【日常雑感063015】
5つ所有している一本歯下駄の内のひとつは18センチの高さがあるが、今のところもっぱら室内用。
雨が降る日は室内で一本歯下駄ウォーク…
千羽鶴を仲間と作ったことが何度かあったけれど、もうずいぶん遠い遠い昔のことだな…。
入院してたクラスメートのために作ったんだっけな…。
28日に行われた一本歯下駄フェスタ in Hiroshimaの様子を動画に収めた。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
*のんき屋からのお知らせ…
大阪天満橋にあるのんき屋、PEACE RUNセレクトグッズとして扱っているのが、ひらいやの一本歯下駄、ランニング足袋MUTEKI(無敵)、PEACE RUNTシャツ、いずれも7月初旬までオンデマンド受付中です。パイレーツキャップもオススメです!
一本歯下駄の試し履きも実店舗では可能です。PEACE RUNTシャツ蛍光バージョンも数枚在庫あります。
その他、ぴあぴセレクトのエスニック衣料・雑貨、オーガニックフードなどいろいろあります!
のんき屋ウェブサイト
http://goropia.thebase.in/
フェイスブックページ
https://www.facebook.com/nonkiyahappy

引き続き全国各地で講演やトークライヴのオファーをお受け致しております。
学校や企業、ランニングクラブ、走友会など10名以上集まればご相談ください。
四半世紀もの間教壇に立ち、50歳を過ぎてアドヴェンチャー・ランナーとしてスタート。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」も現在1万3000キロで残り2万7000キロ。
ランナーとしてだけではなく、旅人として、チャレンジャーとして、いろんなハードルが次から次にやってきますが、ポジティヴ思考で乗り越えるしかありません。
人生そのものが冒険となってしまった今、私の経験を少しでも皆さんとシェアできればと思います。
よろしくお願いいたします!
詳細はこちら…
スポンサーサイト
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/30(火) 23:59:59|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【広島での休日〜愛があれば】
ゲストハウスを7時半頃出て、再び平和記念公園と原爆ドームへ。
商店街のカフェで作業を済ませ、公園内を一本歯下駄で歩く。
いろんな人に声をかけられ、こちらからも何人かの観光客に声をかけてみる。
一本歯下駄がきっかけで声をかけてくれたのだけれど、それがもとでいろんな話題へと展開していく。
神戸から来たシニアカップル、一本歯下駄に興味があるとのことでいろいろ情報提供してあげた。ふだんから六甲山をよく歩いているらしく、一本歯下駄でバランストレーニングをやってみようと決断。奥様は昭和4年生まれで、ご主人の方は我が両親と同じ昭和6年生まれだった。
オーストラリアメルボルンからグループでやって来た三組のご夫婦。その一組は私がオーストラリア、ナラボー平原を走っていたのと同じ時期に車でパースに向かっていたのだという。きっとどこかですれ違っていたに違いない。

広島には悲しい歴史はあるけれど、そんな歴史を乗り越えてここまで立派になった。
人も街もみんな素敵だ。原爆ドームが世界遺産に指定されたこともあるけれど、世界各地からたくさんの人がやってくる。
訪ねてこられた観光客の何名かに広島の印象を聞いてみたら、
「人も親切だし町並みも綺麗」
「食べ物が美味しい」
「英語は通じないことが多いけれど地元の人が一生懸命コミュニケーションを取ろうと必死になってくれた」
「川があって山があって自然も美しい」
そんな答えがかえってきた。
見知らぬ同士であっても、愛があれば言葉以上のものが伝えられるということなんだ。

思いを伝えるためのアクション、言葉で足りなければ行動が必要だ。
行動には思想が伴うかもしれないが、思想よりも大切なのはハートだと思う。
そして、やはりどんな行動においても必要不可欠なのは愛情。
愛情とは人を慈しむ気持ち…やさしさであり思いやりでもある。
ほんの少しの意志と勇気があって、そこに愛情を注ぎながら行動を起こすこと。
ネガティヴな感情はいらない。
自分自身だけでなく周りの誰をもハッピーにするために、いつも笑顔を忘れず、愛情を持ってアクションを起こせる人でありたいと思う。
*その他の写真は
こちら
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/29(月) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【一本歯下駄フェスタin広島】
土曜日の夜に大阪を出て早朝に広島駅前到着。
原爆ドーム〜平和記念公園内を散策。
公園内はこまめに整備・清掃されていておおむねきれい。


ゴミ箱に捨てられていたゴミをカラスが散らかしていたので、その周辺だけを拾活。
記憶が正しければ1983年の夏だったか、自転車で山陽道と山陰道を走った際に初めて広島市を訪ねた。
2010年、一度めの日本縦断の際にやってきたのが二回目。
そして2013年
環瀬戸内海ランニングの旅(神戸〜広島、愛媛〜徳島)で三度目。
今回の広島訪問が4度めとなる訳だ。
父が福山市鞆の浦の出身。僕自身にも広島県民の血が半分は流れているのだ。そのせいか、広島にはなぜか愛着があって、町を歩いていても街の空気が妙に肌に合う感覚がする。
原爆投下から今年で70年め。

原爆ドームの前に立つ度に思わされるのは、今、自分にできるどんな小さなことでもいいから、世界平和のために何かしなければということ。

平和記念公園内は世界各地から来られたツーリストで賑わう。その内の何名かとお話をする。

インドからやって来た女の子三人組、一本歯下駄を履いている私の姿を見て一緒に写真を撮らせて欲しいと声をかけてきてくれた。
オーストラリアシドニーからのカップルは大の日本好き。私がオーストラリアを走って横断した話をすると、「水や食料はどうしたの?」とか「危険な目には遭わなかった?」とか…あれこれ質問攻め。
出会った方々には、
「ただあなた(たち)と、今、平和な時間をシェアしたいと思います」
”I just want to share a peaceful moment with you (folks) now.”というメッセージを伝えた。
そう言うと笑顔で、中には握手を求めて来られる方もいた。
誰もみな、願っていることは同じなのだ。
原爆ドーム前に集合。
公園内をぶらぶらして戻ってくると、地元在住の一本歯下駄弁慶こと大西さんはじめ何名かが既に10時前に到着していた。
トータルで18名が参加。何度か大会でお会いした方もいれば、今日が初めてお会いするという方も…。


このイベントは、一本歯下駄を愛用している方はもちろんだけど、「一本歯下駄は持っていないけれどぜひ履いてみたい」という方も対象となっている。
一本歯下駄で世界平和に貢献する…それが一本歯下駄クラブ設立の目的でもある。

自己紹介をして早速歩き出す。仕事で遅れてやってきたのは元教え子の清水くん。

山口県岩国市から駆けつけてくれたのだけど、2005年の卒業式以来何と10年ぶりの再会。懐かしい昔話に花も咲く。社会人としても6年め、仕事の話など近況も聞かせてもらった。
一本歯下駄で歩いているといろんな方から声をかけてもらえる。

今日もたくさんの方々が声をかけてくれたし、たくさんの方々からカメラを向けられた。
一本歯下駄はコミュニケーションツール。一本歯下駄がきっかけでいろんなつながりが生まれる。一人で一本歯下駄を履いて歩くのも楽しいのだけれど、仲間がいればもっともっと楽しめる。


一本歯下駄フェスタはこれまで大阪、東京、京都、山口で開催されて、今回の広島が5つめの都市での開催。今後も、全国各地での開催を計画している。
イベントの最後はお決まりの一本歯下駄の輪(和)。
午後1時からは市内のバーで懇親会を兼ねた私のトークライヴ。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」についてアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦の思いを語らせて頂いた。

今夜のお宿はピースホテルのドミトリー。ベトナム人の若者二人と同室になった。
その他の写真は
こちら*
一本歯下駄クラブ(フェイスブック公開グループ)
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/28(日) 23:59:59|
- 一本歯下駄
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【一日五万歩で語る我が人生】

あらゆるものから解き放たれて、真に自由を求めるためであるのならば、毎日50キロでも僕は走り続ける。
どこかにたどり着く旅ではなく、どこにもたどり着くことのない旅…。
1日5万歩で語られる僕の人生…言葉はいらない。
*****
一歩一歩に魂を込めて走ろうとは常々思っている。
だが、辛く苦しい状況が続けば、少しでも早くそんな状況から抜け出したくなる。
それが人間の弱い部分でもあり、性(さが)でもあるのだろう。
走ることで何を伝えられるのか?
表現者の端くれとして、言葉だけでは伝えきれないものがあることにもどかしさを感じることもある。
ひょっとしたら、僕が伝えていることは根本から間違っているのだろうか…しばしばそんな風にも感じさせられる。
しかし、それでも貫き通さなければならないこともある。だから、こうやって走り続ける。
人間だから甘えもあるし、自分の弱さととことん対峙しないといけない場面にも出くわすだろう。
聖人でもないし修験者でもない、もちろん仙人でもない僕が語るべきことは、ひとりのランナーとして、旅人として伝えられることだけ。
どんな言葉であっても、それは素(す)のままの僕の言葉にすぎない。
偽ることも飾ることもなく、吐息のようにそっと湧き出てくる言葉なのだ。
50キロを走ることが目的ではない。5万歩の足跡を残すことが大切なわけでもない。
人生の一日一日に意味があるように、走る一歩一歩に意味がある。
魂のレベルで走れるようになるにはまだ遠い。
PEACE RUN語録
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/27(土) 17:59:17|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【夢は世界をかけめぐる】

今もリアルタイムで、私の仲間が自転車や二本の脚で、この地球上(日本国内や海外)を走ったり歩いたりして旅や冒険に取り組んでいます。中には数年に渡って旅を続けている強者も…。
私も元は世界を目指すサイクリストでした。地球上に約4万キロの轍(わだち)を残した訳です。今でこそ走って旅をしていますが、人力による移動の大変さは、徒歩もランも同じ。
極地をソリを引っ張って歩くのも、砂漠や原野をリヤカーを引っ張って歩くのも、バギーを押して歩いたり走ったりするのも、やったことのない人が想像する以上に辛くて苦しくて、タフでハードで過酷で大変なことなのです。
それでも、車や一般の交通機関に頼らず、自らの力で移動する旅こそやはり面白いのだと思います。
当然ながらさまざまな苦難や試練を伴うもの。
「何でこんな馬鹿げたことを始めてしまったんだろう?」
「こんな辛くて苦しいこと止めときゃよかった」

移動している際に感じるそんな思いはすべてのチャレンジャーに共通しているかもしれません。
それでも、苦難を乗り越えて目標を達成した時の喜びはひとしお。予想していた以上に得るものも多く、時には自らの人生観や価値観を変えてしまうことにもなり得るのでしょう。
たった一度のチャレンジで終わる旅人もいれば、二度や三度でチャレンジを終わらせない旅人もいるでしょう。かの俳聖松尾芭蕉や流浪の俳人種田山頭火がそうであったように、旅が人生そのものになってしまうケースも、実際少なくはないのです。
チャレンジはエンドレスであっていい。
旅人は旅を続ける限り旅人。旅をやめてしまえばただの人(=凡人)。

旅を終えて既に4ヶ月以上経ってしまいました。ひとたび現実の生活にどっぷり使ってしまえば、ハングリー精神やチャレンジ精神は単なる幻のようなものにもなりかねないということを旅人はよく知っています。
夢の中で道祖神のささやきが聞こえたり、今もなお旅を続けている自分のイメージが見えてきたり、本来なら私もまだ旅の途上にいるはずなのです。
眠っている時の夢だけでは足りません。
起きている昼間にそっとまぶたを閉じて、ありありと世界を旅している自分をイメージできなければ意味がありません。
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)」芭蕉生前最後の句となった一句ですが、奇しくもこの句を芭蕉が詠んだのも、私が今いる大阪天満橋からそう遠くない大阪市中央区南久太郎町でのことだったようです。
「まだまだたどるべき道があるかぎりは、この世とおさらばする訳にはいかない」
芭蕉はきっとそんな風に感じていたのでしょう。
旅に取り憑かれてしまった私も、走るべき道がある以上はまだまだ走り続けます。
バギーに載せられた世界五大陸4万キロの夢は、なおも世界をかけめぐるのです。


*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/26(金) 21:37:42|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【砂漠が呼んでいる】

4年前の今日は
「PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅」のスタートから1ヶ月目。ユタ州モニュメントバレーを走っていた。
砂漠に、特に思い入れがある訳でもなかったのだけれど、アメリカ横断で一番辛かったのはやはり砂漠でのランだった。
極度に乾燥した気候、朝夕は寒いくらいなのに日中は40度を超える暑さ。
荒野でテントを張れば砂嵐も起きる。驚いたことに、細かい砂でテントのファスナーの噛み合わせが悪くなって壊れたこともあった。
走っている間にも砂塵が舞い散って体中砂埃にまみれ、口の中もザラザラして、バギーの表面にも白い砂が積もる。
暑さはかいた汗さえも蒸発させてしまう。
口の中は常にカラカラ。水分をいくらとっても渇きが収まらないこともある。
気温40度を超えて風が吹くと、まるでドライヤーの温風を浴びながら走っているかのような気持ちにもさせられる。足元からじわじわと温められて、まるで熱く焼けた鉄板の上に載せられたお好み焼きか焼きそばになった気分だ。
早くこんな砂漠から抜け出したい…
一日走っても一週間走っても景色の変化はほとんどない。
夢の中でも砂漠を走っている自分がいる。夢から目覚めた時、かなり疲労困憊で汗をかいていた。目覚めたら目覚めたでまた砂漠を走らないといけない。
そんなネガティヴな気持ちで走っていたら、突然ヘルペス(帯状疱疹)に感染してしまった。
お腹の周辺に発疹ができて痒みを感じるのだが、同時に背中から腰にかけて鈍い痛み(神経痛)が起こる。最初は虫に刺されたのかと思って虫刺されの軟膏を塗るのだけれど一向に治らない。
インターネットで「痒み」「神経痛」「発疹」で検索すると一発で「ヘルペス(帯状疱疹)」にヒット。
ユタ州ブラフのモーテルで数日休養。モーテルオウナーに一番近い病院までどれくらいあるか尋ねたところ40マイル(約64キロ)という答えが帰ってきた。一日で走れないこともないが、それで病状が悪化しても困る。
幸い、すぐ近くにお友だちのお友だちがいたおかげで車で迎えに来てもらって病院まで搬送してもらうことができた。
医師の診断はやはりヘルペス。加齢・過労・栄養不足・紫外線の浴び過ぎが原因で免疫が落ちてしまって起こるのだという。
わずか5分ほどの問診のあと1週間分の薬(抗生物質)を薬局でもらって帰る。
そのお友だちのおかげで5日ほど走るのをやめて神経痛も少しはましになりランニングの旅を再開。
怖かったのは、ネットのとあるサイトで「神経痛の後遺症が残ることもあるので十分に休養を取ること」と書かれていたこと。無理はできなかった。
ただ、走らずにゴロゴロ怠けていることで余計にストレスが溜まるのも困りもの。
ある程度神経痛が収まったことで走り出したら、いつの間にか完治してしまっていたのだ。
砂漠ではメンタルも落ちてしまいがち。
カリフォルニアのモハヴェ砂漠でもずいぶん辛い目にあったが、モニュメントバレーという名前を聞くだけでヘルペスに感染していたあの頃のことを思い出してしまう。
オーストラリアのナラボー平原を走り出した時にも、絶対メンタルで落ちないように、常に気持ちはポジティヴに。ダークでネガティヴなものには一切ふれないようにしていた。
日本に暮らしていれば砂漠の暮らしなんてまったく縁のない世界だし、砂漠のことなんて知る必要もない。
だが、いざ砂漠に足を踏み入れたら、砂漠の蟻地獄にハマってしまうようなもの。
必死でもがきながら砂漠の気候に慣れて、死なないように、生きることに貪欲になって日々を送る必要があるのだ。

今、砂漠じゃない、日本に暮らしていることでホッとしていられる。
だが、疲れている時に夢の中で僕は砂漠を走っている。
走っているというよりも、何か目に見えない力で再び砂漠に引き戻されるのだ。
「こっちにおいで」と砂漠の主が呼んでいる。
「まだ砂漠は終わっていなかったのか…」と愕然とした気持ちで仕方なく砂漠を走る。
もたつく脚で灼熱の太陽光線に晒されながら砂漠の終わりに向かってひた進んでいく。
一度足を踏み入れたらそんな後遺症が残るのだろうか。
砂漠とは、きっとそういうものなのだ。
*アメリカ横断ランニングの旅 YouTube動画再生リストは
こちら
*PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅KAY'S WORLD サイト*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/25(木) 21:18:20|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【のんき屋】

少し前から、ぴあぴのやっているネットショップ「のんき屋」をお手伝いしている。
ぴあぴは店主で私は店長(笑)。
モデルをやったり、写真の撮影をしたり、買い付けを手伝ったり、商品の梱包や発送を担当したりと忙しい。
元来、ビジネスとは縁遠い世界で働いてきて、いろいろと教えられることばかりだけれど、やっていくと面白いものだ。
商売とは、何かを卸値で仕入れて、それにマージンを付けて売る…確かにそれは基本だけれどそれだけではない。
お客さんに満足を提供してハッピーになってもらうことが何よりも大切。
買ってもらった方の笑顔を見るのが楽しいし、たとえネット通販でも、フェイスブックでそのインプレッションを読ませてもらうことでいろいろと刺激になることも多い。
主力商品はぴあぴのセレクトで、エスニック衣料・雑貨・アクセサリ、オーガニック食品などがメインだが、私のPEACE RUNセレクトでPEACE RUNTシャツやランニング足袋無敵、そして最近大好評の一本歯下駄、それに関連した和物も扱っている。
若い女性にも人気があるアパレル関係、他にも多数あるのでぜひ一度は見ていただきたい。
実店舗は大阪天満橋駅近くにあるごろっぴあ天満満天堂内。音楽事務所兼ライブスペースの一角にあるのだけれど、基本は無人販売…(笑)
一本歯下駄の試し履きもできます。衣類はすべて試着オッケー。
のんき屋フェイスブックページのんき屋(ベース)
テーマ:ファッション・コーディネート - ジャンル:ファッション・ブランド
- 2015/06/24(水) 21:45:06|
- あんなモノこんなモノ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【沖縄慰霊の日】

国内で唯一地上戦があった沖縄。米軍が沖縄本島に上陸して80日もの間続いたすさまじい戦闘が、司令部の自決により組織的に終結したのが70年前の今日。
20万人もの尊い命が奪われた過去は消せないけれど、ここから未来に向けて、愛と平和に満たされた「今」をつくっていくことで新たな歴史を築くことができるはず。
本土に復帰して43年、今もいろんな問題を抱えた沖縄の人々に少しでも心の平穏が訪れんことを…。
走ることで平和のためにできることがある…
世界の恒久平和を祈りながらこの世界を走ろう…
2010年、波照間島で終えた日本縦断ランニングの旅のゴール、日本最南端平和の碑の前で誓ったこと。
私たちの誰もが、やさしさと思いやりを持って、笑顔を絶やすことなくいられるように…。
同じ空の下、同じ地球という惑星の上でつながっている我ら地球人が、ひとつになれるその日まで走ろう、走り続けよう。
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/23(火) 22:06:51|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【ある愚か者の場合】
夢の中でその声は聞こえてきた。
鼓膜に響く、低い、それもかなり低い、男の声だ。
「お前にしかできないことをやれ」
とその声は言う。
「直感を大切にして感じるままに生きろ」とその声はなおも語りかける。
僕が声を出そうとすると僕の口は開こうとしない。まるで口をガムテープで固定されてしまったかのようだ。
「お前は話さなくていい。俺の話に耳を傾けるのだ」以心伝心…テレパシーというやつか、どうやら声の主は僕の思っていることをきちんと理解しているらしい。
「目先のことにとらわれる必要はない。すべて最後はうまく行く。信じろ」声は自信たっぷりげにそう言う。
「お前の最終の目的だけをしっかりとイメージしておくことだ。たどり着くべきゴールは見えているか?そこに至る道はすでにレールが敷かれているのだと思え。遠回りをするかしないかはお前次第。変に考え込むと回り道をすることになる。だから、あくまで直感を大切にしろと言っているのだ」
直感…感性のチカラか…。
「そうだ。感じるままでいることだ。頭で考えたことはすべて幻想なのだ。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、ふれられるものはダイレクトに感じればいい。ただそれだけだ」頭で考えたことはすべて幻想…
「幻想…そう、幻だ。実体の無いものだ。恐怖や不安がまさにそれだ。ないものを自分でかってに作ってそれにビクビク震えるのは愚者のすることだ」愚者か、愚か者のすること…。
「お前は愚か者なんかではない。人はみな宇宙から生まれ、宇宙に帰っていく。この世界でのそれぞれの役割は既に決められている。だから、何を考える必要もないってことだ。ありのまま、あるがままの自分で、あらゆるものをすべて受け入れるのだ」なるほど、一理ある。
「人は、考えるからいろんなものを拒んでしまう。拒否するということは一番ネガティヴな行いだ。辛く苦しいことは皆避けたがる。でも、それもすんなりと受け入れるべきもの」つまり、人は、謙虚であるべきなのか…
「そうだ。そのとおりだ。謙虚であることが一番なのだ。生まれたての赤子のように、見るもの聞くもの肌にふれるものがすべて受け入れられれば、きっと目に見えない耳に聞こえない肌にふれられないものもきっと感じられるようになるはずだ」謙虚、素直、生まれたばかりの赤ん坊なら当たり前だな。
「たとえばだ、お前は断崖絶壁に立たされている。一歩足を踏み出せば、高さ100メートルの崖っぷちから真っ逆さまに転落する…そんな状況をイメージしてみろ」
それは恐ろしい…
「恐ろしいに決まっている…それはお前が既に転落するイメージを考えてしまっているからだ」じゃ、どうすれば…?
「一歩踏み出した時点でお前は橋を歩いている。橋の向こうにはお前の仲間が待ってくれている。橋を渡り切った時、断崖絶壁はお前のつくりだした幻想にすぎないということが分かるだろう。最初の一歩に精神を集中するのだ。今その一歩を踏み出す…それが今お前がなすべきことなんだよ」
???
「実体のないものについて考える必要はないのだ。お前たち人間はどうしてそう実体のないものにとらわれるのだ?邪念があるがゆえにいつもいつも無駄に神経をすり減らしている。今を生きて今を楽しめ。未来も幻想にすぎないってことがいずれ分かるはずだ」そう言って声は僕の耳元でフェイドアウトされた。
未来も幻想にすぎない…
だとすれば、僕達は今という時間しか生きられないってことか…。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/22(月) 22:01:47|
- 小説
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【今ここ】

きっと、私を生かし続ける何か見えない力が、私を走らせ続けるのだろう。
頭を空っぽにして、心を研ぎ澄ませて、宇宙の一点…今いる場所に精神を集中する。
確かなのは、「今」「ここ」にいるということ。
「ここ」は、過去でもなく、未来でもない、まさに「今」この一瞬。
繰り返される単調な動きが私を前へ、前へと進めていく。
主体は、他のだれでもない私。
二本の脚に身を委ね、足の向くまま気の向くまま、吹き抜ける風のように大地を疾駆する。
どこかにたどり着くべき旅もあるのかもしれないが、どこにもたどり着くことのない旅があったっていい。
足は常に今という時間をとらえている。蹴り返された地点はすぐさま過去のものになる。
視線の向けられた先は未来だ。
時間軸の流れの中で、生きて走って旅をする。
いつも、新しい何かが始まる…それが「今」「ここ」。

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/21(日) 09:17:03|
- ココロとカラダ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【Keep On Rolling】

旅を終えて数ヶ月も経てば、すっかり現実社会の中で自分自身の居場所が確定してしまう。
それは、正直なところ、旅人のあるべき姿ではない。
旅にあれば、いつも「今」の一点に集中できるけれど、旅から離脱した現実の中では「今」が自分の人生のどのあたりに位置しているのかがしばしば不明瞭になる。
未来が霞んでしまって、過去のいろんな思いでにすがりつく…時間と空間の狭間を浮遊する…そんな愚かな真似はやめよう
転石苔を生ぜず。
転がり続けてきたのなら、立ち止まることなく転がり続けるべきなのだ。
流れる水は腐らない。
一度腐ってしまった水はもう清流として流れることはない。流されるのではなく、腐る前に自ら流れをつくることだ。

ランナーは走るからこそランナー。走らなくなればランナーじゃない。
旅人は旅をしてこそ旅人。旅をしなくなればただの人。
転がれ。転がり続ける石になれ。
流れよ。流れ続ける水になれ。
常に「今」を生きて、居着くことのない自分であれ。

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/20(土) 17:19:42|
- 人生論
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【雨の日には雨の日の走り】

梅雨のさなかでもランナーは走る。
多少の雨なら濡れてしまうに限る。
蒸し暑い日にはそれでちょうどいい。
昔は、雨の日なら、マンションの玄関先で万歩計を付けてその場駆け足をしていたこともあった。

高速道路の下の狭いスペースをぐるぐる走っていたことも…。
日本で一番長い天神橋筋商店街のアーケードの下なら雨の日でもオッケー。
ただし、混み合う時間帯は走らないように…。

雨の中のいろんなランを思い出す…
100キロマラソンで11時間近く雨に打たれたこと…
雨風に吹かれて低体温症になりかけたこと…
氾濫しそうなほど水位が上がってしまった川の濁流を見ながら走ったこと…
大雨洪水警報が発令される中シューズの中まで浸水したこと…
雨のキャンプでテントの縫い目から水が染みこんでウォーターベッド状態になったこと…
思い起こせば様々な雨の思い出が次から次へと記憶に蘇る。

雨は自然の恵み…乾いた大地に潤いを与え、人々に実りをもたらす。
砂漠の乾いた大地を何度か走った。
突き刺すような痛みを伴う暑さ。
後頭部を日差しで照らし続けられると頭がおかしくなりそうだった。
サングラスをしていても強烈な紫外線で目が痛くて開けられないほど眩しい。
40度を超える高温の中を走りながら、どれだけ雨が降ってほしいと願っていたことか…。

それでも、ここは大阪日本。
穏やかに、ごく穏やかに、穏やかな雨が降る…。
雨の日のランニングもまた楽し…。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/19(金) 13:54:44|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
【ヴィーガンについて考える】
昨日は「不食」がテーマでした。
「ブレサリアン」と呼ばれる人たちがいます。
食事による栄養補給を一切せずに空気だけを食べて生きている人たちのことを言います。
通常人間は2ヶ月間食事を断ったら生命活動を停止するものらしいのですが、毎日を青汁とサプリメントだけの生活を送っている日本人がいれば、水分と日光だけで生きていると主張する老人もインドにはいるようです。
仙人が霞を食べて生きているという話をよく耳にしますが、まさにそれを地で行くようなお話。宇宙のエナジーが彼らを生かしているといってもいいのでしょう。
榎木孝明さんの30日間不食達成のニュースはかなり国内でも波紋を広げているようで、そのために直ぐに実行に移す人はまずいないと思うのですが、真似をしたところですぐに挫折してしまうのが一般人。生命の危険を伴うこともあるかもしれませんので、良い子と良いオトナは決して真似をしないようにしてください。
今日は「ヴィーガン」について。
まずはこちらの記事を…
「え?!毎日なんて嘘でしょ??366日フルマラソンを走り続けたスーパー60代夫婦の物語」
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」で出会ったアランとジャネットのお二人、まさにスーパーマンとスーパーウーマン。ローヴィーガンという言葉を初めて教えられたのもこのお二人からでした。

*二人と最初に出会った日のブログは
こちら*二人と丸一日一緒に走った日のブログは
こちら *
Running RAW around Australia 2013公式サイト最初は信じられなかったのですが、彼らはローヴィーガン(Raw Vegan)。工場で加工されたものや加熱調理されたもの、動物性のものは乳製品を含め一切食べず、生の果物と野菜しか食べていません。なのに毎日フルマラソンの距離を走り366日かけてオーストラリア一周1万5千キロあまりを走破されたのです。
*ヴィーガンとヴェジタリアンのちがいヴィーガン (Vegan) 純粋菜食者 完全菜食主義者 乳製品、蜂蜜等も含む動物性の食品を一切摂らず、革製品等食用以外の動物の利用も避ける人々。ヴィーガンは、20世紀半ばになってVeg (etari) anを短縮してつくられた造語である。
ダイエタリー・ヴィーガン (Dietary Vegan) ヴィーガンと同様に、植物性食品の食事をするが、食用以外の動物の利用を必ずしも避けようとしない。日本語の菜食主義者のイメージは、むしろダイエタリー・ヴィーガンに近いと思われる。
ピュア・ベジタリアン(Pure-Vegetarian) 西洋では主にヴィーガンと同義で使われるが、インド社会においては後述するラクト・ベジタリアンかつラクト・オボ・ベジタリアンでない(乳製品は摂るが卵を食べない)人々を言う。
オリエンタル・ベジタリアン (Oriental Vegetarian) 仏教系の菜食主義者 菜食主義であるが、五葷(ごくん。にんにく、にら、らっきょう、ねぎあるいはたまねぎ、あるいは浅葱)を摂らない。食用以外の動物の利用を必ずしも避けようとしない。
ラクト・ベジタリアン (Lacto-vegetarian) 乳菜食者 牛乳やバター、アイスクリーム等の乳製品も食べる人々。チーズは乳製品であるが、牛を屠畜して胃を取り出して消化液を集めたレンネット(凝乳酵素)を使用して作成されたものは食べない。
オボ・ベジタリアン (Ovo-vegetarian) 卵菜食者
卵も食べる人々。鳥や魚、甲殻類等種類を問わない。卵は無精卵に限り摂る人もいる。
ラクト・オボ・ベジタリアン (Lacto-ovo-vegetarian) 乳卵菜食
乳製品と卵も食べる人々。 またベジタリアンの要素は満たしているものの、国際ベジタリアン連合が紛らわしい用語としているものにフルータリアンがある。
フルータリアン (Fruitarian) 果食主義者、果物常食者 ビーガン (VEGAN) との違いは、植物を殺さない食品のみを食べること。(リンゴの実を収穫してもリンゴの木は死なないが、ニンジンは死んでしまう。)収穫しても植物自体を殺さないという考えに基づいて食物を食べる人々。果物、トマト、ナッツ類等、木に実り植物自体の生命に関わらない部分を食べる。より厳格に熟して落ちた実しか食べない人々も居る。
*不食、絶食、断食とは いずれも「食物を体内に入れない」という点では共通している。
「絶食」:主に医療行為やダイエットなど、なんらかの目的のための行為
「断食」:主に宗教的な行為に対して呼ぶことが一般的
「不食」:食欲と闘わずして食べない行為
次のサイトも食事についての興味深い記事がいくつかあります。
*大東流霊的食養道のページ本来の日本人の野菜や穀物を中心とした食生活が日本人にどんな影響を与えていたか、文書でしか知ることはできませんが、察するに最も日本人にふさわしいものだったと思われます。
今、長生きしている人たちの多くは、そんな日本的な食生活をこれまで継続してきたがゆえに元気で活動的に暮らせているのでしょう。
「食事と耐久力は密接な関係にある」という記述が
こちらにあるのですが、それもまた確かなことであると思います。
自然にあるものを自然な形で食べる…なかなか今の時代それが簡単なことではありません。
食習慣についてはもちろんのこと、口にするものについてもあれこれ考えるべき時なのでしょうか。
不食とまでは行かなくても、ローヴィーガンで走り続けることは可能に思えてきました。
アルコールやカフェインもいらなくなるし、あらゆる動物の命をいただくこともないし、
自分に甘い「エゴ」から自然にやさしい「エコ」の生き方に変えられる…。
ランナーの皆さん、食べるもの・飲むものに対してもあれこれ考えてみませんか?
私は人には押し付けたりはしません。
いいと思うものを自分で取り入れて、それを実践してみたフィードバックが皆さんの考えるヒントとなれば幸いです。
「エゴ」から解き放たれた時「エコ」の発想でいろんなことを考えることができるようになる。
そう、平和というのは個々人の内から生まれてくるものであって、外から生じるものではないということ…。
ぴあぴのブログ
「ウチのダンナは冒険家」本日のブログ
「乳がん余命6ヶ月宣告を受けてとった60代ジャネットさんの行動は・・・」
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:食と健康 - ジャンル:ヘルス・ダイエット
- 2015/06/18(木) 23:22:18|
- ココロとカラダ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【不食について考える】
俳優の榎木孝明氏が30日間水だけで過ごしたという
ニュースを知った。
通常、人は1日3食を食べ、最低1200キロカロリーを摂取しないといけないということになっている。
最近、私自身が1日1.5〜2食。摂取カロリーは恐らく1000キロも摂っていない。
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」で砂漠のナラボー平原1200キロで1ヶ月を過ごしていた頃、かなりひもじい思いをした。
その経験から、できるだけ食べずに走れる体をつくろうと食事回数と摂取カロリーを減らし、「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」でいろいろと実験をしてみたのだ。
午前中30キロをほとんど飲まず食わずで走ることもできた。気温は15度から20度程度。それ以外でも、走っている際にバナナやグラノラバーといった軽食だけで、夜はある程度多めの食事を摂っていた。
旅の間、糖質は減らし、野菜や果物中心。糖質を摂らない代わりにタンパク質と脂肪を多めに。
主に食べていたのはドライフルーツやナッツ、そしてツナやいわしのような魚の缶詰。
穀物類もグラノラやマルチグレインのパン、時に米も炊くことはあったがまれ。
それでも月間1000キロは走れるのだということがわかった。
ただでさえ、物価の高いニュージーランド、食費を抑えられるというのは旅人にとってはありがたいことだ。
不食で走ることができるのかどうかは分からないが、
千日回峰行では行者は9日間の断食・断水・不眠・不臥(飲まず食わず眠らず横にならず)の「堂入り」という行を課されるらしい。
「不食」でネット検索すると、いろんなものが出てくる。
水だけで441日生きた人とか土を食べて生きる人とか…。
人間は光合成をすることはないのだろうけれど、水と太陽の光だけで生きていけるのだとしたら凄いことになる。
食べる楽しみを棄てることは難しい。それでも、必要以上に食べるというのはやはりよくないのだろう。
生活習慣病で入院したり手術を受けたりしている同年代の仲間がこれまでにも何人かいたし、今も入院している者もいる。
喫煙や飲酒の習慣もさることながら、飲みたい放題食べたい放題が災いしてそんな結果を招いているのだろう。
健康な体はそう簡単に作れるものではない。歳を取ればどこかにガタは出てくるだろうし、検査を受ければ必ず何かでひっかかってしまうもの。
運動と生活習慣、特に食事に関してはあれこれ考えていきたいテーマ。
人間にとって大切なのはできるだけ自然流であること。
時には胃を空っぽにしてスッキリするために体をリセットすることも必要だろう。
関連動画もぜひ見てみて欲しい。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/17(水) 22:54:30|
- ココロとカラダ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【明日に向かって】

走ることで、自分のためだけでなく、誰かの為にできることがある。
走ることで、誰かを笑顔にすることもできる。
走ることで、社会を、世界をハッピーにすることもできる。
「なぜ走るのか?」
今一度自分の胸に手を当てて問いただしてみる。
私たちの未来を見据えながら、今走っているこの道の先にあるものについてまだまだ考えるべきことがある。
ブレない走りでこの大地を駆け抜けながら、何ものにも依存することなく、共存するというテーマを忘れることなく…。
あらゆるものをありのままあるがまま受け入れて、競わない争わない。
大切なのは、同じ時代を、この地球という惑星で生きて、同じ空の下で「共走」すること。
PEACE RUNの担うミッションは大きい。
常に今あるベストで…明日に向かって…

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/16(火) 22:57:46|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【旅人の仮説:出会うのは与えるため】

誰かに何かを与えてもらおうと思っているだけでは、いつも与えてもらって当たり前と思うだけ。
むしろ何も与えてもらわなかったことで落胆させられることばかり。
いつも誰かに何かを与えられる人であること。
自分が持っているものや知識・情報・経験を惜しみなく与えられること。
与えることが笑顔で返ってくる。
自分が与えたことが誰かがハッピーになれる。そして、それがまた自分自身のハッピーにもつながる。
人に何かを与えることを自身の幸せと思うこと。
分かち合うだけでは足りない。
ギヴ&テイクではなくギヴ&ギヴ。
すべて与えられるのであれば自分は変わる、変えられる。
世の中さえも変わる、変えられる。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/15(月) 23:59:59|
- 人生論
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【引き寄せる】

生きている内にできるだけいろんなことを経験して、いろんな人に出会って、たくさんの素敵な思い出を作る…
それが理想の人生だとしたら、今、僕はそんな人生を歩みつつあるのかもしれない。
求めなければ得られないたくさんの素晴らしいことを、もっともっと自らの力で引き寄せていくべきなのだろう。
常に頭に思い描くのはポジティヴなイメージ。
なりたい自分、実現させたい状況をできるだけ克明に想像する。
そのために今あるベストでなすべきことに取り組む。
もう後には退けないから、全力で邁進するのみ。
今ある日常もすべては人生という旅のひとコマでしかない。
出会いに感謝、つながりに感激、日常に感動!
感性を働かせて、より良き日々を…。
*****
いつもGOOD LUCKを引き寄せるために、愛と平和に満たされた時間を過ごせるように努めること。
世界の平和は個々の平穏な気持ちから生まれてくる。

テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/14(日) 23:59:59|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」報告会】

「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」報告会&「PEACE RUNのつどい」を開催しました。
会場を提供いただいたのはPEACE RUN公式スポンサーのプレザント。
オウナーの上田さんには2013年からスポーツバギーチャリオットCX2をご提供いただいています。
集まった方々はサイクリストであったりランナーであったり歩く人であったり…。
毎回のようにこういった報告会や壮行会に参加して頂いている方もおられるのですが、お友達の口コミや紹介で初めてPEACE RUNのイベントに参加された方も数名。ありがたいことです。
4年前にフェイスブックでつながって初めてお会いしたのは
歩き人ふみさん。
ふみさんはバギーを押して20年前から国内外を含め21400キロを歩き続けておられます。
旅の途中で出会ったあゆみさんを巻き込んで、ふたり旅で歩いた距離は5960キロ。
北海道と徳島で離れた場所で暮らされていますが、世界一周の旅に向けて現在は着々と準備中ということです。
ジャーニーランナー宵さんは長期休暇を使って分割走での日本縦断と台湾一周を走破。
アメリカ縦断やニュージーランドでの旅も現在計画されているとのことでした。
嬉しかったのは、元教え子の3人の女性が参加してくれたこと。
3人とも卒業した学校はすべて違うものの、ある意味同窓生のような存在。みんな立派な社会人として成長した姿を見せてくれたことを、元教師として誇りに思っています。
報告会のあと、ジャンケン大会、自己紹介の時間、一本歯下駄体験コーナーもありました。
PEACE RUNTシャツコーナーも…
会場を変えてその後PEACE RUNのつどい…夜遅くまで盛り上がりました。


PEACE RUNを通じてまたあらたなつながりができました。
友だちの「輪」が「和」となって行く…今回のイベントがそんなきっかけとなれば幸いです。
参加頂いた皆さん、ありがとうございました!心から感謝申し上げます。
次回は
「PEACE RUN2016ヨーロッパ周遊ランニングの旅」の壮行会、恐らく来年4月か5月になるでしょう。
今後とも皆さんの温かい応援・サポートをよろしくお願いいたします!
*この日の写真は
こちら
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/13(土) 23:59:59|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【変化を怖れない】

昔大嫌いだった食べ物がある日突然大好きになるように…
昔全く関心のなかったことに急に興味を持ち始めるように…
昔好きになれなかったタイプの人間がいきなり気になり出すように…
変化はある日突然訪れるもの
あらゆるものが変化していく
変化から逃げてはいけない
変化を受け入れること
変化に対して寛容であること
変化を怖れることはない
それは自身の成長でもあるのだから
自ら変化し続けること
自らの変化を喜べること
*写真:30年前のアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦(当時25歳)
*お知らせ…明日のイベントです!
6月13日(土)ニュージーランド縦断ランニングの旅報告会@大阪
PEACE RUNのつどい〜アドヴェンチャー・ランナーを囲む会
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/12(金) 22:23:44|
- 人生論
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【日常雑感061115〜Keep Smiling】

人を幸せにしてくれるのはやはり笑顔。
人を幸せにするためにまずは自ら笑顔を浮かべられること。
そして誰かの笑顔に対して笑顔でこたえられること。
そうしていけば、きっと誰もが笑顔になれるはず。
笑顔こそが幸せになるための手段。幸せならば人は微笑んでいられる。
旅人ならばいつも思うこと…できるだけ多くの笑顔に出会いたい…。
世界が笑顔で満たされるように、いつもみんなと微笑んでいられるように。
幸せのタネをまこう。幸せの花を咲かせよう。
フランスからやってきた世界一周中のサイクリストアントニーとキャロライン。昨年10月にフランスをスタート。8ヶ月間でヨーロッパからアジアを走ってきました。
朝からサイクルショップLORO CYCLEWORKSを訪ね、中之島公園を散策後、天神橋筋で食事をして、京都に向かって旅立ちました。

今夜と明日は京都泊。舞鶴まで走り、フェリーで北海道へ。小樽から北海道一周15日の旅を終えたら、カナダはバンクーバーへ。
北米と南米を縦断してフランスには11月に戻るとのことです。
*その他の写真は
こちら
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/11(木) 22:02:02|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【ありふれた非日常を楽しむ】
フランスから来たカップルの世界一周サイクリスト、アントニーとキャロラインとディナータイムを楽しんでいます!
彼らのサイトは
こちら*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/10(水) 23:59:59|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【First Anniversary】

一人を愛することが地球上にいる70数億人もの人々を愛することにつながっている。
一人の人間の心の平穏が世界の平和につながっている。
僕たちの未来は、僕たちの過去から生まれてきた現在によってつくられてくる。
時空を超えたレベルで、それらのつながりをより明確で強固なものにしていければいい。
自分の外からやってくるものよりは、自分の内から湧きいづるものを大切に。
形あるものはもちろんだけど、形のない目に見えないものを信じる力を持つこと。
僕は夢とともに生きている。愛と平和は想像するところから生まれてくる。
幸せの種を日々まき続けよう。
ぴあぴとの婚約から2年め、結婚から1年め。
ミュージシャンの妻と冒険家の夫、いろんなリスクに挑みながらも、気持ちはいつも歌っているように陽気で軽やかに…。
すべてはバランス…。
たとえどんなに離れていても、心はいつも同じ空の下、同じ地球の上にあるということ。
信じることでつながっていればいい。
お互いにとってオンリーワンでナンバーワンであればいいな…。
いろんなものが変わってく
いろんなものを変えていく
僕も 世界も 宇宙も
ありのまま あるがまま
生きているって ロックなんだぜ!
*お知らせ
6月13日(土)ニュージーランド縦断ランニングの旅報告会@大阪
PEACE RUNのつどい〜アドヴェンチャー・ランナーを囲む会
6月28日(日)一本歯下駄フェスタ in HIROSHIMA+高繁勝彦トークライヴ
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/09(火) 16:59:02|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【1990年のチャレンジャー】
今からちょうど四半世紀の25年前、西暦1990(平成2)年はいろいろと思い出深い年。20代最後のチャレンジとなる3つのできごとがあった。
6月には生涯で二度目のウルトラマラソン(100キロ)となる第一回目の阿蘇カルデラスーパーマラソンに参加。
前年サロマで初の100キロがかなり歯がゆい結果に終わり、1年間修行しなおし、6時間走や80キロのマラニック等を組み入れて二度目の100キロは阿蘇へ。
この当時は190人程度の参加者。まだ100キロマラソンというのが珍しかった時代。
キロ5分程度のペースで何とか8時間台の完走をもくろんでいた。
後半に余力を残して前半は余裕で走っていたが、やはり壁のような坂は厳しかった。5キロ進むのに標高が200メートルもアップするというのは、フラットなサロマのコースとは違って山岳マラソンに近いものがある。
同じペースのランナーと世間話をしながら気持ちよく走るものの、次第に言葉も少なくなる。
中盤でペースダウン。しかし、残り15キロあたりで再度持ち直す。
結局9時間16分のゴール。
この時の実力でサロマを走れば恐らくサブ9は出せていただろうか。
今となっては悔しい結果だったが、この時のタイムが100キロの自己ベストのままだ。
風光明媚な阿蘇山。また一度走ってみたいところでもある。
この日のブログは
こちら(3回に分けて掲載)
そして、阿蘇カルデラ100キロのほぼ1ヶ月後に、アイアンマンジャパンinびわ湖に参戦。
トライアスロンを始めたのは80年代後半、ウルトラマラソンに取り組む少し前から。
学生時代からロードバイクに乗り、自転車で1日200キロくらいは走れる自信があった。
マラソンも25歳の年にいきなり篠山ABCマラソンで3時間半完走。
問題はスイム。小学生時代に海で泳いでいてクラゲに刺され溺れかけたトラウマがあって、中学は学校にプールがなく、高校の時は鼻炎で体育の水泳の時間は見学。
平泳ぎは何とかできたけれど、クロールの息継ぎができず、スイミングスクールに通って特訓を受け何とか1〜2キロは泳げるようになった。しかし、3.9キロの距離を泳いだのは前年の佐渡ヶ島のトライアスロンで初。ウェットスーツで何とか浮力があったおかげで助けられた。
ところがびわ湖は淡水。海と違って塩分がない分浮力はない。しかも、この日は波も高く、スタートしてからずっと右側から波が来て、息継ぎをする度に波をかぶる。
スイムの途中足に痙攣も起こって溺れかけ、水をたっぷり飲まされた。時間の関門アウトになるかと思っていたが、コースロープで時折休みながら死に物狂いで3.9キロを1時間51分で完泳。ゴールした時には、トランジットには自転車はほとんどなく自分の自転車を含めて数台。
残りの2種目で何とか挽回しようと必死のパッチ。
バイク180.2キロを5時間45分、ラン42.2キロを3時間41分。
総合11時間23分、約800名参加者の内281位。上位150位以内であれば憧れのハワイの世界選手権に推薦してもらえたのだが残念…。
今も忘れることができないアイアンマンジャパンinびわ湖。水泳で肩を痛めてしまって実際これが最後の大会、20代最後のチャレンジの一つとなった。
この日の記録は
こちら20代最後のチャレンジのクライマックスは同年8月。
京都三条大橋から東京日本橋を走る東海道五十三次ランニングの旅。
通勤ランニングをするランナーたちもまだ少なかった頃、走って旅をする人間もほとんど見かけることはない時代。
最小限の荷物を詰めたバックパックを背負って、1日40〜60キロを移動。
この年の夏も例年に無く暑かった。熱中症で2度ほどダウンしかけた。
11日間で523キロ走ったものの、このあとオーバートレーニングによる慢性疲労症候群で自立神経失調症を患うことになる。
100キロ〜アイアンマン〜東海道ラン、短期間の内にこれだけ走れば体もおかしくなってしまう。
ひとたび心と体のバランスが完全に崩れてしまっては修復は難しい。
休む時には休むべきだということを身を持って思い知らされた。
走る足はあるのに全身のだるさが抜けない。
いくら練習しても記録が更新できない。練習不足だと自分に言い聞かせてさらにハードな負荷をかける。それでなお疲労は蓄積される。
その日の疲労はその日に取る。言い換えるなら、その日に抜ける程度の疲労で済ませるために負荷のかけ方も調整する必要があるということ。
何かに憑かれたように走っていたあの頃、体を動かすことのみに生き甲斐を感じていた。
今考えてみれば、おかしな話だ。楽しむことができなくなれば何をやっても辛くなるだけ。
だからこそ、今、楽しく走ることをアピールしている。
辛く苦しいのを我慢して走る必要なんてないのだから。
この旅こそが、今の
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」につながっている。生涯で最も辛く苦しかった旅の一つだ。
この旅の記録は
こちら
25年前を振り返りながら、25年後の自分を思い描いている。
80歳のアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦は、一体どこでどんな走りを楽しんでいることだろうか…。
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/08(月) 21:51:37|
- マラソン・ランニング
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【世界平和の鐘を鳴らせ】

ニュージーランド、クライストチャーチから来たサイクリスト、ナイジェル(Nigel)が
世界平和の鐘を鳴らすために来日。
ナイジェルは、昨年11月から今年の2月にかけて私が走った
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」でスタートからゴールまでいろんな形でサポートをしてくれた一人。メールでキャンプ場や旅のルートなど有益な情報を随時提供してくれたおかげで助けられることもしばしば。
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」で私は2度クライストチャーチを訪問。
一度目は昨年12月、私がクライストチャーチ入りする日にナイジェルはクライストチャーチの20キロほど手前で私を出迎えてくれて市内まで自転車で伴走。
そして、私がクライストチャーチ滞在中、彼の招待でワールドピースベルミーティングに参加。PEACE RUNについてのプレゼンテーションをさせてもらった。
そして、二度目は今年2月の旅のゴール当日。ゴール手前9キロ付近から自転車で他のランナー仲間と共走。
その数日後、クライストチャーチ市内ハグレーパークにあるワールドピースベルを突くイベントにゲストとして招かれ、私も世界平和の鐘を突かせてもらった。
ナイジェルは過去に自転車での日本縦断を3度経験。大の日本好き。現在独身だが、日本人の奥さんも過去にいたという。
今回は4度目の日本縦断サイクリング。5月23日鹿児島をスタートして、北海道宗谷岬に7月ゴールを目指して走っている。
日本にある石垣島を除く4つすべての世界平和の鐘(本州には関西に3つ、北海道は宗谷岬に1つ)を鳴らすのが彼の今回の旅のミッション。
6日には大阪入り。尼崎元浜緑地にある世界平和の鐘を突いたという。
今日は鶴見緑地。明日は滋賀県比叡山延暦寺にある世界平和の鐘を突いて本州にある3つの鐘はすべて終了。来月北海道宗谷岬を訪ね、日本で最後の世界平和の鐘を突く予定だ。
7日、午後1時、大阪鶴見緑地の国際庭園にある世界平和の鐘の前にランナー&サイクリスト仲間9名が集結。
簡単に自己紹介と挨拶を済ませる。

みんなで世界の恒久平和を祈って鐘を鳴らした。

まずはナイジェルから…

以下は、
ワールドピースベルアソシエーションのサイトから
1954年、日本人の一個人が戦争の悲惨さ、核廃絶の尊さを訴えて、当時の国連加盟国65ヵ国のコインと銅を合金して鋳造、世界の心が一つとなり平和のシンボルとなった「世界平和の鐘」をニューヨークの国連本部に寄贈、国連の中庭に設置されました。
この趣旨を継承するため当協会が、世界各国にコインの提供を呼びかけ、世界106ヵ国からの賛同を得て、「世界平和の鐘」を鋳造し、国連と同じ趣旨の「鐘」を全世界に寄贈する運動を推進しています。
現在、世界中に21の世界平和の鐘がある。
こちら鶴見緑地にはワールド・ピースベル・アソシエーションから同型の複製が寄贈されてきている。
鶴見緑地といえば、ちょうど25年前に国際花と緑の博覧会(通称:花博)が開催された場所。当時私も30歳で大阪の公立高校に勤務。学校からの遠足も含め何度か足を運んだ。
25年ぶりに訪ねた鶴見緑地でしばし平和への思いを熱くする時間を持つことができた。
ことあるごとにまたこの鐘を鳴らす機会を持ちたいと思う。
これから訪ねて行く土地でもきっと世界平和の鐘があちこちにあるはずだから。
このあと、ナイジェルと大阪城公園内を散策…楽しい時間を共に過ごした。
この日の写真は
こちらナイジェルのブログ
“Nigel's 2015 Big Japan Bike Ride”
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/07(日) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【講演会&トークショウ@春日井勝川】

愛知県春日井市勝川ベリーニ喜多川での講演会、昨日、無事に終了しました。
2012年に日本一周「絆」一筆書きプロジェクトを走られた波多の明翠さんとのご縁で今年も春日井を(先週の春日井絆マラソンに続いて)訪ねることができました。
昨年に続いて二度目。二年続いて参加していただいた方も、初めて参加された方も、じっくり私の話に耳を傾けて頂けたことに心から感謝申し上げます。

石の上にも三年…とはいうものの、アドヴェンチャー・ランナーとしてPEACE RUNをスタートさせて4年め。なかなかまだ軌道に乗るところまで行っていないのですが、それでも地道に続けていれば必ず結果は出るもの。
あせらずあわてずあきらめず…ウルトラマラソンと同じ、マイペースでいいから、一歩ずつ、ゆっくりと、一歩ずつ前進し続けること。

一本歯下駄をはじめ珍しい履物が…
数々の世界記録を更新されてきた稲垣寿美恵さんとのトークショウ。和田さんの司会進行で進められました。

フランスでの48時間走を世界記録で優勝。フィンランドの24時間走では、6連覇で記録更新中。つい最近開催されたハンガリー6日間のウルトラマラソンでも700キロ超を記録してアジア女性第1位。

トークショウでは、超長距離を走るための秘訣やノウハウを伝授頂きました。それだけの距離を走るにはやはりスイーツは必要なのだということです(笑)。
市販のアミノ系ジェルよりも芋ようかんやチョコどら焼きなどの駄菓子があれば走っていられるのだとか…。
「倒れるところまで走り切らないと手を抜いた気がするからダメ」
というお言葉、肝に銘じます。
そんなことをサラリと言われていたけれど、やはり超人。変態ランナーの究極の姿だと思いました。

交流会でのジャンケン大会
参加された多くの方がランナーで、週末にウルトラマラソンにチャレンジされる方も何名かいらっしゃいました。
旅人がいろんな土地を訪ねて、その場その場で仲間・友だちを増やしていくように、こういった講演会やトークライヴでもじわじわとみんなとつながる、みんながつながることで世界は必ずや平和になっていくのだと思います。
来年もまた春日井を訪ねたいと思います。
お越しいただいた皆さん、ありがとうございました!

*この日の写真は
こちら*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/06(土) 23:00:51|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【考えるまえに動く】

50という節目の年を過ぎてはや5年。
自分の二本の脚を使って2万キロばかりをこの惑星で走ってきたけれど、まだまだ走るべき道は残されているし、僕の旅は生きている限りエンドレス。
大切なことは頭で考えるのではなく、まず体が動けるようにしておくことだ。
考えてもどうにもならないことは考えない方がいい。
あとから振り返ってみてわかったのは、直感でやってきたことの方がいい結果を出しているということ。
長い人生、それは長い旅でもある。そこには壁もあるし落とし穴もあるかもしれない。
行き詰まっても自ら壁にぶち当たればいいし、落とし穴があるのなら自らはまってみるのもいい。
答えはそこから見つかることだってある。

動物的なカンが働くようにするにはどうしておくべきか?
いつもハングリーであれ。飼い慣らされた動物は飢えることを忘れてしまうもの。
感性のチカラを働かせよ。感性とは、感謝感激感動すること。ハートがダイレクトに教えてくれることに耳を傾けること。何事にも不平不満をこぼさず、ありがく、うれしく、ハッピーに思えること。
自信を持つこと。自信とは、自分を信じること、と同時に自然を信じること。既存のシステムや固定観念にとらわれることなく、この自然界で、自分自身が定めたルールの中で生きていくこと。

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/05(金) 11:27:56|
- ココロとカラダ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【若きチャレンジャー】
走って日本一周中の前田将克さん、現在九州を通過中ですが、兵庫県豊岡市にある
植村直己冒険館に立ち寄った際のことが冒険館のホームページで紹介されていました。
こちらです。
当初はバックパックを背負って、それも脚を痛めてからは距離も伸びずなかなか前進できず、私がバギーを進めたところアマゾンでベビージョガー(私がアメリカ横断で使用したのと同じタイプ)を購入。

連日走っていれば故障も起こる。バギーの後輪車軸に不調が起こりやがて故障。
溶接所を訪ねて修理してもらい走り出すも再び故障。
冬の間、スキー場でのバイトで資金を稼ぎ、春になって再スタート。
ちょうど私がアメリカ横断で使っていたホイールがまだ使えるので後輪2つを彼にプレゼント。恐らくこのままゴールまで走ってくれることでしょう。
自転車でも大変な日本一周…それを走ってやるということ…皆さんには想像がつくでしょうか?
どこに移動するにも二本の脚だけが頼り。暑くても寒くても、雨が降っても風が吹いても嵐が来ても、険しい坂があっても、暗く騒音でやかましく排気ガスで臭くて恐ろしいトンネルがあっても、ひたすら前へ前へとひた進むだけ。
サポートカーやサポートクルーがあればどれだけ楽ができるかわかりません。エイドステーションもないので、唯一頼りになるのは必要なすべての荷物を積んで押して走る三輪バギー。
20歳の若さで、こんな辛くて苦しい(でも最高に楽しい)経験をされる人はそう多くはありません。
長旅ゆえにまだまだいろんなことがあるかもしれませんが、何があっても怖れずひるまず、あらゆることをありのままあるがままに受け入れて、それらが次へと進んでいく糧となりますように。
彼のパワーとガッツと、何事にも屈することなく前に向かって進んでいくチャレンジ精神に、心から拍手とエールを贈ります。
*写真は彼のツイッターとフェイスブックから拝借しました。
前田将克さんのフェイスブック
前田将克ツイッター
@mskt067
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/04(木) 16:09:48|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【冒険家の聖地豊岡へ】
2010年、私は1004番目の、植村直己さんの遺志を受け継ぐ一人になりました。急に豊岡に行こうというお誘いを受け、日高金谷にある
阿瀬というヤマメ料理のお店へ車で行くことになった。
雨も止んで、新緑の渓谷がとても美しい。鳥のさえずり、澄んだ空気…伊賀の里山の風景を思い出す。故郷に帰ってきた…そんな感覚。
料理も絶品(写真はありません)。
ヤマメの刺し身、焼き魚、そうめん、炊き込みご飯、もち、てんぷら、ふだん食することのない山菜も…。
ふだん1日1.5〜2食しか食べない習慣。それでも、今日はいろんなものが美味しくって調子に乗ってしまって、ぴあぴが食べきれない分まで食べたので胃がパンパンの状態で店を出た。
豊岡と言えば冒険家の聖地。かの植村直己さんが生まれ育った土地。
過去に2度訪ねた植村直己冒険館まで、阿瀬からわずか6キロほどの距離ということで、車で移動。

一度目は2010年の最初の日本縦断時、日本海沿岸を北から南に走っていたが、お友達のあべさんから情報をもらって、兵庫県に入り、やや内陸にある豊岡市を目指したのだった。
冒険館を見学、いろいろお話を聞かせてもらい、裏庭でテントを貼らせてもらって一泊。
二度目は、2011年アメリカ横断ランニングの旅に出る直前のこと。
車で豊岡市に向かい、植村さんの生家があった場所を訪ね、日本縦断の旅の報告と、次のアメリカ横断の成功を祈願。
同時に、冒険館で行われていた子供たちのアウトドア活動のイベントにも参加させてもらった。
冒険館の敷地内の芝生で子供たちとキャンプしたのも懐かしい。
最後の訪問から4年ぶりに冒険館へ。
車が冒険館の前に到着…ところが、水曜休館日!
せっかく150キロも車を飛ばしてきた豊岡までやってきたのだが…残念。
入口付近で写真だけ撮って帰ってくる。
また近いうちに再訪しよう。
さらに、出石で皿そばを…もう胃袋はギヴ・アップ。
飽食の極みを尽くしてしまったので明日は断食しようか(笑)。

・
植村直己冒険館公式ホームページ・
植村直己冒険館へ最初の訪問した日のブログ・
二度目の植村直己冒険館訪問した日のブログ
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/03(水) 23:59:59|
- 旅・冒険
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【友だちの友だちは皆友だちだ】
誰でも最初は見ず知らずの赤の他人なのかもしれないけれど、
出会う所からすべては始まる。
あいさつ、握手、自己紹介…
それがやがては親友や恋人、夫婦になる可能性だってない訳じゃない。
そして、出会ったその人がひょっとしたら、自分の友だちとつながっていたということもきっとあるはず。
あなたの友だちが、既に、今出会った人の友だちであるということ。
元を正せば人類は一家、皆兄弟。めぐりめぐって友だちの輪は和となる。
他人なんて、きっと一人もいない。

みんなとつながる、みんながつながるをポリシーにPEACE RUNは世界をかけめぐる。
友だちの友だちは皆友だちだ。
世界はそうやって平和への道を歩んでいく。
:*+:*+:*+:*+☆Love & Peace☆+*:+*:+*:+*:

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/06/02(火) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
【旅の途上】
一本歯下駄でつながったタイからのお友達Jaaくん(27歳)が来日中。
先月、京都で開催された一本歯下駄フェスタで出会ったもう一人のタイ人Naravutくんも大の日本好き。
一本歯下駄が欲しいというメッセージを後にもらったのは彼がタイに帰国したあと。
その後、もう一人彼の友だちが日本を訪問するので彼に一本歯下駄を手渡してほしいということで、今日大阪城公園に現れたのがJaaくんだったのだ。
数日前から大阪に来ていたようで、午前中は大阪城公園でボランティアガイドを務めた。
午前8時、森ノ宮駅で待ち合わせ。
青屋門、極楽橋から大阪城天守閣広場へ。
タイのことをあれこれ教えてもらいながら草の根の国際交流。
聞くところによれば、彼は日本のアニメやコミックが大好きなのだとか。
妻ぴあぴがテーマソングを歌っていた「らんま1/2」も知っていた。
日本の食べ物は何をとっても美味しくて、特に丼ものやうどん・ラーメンは手当たり次第にトライしているのだという。
約2時間、歩きながらいろんなことを語り合って、森ノ宮駅に戻ってきて、Naravutくんに届けてもらう一本歯下駄を手渡した。
少しでも日本に対するいいイメージを持ってもらえただろうか。
彼が帰国して、日本での体験をまた誰かに話すことで、彼の友だちがきっと日本にやってきてくれることだろう。
そして、僕もまたタイを訪ねる日が遅かれ早かれやってくる。
こうやって地道に出会い続けることで世界は少しでもいい方向に向かっていると信じたい。
「絆」とは…
一度つながった人たちの間に生まれるもの。
目には見えないけれど、なぜかその人のためには何かできることをしてあげなくてはと思わされること。
仁義礼智信を尽くすべき関係。
我と個を捨てて、公と宇宙のために身を捧げられること。
一度つながれば二度と断ち切ることができないもの。

旅というのは、訪ねたことのない遠くの土地を訪ねることだけを意味するのではないと思う。
自分の街にいても、知らなかった人と出会い、語らい、お互いが笑顔になれる時間を持つことも、ある意味旅の時間といってもいいのだろう。
地球は僕達のふるさと。
どこにいようと、心が揺れ動くのであればそこは旅の途上。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:今日の出来事。 - ジャンル:日記
- 2015/06/01(月) 19:41:31|
- WORLD PEACE(世界平和)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0