選手たちがつけるナンバーカード。


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TOMOSU RUN参加賞のTシャツ。参加者とスタッフ全員がもらった。


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TOMOSU RUNのチラシ。




キャンドルのワークショップに関わっていた大船渡出身のシンガーソングライター濱守栄子さんにごあいさつ。

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今月リリースされたCD「わたまち」を早速購入、サインを頂いた。





濱守栄子 ミニアルバム「わたまち」のプロモーション動画。




午後3時、前夜祭スタート。

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発起人の尾崎さんからあいさつ。


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もう一人の発起人の山本さんからも…。

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古今亭駿菊さんの落語…iPadを使った謎解きなどあったり…。

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そしてランナーたちの交流会。

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宮地藤雄さんと私のスピーチもあった。



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TOMOSU RUNのオリジナルTシャツのバックはこんな感じ…。


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前夜祭が終わって片付け…そして、明日の本番に備えてスタッフミーティング。



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夕食は大船渡の居酒屋さん「ぴんぽん」で。



その3へつづく)

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  1. 2012/11/23(金) 23:59:59|
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TOMOSU RUN~その1

【TOMOSU RUN~その1】

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「走る.jp」副代表の山本さんからTOMOSU RUNのお話を聞かせてもらったのが、今年の「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」のスタート前。

釜石に到着した後、東京からレンタカーで来られていた山本さんとカメラマンの羽渕さんとお会いした。

その翌日、釜石から陸前高田を走る際に山本さんも一緒に伴走してもらうことになった。

TOMOSU RUNのコースとなっていたルートを逆走する訳だ。


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*写真:山本さんとアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦、撮影は羽渕みどりさん




その日のブログ


その日は、朝晴れていたけれど、アップダウンとカーブが連続するのと、トンネルも何か所かあって、決して走っていて快適でもない個所があるようなルート。

午後になってにわか雨も降り、途中で道に迷って、伝習館にたどり着けないというハプニングもあった。

その約4か月後、再び同じルートを走った。

東日本大震災復興支援のためのイベントTOMOSU RUN…集まった約100人のランナーと走るマラニック。



21日夜にJACC日本アドベンチャーサイクリストクラブのミーティングが終わって、その夜の夜行バスで新宿駅西口に22日早朝に到着。

山手線で目黒駅に向かい、ここでTOMOSU RUNのスタッフ尾崎さんと真岩さんにお会いする。

真岩さんの車で約8時間近くかけて陸前高田へ。

東北はやはり遠い。

狭いと思っていた島国日本、南北にも東西にもかなり距離があるものなのだ。


宿泊は大船渡の民宿。

夜はスタッフのみんなでやまちゃんという居酒屋へ。


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何を食べても美味しい…新鮮な海の幸をたっぷり頂いた。


その2につづく)

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  1. 2012/11/22(木) 23:59:59|
  2. マラソン・ランニング
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COEXIST~共存

【COEXIST~共存】

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海外のニュースサイトを見てて、思わず目を背けたくなる戦場の風景の写真が…。

「悪夢だ…」

空爆で建物は崩れ、がれきの山を前にして泣き喚いている人々。

空爆で命を失った子供たち…何の罪もない子供たちまでもが…。

そして、戦争が起こるたびに行き場を失った難民たちがあふれる。

家も土地も家財道具もすべて焼き払われてどうすることもできない人々がいる。

その上、家族や親族さえも失い、たとえ生き延びたにせよ、永久に消えることのないトラウマ(=心の傷)が残される…。




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「やるせない…涙が止まらない…」




この夏たどってきた東日本大震災の被災地をふと思い出した。

同じようながれきの山があちこちにあったのだ…。

津波は人も車も家も流し、集落も町も流してしまうけれど、避けられない自然災害だから誰を責めることもできない。

でも、人為的に引き起こされる戦争には必ず加害者と被害者がいるし、それを食い止めることも可能なのだ…。



戦争は海の向こうで起こっている。

でも、この国にも60数年前に同じような場面があったということ。



多くの人々の苦しみや悲しみがあった、その未来に、私たちはこの国にで暮らしている。

イスラエルとパレスチナで今起きていることが、決して他人事ではないということだ。



現実にミサイルが打ち込まれれば何が起こるのか…想像力を働かせてみれば分かること。

ミサイルを撃ち込む兵士も人の子、ミサイルであらゆるものを破壊される人にも、当然家庭があるし家族もいるはず…。


「やるせない…」



いつまでもたっても争いは絶えず、殺戮と破壊は繰り返される。

そこに怒りと憎しみも同時に生まれてくる。

負のループがそうやって続いていくだけ…。



一体僕らはどうすればいいのか…?



未来を担う子供たちがせめて犠牲になることがないように、祈りを捧げるしかできない。

身勝手な大人のために、幼い命が失われることが決してないように…。



一人を殺しても集団を殺してもそれは人の命が奪われることには何ら変わりはない。

無名の誰かが死ぬのではない。

ひとつの命に名前があり顔があり歴史がある。

この惑星に今生きている70億人のうちの一人なのだ。



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僕を含め今生きている人たちも、100年先にはほとんどがこの世から消えていく。

事故であれ病気であれ、その時がくればみんないなくなってしまう訳だ。




それを分かっているのなら…分かるはず…だろ?





生きとし生けるものはみな共に生きるべきもの。

共存すべきもの…愛し合うもの。

憎み合ったり殺し合ったりする必要はないのだ。

美しいものを見て歓び、感動し、その感動を分かち合っていればいいのだ。




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みんなちがってみんないい…多様性(=DIVERSITY)を理解しよう。

今という時代しか生きることができない僕たちだからこそ、今この一瞬を笑顔でいられるように…。



争いが一日も早く終わるように…。

一人でも多くの命が失われないように…。




祈ります。




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宗教が愛と平和をもたらすものだとしたら、それは間違っていない…。

宗教が人々に憎しみや悲しみをもたらすものであるならば、それは明らかに間違っている。






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  1. 2012/11/21(水) 13:06:40|
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小説「花池物語」

【小説「花池物語」】

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第1話 「理不尽さと不合理についての考察(1)」


1979年、僕は某私大に通う大学1年生で、キャンパスから徒歩15分のところにある「花池荘」という学生寮に住んでいた。

世の中はバブル経済のピークに向けて上り詰めていこうという時期、大して何も考えていなくてもものごとは自然にスムーズに流れていたし、新聞を賑わせるような凶悪事件や犯罪もそう多くはなかったから、ある意味では平和な時代だったのだろう。

僕は浪人することもなく大学に合格し、高2の夏から付き合っていた彼女は地方の国立大学に進学するため、必要に迫られて別れる羽目になった。



いつも一方的な彼女の性格に僕は最後まで逆らうことができなかった。

デートに行く時も主導権は彼女にあって、いつ・どこで・何を…5W1Hの選択権は常に彼女が握っていたから、こちらはただ言われるままに首を縦に振るだけ。


「ねえねえ、次の土曜の夜は映画見よう。前売り券2枚買っておいてね。で、映画の前にはピザ食べよう。そうそう、それとチョコパフェも。ずっと食べてなかったもんね。やっぱりチョコパフェは毎週末に食べなきゃ元気出ないわ。時間があればさ、新しいワンピース見ていいでしょ、ね?ね?ね?」


単にわがまま…といってしまえばそれまでなのだろうけど、彼女は人を説き伏せる独特のテクニックと、あらゆる人間の心理の微妙な変化さえ確実に捉えてしまう不思議な能力を持ち合わせていた。

自分が優柔不断な人間だからだろうか。自分には無い彼女のそんな強引さに僕は魅せられてしまったのかもしれない。

どういうわけか、最初に付き合ってほしいといったのも彼女だったし、別れようと申し出てきたのも彼女だった。


「今までとても楽しかった。いつまでも変わらない友達でいましょうね…」


最後にもらった手紙の末尾に書かれたその言葉にはいったいどんな気持ちが込められていたのだろう。



* * * * * 



大学というところに、多かれ少なかれ希望や期待を持っていなかったといえば嘘になるだろう。

それでも一般社会とは一部閉ざされた世界で、理不尽さや不合理さがまかり通るということを知らされるには、19歳という年齢は決して早くは無かったのだろう。少なくとも今はそう思う。


「押忍(おす)」

ということばを一日にどれだけ発したことだろう。

「押すべし、忍ぶべし」

大学の体育会剣道部に入部してまず覚えさせられたのがこの2文字だった。



2回生統制部長補佐の土田先輩が1回生の我々を集めて話してくれたのはこうだ。


1)50メートル前方に先輩の姿が見えたら大声で「オーッス」とあいさつするように。

2)先輩の話には必ず「オス」とあいづちをうちながら聞くこと。

3)何かごちそうしてもらったら「オス、ごっつぁんです」と礼を言うこと。

4)先輩からの命令は絶対服従である。

5)組織の一員として忠実であれ。先輩・同級生を裏切るようなマネを決してしないこと。



その当時1回生男子部員は自分を含めて4名いた。我々は土田先輩の話しに、教えられたとおり「押忍」を何度も連発した。

入部した翌日からはガクラン(学生服)の上下を着用し、革靴を履き、ポケットには常にマッチを2箱忍ばせておいた。先輩がタバコをくわえられたらすぐさま体の後方でマッチを摩って火をつけ「押忍、失礼します!」でその火を差し出すわけである。

先輩によっては「おい、タバコ持ってるか?」と言われた時のために、常時マイルドセブンやセブンスター、ハイライトなど1回生4名で買っておいて数本ずつタバコの空箱に入れていつでも出せるようにしておかなければならなかったのである。

木下先輩はハイライト、東先輩と吉田先輩はマイルドセブン…という具合に、3・4回生の先輩方のタバコの好みまで自然と覚えさせられるまでにいたった。


ある時、剣道部で一番恐れられている4回生の上谷先輩に、1回生で一番おとなしく気が弱いと見られている内海が呼び出された。


「おい、内海。タバコ買ってきてくれるか?」

「押忍、1回生内海、喜んでタバコを買いに行かせて頂きます!セブンスターでよろしかったでしょうか?」

「おう、セブンスター3箱な」

「…」

「どうした?…あ、金か。金ね…。ちょっと待てや」



そういうと上谷先輩はポケットから手帳を出し、メモ用紙を一枚ちぎってペンで何かを書き始めた。


「1-0-0-0で1000。よっしゃ、これ」

「…これは…?」


「ちょっと今手持ちがないから1000円の小切手や。それで買うといでや。釣りはとっときな」

「…お、押忍。ごっつぁんです…」



内海はダッシュでタバコ屋に向かい、自分の財布から金を出して上谷先輩に渡すセブンスター3箱を買ってきた。

聞くところによると、この上谷先輩は自分の金でタバコを買ったことがないという。飯を食いに行く時にも財布を持ち歩かないし、大酒飲みで知られているが自分の金では酒を飲まないということで有名なのだそうだ。

一日の大半をパチンコ屋で過ごし、パチンコ屋が休業の日には学校の図書館で寝ているという。


「何か、とてつもなく大変なところに足を踏み入れてしまったな…」



剣道部入部2週間目にして、僕は、まるで巨大な渦のような何か見えない力に飲み込まれようとしている自分に気づいた。





(つづく)


*この物語は事実に基づいたフィクションです。登場する人物や設定は一部を除き架空のものです。

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  1. 2012/11/20(火) 19:34:19|
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アドヴェンチャー・ランナーは荒野を駆ける~その11

【アドヴェンチャー・ランナーは荒野を駆ける~その11】

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番外編:砂漠のモノローグ



灼熱の砂漠のハイウェイを、僕は一体何を考えて走っていたんだろう…。

時折見る夢の中で、今も僕は砂漠を一人走っていて、決して終わることのない旅を続けている。



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走っても走ってもゴールにたどり着けない。

目の前にある一本の道は、地平線の向こうへと永遠に続いていた。

この道をたどれば地球を一周できるのではないかと思わされるくらい、延々と、どこまでも真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに…。


空は突き抜けるように青く、熱く乾いた風が頬をかすめる。


「ここは砂漠なのだ」


ふとつぶやいた言葉も風にかき消される。




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そう。

ここでは何もかもが風景の一部でしかない。

旅人であろうが何であろうが、今ある風景を構成する一要素なのだ。

どれだけ大声を上げて叫んでも、派手なパフォーマンスをしようとも、誰にも届かない。

この不毛の地での今この一瞬は、永遠という時間とさほど変わらないのかも知れない。





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道路の脇に潜んでいたガラガラヘビがハイウェイから砂地の方へと移動していく。

ここでは、自分もガラガラヘビと対等に命ある生き物なのだ。

むしろ砂漠では、新参者の自分よりガラガラヘビの方が先輩なのだろう。




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ガラガラヘビが自分の存在に気づいていたかどうかも定かではない。

自分が取るに足らない存在だと知ってのことだろう。




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ちっぽけな僕が地球という惑星の広大な大地を駆け抜ける。


「ふんっ…それがどうしたっていうんだ?」


風はまるで鼻息を吹きかけるように軽くあしらう。

僕がやっていることは大したことではないということを教えてくれているのだ。




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そこで僕は目が覚め、飛び起きた。

テントが突風でバタバタ揺れている。

フライシートのペグが外れているのだ。



午前3時すぎ、外はまだ暗い。

夢の中で砂漠を走っていた僕は、まだ砂漠の中にいたのだった。

目覚めた後も「これは夢だろ?」としか思えなかったけれど、いくら時間が経ってもこれが現実であることに変わりはなかった。



夢と現実の差はここでは大した問題にならない。

砂漠という現実はむしろ夢の中の方がリアルに思えるから不思議だ。




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やがて時間の感覚が鈍り始める。

太陽が頭上高くにあるということはまだお昼なのだろう。

汗をかいているのだが、暑いかどうかさえ分からない。

僕は果たして生きているのか…?




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不毛の地で野垂れ死にして、亡骸(なきがら)さえも砂の中に埋もれ、やがて風化して砂漠の砂塵となってしまうのかも知れない…。


それもまた悪くない…と僕は思った。

死を恐れる時、死は自分を捕らえに来るのだろうか…。




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ここでは恐れるものなど何もない。


生と死が奇妙に交錯する場所…それが砂漠。


フットワークも軽く、運命を風に任せて、気ままに走る。


それですべてはうまく行くのだ…。


きっと…うまく…。




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*バックナンバーはこちら





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  1. 2012/11/19(月) 18:11:26|
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映画「うたごころ」

【映画「うたごころ」】

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大阪府堺市にあるイオンモール北花田の3階イオンホールに行ってきた。

イオン 心をつなぐプロジェクト主催~ドキュメンタリー映画「うたごころ」2011年版全国チャリティー上映ツアーの一環として、いよいよこの映画が大阪で上映される日を迎えたのだ。



*あらすじ(「うたごころ」公式サイトから)

2011年3月11日に発生した、東日本大震災。未曾有の苦難が幾多の人々にのしかかる中、それに屈せず、ひたむきに生きる女子高校生たちの姿を描く、ドキュメンタリー映画がある。

現在も撮影を続けている「うたごころ~宮城・三陸/女子高校生たちの青春」。

宮城県で自宅を津波で失った女子高校生と、大阪のプロボーカリストたちが「合唱」を通して、人と人との”絆”を深めていく姿を描き出す




*映画についての詳細は「うたごころ」の公式サイトと数日前のKAY’S BLOG「復興支援は終わらない」で…。




参加費は1000円となっているが、収益は、岩手、宮城、福島の子どもたちを支える育英基金に全額寄付される。


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12:30PM開場の1時間以上も前に到着。

準備中の会場内に監督の榛葉健さんの姿を発見、約半年振りの再会。

あいさつをさせていただいた。


榛葉さんとは昨年、前作「with…若き女性美術作家の生涯」の上映会で初めてお会いした。

*その日のブログはこちら


その際も、JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブ代表の池本元光さんと同国際部長の中西大輔さんらと同行。

がんを克服して18年がかりで地球一周の旅を続ける奈良県のサイクリスト、JACC評議員シール・エミコさんの取材を世界各地で10年間継続されてきているので、榛葉さんはJACCとのつながりも深い。

*この件に関しては中西大輔さんのブログでも触れられている。



その時も、作品に表れた感性の豊かさにずっと惹かれるものを感じていたので、今回も必ず素晴らしいものができあがるだろうと期待していたのだ。



開場までモール内をブラブラしながら時間つぶし。

12:20頃再度会場へ。

ホールの入り口までの通路では、南三陸町在住の写真館主・佐藤信一さん(写真集「南三陸から」はベストセラー)の写真展も行われていた。



この映画の前半を中心に登場している寺尾仁志さんとhuman noteは去年、PEACE RUNも関わっていた「ウタのチカラ」というイベントで初めて歌声を聞かせて頂いた。

総勢700名の合唱団(クワイヤ)を取りまとめるのが寺尾さん。

元々ゴスペルでメジャーデビューした経歴。

さすがに聞かせるべき歌とその声に秘められた魂を感じるソウルシンガー。

これまでにも阪神・淡路大震災のあった神戸や、バリ、ハイチやカンボジア、ケニアなど、世界各地の困窮地帯を訪ね、物資の提供のみならず、歌を通じて現地の人々を励ますといった独自の支援活動を展開してきている。

「うたごころ」製作の段階で寺尾さんがこの映画に登場するということを知って、何かまた不思議なつながりが生まれてきたように感じた。



映画上映の前にイオン気仙沼店の復興のドキュメンタリー映画が上映された。

いち早く被災地で食料品を販売し始め、地域と人々とのつながりを大切にしてきた流れ…。

その当時の様子は直接見ていないので分からないのだが、恐らくそれは敗戦直後の、かつて実際にあったはずの日本の姿そのままだったのではないか…。



そして、映画本編。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の約2ヵ月後、寺尾仁志さんはhuman noteのメンバーと共に東北へ向かう。

絶望的な光景…あらゆるものが一瞬にして津波の泥流に流され消えてしまったあとを目の当たりにして寺尾さんは絶句する。

避難所の小学校の体育館で出会った一人の女子高生…寺尾さんたちの歌に励まされ、今一度頑張ろうという気持ちに変わっていく。

家族とのつながり…家は失ってしまったけれど、家族だけは失うことはなかった。

命を懸けてでも家族だけは守る…と決意を新たにする彼女。

高校の合唱部に所属していた彼女、受験を前に引退も迫っていたが、最後のコンクールは中止となってしまう。

野外のお祭り広場が最後の発表の場となった。

彼女たちは力いっぱい歌う。

いろんな思いを込めて…それぞれの思いを何とか伝えようと、メッセージを歌に託して…。



映画に登場する人物は多くはない。

しかし、一人一人がいろんなところでつながっている。

家族・兄弟姉妹・親族・親類…そして友人たち…。

多くの命が失われ、そして一方では生き延びることができた人たちがいる。

主人公の少女は語る…

「当たり前の日常が当たり前じゃなかったんだ…」

ありふれた日常が一瞬にして別世界のものになるという経験…。

そして、彼女は語る…

「(生き残った)私たちはある意味『選ばれた』人たち…」。

失われた命の分までも生きていかなければいけないという現実…。

しかし、生きているからこそ希望や勇気を持つこともできる。

生きて生かされている…それは見えない力が働いているということもあるかも知れないけれど、今、同じ時代に生きている多くの人々に支えられているという現実にも関わっている。




絆、人と人とのつながり…。

個人の権利や主張ばかりが横行するだけで、人が人として持っている大切なものが見過ごされてしまいやすい時代…それが現在。

特に大きな街に暮らしていれば、個人は集団の中に埋もれ、お互いに干渉しあうこともなく、ともすれば人としてではなく、物と同じように扱われ、無視されるだけの存在にもなりかねない。



バブルという時代を経て、人々の価値観は変わってしまったのだろうか?



東日本大震災をひとつのきっかけにして、今、我々はリアルにつながっていかなければならない存在であるということを感じている。

この映画があらためてそのことに気づかせてくれたように思う。


どれだけ情報技術が進んだとしても、顔を合わせて目を見つめながら対話するというのは一番大切なこと。

メールよりは電話、電話よりは直接会って話すこと。

ハイテク技術の進化によって、今ある人間関係が希薄なものにもなりかねないような危惧感を持っているのは恐らく私だけではあるまい。





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榛葉さんは誰に対してもいつも穏やかなスマイルを浮かべ、人間味あふれる言葉で静かにそっと語りかけられる。

この作品も、その隅々まで榛葉さんの人柄そのものがにじみ出ているような気がするのだが…。



物事を冷静に見つめながらも、我々が考えなければならない課題が随所に提示されているのだろう。

人が人らしくあるために何を考え、どう行動に移していくべきなのか…

東日本大震災はそういったことを考えるべきひとつのきっかけだったのだろう。



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映画「うたごころ」の会場で購入したシネマブックに監督の榛葉さんからサインをもらうランニング仲間の宵さん。




今という時代に生きて生かされている私たちは、時々そういった大切なことも見失ってしまいがち…。

想像力の欠如がいろんな問題を引き起こす。

想像力を少し働かせるだけで、人はもっと感性豊かに生きていけるはず。

情報ばかりが先走って、リアルなコミュニケーションがなくなりつつある今、人の心を動かす歌を歌うかのように、私たちは対話を持つべきなのかも知れない。



今、生きているのは誰かに必要とされるため…。

どんな自分であっても誰かのためにできることがあるということ。

どんな方法でも構わないから自分らしいスタイルで、たとえ小さなことであっても、できることを続けていくべきなのだろう。



映画は最後に「未来へ」というキャプションで締めくくられる。

現在進行形ということでまだまだ物語は現実世界で続いていくわけだ。

「うたごころ」の「未来」を楽しみにしよう。



今週末、TOMOSU RUNで再び東北地方を訪ねる。

復興支援は終わらない…今も続いているのだということを、被災しなかった人たちに伝えながらも、今できることを続けていこうと思う。



榛葉さん、素晴らしい作品をありがとうございました。




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テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2012/11/18(日) 23:59:59|
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新たな出会い・懐かしい再会

【新たな出会い・懐かしい再会】

大阪で自転車のイベントがあるというので、その前にスポーツバギーChariotを扱う「プレザント」のオフィスを訪ねた。

代表の上田さんに「おむすび会」があります…と事前に聞いていた。

みんなでおにぎりでも食べるのだろうか?と思っていたら、この「おむすび」というのは人と人との縁を結ぶ「おむすび」であることが現場で判明。

会を主催されていたのは村上さんという女性…彼女も縁があって上田さんのプレザントの会場を提供してもらったようだ。

今日が第一回の開催。


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以下は村上さんの「おむすび会」のブログから… 



"人と人とをむすぶ”

形にこだわらない、味に決まりもない、何かに巻かれる時もあれば、ありのままの時もある。

おむすびのように
いろんな形、色、味、中身があってもいい。

人と人との「つながり」を提供する「おむすび会」
人と人と「おむすび(結び)」を提供する「おむすび会」

アナログソーシャルネットワーキングな「おむすび会」です。


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【イベント内容】

当日、10時~12時までの間に自由にお越しいただき、遅れての参加、自由退席可能なスタイルで行います。

イメージとしては異業種交流会のようなビジネス色の強い交流会ではなく、老若男女問わず人が集まって「生活のレベル」で交流を持つ、といったものです。

人と人とのコミュニケーションの場が少ない今の時代。そして情報源やコミュニケーションツールとして活用される多くは「ネット」

そんな今だからこそ、原点に返って「人と人とのコミュニケーションたるもの、対話だろ!」というところに視点をおいています。

まずは生身の人間同士で対話をし、そこから出会いが生まれ、「おむすび(結び」」が発生する。

おむすび大会という場所に、いろんな世界で生きる人達が訪れる事でしょう。

あなたの知らない世界の話を知る事で、あなたの視野が広がるかもしれません。何かが見つかるかもしれません。

ただの通りすがりだったあの人が、あなたとの出会いを「 ただの偶然」ではなく「必然」に変えるかもしれません。

家と会社の往復の毎日。家と保育所、会社の往復の毎日。子育てに追われる毎日。

そんな毎日からちょっと一歩足を踏み出してあなたと全く違う世界で生きる人達と交流してみませんか?あなた自身を発信してみませんか?




*****




ということで、プレザントのオフィスに約20名近くが集まっての「おむすび会」。

確かにいろんな職種・業種の方が集まってきて、お茶を飲みながらお菓子を食べながら、あいさつ・自己紹介から会話が始まる。

見たところ中心は20~30代、小さな子供連れの夫婦も交じっている。

約2時間、いろんな情報をもらったり知らなかったことを教えてもらったり…こんな機会は求めなければできないのが今の時代なんだろう。

インターネットのSNS等ですべて済ませることもできるかもしれないけれど、村上さんが言われる「相手の顔を見て目を見つめて会話する」アナログの対話の重要性を感じた。

文字だけではわからないものが生の言葉にはある。

お互いの声から感じ取れるものだってきっとあるにちがいないのだ。

自分が考えていることは人にはわからない…だからそれを伝える必要がある。

相手の考えていることも自分にはわからない…だからそれを伝えてもらう必要がある。

対話=コミュニケーションというのは本来シンプルなものなのだけど、うっかりしていると大切なことを見逃してしまいがち。

メールよりは電話で、電話よりは実際会って、対話する時間を持たなければと思わされる。


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会の後、バギーの試乗会も…。



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来年オーストラリアを走るのはChariot CXになるかも…。


一部の写真提供:上田さん



この後、上田さん、上田さんのお友達河野さんと一緒に大阪駅前へ。

大阪弁の達者なイスラエル人の経営するカフェでランチ。


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写真提供;河野さん


お二人の計らいで、近々、梅田界隈で会場を借りてセミナーを開講させてもらえることになりそうだ。



雨の大阪、時折激しく降る冷たい雨。どんよりとした空の上にもきっと太陽は燦々(さんさん)と輝いているのだろう。


河野さんと別れて上田さんと裏・サイクルモードが行われている高麗橋のロロ・サイクルワークスという折りたたみ自転車の専門店を訪ねる。

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PEACE RUNの公式スポンサーのTyrell(タイレル)ブランドも展示。


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数年前に購入したKHSのF-20のニューモデルも…真っ白なフレームが美しい…。


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オランダ製の業務用キャリーカー、いろんなものが運べそうだが、38万円という値段に引いてしまった。

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この後、上田さんと天満橋でお別れして、難波経由で南海高野線の金剛駅を目指す。

四半世紀前に勤めていた狭山高校では剣道部の顧問をしていたが、そのOB会が行われる。

一番最初に教壇に立ったのは1984年、23歳の春だった。

今からもう28年も昔のこと。

経験のないビギナー教師…生徒にも小馬鹿にされたりなめられたりもした。

今考えてみたら恥ずかしい失敗も多々あった。

若いから、経験が浅いからということで大目に見られることもしばしばあった。

自分がすっかり忘れてしまっていた教え子たちの思い出話に胸が熱くなったり、教え子たちが知らない裏話にどっと笑いが込み上げたり…懐かしい顔ぶれと懐かしい思い出話に花が咲く。


どれくらい時間がたったのだろう…?

会合は3時間ばかりだったけれど、そんな時間よりももっともっと早く過ぎてしまったかに思われるこの30年余り。

今日集ったOBやOGたちもきっと同じように感じていたことだろう。



ここしばらく昔の仲間や同僚、教え子たちと何十年ぶりかに再会する機会に恵まれている。

同じ時代を生きてきた同胞、まるで同じ戦場を戦ってきた兵士のような感覚…。

今生きて生かされているということを改めて実感する場面。

歳月は流れるが、その中に刻まれた思いは流されない。

今を生きる同胞に乾杯!



新たな出会いと懐かしい再会が同時にあった貴重な一日であった。



今日、出会っていただいたみなさん、本当にありがとうございました!

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  1. 2012/11/17(土) 23:59:59|
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メンタル・マネジメント~不可能は可能になる

【メンタル・マネジメント~不可能は可能になる】


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The greatest pleasure in life, is doing the things people say we cannot do.


-- Walter Bagehot




人生における最大の喜びというのは、不可能だと人々がいうことを実行している時である。


---ウォルター・バジョット (1826.2.3-1877.3.24)、イギリスのジャーナリスト・評論家・経済学者・思想家。





*****





これまでの人生でやってきたことの多くは、ともすれば途中であきらめていたかも知れないこと。


「そんなの無理」

「やるだけ無駄」

「無意味だろ」


最初からそう思っていたこともあった。


やっている途中でも、


「無理なんじゃないか?」

「ここまでか…」

「もうダメだ」



と心が折れそうになることもあった。



「できない」と思えば実際できなくなるだろうし、「できる」と思えばできるようになるものなのかも知れない。


ただ、ちょっと頑張ればできることも実際たくさんあったし、かなり踏ん張って努力してできたことも少なくはない。



「やればできる」



昔から教え子たちに力説してきた言葉。


「やらずにできるわけがない」


「やってやれないことはない」


「やってみよう」



教え子たちだけでなく、自分自身にも同じ言葉を言い聞かせながらここまでやってきたが、まだまだ足りない。

自分が望む最高レベルを目指すこと。


テンションが低くてもモチベイションを低下させてはいけない。

テンションが上がってくれば、なお踏ん張りが効くようになるはず。


フルマラソンの35キロ過ぎ、100キロだと70~80キロ辺りか…。

自分を奮い立たせるような言葉を自分に浴びせかけるのだ。


「それでも男か?情けない…お前はそれっぽちの人間なのか?ああ、がっかりしたよ。しょせんお前はそのレベルなんだ」



ここで「何くそ」と思って、現状打破できるかどうか…。


一歩前進すれば自分を励ましてやる。


「そう!そうなんだ!!やればできるじゃないか!あともう少し…いいぞ、その勢いでさらに進んで行け!」




剣道をやっていた頃には、内なる自分と対話をすることはまれだった。

相手のいない一人で走る自転車やランニングに関わるようになって、より深く自分の内面を客観的に見ることができるようになったのだろう。


自分自身をコントロールする脳も結局は細胞からできている。

頭は体をコントロールする…これはごく普通なこと。

でも、実際には、頭と体がアンバランスにならないように、体が頭をコントロールすることも必要なのだ。


体が疲れている、辛いと思っているのは実は頭の中だけのこと。

気のせいってヤツ。

体はそこで頭からの信号を無視するわけだ。

そうすることで体はなおも頑張れる…。

ただし、あまり無理をするとアンバランスが起こり得るので要注意。



CAN’T(できない=不可能)をCAN(できる=可能)に変えるために、

MAY(かもしれない=推量)から始めてみよう。


できないと思っていることも、実はできるかも知れないと考えてみること。

次はWILL(やってみよう=意志)だ。

MUST(しなければならない=義務)の気持ちだけでは、消極的過ぎる。

やってみたらできた…そんな場面をいくつもつくりだすのだ。

ひとつ何かができれば、また新たなチャレンジを求めたくなる。

できることをひとつでも多く見つけていく…これが人生を楽しく豊かにする方法なのだろう。



意志はチャレンジにもつながる。

失敗もするかも知れないが、あきらめなければまたチャレンジできる。

チャレンジし続けていればいつかはできるようになるはず。

いいかえるなら、できるまであきらめずチャレンジを繰り返すこと。



粘り強く、じっくりと取り組む場面も要求されるに違いないが、経験を重ねていけば、いろんなことが分かってくる。

今できない原因は何なのか…?

情報もできるだけたくさん収集しよう。

どうすればできるようになるのか…?

経験者からヒントやアドバイスも手に入れよう。

不安になったら誰かに相談することもできる。



いつも最高の自分でいられるように意識は高く持つ。

それが自信につながっていく。

かつてヘビー級チャンピオンだったあるアメリカ人ボクサーは、大会の何日も前から自分の寝室の天井に


“Yes, I can!(ああ、勝てるとも!)”


と書いた大きな紙を貼っていたという。

トップレベルのアスリートやファイターであっても、しょせん人の子。

不安や恐怖は常に付きまとうものなのだ。



人間なら誰でも行き詰るし、挫折もする。

自暴自棄にもなるだろうし、やけっぱちにもなるだろう。

ただ、どんな時にも、信念を持ち続けること。

ここだけは譲れない…死んでも守り通すべきもの…それが信念。



マラソンのレース中に自分を奮い立たせたもうひとつの方法がある。

苦しくなって脇腹が痛くなって、ピッチもペースも落ちる一方。

そんな時に向かい風が吹いたり登り阪になったり…。


「よし!次のあの電柱まで頑張ろう!!」



近いところに小目標を設定するのだ。


そこにたどり着いたら…


「よし、ひとつクリアしたぞ、偉いぞ。次はあそこまで…」


といったことを繰り返している内に、セカンド・ウインドが吹き始め、再び調子が戻ってくる。


日々の暮らしの中でも応用できるのではないか…。



人は心(頭)と体で生きているけれど、もっともっと自分を鍛え上げれば魂の力で生きていくことも可能だと信じている。


何事にも動じない、不撓不屈の魂は自分の内に秘められているはずだけれども、余程のことがない限り魂の力を使うことができる人間はまれなのだろう。


常に魂の力で生きて行けるように、まだまだ修行を続けていかねば…と思わされる今日この頃である。



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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

  1. 2012/11/16(金) 17:58:08|
  2. ココロとカラダ
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Only One Road

【Only One Road】

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時々夢に現れる風景がある。

どこでもない所の真ん中に一人ぽつねんと立ちすくんでいる旅人…。

周りを遮るものは何もなく、360度広がる地平線…。

目の前には一本の道がまっすぐに走っている。


誰も何も言わないけれど、僕には分かっている。


「これこそがお前の進む道だよ」


天からの声は間違いなくそう言ってくれているのだ。


僕が選んだこの道こそ確かな道、後戻りすることも振り返ることも今は必要ない。

ただ、前を見て、一歩ずつ進んでいけばあとはどうにかなるのだから。



チャンスは降って湧いたかのように、ある日突然やってくるもの。

時が来ればすべてうまく行く。

些細なことに一喜一憂する必要なんてない。



流れる雲にとらわれず、常にその背後に広がる真っ青な空を見つめていよう。

いつも空はそこにあって、広大な大地をすっぽりと覆ってくれている。



時間と空間、大空と大地の狭間で、僕は走る。

それは既に仕組まれていたことなのだ。



この道こそが唯一僕がたどるべき道。

ためらわず、確信を持って前進すればいい。



たった一本の道だけれど、かけがえのないこの道…。




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テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ

  1. 2012/11/15(木) 16:06:27|
  2. 人生論
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夢をつかんで

【夢をつかんで】




Eddie Vedder - Hard Sun



"If you want something in life, reach out and grab it"



(From the movie "Into The Wild")



「生きている内に、どうしても手に入れたいと思うものがあるのなら、手を伸ばして夢をつかんで…」





映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の中で、主人公アレグザンダー・スーパートランプ(本名はクリス・マッキャンドレス)が、ヒッピー達のコミューンで出会った16歳のトレイシーに贈る言葉。





映画「イントゥ・ザ・ワイルド」予告編




いつもこのブログで書いていることは大半が自分へのメッセージ。

時には自戒の念をこめて、あるいは自分に檄(げき)を飛ばすために…。




厳しい現実は、生きている限り必ず付きまとってくるもの。

どこに向かって進んでも必ず壁が立ちはだかる。

そこから逃げるのは簡単なことなのかも知れない。

だが、逃げたとしても、次の壁が別の所できっと僕を待ち構えているに違いない。



真っ向から現実の壁にぶち当たる。

壁をぶち壊して、その壁の向こうにある夢をつかむのだ。

自分が求めていたものを、自らの手で得るために、決して壁に背中を見せてはいけない。



夢を現実にするのは簡単なことではない。

これまでいくつかの夢を既に実現してきたけれど、僕は貪欲な人間だ。

ひとつやふたつ夢をかなえたくらいで満足できる訳がない。



ひとつの旅を終えてゴールしたとしても、それは僕にとってはゴールではなく、単なる通過点、次の旅のスタート地点に過ぎないのだ。



人生のゴールはまだ遠い。

たとえ一生涯懸けてでもたどりつくべきゴールが僕にはある。

夢を全て実現させた所にそのゴールがあるのだと信じて、今はひたすら邁(まい)進する日々。



求めるものはきっとそこにあるはず。

今、それに気づいているかどうかで、これからの人生は変わる。

さあ、手を伸ばして…。




*****





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映画「イントゥ・ザ・ワイルド」は僕の人生に影響を与えた3本の映画(あと2本は「フォレスト・ガンプ」と「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」)の内の一つ。





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原作は 「荒野へ」 (集英社文庫) ジョン・クラカワー(著)、佐宗鈴夫(翻訳)




テーマ:日々の中で・・ - ジャンル:ライフ

  1. 2012/11/14(水) 18:27:39|
  2. 人生論
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Change the World~ベアフット・テッドからのメッセージ

【Change the World~ベアフット・テッドからのメッセージ】

ずっと外反母趾で痛みが消えたり現れたりで、ここしばらく走る距離も伸ばせず、昨日久々に長距離を走ったのだが、VFF(=ビブラム・ファイブ・フィンガーズ)を履いてたかが42キロ走っただけで、あちこち筋肉痛が…。

情けない話だが、日頃の自己管理を怠るとそれがすぐダメージとなって現れる年齢ということか…。

まだすぐに疲労が出て来る内は許される。

二、三日経ってから疲労が出始めてそれがしばらく続くとなると話はもっと深刻になる。



二つ年上の木村東吉さんの軽やかな走りを見て、あらためて自分も鍛え直さなければと思わされる。

YouTube動画で木村さんのワラーチランをいくつか見ている最中のことだった。



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ランナーにとってはある意味でバイブルと呼ばれる

「BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族”

クリストファー・マクドゥーガル (著)、近藤 隆文 (翻訳)


を読まれたランナーは数多くいるだろう。

裸足ランニングブームの火付け役となった一冊でもある。


この本の中に登場するベアフット・テッドことテッド・マクドナルドが、僕のfacebookのウォールにある一枚の写真に「いいね!」をくれたのだ。

そればかりか、彼は“LOVE IT!!!(気に入ったよ!!!)”のコメントまで残してくれた。


「Run Together Live Together~競争なんかじゃなく『共走』なんだな」



というメッセージを添えたこの写真、昨日伊賀街道をワラーチプロジェクトの木村さんたちと笑顔で走っているひとコマを写したもの。


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アドベンチャーレーサーの和木香織利さんのブログから拝借したが、あまりにもみんなの笑顔が素敵だったので自分の昨日のブログにも使わせていただいた。



この後、テッドとfacebookで友達になり、お礼のメッセージを送ったところからいきなり英語でチャットが始まった。


現在、彼はビジネスでイスタンブールにいるとのことだった。


PEACE RUNの話をしていたら彼のオリジナルブランド「ルナサンダル」がスポンサーしてもいいという話も出てきた。

来年春に新しいモデルが登場するらしい。

来年オーストラリアとニュージーランドを走る話については、海外の友人たちに知らせてサポートしようという話題も…。


彼はその昔日本で英語を教えていたということを聞いていたので、自分も英語教師だったという話をしたら、日本の学校についての今の状況を説明することになって、チャットは延々と続くのだが、特にお互いが共通して願っていたのは「夢」というものについて。

彼は私のオリジナルウェブサイト“KAY’S WORLD”ESSAYのある英語ページを読んでくれた。

その中でこのページのひとつのフレーズが気に入ったようだ。


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"Dreams are for us to make them come true, not just for dreaming of"

(夢というのは実現させるためにあるものであって、ただ見るためにあるものじゃない)




彼にとっては、オリジナルブランドのルナサンダルが夢を実現するひとつの過程になっているのだという。

そして、平和な世界の実現こそが我々人類の夢であるということでお互い意見が一致した。


"We are going to change the world. It's happening. Keep dreaming."

(世界を変えていくのが我々の務めだ。もうそれは始まっている。夢はあきらめちゃダメだ)





世界を変えようだなんて、そんな大それたことをなかなか言葉にはできないのだけれど、彼のその言葉に僕は勇気づけられた。

"Do it now or never."

(今すぐやるか永遠にやらないか)



チャンスを待っていてもチャンスはなかなかやってこない。

自分からチャンスを求めること。

そのためにはじっとしていてはダメ。

自ら動くのだ。アクションを起こすのだ。



一枚の写真がきっかけで、ベアフット・テッドがメッセージをくれた…これもまた奇跡というか、不思議な偶然なのだろう。

世界を変えるのは容易なことではない。

だが、ひとつのアクションに多くの仲間が集まり、ひとつの流れがやがて大きな流れになっていけば、きっと何かが少しずつ変わっていくに違いない。


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*写真はfacebookの彼のアルバムより拝借


来春、彼は新しいルナサンダルのプロモーションで再び来日する予定だという。

どこかでベアフット・テッドに会えることを期待している。







今年5月テッド来日の際に駒沢公園で行われたイベントの動画…PEACE RUN事務局長木村さん撮影・編集


今年5月に来日した際の記事はこちらに…。

テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記

  1. 2012/11/13(火) 17:44:52|
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ワラーチプロジェクト14日目同行レポート

【ワラーチプロジェクト14日目同行レポート】

昨日のブログで紹介した木村東吉さんの「ワラーチプロジェクト」14日目に参加。

河口湖を10月28日にスタートしてから今日で14日目。

昨日伊賀市入りされたのだが、一日雨。

しかも国道163号線の難所長野峠越えを経て来られたという。



夕べ早く寝て、夜中2時前に目覚めた。

午前7時過ぎ、自宅から車で伊賀市中心部にあるスーパーの駐車場に車を停め、そこから自走で国道163号をひたすら東へ。


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足元はVFF(ビブラム・ファイブ・フィンガーズ)。

今日のワラーチプロジェクトのスタートは伊賀市猿野にある阿波郵便局。

9時のスタートに間に合わなかったが、阿波郵便局から数キロ手前でワラーチプロジェクトのサポートカーTOYOTAFJクルーザーを発見。

和木さんとフィアンセのタケノリさんにあいさつ。

和木さんとは今年初めにあったウルトラランナーの集まる新年会でお会いして依頼10ヶ月ぶり。



そこから1キロほど走ってランナーの集団が…。

木村さんを先頭にサポートスタッフのカホさん、プロトレイルランナー石川弘樹さん、木村さんと同じ事務所所属のモデルでJACC日本アドベンチャーサイクリストクラブのメンバーでもある山下晃和さん、伊賀市在住の東瀬さんら5名。

自己紹介とあいさつをして国道163号線を走り出す。


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大型トラックやダンプが多い割には歩道はほとんどなく、路肩も狭い。

時折歩道があったりするが消えたり現れたり…。

道は狭いが車がほとんど通らない旧街道を走ったり…。


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最初の休憩で記念撮影。

久々の伊賀流忍者参上!




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木村さんの自家製ワラーチ。

木村さんの脚もやはりランナーの脚。

連日30キロ前後走ってきていい感じになってきているのがよく分かる。

故障もなくここまで来て、走りも軽そうだ。




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カホさんもワラーチランナー。

ワラーチで淡々と走っておられる後ろ姿に只者ではないと感じた…。



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東瀬さんは森脇健児陸上部のTシャツを…。

この夏、浜松で「走る男 女子部」のメンバーと会った際の番組を見られていたという。




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石川弘樹さんの後ろ姿…ウェアのスポンサー広告よりも、プロ・トレイルランナーのオーラがムンムン漂う…。

走りもワイルドでダイナミック…。さすが鍛えられている。

2001年、アドベンチャーレーサーからプロ・トレイルランナーへ転身。

木村さんや和木さんとのつながりもアドベンチャーレースがきっかけなのだ。

今やトレイルランナーでこの人を知らない人はいないだろう。

日本でトレイルランニングブームの火付け役となり、トレイルランニング普及のため全国各地でトレイルレースもプロデュースされている。

今日も走っている合間、あちこちの山を見ながらトレイルレースができそうなところを探しておられたようだ。

石川弘樹さんのオフィシャルサイト



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モデル山下晃和さんの後ろ姿…木村さんも180センチ超の大柄だけど、山下さんも胸板が厚い。

山下さんもアウトドアスポーツ全般に詳しく、趣味も多種多様。いろんな資格も取られている。

オールマイティにこなせる万能人なのだ。

2010年11月より2011年5月まで中南米を自転車で走行されている。

その際のレポート「感動のニカラグア」

それにしてもやっぱりイケメン!男でも惚れてまうやろ~(笑)。

山下晃和さんオフィシャルウェブサイト



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途中、あちこちで休憩を取るがほんの数分ですぐに移動。

1キロ6分前後のペースだが、いつももっと遅いスピードで走る自分には結構速く感じられた。

VFFで長い距離(トータルで42キロ)を走るのは久々のことだったので、今はふくらはぎにダメージが…。



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伊賀市内中心部…上野高校白鳳門前。


お昼休憩を鍵屋の辻公園から少し行った河川敷の広場で取る。

東瀬さんは午後出勤ということでここでお別れ。



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車の荷物と一緒に詰め込まれていた木村さんの愛犬スパーキーが登場!

狭い所にずっといたので痺れを切らしていたのだろう。

走り回って飛び回って元気元気!




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木村さんが得意とするアウトドアクッキング…。

FJクルーザーからいろんなものが次から次へと出てくる。

まずガスストーブでお湯を沸かし…チキンラーメンとグリーンカレーがあっという間にできあがった。



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飛び入りランナーの私たちの分まで作っていただいたが…これが結構美味しかった。

卵がいい具合に半熟。

水と間違えて入ってしまったビネガー味がほんのり…エスニックな味に仕上がっていた。

外で作って食べるという…まさにアウトドアの醍醐味。

木村さん自身もこれが楽しいからワラーチプロジェクトはやり甲斐がある…と言われていたのがよく分かる。



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みんなで回し食い(表現が変か?)しながらお腹も膨れた。



参加したランナーの皆さんといろんな話ができたのも収穫だった。

和木さんも今日のブログに書かれていたが、木村さんの人柄に惹かれてあちこちからいろんな人が集まってくる。

初対面の自分でさえ、やはりまた会いたいと思わせる魅力があるのだ。



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午後1時を回って旧島ヶ原村(現伊賀市)の浄化センターのある「町」という交差点がゴールになった。

スタートから約25キロ、私は42キロのランだった。

あっという間に終わってしまった14日目…欲を言えばもう少し走っていたかったが…。



ワラーチプロジェクトはスタートの河口湖から352キロを走破。

ゴールの神戸まで残りあと4日で90キロ。

ゴールは近い!



お別れの前に記念撮影を…。


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木村東吉さん:やはりカッコいいアニキだった!!




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石川弘樹さん:数々の修羅場を経験されてきたせいか、アスリートとしての風格を感じる。



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山下晃和さん:内に秘めたるガッツを感じる…ワイルドなイケメンここにあり!



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和木香織利さん:ご結婚おめでとうございます!まだまだアドベンチャーレーサーで頑張って欲しかったけど…。いつまでもお幸せに!



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ワラーチ・プロジェクト×PEACE RUNのコラボレーション。

ワラーチプロジェクトのフラッグには応援に来たいろんな方々の寄せ書きが…。



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上の二枚の写真は和木さんのブログから拝借。みんなの笑顔があまりにも素敵だったので…。



木村さん、和木さん、タケノリさん、カホさん、石川さん、山下さん、東瀬さん、本当に楽しい時間をありがとうございました!

同じ時代の同じ時間に、同じ空間で生きて、出会って、一緒に走れたことに感謝感激感動です。



ワラーチ・プロジェクトの成功を心からお祈りしています。

最後までどうかご無事で!

楽しんで、いい旅を!



ワラーチプロジェクト、残り4日ですが、ゴールまでのコースはこちら…。

コース付近にお住まいの方、お時間のある方、黄色いTOYOTA FJクルーザーを見かけたらぜひ応援・サポートをよろしくお願いします!




木村さんと和木さんのプロフィールについては昨日のブログで紹介。

木村東吉さんのブログ"Great Life" 「ワラーチ・プロジェクト14日目。山奥に現れた三人の猛者」 

和木香織利さんのブログ"Living an Adventure Life"  「ワラーチプロジェクト14日目 男祭り」




ワンワールド・ウィズ・ワラーチ・プロジェクト公式サイト 

ワラーチ・プロジェクトfacebookページ 

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  1. 2012/11/12(月) 18:40:41|
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復興支援は終わらない~その2:ワラーチプロジェクト

【復興支援は終わらない~その2:ワラーチプロジェクト】







自家製サンダル「ワラーチ」を履いて河口湖から神戸までの500キロを走り抜く

「ワンワールド・ウィズ・ワラーチ・プロジェクト」

が現在進行中(スタートから13日目)だ。



東日本大震災復興支援のためのチャリティー企画、集められた支援金は被災地へと届けられる。

このプロジェクトの中心となるのは木村東吉さん。

片山敬済さん(WGP:ロードレース世界選手権で世界の頂点に立った伝説のライダー)の「神戸から東北まてバトンをつないで一緒に日本を元気づけないか」という呼びかけでプロジェクトはスタートしている。

その片山さんはBERT(Bikers Emergency Responce Team)の設立者。

BERT:機動性に優れたオートバイを活用して、災害の際にレスキュー、情報伝達、物資補給などを行う「バイクレスキュー隊」のこと。 2011年に 1977年WPG世界チャンピオン、片山敬済氏の呼びかけによって設立。


その一環として被災地を勇気づけるために、バトンを全国に繋げるというプロジェクト「OneWorld」が立ち上げられたのだという。

木村さんは自家製サンダルのワラーチで河口湖から神戸までを走り、片山さんはその支援金を受け取り神戸から東北の被災地へバイクで走る。



「ワラーチ」とは、メキシコの先住民「タラウマラ族(=“BORN TO RUN”という本で紹介されて一躍有名になった」が、古タイヤをリサイクルして作ったサンダル。

彼らはシューズの代わりにそのサンダルで、想像を絶するような距離を走ることができる。

まさに「走るために生まれた」民族なのだ。

木村さんは、ワラーチを人間本来が持つ足腰の強さを引き出し、靴によって奪われた人間の本来の強さを取り戻すものとしてとらえている。

ワラーチは「自然災害に立ち向かう我々の人間の強さを象徴してくれる存在」と考える木村さんご自身もワラーチランニングを震災の当日からスタートされて、既にフルマラソンもワラーチで完走されたという。

「人間の本来の強さを取り戻すワラーチで被災地支援」という木村さん独自のスタイル、これが「ワラーチプロジェクト」なのだ。



木村東吉さんは大阪出身。70年代末から80年代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍。

80年代終わりごろからはアウトドアーズマンとして関連の著作を多数執筆。

現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、企業CM、雑誌のモデル、講演など、幅広く活動している。

日本におけるアドベンチャー・レースの草分け的存在。92年には「世界一過酷」と言われるレイド・ゴロワーズに初の日本人リーダーとして参加。

また数多くのアドベンチャー・レースのコース・ディレクターも務めている。



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今回の旅のパートナー、和木香織利さんは横浜出身。日本唯一のプロアドベンチャー・レース・チーム「East Wind」にトレーニング生として活動していた。

昨年・今年と連続してパタゴニアのアドベンチャー・レースに出場。

今年の大会では、見事、準優勝を飾っている。




East Wind  Patagonia Expedition Race 2011


2011年のレースはNHKの特別番組でテレビ放映された。

今年9月に引退し、現在はアウトドア・ライフの魅力を伝えるべく、アウトドア・ガイド、メディアでの発信を中心に活動している。

震災発生二週間後から被災地でのボランティア活動を続けておられたが、そんな中でご自身のアウトドアやアドベンチャー・レースでの経験が生かされたと言われている。



和木さんとは昨年、私の「PEACE RUNアメリカ横断ランニングの旅」壮行会を兼ねた「変態ランナーのつどい」(東京で開催)で初めてお会いした。

ツイッターで同じKAYというニックネームで、彼女の肩書きは「アドベンチャー・レーサー」。

実は、その会場にはもう一人のアドヴェンチャー・ランナー、11月17日から12月16日まで開催される“LAST DESERT”(南極マラソン)を走られる樺澤秀近さんもおられたのだった。

その会場で2011年のレースのDVDを見せて頂いた。

生死をかけた壮絶な闘い…それがアドベンチャー・レース。

和木さん、一見普通の女の子なのにレースとなるとやはりアスリートの顔になる。

DVDに映し出された表情には殺気を感じるくらい…。

いやはや…世の中には凄い女性がいるものだ…と思わされた。


*参考:ウィキペディア「アドベンチャーレース」



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旅は、黄色いFJクルーザー・ワラーチ号がサポートしながら、キャンプと自炊を中心に続けられているという。

10月30日に河口湖をスタート。一日平均30キロを走り、11月16日に神戸にゴール予定。

*コースマップはこちら




現在、三重県伊賀市を通過中。

今日はあいにくの雨、しかもコース中最難所であろうと思われる長野峠越えもあった。


この先、奈良~大阪~神戸と、残り一週間を切っている。

コース上におられる皆さん、ぜひサポートをよろしくお願いします!

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それにしても木村さん、自分よりも二つ年上なのだけど、モデルだけあってスタイル抜群!

脚も長いしカッコいい!!

大学生時代にずっと読んでいた「ポパイ」、木村さんの姿も誌面で何度も見ているはず…。




東日本大震災発生から今日でちょうど1年と8ヶ月。

復興支援はまだまだ続いている…。




*写真は「ワラーチプロジェクト」facebookページから拝借



木村東吉さんのブログ "Great Life"


和木香織利さんのブログ Kay Waki's Official Blog "Living an Adventure Life"



テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2012/11/11(日) 17:13:53|
  2. マラソン・ランニング
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Spirit Trail

【Spirit Trail】


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ひとつの魂で走る道 ひとつの魂が走る道

この肉体とは別の次元で 魂はその行き場を求めている

最も自分らしいあり方で 最も自分らしく生きていく

ひとつの魂が望むように 魂の言葉に耳を傾けること



自分自身が知らなかった

本来の自分に戻れる場所を捜し求めて

大地を自由自在に駆けめぐる



そこは天国に最も近い 精霊が宿る場所

神の存在を知るべき場所

汚れた魂を清め この世に生を授かった時の

最もピュアな自分自身に 返ることができる場所



どこかにそんな世界があると信じてはいるけれど

ただじっとしていても見つかりはしない



そんな世界にたどり着くための旅に出る

今はその魂のトレイルを探し求める日々




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テーマ:ひとりごと - ジャンル:ライフ

  1. 2012/11/10(土) 17:15:25|
  2. ぽえむ
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アドヴェンチャー・ランナーは荒野を駆ける~その10

【アドヴェンチャー・ランナーは荒野を駆ける~その10】

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ウォルセンバーグ~ラフンタ 米・コロラド州 2011年7月




「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」
も50日目を超えたが、まだまだゴールのニューヨークは遠い。

砂漠の旅も一段落、アップトップを最後に、コロラド、ロッキー山脈の山越えは終わり、ここからは大平原の風景へと変わっていく。


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どこまでもフラット…とは言え小刻みに続くローリングヒルと呼ばれるアップダウンもある。

ウォルセンバーグからラフンタまでの72マイル(約116キロ)はコロラド州道10号線の旅。この間、地図で確認したところ町も店もない。


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今回の旅では一番へき地となるポイント…。

これまでも60キロ程度の空白の区間は何度かあったが、たいていの場合、無理してでも一日で走り切った。

町のあるところにテントでもモーテルでも宿泊できるのはいくぶん安心できる。

それでも120キロとなれば一日で走るのはできないわけではないが、旅はこの先まだ続くわけで、「あせらずあわてずあきらめず」の精神で行くのなら二日に分けて走るのが妥当であろう。


日ざしのせいで暑くなってきたが、風があっていくぶん涼しい。


コロラドのウルフクリークは標高約3300メートルだった。

ここから東に向かうに連れて標高もどんどん下がっていく。

アップトップで出会ったあるツーリストは車で一日でカンザス州から標高2500mを上がってきたというが、カンザスで30度近くまであったのが、一気に気温が10度台に下がってびっくりしたと言っていた。

湿度もミズーリ川やミシシッピがあるために東の方が高いとの情報。

大陸なので気候も様々だが、わずか数百キロ離れていても高度でずいぶん差があるものだ。


休憩も食事も大平原のどこでもない所の真ん中でとる。

折りたたみの小さな椅子を広げ、バギーMUSASHI号を背もたれにして休憩するのだ。

360度地平線を眺めながらランチブレイク。

路肩がほとんどないので牧草地帯の一角で休むことが多い。

時々牛や馬が近くにいると風向き次第で悪臭が漂ってくる。



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午後になって、ふと目の前に白い車が止まった。

間寛平さんのアースマラソンでは世界各地で11回に渡り応援サポートに現れた、あのアメマのおっさんことリックだった!

奥様も一緒に来られていた。

バニラシェイクや麦茶、カップ麺や味噌汁、柿の種などの日本食、ビールの差し入れを頂いた。

スタートしてからずっと同じ風景の中で鹿と牛と馬しか会ってなかったので、うれしいサプライズ!

アースマラソンサポーターズクラブのリーダー龍平さんが現在PEACE RUNサポーターズクラブを立ち上げ、アースマラソンを応援していた仲間がPEACE RUNのサポーターになってくれている。



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リックもその一人であった。

「次の週も応援に来るよ。今度は一緒に伴走するから…。新しい義足ができるんだ」


どうやら彼は新しい義足を作ってもらうためにコロラドから東に向かっているようだった。

マラソンも寛平さんの影響で始めたし、今はトライアスロンにも取り組んでいる。

ランニング用と自転車用で違う義足が必要になるらしい。

最先端のテクノロジーで作られた、パラリンピックの選手が使うようなランナー向けの義足は、さすがに高価ではあるけれど走り心地も抜群なのだそうだ。



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その後、トロントから西海岸を目指して走っているライダー、ダンと出会う。


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自転車でアメリカ大陸を走りたかったが、体が重すぎて膝がよくないのだとか。

僕自身の食生活についてあれこれ聞かれたが、彼はハンバーガーとピザとフライドチキンが大好きでほぼ毎日欠かせないのだという。

「大陸を二本脚で移動だなんて信じられない!感動したよ!!」

そう言って彼は握手を求めてきた。

昔、大相撲の三重の海と握手をしたことがあったが、野球のグラブみたいに手が大きいのに驚かされた。

彼の手も三重の海に負けないくらいとてつもなく巨大だった。

120キロの巨体を乗せた彼のバイクはあっという間に地平線の彼方へと消えていった。




この日、スタート地点のロスアンジェルス、ロングビーチからの全走行距離が2000キロを突破した。あと3000キロあまり。


午後6時半、コロラド州道10号線37マイル(約60キロ)地点から少し入った平原にキャンプサイトを決定。


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テントを張ったが絶えず風が吹き荒れる。

フライシートがバタバタ煽られ、砂埃もすごい。短時間でテントのフロアが砂だらけになった。



テントの中でディナー。

リックからもらったビール(フォートコリンズ)二本を頂く。

苦味が利いて美味しい!

ただ、テント内の温度が41度でサウナ風呂状態。

アルコールが入った体は火照って汗だく…。



インターネットも使えないし日誌を書いて、明日の準備をしたら日没とともに寝る。



夜中の風も嵐のように激しかった。

カリフォルニア州モハヴィ砂漠の砂嵐を思わせるような突風。

大平原は風の通り道。竜巻も来るし、始終風は吹き続ける。



暑さのため、パンツ一枚で濡れタオルを体に当てながら寝ていたが、どうにもならない。

9時前に日が沈んで少しずつ気温は下がっていったが、トイレでテントの外に出てみて気づいたのは、明らかにテントの外の方が涼しいということ。

夜空を見上げる…月と星がとてもきれいだった。

大平原にただ一人…聞こえてくるのは風の歌だけ…。



次の朝、日の出前の5時半スタート。

ハイウェイで日の出を拝む。

大平原のいいところは朝日と夕日が格段美しいということ。

雲が発生しにくいのでいつも晴れ。

夜空に浮かぶ満天の星も綺麗だ。



今日はラフンタの宿まで約60キロ。

標高は1200mまで下がる。当然気温も上がることを覚悟しておかねばならない。



早めの昼食をとったあと、椅子に座ったまま居眠り。

ヘンな夢を見た。

朝、スタートして延々と一日中砂漠の平原を走って、たどり着いたのは朝スタートした場所。

これが延々と繰り返される悪夢…。



その夢を見ている途中で「おーい!」という声が聞こえて目が覚めた。

そこには、自分と同じようにバギーを押して旅をしている若者が立っていた。

寝ぼけていたので、状況がすぐに飲み込めなかった。

目の前にいるのは自分の分身なのか?あるいはまだ夢の中にいるのか…?



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ようやく意識がはっきりしてきて、彼も旅人であることが分かったので、お互い自己紹介をした。

彼の名はネイト。メイン州デラウェアから西海岸を目指して歩き旅をしているという。

上半身裸で、頭には星条旗のバンダナを鉢巻にしていた。

1日30~40キロを歩く。


「歩くだけでも大変なのにこんな暑さでしかもこんなルートをよく走れますね」

とネイト。

「歩いても走っても大陸横断二本脚の旅は何だかんだで大変なんだよ」

と僕。


よもや同じ時期に同じようなスタイルで旅をしている仲間に出くわすとは…。

お互い驚いていた。

お互い同じような苦労をしているし、話している内容も共感できるものばかりだった。

15分くらいあれこれ話をして写真を撮って、お互いの旅の無事を祈って別れた。


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通り過ぎる車がクラクションを鳴らしながら応援してくれたり、たまに止まってくれる車が「乗っていくか?」と親切に声をかけてくれる。

「何で走っているんだ?」

多くの人たちは僕に走る理由を求めてくる。

「一本の道と二本の脚があるからですよ」

という答えでは納得してくれる人はまずいない。

「東日本大震災のチャリティです」


と応えれば

「ほぉ~」

と言って納得してくれる。

目に見えるイメージできるような答えでなければ普通の人は理解し得ないのだろう。



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午後の暑さと、一本道のハイウェイ…全く変わることのない風景が延々とどこまでも、ともすれば地球の果てまでも続くかに見える。

時々、大声を出して叫びたくなるくらい…人が発狂するタイミングというのが何となく分かったような気がした。



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特に、ラスト10マイル(約16キロ)が異常に長く感じられた。

ハイウェイにはマイレージ(里程標)が立っていて、ハイウェイの起点からの距離が表示される。



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あと6マイル(9.6キロ)辺りで意識が遠のき始める。

暑さと渇きと疲労と…。

休憩…つぶれたマフィンを食べているとのどが詰まる。

ボトルの水はお湯に近い。砂糖入りの紅茶は甘すぎて飲む気がしない。

冷蔵庫がないので冷たいものは何もない。

ぬるくなったフルーツパックが唯一美味しく感じられる。

町に着いたら何を食べようか、何を飲もうか?

とりあえず人間らしい食事にありつけたら幸せだ。



モハヴィ砂漠のアンヴォイでの一日を思い出した。

暑さと渇きでフラフラになりながらそれでも気力を振り絞って前進…。

あと町までどれくらいあるのかも分からない。

通過する車もほとんどないので不安になる。

ここで倒れたとしたら誰か気づいてくれるのだろうか?



最後の坂を登って、それでもまだ町は見えない。

コロラド州道10号線が終わってUS50号線に入っても終わりが見えない。



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そして、ようやくガスステーションが見えてきた!

一気にペースを上げダッシュ!

自分にそんな体力が残っていたのが不思議だったが、一目散にコンビニに飛び込んで、マウンテンデューをセルフサーヴで買ってゴクゴクとイッキ飲み!

ああ、エアコンが効いて気持ちいい!

冷たいドリンクが二日ぶりに飲めた幸せ…。

文明に感謝!生きていることに感謝!!



途中にあった銀行の電光掲示板の気温表示は華氏102度。

104度で40度だから実際38度くらいか…。

足元から暑さがじわじわっと全身に伝わってくる。

暑さでダウン寸前…。足元はフラフラ。

集中力がしばしば切れがちになる。



4時過ぎにやっとモーテルへチェックイン。

部屋に入って、すぐさまセイフウェイへ買出しに。

冷房の効いたセイフウェイが楽園に思えた。

シャワーを浴びてディナー。

24オンスのバドワイザー二本でエナジーチャージ。

生き返った心地…。



気温が40度近くになって60キロを走るのは自殺行為に近いということを知る。

暑さと仲良くなるのはなかなか難しいけれど、体も徐々に暑さに馴染んでいくだろう。


西部開拓時代、電気もガスも水道もなかった時代に旅をした人々もきっと同じような(あるいはもっと過酷な)経験をしてきたに違いない。

21世紀を生きる我々からしてみれば、安楽で快適な暮らしを営みたいのはもっともなことかも知れないが、あえてこんな経験をしてみるのも実は必要なことだと思う。

先人の労苦があってこそ近代文明が生まれてきたのだということを忘れてはいけないのだ。



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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

  1. 2012/11/09(金) 16:29:43|
  2. 冒険
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復興支援は終わらない

【復興支援は終わらない】

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昨年2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今月11日で1年と8ヶ月が経過することになる。

この夏、「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」で被災地を北から順番に走ってきた。



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一年以上たってもまだがれきの山があちこちに残っていたし、道路などの復旧工事のトラックやダンプは砂埃を上げながら道路を忙しく行き来していた。




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処理しても処理しても処理しきれないほどのがれき…。

津波が家や車…あらゆる物を飲み込んでただの「がれき」にしてしまった。

がれきの山の前に立ち尽くして、僕はしばらく言葉を失った。

まるで津波が昨日やってきたのではないかと思わされるような状況…。

海岸線の風景は一瞬にして見るも無残な姿に変わってしまった。



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そして福島では原発事故と放射能汚染が人々の暮らしを変えてしまった。

福島に住む人ばかりではなく日本国内に住むすべての人々に、いろんな意味で警鐘を与えるきっかけとなった。

チェルノブイリを対岸の火事のように思っていたが、決してそんなことはなかったのだ。

今も放射能警戒区域となっている地域がある。

購入したばかりの新車も、建てたばかりの新築の家も、みなそのままにしてその土地を去らなければならなかった人たちがいる。

「いっそのこと津波に流されればあきらめもついた」

と無念な思いで語られていた方がいた。



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今も復興支援に関わるさまざまな活動がいろんなところで行われている。

一人でできることもあるかもしれないが、復興のためのキーワードはやはり「絆=つながり」ではないだろうか。

最近、身近で起きているいくつかのアクションを紹介する。





《ランニング》

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今月24日、陸前高田から釜石までの約60キロを走るイベントTOMOSU RUNに参加する。

東日本大震災復興支援のためのランニングイベント。三陸沿岸沿いにある国道45号線を中心に陸前高田をスタートしゴールの釜石まで、ランナーが希望の灯りをタスキとしてリレーして、三陸の被災地と人々のココロを明るく照らす…というのがイベントの趣旨。

TOMOSU RUN facebookページ


このルートを走るのは二度目になる。

青森県八戸市から南へ下って被災地を順番に訪問したが、その際にTOMOSU RUNの主催者山本さんと一緒に、コース下見を兼ねて釜石から陸前高田(大会とは逆のルート)を走ったのだ。


復興支援とは言うけれど、まず現地の今の情況を見ることで感じるものが多くあったのは事実。

メディアが伝えない、あるいはメディアが伝え切れていないいろんなことが、実際現地では起きているし、被災地の方々も、知らず知らずの内にそれを当たり前にしているかのようにも思える。


このイベントのために100名ほどのランナーが全国各地から集まってくる。

目で見たもの、全身で感じ取ったものを、誰かに必ず伝えてもらいたいと思う。





《音 楽》



濱守栄子【国道45号線】MV


2011年8月にリリースされた岩手県大船渡市出身のシンガーソングライター濱守栄子さんが歌う「国道45号線」。

岩手県トラック協会のCMソングでもある。

東日本大震災チャリティプロジェクトCDということで売上の半額を義捐金として、陸前高田市と大船渡市に寄付している。


国道45号線は「宮城県仙台市から太平洋沿岸を経て青森県青森市に至る。陸奥国府・多賀城、日本三景の一つである松島、三陸海岸などを経由するため、東北地方における観光ルートの面もある」(以上はウィキペディア「国道45号」から」)。



この夏、太平洋岸をバギーを押しながら走った。

リアス式海岸で起伏とカーブが続くある意味でタフでハードなルート。

次の町にたどり着くためにはトンネルや峠越えが必須で、連日そんな道が続くとさすがに足に応えたが、それでも海沿いの風光明媚なルートでもある。



「いつかまたあの頃のようにあの場所で笑い合いたい…大好きなあの人が待っている海の町で…」



「今すぐに許されるならあの場所へ飛んで行きたい…大好きなあの人が眠っている海の町で…」




このPVでは彼女の出身校である岩手県立高田高等学校の被災した校舎も登場している。

自分自身が見てきた風景がいくつも現れる。

がれきの山、土台だけが残された住宅跡、津波で流され、ひっくり返って壊れてしまった車、レールが寸断された鉄道、プラットホームだけが残った駅…。

そんな場面が出ると思わず涙がこぼれる。


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かつて存在していたものが一瞬にしてなくなる…。

果てしない喪失感…。

思い出の風景は、もはや思い出の世界だけのものになってしまった。

それでも未来に希望を持って生きていくしかない…喜びや悲しみを分かち合えるのは生き残った我々だけなのだから…。


濱守さんはTOMOSU RUNゴール会場釜石中学校で行われる後夜祭のライブでこの歌を歌うことになっているそうだ。



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PEACE RUNのテーマソング“Go The Distance”を歌う励まし屋も定期的に相馬を訪ねてライヴをやっている。

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被災地支援プロジェクトResmile Projectを通じて福島県相馬市とつながりが生まれ、相馬を応援する「相馬歌」も作られた。

また、励まし屋は私の「RUN×10(ランバイテン)運動」をアレンジした「Song×10(ソング バイ テン)」を継続。

1曲歌うごとに10円貯金して東北大震災の義援金に充てるというもの。その経過は彼らの「しあわせの御縁玉」ブログで紹介されている。



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《映 画》



うたごころ2011版予告



「うたごころ」というドキュメンタリー映画が全国で上映されている。

東日本大震災で甚大な被害を受けた、宮城県南三陸町。この町で親類5人を亡くし、自宅を流されながらも、懸命に生きる少女がいた。高校3年生の彼女は、合唱部員。失われた海際の町に、少女たちの歌声は響くのか?歌を通して、人と人がつながりあう、美しい姿を描く、珠玉のドキュメンタリー。



あらすじ

2011年3月11日に発生した、東日本大震災。879人の死者・不明者が出た宮城県南三陸町(2012年4月6日現在)で、幾多の苦難を受けとめ、ひたむきに生きる女子高校生がいた。

彼女は大津波で、親類5人と自宅を失った。背景には一家が背負った様々な苦労があった。日本の片隅で、ささやかな幸せを願って正直に生きてきた家族だった。次第に分かってくる、少女の複雑な生い立ち。

そんな女子高校生が大切にしたものが、皆がひとつになって歌う合唱部の活動だった。町中が津波と火の海と化した気仙沼で、絶望の淵にいた彼女たちの、ささやかな支えだった「合唱」。

痛みの中から生まれた少女たちの歌声は、人々の心に届くのか…。
 
やがて起きる、予想外の展開。

人間の強さと弱さ、そしてそれでも生きる希望を忘れない少女たち。

世界中に届けたい青春が、ここにある…。



出 演:

宮城県気仙沼高等学校合唱部の皆さん、宮城県南三陸町の皆さん、「human note」、寺尾仁志、ほか



監督・撮影・プロデュース:榛葉健






うたこごころ2012版予告(2013年3月公開予定)



ドキュメンタリー映画「うたごころ」公式サイト 

*イオン×「うたごころ」のチャリティー上映会は、この後も全国各地で開催。上映スケジュールはこちらで確認できます。


うたごころfacebookページ




この映画を各地で見られた方々の感想やメッセージを見ていると、やはり見ずにはいられない作品であることが分かる。

11 月18 日(日)  イオンモール堺北花田 イオンホール (大阪)で、初めてこの作品を鑑賞させていただく予定だ。



監督の榛葉健(しばたけし)さんは、テレビ番組プロデューサー、ドキュメンタリー映画監督として優れた作品を過去に製作されている。

初めて彼の作品を拝見したのは、『with…若き女性美術作家の生涯』

2000年に国内で初放送し、「日本賞・ユニセフ賞」「アジアテレビ賞」「ニューヨーク祭優秀賞」「上海テレビ祭」など数々の賞を受賞した。

こちらは阪神・淡路大震災後の被災地の人々の生き方をモチーフにした、同じくヒューマン・ドキュメンタリー。

もう一度、個人的に見てみたい作品の一つでもある。



「うたごころ」はまだまだ成長途上です。皆様のお力をお借りしながら、主人公の少女とともに成長していきます。


という監督のコメント通り、今後この映画がどんな風に育っていくのか興味津々である。





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《自転車》

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競輪選手の左京源皇(さきょうみなもとのすめら)さんは、私が「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」で淡路島を通過中に応援に来て頂いた。

高松競輪からの帰りということでわざわざ立ち寄ってくれたのだ。

何日か前に電話を頂き、11月にオフの期間があるので東日本大震災の被災地復興支援サイクリングをやりたいということで、旅のルート等についての相談を受けた。

左京さんは2011年震災直後にも現地にボランティアに出向かれている。

今回復興支援サイクリングを思い立ったのも、「被災地の現状を風化させてはいけない。(被災地以外の方々にも)現地に目を向けてほしい」という目的を今一度再確認するという目的があったからだと言う。

11月3日に豊橋をスタート、現在福島県内を走行中。

行く先々で支援物資や義援金を届けに回るとのこと。

左京さんの最新情報は競輪選手会愛知支部のブログで…。







《PEACE RUN》

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私、アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦が提唱する「RUN×10(ランバイテン)運動」は2011年3月14日のツイッターから始まり、今も継続している。

被災しなかったランナーが1キロ走るごとに10円を貯金して、まとまった額になれば被災地に義援金として送るというシステム。

多くのランナーが共鳴してくれて、今も#runx10のハッシュタグをつけてツイッターでその日の走りを記録するランナーがいる。

一時期はメディアでも取り上げられYahooの辞書に新語として登録されるまでになったが、今は話題に上ることもほとんどない。

「もうこれでいいだろう」

ということはないのだと僕自身は思っている。

被災地が元の姿に戻るまで、被災地の方々が完全に復興したと言えるまで、続けていく必要があるのだ。

今後行われるランニングイベントでもぜひ「RUN×10(ランバイテン)運動」を連動してもらいたいし、個人レベル、日常のランの中でも導入していただければありがたい。

昨年の「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」と今年の「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」では僕自身も「RUN×10運動」に関わり、自分の走りを応援していただける個人・企業には「PEACE RUN×10」をお願いしてきた。


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今後続いていく「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」でも(来年はオーストラリア+ニュージーランド)当然「RUN×10」連動で走っていくつもりだ。




*****




それぞれがそれぞれにできることがある。

ランナーは走ることで、シンガーは歌うことで、被災地のために、ほんの少しでもいいから、その支援を継続していくこと。

直接現地を訪ねてみればいいのだろうけれど、そうすることができない人もたくさんいる。

仮に、自分自身が被災していたとしたら、あるいは今後被災する可能性について考えてみれば…。



今できることを、少しずつ、ずっと続けていこう。



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左京さんのfacebookウォールからお借りしました。



PEACE RUN公式スポンサー「ジョイフルログ」のサイトでもアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のインタビュー「高繁勝彦、PEACE RUN 2012を語る」が掲載されています。


テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア

  1. 2012/11/08(木) 12:02:28|
  2. 日常
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この道や行く人なしに秋の暮

【この道や行く人なしに秋の暮】

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この道や行く人なしに秋の暮



---松尾芭蕉




季節は晩秋、ひょっとしたら冬はもうそこまで来ているのかも知れない。

日が西に傾き始め、ひっそりとしたこの一本道をただ一人走る。

木枯らしが吹き抜ける中、かさかさと乾いた枯葉が物悲しげな音を立てる。

自分がたどってきた道も、これからたどっていくであろう道も、今は頭の中にはない。

今、この一瞬の自分を凝視し、この世界と向き合いながら、ひたすら前に進んでいく。

そこには「孤独」という言葉だけでは言い表せない寂寞感が漂う…。




元禄7年(1694年)、芭蕉51歳の作で、彼が亡くなる1ヶ月ほど前の句である。

晩年の芭蕉の心境がすべてこの句に託されているのであろう。

事実上の辞世の句とも言われている。

芭蕉が生涯歩いてきた道、すなわち俳聖と呼ばれるに至るまでひたすら貫き通してきた彼の生き様が、まさに「この道」という言葉に凝縮されている。



道を究める…凡人にはなかなか成し得ることのない境地かも知れないが、命を懸けてただひたすらに突き進むことで、少しは近づくことができるものなのだろうか。

求めるものが遠くにあればあるほど、少しでもそこに近づくための努力は必要だ。

だが、それは並大抵のものでは到底たどり着くことはできまい。

腹を括り、覚悟を決めて、いざという時には命さえも惜しまない…それくらいの思いで望まなければ何も得るものはない。




最後に勤めていた学校がたまたまここ伊賀の地にあった。

偶然なのかどうか分からないが、松尾芭蕉との関わりがいろんなところにある。

父はずっと俳句をやっていて、松尾芭蕉について調べるために芭蕉の通ってきた道をあちこち歩いて来たし、自分自身、二度の日本縦断で、松尾芭蕉ゆかりの地といわれる場所にも足を運んでいる。


さらには、今日、本棚を整理していて、偶然に岩波文庫の「芭蕉 おくのほそ道」を手にとってページをめくっていたら突然この句が目に入ってきた。

300年以上もの時を経て、かの俳聖から届けられたメッセージか何かだったのかも知れない。




月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

(つきひははくたいのかかくにして、ゆきこうとしもまたたびびとなり)





高校生の頃、暗唱した序文。


旅そのものが人生…芭蕉とは格が違うけれど、自分も同じような生涯を送ることになるのだろうか…。

過ぎ行く歳月そのものもまた旅人…旅の空を頭に思い描くたびに、漂泊の思いはますます募るばかり…。

道祖神(どうそじん)は声高らかに旅立ちの歌を歌い続け、そよ吹く風は優しく放浪のメロディを奏でる。



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さあ、次の旅に向けて、動き始めよう。




芭蕉とは直接関係はないのだが…



I was Born For This 風ノ旅ビト

「風ノ旅ビト」というゲームのプレイ動画(本編は編集:字幕なし)エンドロール。

自分自身、全くゲームをする人間ではないのだが、たまたま芭蕉の句をネット検索していたら出くわした動画。

この道や 行く人なしに この道や 秋の暮れ

と確かに歌われている。





*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦自ら編集・発行する無料メールマガジン「週刊PEACE RUN」第31号現在配信中です。

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テーマ:俳句 - ジャンル:小説・文学

  1. 2012/11/07(水) 17:30:53|
  2. 人生論
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Slow&Mellow~ゆったりまったり

【Slow&Mellow~ゆったりまったり】



マラソンブームがどんどん加速していく昨今、ランナーの人口は増えこそはすれ減ることはないのだろう。

東京や大阪などで開催されるような都市型のマラソンも依然増え続けている。

クリック合戦でエントリー、抽選に当たれば高額な参加料を払ってまで出場したいというランナーは数多くいる。

既に走っているランナーたちは、5キロや10キロのレースでデビューし、やがてハーフからフルマラソン、それでも物足りないというランナーは100キロなどのウルトラマラソンやウルトラトレイル100マイル(約160キロ)、中には200キロを超える超長距離の大会に出場、完走していく。



若い世代は単調なランニングにはあまり関心を示さない。

サッカーやテニス、野球などゲーム性のあるものの方がとっつきやすいのだろう。

40代50代で走り始める人たちの多くは、やはり検診でメタボの診断を受けて運動の必要性に迫られて走り出したというケース。

走り出して体重も減り、腹もへこみ、検診でブーイングを受けることなく、お酒も美味しく飲めるようになる。

職場でも家庭でもポジティヴな自分でいられるようになる…。



ふとしたことで走り始めたが、やがて日々がランニング中心の生活に変わっていくランナーも少なくはない。

レースや大会に時間やお金、体力も使い切って、走ることが楽しすぎるあまりにランニング中毒になってしまうランナーだってかなりいるはずだ。



こういうランナーが増えるということは、レースや大会の需要はまだまだあるということ。

1万円を超える参加料は都市型のマラソンでは当たり前のようになってきたが、20~30年前では考えられない金額。

さらに驚いたことに、3万円を超えるかなり高額な参加料がいるという大会も出てきている。



人が集まるところ、ブームのあるところに必ずビジネスは生まれてくる。

ランナーの足元を見る商売が必ずやあるということだろう。



先日、地元伊賀上野で開催されていた「荒木又右衛門 鍵屋の辻決闘マラニック」という奈良~柳生~伊賀上野まで大和街道をメインに走る45キロの大会を見に行った。


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*来年の要項がこちらにもう出ていた。


参加料は3500円、荷物搬送料は500円別途徴収という良心的な大会。

参加料にはゴール後のうどんと銭湯での入浴料も含まれている。

九州別府から大分まで伴走してもらった熊本のTさんが参加されているので応援に出向いたのだが、こんなローカルな大会があることすら知らなかった。

主催は伊賀上野観光協会と京和トライアスロンクラブの共催。

参加者は88名と発表されていたが、見たところゴールしてくるランナーの多くは40代以上。

ひょっとしたら50代60代の方が多かったかもしれない。

タイムや順位などの記録にはもう関心が薄れ始め、とにかく楽しく長い距離を走りたい…といった思いを抱くランナーたち。

察するに、普通のマラソンはもうひと通り経験してきて、何か目新しいものにTRYしたいという気持ちになった連中が、こういった大会に移行し始めているということだ。




facebookのあるお友達は、

「大会に出るのにPCの前でクリック合戦をして、抽選で当たるのをじっと待ち、高額な参加料を払うのはもう止めた」

と言われていた。



全国規模で見れば、このマラニックのように本当にローカルで小規模な大会でも、いろいろサービスが行き届き、細かな配慮もされて、満足度120パーセントと言えるような大会も多々あるはず。


先日、香川県高松市のドングリランドで非公式に行われていたKKP(クルクルパーの頭文字らしい)という大会、一周1.4キロのトレイルを24時間くるくる回るというもの。


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仲間が集まり、エイドステーションも設置し、計測もK-SOKという画期的なシステムを導入。


 




練習会の延長でありながら、本格的な大会に優るとも劣らない。

走り終えた参加者は皆満足そうな表情を浮かべ、またやりましょうという声も…。



いろんな大会に出ることでランナーもそれぞれにニーズが生まれてくる。

参加するランナーもまた多種多様で、ビギナーランナーもいるしベテランランナーもいる。

シリアスランナーがいればファンランナーもいる。

「こんな大会にして欲しい」という思いを持った人間が大会を開催する、あるいは大会運営に関わることで理想の大会に近づけることは可能であろう。

走ったことのない人間が集まる組織だけで運営していれば、ランナーの要求に見合った大会をつくるのは難しくなってくる。



以前からRUNNETがランナーの投票をもとにして決めている「全国ランニング大会100撰」に名前の挙がっている大会は、いずれも参加者が多数いる大きな大会が中心だが、100撰に選ばれずとも、ランナーが本当に満足できる大会は全国にいくらでもあるのだと思う。

参加料が高額だからといって必ずしも素晴らしい大会であるかどうかは分からない。

大会主催者側もあれこれ創意工夫しながら運営に関ってもらっているはずだが、ランナーのニーズに応えられるようなコストパフォーマンスの高い大会を目指してもらえればありがたい。

そういう意味では大会開催後の参加者対象のアンケートを実施するとか、参加者の声に耳を傾ける状況を設定することも必要だろう。

ツイッターやfacebookで、レースに参加したランナーたちがレースに対するそれぞれの思いを発信できる時代でもある。




名古屋に住んでいた1995年ごろ、お世話になっていた整体の先生(当時40代半ば)が岩倉市の五条川のコースを毎日10キロずつ走ることを20年来習慣にされていた。

雨の日も風の日も(恐らく今も走り続けているのだろう)、2000年の東海豪雨の際にも走っておられたという。

ところがこの先生、レースには一切出場したことがない。

「なぜ走るんですか?」と一度訪ねた時に、

「楽しいからですよ。頭も体もスッキリするし、走っていれば病気知らずなんです」

と答えられたのを覚えている。



生涯スポーツとしてのランニング、若くて体力がある内はいろんなチャレンジがあっていいと思う。

だが、すべてのランナーが行き着く先には、やはりこの先生のような走りが待っているのだろう。


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PEACE RUNのテーマでもある「ゆったりまったり」「あせらずあわてずあきらめず」もこういった考えと相通じるものがある。



個人的には、人生もランニングもLSD(Long,Slow,Distance)であっていいと思うが、LSM(Long,Slow&Mellow)という言葉に変えてもいいのではないかと考えている。

Longは「永く」(「長く」ではない)。

すなわち「いくつになっても…できるだけ長期間に渡って…」ということ。

Slow&Mellowで「ゆったりまったり」の訳語にあてている。

「ゆったり」というのは「ゆっくり」という言葉に似ているが、ただスピードが遅いだけではない。

気持ちに余裕を持って、まったり(=のんびり楽しみながら)走るという意味合いが含まれている。



「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」はレースではなく、あくまでも「旅」なのだ。

「アドヴェンチャー・ランナー」という肩書きはあるが、厳密に言えば僕はアスリートではなく「旅人」に過ぎない。



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今や生きることが走ることとなってしまった。

走るために生まれ、生きるために走り、走るために生きる。

残りの人生を走ることに捧げた今、走ることは生きること。

走ることを通じて、この世界をじっくり時間をかけて見ていこう。



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KAY’S WORLDPEACE RUNサイトSUPPORTのページをUPしました。

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  1. 2012/11/06(火) 16:01:40|
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日常雑感110512

【日常雑感110512】

only one road



本当に必要なものを今じっくり考えてみる。

恐らく人生の折り返し地点は過ぎたのだろうけれど、これから先はあせることもあわてることもない。

これまでもが選択の連続だった。

自分に必要なものとそうでないものをきちんとふるいにかけて、必要なもののみを自分の所にとどめておくこと。



いつも豊かな心で生きていくために、余分なものは持たない方がいいということ。

余分なものを抱え込むのは精神的にも負担がかかる。

本当に必要なものというのはそんなにたくさんあるわけでもない。



あいにく僕は哲学者でも宗教家でもないから、この世の真理を誰もが分かるように説明することはできない。

だが、一人の旅人として言えることは、身軽である方が心もフットワークも軽くなるということ。

夢や希望はいくらたくさん持っていても重いと感じることはない。

プラス思考があればマイナスのエネルギーを寄せ付けることもない。

いつだって楽天的に、楽観的志向でいるのが幸福につながる道なのだ。



過去から学ぶことはあったとしても、過去の呪縛にとらわれたり、過去の自分にこだわる必要もない。

今あるベストの自分で前に進んでいければそれでいいのだから。



これまで失ってきたものは、必ず形を変えていつか自分のもとに姿を現すのだろう。

「失う」というのは実は、何かが一時的に自分のところからは消えてしまうこと。

それは、失ったように見えたとしても、元の姿とは違う状態で常に自分のそばに存在している。

科学者たちが説くような宇宙の摂理が、この世界でどのように働いているかは僕には皆目分からないけれど、僕が感じているのはそういうことだ。



時に、生きて生かされていることの意味を考えさせられ、その都度再確認して自分をリセットする。

人生に無駄な時間は一秒たりともないと信じて…。

すべてこの世で起こる森羅万象には意味があるということも…。

走るために生まれ、走るために生きて、生きるために走る…

それが自分のミッション。




今日、今一瞬のこの一歩が、明日に、未来につながっている…。




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  1. 2012/11/05(月) 17:34:57|
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嗚呼、外大~その2

【嗚呼、外大~その2】



母校関西外国語大学の同窓会総会・ホームカミングデーに参加してきた。

折りしも大学キャンパスは学園祭のさなか、素顔の大学を見ることができるチャンスでもあった。

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昨日もふれたが、今は学生も大学そのものもお洒落な時代。

30年前からは想像もつかないような施設やシステムが学園内の至る所に存在している。


通常、大学へは京阪電車枚方市駅からバスを利用するのだが、今回は別ルートで。

ホーム自体がカーブしていて、電車の車両とホームの間にいつも隙間ができる京阪電車御殿山駅から歩いていくことにした。

距離的には1キロちょっと。



かつて栄えた片鉾キャンパスは消えて、10年前中宮キャンパスが小松製作所の隣につくられた。

広い…大きい…。

敷地は約20万平方メートル。

昔のキャンパスは小さく、毎日同じ時間に同じ場所で必ず顔を合わせる人間が少なからずいたり…。



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マクドナルドがあり、シアトルズベストコーヒーがあり、丸善やコンビニもある。



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驚くなかれ、ホテルのフロントや飛行機のエグゼクティブクラスを再現した教室もあるのだ。


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昔は学食が学部と短大にひとつずつ。あとは喫茶室がひとつ。

クラブハウスにカップヌードルやドリンクの自販機があるくらいのものだった。

それでも30年前はそれなりにお洒落だった(と信じ込んでいた)。

キャンパスにハワイと呼ばれるスポットがあって、学生たちの憩いの場になっていた。

ホットパンツ(死語?)を履いた女の子がローラースケートで走ってきて、留学生たちの所にやってきて、みんながスマイルを浮かべながら楽しい時間を過ごしているという…何かドラマのような世界が目の前で実際に繰り広げられていた。

噴水を擁した池があって、創始者の銅像がその中央に…通称「学長の湖」と呼ばれていた。

当初、コンパのあと誰かが水の中に投げ込まれる(冬場でも)というので水が入っていないことも多かった(様な気がする)。




30年、信じられないような歳月が流れていた。

学園祭では模擬店でも酒が振舞われていたが今は酔ってへべれけになって歩いている学生は一人もいない。

当時は模擬店やイベントの立て看板があちこちにあったはずだけど、今はあってもほとんど気がつかない。

学ランを着て歩く学生も、先輩に「オス(押忍)!」とあいさつする学生も見られなかった。

当然といえば当然なのだろうけど、いつそんな風習が消えてなくなったのだろう…?



大学のパンフレットもお洒落になって、今の受験生たちのニーズに少しでも合わせようといろんな工夫が見られる。


当時「下宿」と言っていたはずの言葉も既に死語と化した。

今は「学生マンション」と呼ぶのだそうだ。

今の学生に自分たちの時代の下宿の話をしたとしても恐らく信じてもらえないであろう。

僕が住んでいたのは最初4畳半一間。同じアパート内には3畳の部屋がまだ残っていた。

のちに3畳の部屋の壁をぶち抜いて6畳一間になったところに移動した。

常にいろんな虫がいて、ゴキブリは友達みたいなものだった。

朝ゴキブリホイホイをせっとしたら夕方にはもう満タンになるくらい…。

寝ている間にゴキブリに耳を噛まれたことがあった。

ゴキブリが夜こおろぎのように鳴いているのを聞いたこともあった。

一度、天井から降ってきたムカデに首を刺されたことも懐かしい。

大量のアリが部屋に侵略してきて戦争状態になったこともあった。

トイレは共同、風呂はなし。銭湯に行くしかない。たまに一階にある給湯器のお湯を洗濯機にためてお風呂代わりにしていた(笑)。

キッチンに流しはあったが、ガスはカセットコンロ。

電子レンジなんてものはなかったし、冷蔵庫はあったが氷を作れるような立派なものじゃなかった。冷蔵庫の中は水とマヨネーズがいつもあった。

暖房は電気コタツのみ。

冬はコタツで寝たし、時々コタツの本体を立てて、コタツの足にかけたロープに洗濯物を干していた。

とにかくそんなところで学生時代を送っていたのだ。

今の学生たちにそんな経験をしろとは言わないが、携帯電話やPCが使える今という時代に生きている若者たちが本当にうらやましいと思う。




話は戻るが、同窓会総会…。

午前9時過ぎに会場着。開会は10時半。

まだほとんど誰も来ていない。

30分経った頃からぽつぽつと人が増え始める。

それもかなりお年を召された方々…。

1945年に外大の前身である外語学校が創立しているし、大学開学は1966年だから1期生はもう60歳を過ぎているのだ。

それでも今回の同窓会総会が第4回。

今まで存在していた同窓会だが本格的に活動を始めてまだ4年。



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10時半、吹奏楽部のファンファーレがあり、続いて合唱団が現れ、学園歌の斉唱。30年ぶりに耳にしたけど結構歌詞も覚えていた。


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300名くらいが集まったろうか。

聞くところでは、開学以来15万人の卒業生がいるのだとか。


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第一部は理事長と会長のあいさつ、議事があって、第二部は卒業生で史上初の黒人演歌歌手ジェロのトーク&歌謡ショー。

(写真撮影、録画、録音禁止ということで写真はありません)


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続いては懇親会。

安部さんとその後輩お二人と落ち合って食堂へ。

今日だけ特別にアルコールが…。ただし会場外には持ち出せない。

1階に空いたテーブルがなく2階へ。ただ、2階も満席。しかたなく立食。



ふと見覚えのあるお顔…懐かしい先輩が目の前に現れ思わず「K先輩!」と大声を出してしまった。

K先輩は自分を探しに来てくれたのだ。

今年の夏の「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」の様子もブログで見ていてくれたのか、ご自宅近くを自分が通過する際応援に出向こうかとも考えられていたのだと。


K先輩に誘われて他の仲間が集まる1階へ。

懐かしいN(元)学生課長!一期上のK文化会会長、同期のS文化会会長、二期下のO体育会会長はじめ懐かしい面々。

同じ酒道場でバイトしてたAくんもそこにはいた。

皆それぞれに社会の第一線で活躍している。

再会を懐かしみつつ、いろいろ話をしている内に、既に他界してしまった恩師や仲間の名前が…一人…また一人…。

30年も経てば仕方のない話だが、何よりもショックだったのは酒道場のオヤジさんが病死されたという知らせ。

やはり…。

父親のようにいろいろと気遣ってもらったあのオヤジさんに最後に会ったのは2年前。

足が不自由になってフライパンを握るのも大変そうだったが、あれが最後になるなんて…。



思い出話は尽きることがない。

一つの話題が次の話題につながり、誰かが覚えていないことを別の誰かが覚えていたり…。

そうやって忘れ去られていたできごとも、より明確ではっきりとしたイメージとしてそれぞれの頭に蘇ってくる。

「あ~そうだったんだ~!」

笑いと歓声が起こる瞬間…。



だが、歳月の流れは時として残酷すぎるほどの仕打ちを人に与えるもの。

相当苦労があったのか、総白髪や禿頭になって実年齢よりも10歳も老けて見えるものもいれば、病気を患って生死の境をさまよっていたという経験をしたものもいる。

そこに集まったメンバーに同じようにして流れていた時間のはずだが、それぞれの価値はそれぞれで違っているということ。

同じ時代を生きているにもかかわらず、交わることのないまま何十年も過ごしてきて、ある日再会できたのはある意味幸運と言える。

生きている者だけが今という時間を楽しむことができる…当たり前のことなのだけれど、あらためて今生きていることをありがたく思わされた。



午後4時を回ってICC(インターナショナルコミュニケーションセンター)でGaiDiversityというイベントへ。

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卒業生の有志たちが今年初めて企画したイベントだ。

センター内にある「アマーク ド バラディ」というお洒落なレストランが会場。

集まっていたのは8~9割は女性だったか、20~30代の卒業生の中に50代の自分がいるので、最初ちょっと違和感を感じたが、それもすぐ消えて、娘や息子のような若者たちと楽しい時間を過ごした。

各テーブルごとにグループが作られグループ対抗クイズ大会があった。

若者には分からないような昔の事件やニュースに関する質問や、イントロを聞いて昔のヒットソングのタイトルを当てるのだが、たまたまこれが自分のよく知っているものばかり。

最終2位になってあれこれ賞品をもらってグループ内で分配。

グループの20代の女の子たちが喜んでくれた。



午後7時にお開き。

この日交換した名刺が20枚ばかり。

名刺のない方々を含めれば40~50名くらいの人たちと交流できただろうか。

PEACE RUN告知のためにこういった機会もきちんと活用する。

これは営業の鉄則だ。



出会うことでみんながつながる、みんなとつながる。

今はたいていの人がfacebookやツイッターをやっていて、これもまたネットワーク拡大に大いにプラスになっていくもの。

今後またいろんなところでつながっていってくれることを期待したい。



ずっと自分の中にあって、しばらくふれられることもなかったとても大切なものを、今日久々に見ることができた…そんなことを感じた一日。



感謝感激感動は常に求め続けるべきもの…なのだ。


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  1. 2012/11/04(日) 10:47:55|
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嗚呼、外大

【嗚呼、外大】

今日は2年半ぶりに母校関西外国語大学を訪ねる。

ホームカミングデーと同窓会総会に参加する予定だ。


1979年に外国語学部英米語学科に入学、1983年に卒業するが、大学事務局(学生課と図書館)でアルバイトしながら教職の聴講生をやっていた。

大学一年の11月(ちょうど今頃か)から大学近くで下宿生活をスタート。

最初は花池荘という木造のアパートの4畳半の部屋を借りた。

当時の家賃は9000円。

人生の大半を一人で暮らしているが、そのスタートがここだったわけだ。



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二十歳の誕生日に…外大体育館前



剣道部に所属し、そこそこ真面目に勉強して、いろんなバイトもやった。

一番長く続いたのは牧野駅前にある酒道場というお店。


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洗場主任という肩書きもつけられ、ほぼ毎晩8時から0時半まで仕事をしていた。

悲しいことについ最近店がなくなったという知らせを聞いた。

2010年4月に訪ねたのが最後…お世話になったオヤジさん、どうしてるだろう?



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たくさん恋愛もしたし、失恋もしたし、人には言えないとんでもない事件も多々あった。

3年生で学園祭の実行委員を経験し、4年生で体育会本部企画部長という仕事も任された。



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当時の体育会本部役員(最後列左が私)




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学園祭の企画でスーパーマンに…



最後の学園祭も企画部長の大役を果たし大いに盛り上がった。

剣道部では副主将をやりながら、関西学生剣道連盟副幹事長のポジションにもついていた。

剣道で鍛えられたおかげで今の自分がある。

何度も死にそうな目を経験したあの厳しかった夏合宿、試合で勝って歓び、負けて涙を流し…。

4年間を一緒に闘ってきた仲間は一生の友。


本格的に自転車を始めたのも大学2年の頃。



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福井県小浜市に最初のロングツーリングに出かけたが、あの旅があったかっら、1991年にアメリカ大陸横断自転車旅行が実現、現在のPEACE RUNにつながってきたわけだ。



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卒業式には仲間と抱き合って号泣した。


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たくさんの仲間がいてたくさんの思い出があった。

まさに自分の人生の黄金時代のような日々をキャンパスで過ごした。

当時の仲間と会うことはは卒業して以来ほとんどなくなってしまった。

お互いの結婚式に呼んだり呼ばれたりしたくらいのもの。

既に他界したヤツもいるし、起業して成功しているヤツもいる。

同じ外大卒のOB・OGで、社会に出てから知り合った仲間も少なくはない。

自転車仲間の天神橋5丁目さんやPEACE RUNつながりでもLAのMASAさんや度々応援に来てもらっている安部さんらも皆外大OB。



K-1でおなじみの角田信朗さんも年は同じだが彼は一つ下の学年。

外大で極真空手同好会を作り、練習場所がないので体育館の入り口前でいつも練習していたのが印象的。

当時は凄く華奢な体つきで、こんなやせっぽちが空手なんかやるんだ…という感じでみんなから見られていた。

酒道場に毎晩のようにやってきて食事をしていた。

一度だけビールを出してあげたこともきっと彼は忘れているかもしれない。



片鉾キャンパスがなくなり、中宮キャンパスに移転して、大学そのものも全く違ったものになってしまった。

学生で栄えた牧野の町も今はひっそりと静まり返って、当時からずっと営業している店も少なからずあるようだが、あの頃の華やかさはもうない。



卒業して何度か訪ねた牧野の町、その都度自分が住んでいた花池荘を訪ねてみた。

ある年に、その花池荘を訪ね、建物が跡形もなくなっているのを見てしばらくショックを受けたのだった。




時が流れればいろんな物が変わっていく。

僕たちがそこにいたという証が消えてしまえば、あと残された手段は、その時代、その場所で共に過ごした仲間たちと再会し、語らうことくらいのもの。




今日、懐かしい出会いがあるだろうか…。

新たな友がまたできるだろうか…。



あの時代に置き去りにした思いを、今見つけに行こう…。





前回、最後に外大と牧野を訪ねた2010年4月10日のブログ

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  1. 2012/11/03(土) 05:24:19|
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ダウンアンダーのチャンレンジャーたち

【ダウンアンダーのチャンレンジャーたち】

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来年の「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」に向けての準備をじわじわと進めている。


「オーストラリア横断」でググってみたら…


「いた~!!」


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やっぱりいた!



「手押し車を押しながらオーストラリア横断を果たした65歳の男性」(2009年1月)



イギリス出身のDavid Baird氏は、オーストラリア西部にあるパースから東部のマンリー・ビーチまで手押し車を押しながら走って横断することに成功。

全走行距離は4115km、112日かけて約70の町を通過。

彼が集めた2万ドルは胸がんと前立腺がんのための基金に寄付されたという。



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オーストラリアはアメリカよりもさらに砂漠の面積も広く、特に南西部にはナラボー平原と呼ばれる不毛地帯では、1200キロ町がなく、約100キロから200キロ間隔で「ロードステーション」と呼ばれる、モーテル、レストラン、ガソリンスタンド、売店やキャンプ場などの設備を持った複合施設がある。


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オーストラリア大陸横断自転車旅行は、僕も1995年に実現させているが、ナラボー平原を走るのは並大抵のことではない。

僕が横断したのは2月から5月。気温40度超えの暑さもさることながら、究極の単調さを体験することになった。

一日走っても一週間走っても目に映る風景はほとんど変わらない。

ただ東から日が昇って西に沈むだけ。


David氏は無事に旅を終えて、インタビューで

「走っているときは自分が生き残れるかどうかが最も心配だった」

とコメントしているが、まさにサヴァイヴァルゲームだろう。

65歳という年齢で、しかもサポートなしの単独行。

まかりまちがえば砂漠の平原が墓場になりかねない…そんなリスクも当然認識していたに違いない。

彼は一日あたり平均約37キロ移動しているが、水と食料は限られた場所でしか手に入れられない。

よって店があるごとに大量の水と食料を運搬することになる。

彼は一輪車の手押し車を使用。これはバギーよりもバランス感覚がいるし、腕の力が要求される。

構造がシンプルだから故障は少なかったのではなかろうか。



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家の近くでランニングを楽しむDavid氏、アクションスターのように鍛えられた肉体は65歳とは思えない。



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David氏の偉業を称える新聞記事


David氏のブログ Aussie Dust(英語サイト)





もう一人、ランニングではないが、徒歩によるオーストラリア横断の青年の記事も…。


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「スターウォーズのコスチュームでオーストラリアを横断する男はとてもいい奴」(2012年4月)




オーストラリア西海岸の町パースから東海岸のシドニーまで5,000キロを歩いて横断したのは21歳のジェイコブ・フェンチ氏。

彼もバギーに荷物を積んで移動。


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これはひょっとしたらChariot?


*Chariotの日本の代理店「プレザント」もサイクルモードインターナショナル2012に出ています。


しかも彼はスターウォーズのストーム・トルーパーの衣装を着用。

夏は暑くて蒸れるぞ~。


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彼の目的もまたチャリティ。

オーストラリア中の病気で苦しむ子供達を助けようというもの。

9ヶ月の徒歩旅行で集めた10万ドルはスターライト・チルドレン協会に送られた。


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各地のマラソン大会で仮装ランナーも増えてきてはいるが、5,000キロもの長旅でこんな仮装にこだわるジェイコブ氏も筋金入りのチャレンジャーだ。



検索結果には他に、今年初めに実現したJACC日本アドベンチャーサイクリストクラブの池本元光代表(世界二周サイクリスト中西大輔さんも同行)のラストチャレンジ「独創帆かけ自転車による豪大陸2500km横断プロジェクト~風と大地と」も出てきた。


*現在このセーリングサイクルは、幕張メッセで開催されているサイクルモードインターナショナル2012(11/2~4)のパナソニックのブースで展示されています。


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このプロジェクトに取り組んだ池本代表も64歳。

間寛平さんも還暦を過ぎてアースマラソンを成し遂げた。

チャレンジには年齢なんて関係ないのだ。

必要なのはチャレンジに立ち向かう意志なのだろう。



様々な苦難や試練は冒険だけに限らず、我々の日々の人生にも必ず現れるもの。

どんな困難があっても立ち向かえるということを、これらのチャレンジャーは教えてくれている。




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人それぞれに走る理由があるのだろうけれど、結局の所、理由なんてあってないようなものさ。

僕が走るのは、一本の道と二本の脚があるからなんだ。

そして、その一本の道は「平和」へとつながっている…。





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走ることの真の目的はレースに勝つことではなく、人間の精神力の限界を試すことにある。

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  1. 2012/11/02(金) 18:17:59|
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Keep Dreaming!~夢を持ち続けること

【Keep Dreaming!~夢を持ち続けること】


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数日前に、兵庫県豊岡市の植村直己冒険館から郵便物が届いた。

二年前に最初の日本縦断ランニングの旅で立ち寄って以来、いろいろとお世話になっている。

封を切ってみると中から出てきたのは「植村直己冒険賞2011」の冊子。




植村直己冒険賞とは


「植村直己冒険賞」は、植村直己さんの優れた人となりを後世に継承するために設けたもので、自然を相手に創造的な勇気ある行動をした人または団体に贈っています。


以上は、植村直己冒険館ホームページから。




植村直己さんの出生地である兵庫県豊岡市が主催、豊岡市にある植村直己冒険館が担当しているのだ。


2009年には地球二周サイクリスト中西大輔さんも受賞されているし、過去の受賞者の中には、海の冒険家堀江謙一さんや、登山家の野口健さん、グレートジャーニーの関野吉晴さんらがいる。


2011年6月2日は植村直己冒険賞にとって16回目の授賞式。


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今年の受賞者は斉藤実(さいとう みのる)さん(78歳・東京都在住)。

ヨットで単独「最高齢・最多」世界一周を達成。


斉藤さんの冒険は、14歳から始まった山登りがスタート。

数々の山を登り、普通の登山には飽き足りず、沢登りや岩登りに夢中になるが、39歳の時にヨットとの出会いがあって人生の転機を迎える。

50歳で仕事を辞めて、残りの人生をヨットでの世界一周に捧げようと決心。

57歳で初めて世界一周を達成。

この世界一周レースでは、スタートゴールがアメリカ東海岸、日本からそこに行くまで地球を半周、帰りもまた地球半周。一度のレースで地球を二回りしないといけない。

彼は1990年から2001年にかけて世界一周を6度達成。

このレースのために彼は私財を投げ打って参加。

2004年から2005年にかけて、新たなチャレンジを思いついた斉藤さんは最高齢(71歳)にて、東回り単独無寄港世界一周を成功させる。

この時の記録が世界最高齢(71歳)でギネスブック記録に認定される。

この偉業達成のおかげでスポンサーがついて新たなヨットを購入。

2008年に西回り無寄港世界一周に挑んだが船のトラブルで無寄港は叶わずも、3年をかけて77歳での最高齢世界一周を達成。

最多8度目の世界一周もあわせて新たな世界記録を作った。



2008年から2011年、斉藤さん自身の記録を塗り替えるため、非常に過酷といわれる西回りの航海を“チャレンジ8”と名づけ、8度目のヨット単独世界一周(無寄港西回り)にチャレンジ。

この時点で彼は74歳。

西回りがなぜ過酷なのか…。

通常ヨットでの世界一周は東回り航路を選ぶ。

地球の自転に合わせて進んでいけば常に追い風に乗って巡航できる。

西回りは常に向かい風に逆らって進んでいかなければならない。



南米チリのさらに南、ケープホーンから南極の間にはドレーク海峡がある。

これまで多くの船が海に沈み、船乗りにとっては最大の難所、この海峡も彼はクリアしてきたのだ。

荒れ狂う波にもまれ、時には一日2時間しか眠れない日もあったと言う。

船の故障は日常茶飯事、ちょっとでも気を緩めれば何が起こるか分からない。



「世界の海は非常に危険な状況」と彼が言うのは、海賊がひっきりなしに出没するからだ。

にもかかわらず欧米の若者は危険を承知で世界一周ヨットレースに参加する。



航海の終盤は疲れたというレベルではない。

「気が狂いそうだった」

と彼が言うのは、のべ3年もの間、たった一人でヨットの上で暮らしていたわけだから至極当然のことかも知れない。

「俺は絶対に死なない。生きて帰ってみせる」

そう彼は自分自身に言い聞かせていたそうだが、それはまさに想像を絶する船旅であったということは間違いない。



昭和9年生まれ、戦中派の彼は「贅沢をしない」をポリシーに普段生活をしている。

「今の日本は、着るもの、食べるものがすべて贅沢すぎる」


南氷洋航海中以外、船の上では常に裸足。

普段は自炊。贅沢しなければ1ヵ月4万円で生活できると語る。

「節約することで絶えることを学んで欲しい」

という言葉には説得力がある。



さらに彼は根っからの巻けず嫌いだった。

どんなに打ちのめされても必ず立ち上がろうとする…だからこそこれだけの偉業を残せたのだろう。

そして、何よりも夢をあきらめない人だった。


「常に夢を持ち続けることを忘れないでください。夢を持つことはその人の目を綺麗にしてくれます。苦しみは通り過ぎてしまえばいつでも忘れられます。そして謳歌するんです。すばらしきかな、わが人生!」



授賞式の記念講演で、最後にそう締めくくられた斉藤さんの冒険はまだ終わることはないのだろう。

僕はそう確信している。







斉藤実、Challenge 8 キャンペーンの公式サイト


植村直己冒険館ホームページ


*2011「植村直己冒険賞」受賞者の斉藤実さんのプロフィールや冒険の経歴についての詳細はこちら


*2011「植村直己冒険賞」受賞者の斉藤 実特別展が11月27日まで植村直己冒険館で開催されています。


斉藤実(ウィキペディア)




*植村直己さんからのメッセージも…


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  1. 2012/11/01(木) 17:16:06|
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プロフィール

KAY(高繁勝彦)

Author:KAY(高繁勝彦)
冒険家:アドヴェンチャー・ランナー、NPO法人“PEACE RUN”代表、サイクリスト(JACC=日本アドベンチャーサイクリストクラブ評議員)、ALTRA JAPANアンバサダー
旅人、詩人・アーティスト、クリエイター、ナチュラリスト…。元高校教師(英語)。

大阪府松原市生まれで、現在、大阪府富田林市に在住。

楽天ブログ時代(2006.4.2)からノンストップブログ更新中。公式サイト
「PEACE RUN 世界五大陸4万キロランニングの旅」
“KAY’S WORLD”もよろしくお願いします。

プロフィール詳細はこちら

二度の日本縦断(「PEACE RUN 2010日本縦断3,443kmランニングの旅「PEACE RUN2012 日本縦断ランニングの旅 PART2」で実質の日本一周ランニング6,925kmの旅を完結。

2011年はPEACE RUN 2011アメリカ横断5,285kmランニングの旅を138日で完了。

2013年9月から163日で「PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅」5,205kmを走破。

2014年11月から2015年2月、83日でPEACE RUN2014ニュージーランド縦断ランニングの旅2,796.6kmを走破。


2016年7月〜11月、110日間で7カ国3,358.8キロ、「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」を走破。

現在まで3つの大陸で16,637キロ走破。残り三大陸で23,363キロを走ることになる。

東日本大震災から3日後に「RUN×10(ラン・バイ・テン)運動」を発案・提唱、全国に展開させる。

2012年末、facebook上の公開グループ、平和的環境美化集団"THE SWEEPERS"を発足、活動を展開中。

2013年、一本歯下駄で世界平和をめざすfacebook上の公開グループ「一本歯下駄クラブ」を発足、活動を展開中。

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