【PEACE RUN回想・快走】

PEACE RUNの始まりはちょうど11年前、2004年の大晦日。
当初は完全な個人的イベントとしてスタート。
自宅のある伊賀市(当時上野市)から約70キロ離れた伊勢神宮にお参りし、世界の平和を祈るというのがスタートでした。
*その日の記録は
こちらあれから11年、いろんなことが変わったけれど、恐らく今が人生の黄金期、今なお青春まっただ中にいて、旅と走りと人生を堪能する日々。
これもいろんな方々の支えがあってこそ…感謝感激感動は絶えません。
もちろん若い頃と同じようには行かないのかもしれないけれど、常に今あるベストで邁進していけばどんなことでもできるのだというのが実感。
思考は目に見える形になって現実化する…そういう意味ではいつもプラス思考、ポジティヴな自分を維持し続けること。
2011年、東日本大震災復興支援としてスタートした
「RUN×10(ランバイテン)運動」2012年は拾活をベースに活動する
”THE SWEEPERS”そして2013年には一本歯下駄で世界平和を実現する
「一本歯下駄クラブ」すべてがPEACE RUNを具体的な形にしたもの。
「みんながつながるみんなとつながる」と「ゆったりまったり…あせらずあわてずあきらめず」がその中には生かされています。
PEACE RUNの4つの柱「平和・夢・健康・チャレンジ」、
世界を旅する中で、ひとりでも多くの人と出会い、出会った人々の心に平穏を、そして笑顔を届けられるように、
これからもいろんな形でPEACEを伝えていきたいと思います。
PEACE RUNのロゴにあるメッセージ"RUN FOR TOMORROW(明日に向かって走れ)"は世界平和の実現に向かって、夢と希望に満ちた明日を思い描くことをアピールしています。
来年2016年春には
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」の第3章ユーラシア大陸
「PEACE RUN2016ヨーロッパ周遊ランニングの旅」がスタートします。
今後共皆様の温かい応援・サポートをよろしくお願い致します。
*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/31(木) 00:43:54|
- 未分類
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【夢銀行のおはなし】
ある日、夢博士はかわいい孫娘の夢子ちゃんから質問を受けました。
「ねぇねぇ、博士。あたし大きくなったらお姫様になりたいんだけどどうしたらいいの?」
「夢子ちゃん、素敵な夢だね。よしよし、教えてあげよう。
夢ってのはね、いったん頭の中にできあがると『夢銀行』ってところに自動的に預けられるんだよ。
預けられた夢は一度に引き出せない。少しずつ現実の世界に引き出していくしかできないんだ。
引き出した夢がひとつの形になるまでは時間がかかるし、夢を預かってもらう期間は預けた人が生きている間だけ。
だから、生きている内に全部引き出せるようにしないといけないんだよ」
「夢を引き出さないまま死んじゃったらどうなるの?」
「その夢はかなわないまま、その人の人生も終わっちゃうんだよ。
たいていの人はね、子供の頃に預けた夢を大人になるまでに忘れちゃうのさ」
「せっかく預けたのにそれじゃもったいないわ」
「そうだね。ただ、預けている間に利息ってのがつくよ。どんどん夢が膨らんでいくんだ。
夢が実現することを考えれば考えるほど大きくなるんだ」
「どうやったら預けた夢を引き出せるの?」
「それはね…わしにも分からないんだ。…夢をかなえるために今できることを一生懸命頑張るくらいのことだろうね。
大切なのはね…あきらめないことさ。これが自分の夢なんだって強く信じ続けることなんだよ…」

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/30(水) 18:20:54|
- 超短篇小説
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【ナルシスト考】
「高繁さんってナルシストですね」とよく言われてきたが、あまりそんな意識はなかったのです。
自分のことはまあ好きだけど、好きで好きでたまらないという訳でもありません。
旅人は一人旅をしていると写真を撮るのに風景くらいしか撮るものがないんですね。
自転車で旅をしてたら自転車と風景…(当時25歳の私)

バギーを押して旅をしていたらバギーと風景…
たとえそれが砂漠でも…(アメリカユタ州モニュメントバレー)

平原でも…(オーストラリアナラボー平原)
どんな美しい、感動するような風景であったとしても、風景だけの写真ばかりじゃつまらないでしょう。
だから、自分自身も風景の一部になったつもりで、風景に溶け込んでしまうのです。
完全に風景に同化できるように、意識も切り替えて…。
それは、初めて訪ねた街に、旅人として入り込むのではなく、まるで昔からそこに住んでいた地元民(いわゆるジモティ)になったつもりで…。
私の写真は基本セルフィ(=自撮り)。三脚などを使って地面にデジカメやスマホを置いてセルフタイマーでの撮影。

ランナーも風景の一部になるとまたいいもの…(三重県伊賀市)
基本、人生は自画自賛でいいのです。
自分を否定するよりは思い切り自己肯定できるナルシストである方が幸せだと思います。
自分を好きになれなければ他人も好きになれない…
他人のアラ探しをしたり、他人の失敗などにクレームを付けたがったり、やたら攻撃的な方がどこにでもおられるものですが、恐らくそんな人は自分に対しても不平や不満があふれていて、なかなか自分を好きになれないのでしょう。
本当はとても素晴らしい人であるはずなのに、自分のプラスをじっと見つめるより自分の欠点ばかりに注目してしまう。
それじゃ、人生もったいないでしょう…って言ってあげたくなります。
誰だって嫌われたくないし、多少なりとも人から好かれる方が気持ちがいいものです。
誰かに迎合するとか、こびへつらうとかそういった類(たぐい)のものとは違うんです。
素直に、謙虚な気持ちで、人や物のいいところを見る。これって結構プラス思考…ポジティヴだと思いませんか。
自分をもっと好きになりましょう。自分を大切にしてあげましょう。
頑張っているのだったらそれなりに自分を褒めて労ってあげましょう。
自分も大好きで、他人も自分のように大好きになれる人になりましょう。
そう考えているので、自分も人も大好きな人間でいようと努めています。
ナルシストは悪いことではありません。ナルシストこそポジティヴな生き方…。
曰く、為せば成る、なりたい人がなるナルシスト…(笑)
自分をいかにカッコよく、素敵に見せるか…それは研究し尽くされるべき課題でもあるんです。
一本歯下駄を履いても、走っていても、普段でも、自分のいい表情や、見栄えのするポーズをあれこれ考えてみること。
今自分自身が最高に眩しく輝けるその瞬間を切り取ることなのです。
そしてまた、自分に対する厳しい視線も必要…自分自身に妥協はしない。
デジカメもスマホのカメラも、何度でも撮り直しができる。何枚も撮ってみてベストの一枚を記録に残す。
いやいや、記録よりも記憶に残すために…。
*「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/29(火) 20:27:38|
- 人生論
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【クリスマスプレゼント】

妻ぴあぴへのクリスマスプレゼントは、何気なく思いつきで買ったたこ焼き器とセラミック包丁用のシャープナー。
たこ焼き器はホットプレートなので鉄板を変えるだけでいろいろアレンジして使える。
幼い頃、我が家にもあったたこ焼き器。家族でたこ焼きパーティを何度もやったけれど、それも遠い遠い昔。
18歳でひとり暮らしを始め、結婚して単身赴任、その後離婚。
ひとり旅に出ている時間も長く、家族と暮らす時間というのは限られていたから、やはり家庭的なモノや家庭的な時間の過ごし方には今も憧れる。
天満満天堂も、出入りする人たちがみんな家族のような存在だから、今はある意味大家族での暮らし。
そんなファミリーでもこのたこ焼き器がきっと重宝してくれることだろう。
あっ、あくまでこれは妻へのプレゼントですから…(笑)。
*写真はイメージです。
そして、今日届いた、3日遅れのクリスマスプレゼントは妻ぴあぴからのミシンでした〜!

一本歯下駄の鼻緒を先日手縫いで作っていたところ、ミシンの話が出て、ぴあぴがネットで購入してくれたのでした。
ミシンを使うのは小学校の家庭科依頼約45年ぶりだけど…ついに裁縫男子デビュー!!
*
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- 2015/12/28(月) 23:59:59|
- 日常
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【不安定さを求めて】

去年の今頃は
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」で夏の南半球ニュージーランド南島のレイク・テカポを訪ね、キャンプ場にテントを張って、ゆったりまったりとした時間を過ごしていた。
正直な話、先のことなど何も考えていなかった。
不安定な人生ではあるけれど、不安などとっくの昔に吹き消されてしまった。
人生は「なるようになる」ものだし「なりたい自分になる」という思いですべては解決する。
安定するのは居着くこと。居着くことはたくさんの隙を生み出すこと。
ならば、不安定な中でバランスを保ちながら進んでいけばいい。
安定しないから、不安定であるからこそ楽しくも面白い人生だってきっとあるはず。
傍から見れば、人生波乱万丈、本末転倒、支離滅裂に見えるかもしれない…それでも我武者羅に全力前進。
人生は一度限り、甘く見ていてはいけないけれど、今あるベストでやっていくしかない。
見るからに不安定な履物一本歯下駄を履いてテカポ湖湖畔を歩きつつ、ルピナスの花々に癒やされながら「今この一瞬こそが永遠なのだ」という結論に僕は必然的に到達するのであった(写真)。
*
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- 2015/12/27(日) 23:59:59|
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【2015年私の10大ニュース〜PART6】
*娘の瑞樹と13年ぶりの再会
今年最大のニュースはやはりこれだろう。
娘が6歳7ヶ月の時に離婚して、当時は名古屋に家があり、単身赴任で三重県伊賀市に暮らしていた。
仕事三昧で家庭を顧みず、1日16〜20時間、年間350日仕事をしていた。
さよならも言えないまま別れてしまったのが悔やまれた。
懐かしの名場面集(笑)


もう逢えないかもしれない…そう思い続けて10年以上が過ぎたのだが、2013年の2月2日、ふと私のブログに非公開コメントが届いたのだった。
お父さん!瑞樹だよ!!覚えていますか?あなたの娘です。
ちっちゃい頃は折り紙たくさん折ってくれてありがとう^^
お母さんには内緒で検索してみたらブログやってたなんて!
何十年ぶりにあなたの顔を見られてとても嬉しいです!
私は元気だよ!お父さんも元気そうで本当に良かった^^
大好きだよ。
一瞬驚いて、何かの間違いかいたずらかと思ったのだけれど、何度読み返しても娘の瑞樹に間違いないと確信。
瑞樹は愛知県名古屋市にある中高一貫の女子校の2年生だった。
この年は、9月から半年
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」へ。
翌年2月に帰国、そして2014年の11月から今年2月までは
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」へ。
その間もツイッターのDMやメールでやり取りは続いた。大学進学に関して、小論文や志望理由書の添削などもメールを通じてやってあげた。
英語の課題に関しての質問も時折手伝わされた(笑)。
晴れて進路も決定し、京都の私大に合格。一人暮らしが3月末からスタート。
6月に瑞樹は19歳となり、そのほぼ一ヶ月後に大阪天満橋の天満満天堂を訪ねてきてくれたのだ。
京阪の天満橋駅に迎えに行くが、さあ、どんな顔をして13年ぶりに娘と逢うことになるのか、不思議な事だが自分でも気持ちがコントロールできないくらい。
早い時間に駅に着いていた娘は、突然後ろから「お父さん!」と声をかけてくれて、僕は無意識の内に彼女を抱き寄せハグをしていた。
13年もの間「お父さん」と呼ばれたことがなかったので、それが自分への呼びかけと気づくにはずいぶん時間がかかったように思う。
まるで娘が、未来の世界からタイムマシンに乗って現代にやってきてくれたかのような…そんな気にもさせられた。
6歳7ヶ月の彼女はまだ指しゃぶりをしていたし、こんなに背も高くはなかった。
13年もの歳月の流れを感じる…二人にとっては空白の時間だったのか。
その日の天満満天堂…りょうたくんもやってきた
その後、大阪のUSJを訪ねたり飲み会があったりする際にはこまめに泊まりに来てくれるようになった。
8月には心斎橋のライヴハウスSOMAにも来てくれた。
書道コーナーがなぜかあって、そこで彼女が書いたのは「家族」という二文字。
10月にはミナミ(心斎橋・難波エリア)にも親娘でデートに出向いた。
フェイスブックページに瑞樹がアップした写真とそのコメント「お父さんと大阪デートしてきました(*^-^*)おいしいもの食べすぎてお腹パンパンです笑」
絵を描くのが好きな彼女、本当は芸術関係の大学に進学したかったそうだが…なぜか法学部(笑)。
ぴあぴと義理の兄になるりょうたくんと私をイラストにしてくれた。
親としても夫としてもあまり自覚のない自分ではあるけれど、一人でいる時間が長かった分、家族というものの大切さはひしひしと感じている。
曰く、世界の平和は家庭から…
再会した日のブログは
こちら*
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- 2015/12/26(土) 23:59:59|
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【2015年私の10大ニュース〜PART5】
*
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」ニュージーランドの旅は2014年11月スタートで今年の2月に終了。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」の第二章
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」のオプションとして3ヶ月で約2800キロを走った。
*「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」の総括は
こちら去年のクリスマスは南島のジェラルディンという街の静かなバックパッカーズホステルで過ごし、今年2015年の始まりはニュージーランドで迎えたのだった。
1995年に一度
ニュージーランド自転車旅行で訪ね、その20年後にランニングの旅で再度訪ねたけれど、やはりニュージーランドは旅人天国。
日本の、北海道を除いたくらいの大きさだけど、人口は約450万人。羊がその10倍はいるのだという。
大自然の中で、ゆったりまったり時間を過ごすことの大切さを実感した。
と同時に、ニュージーランドは成熟した大人の社会でもある。一人ひとりの国民が自立することを目指し、困っている人々には手を差し伸べる。
要は、人もモノも大切にされる国だということだ。
自然といかに共存していくかということについても、ニュージーランドで教えられたことが多々ある。
原発のない国。限られた資源をムダにしない、できるだけ自然を自然なままとどめておくというスタンス。
道路ではかなりたくさんの日本製中古車が走っていた。新しい物は少なく、10万キロ以上走ったものが多い。
イギリスからの移民が多数占める国で、質実剛健を重んじる傾向も有る。
大陸ではない島国だからこそ、同じ島国に住む日本人と共通する部分もあるのだ。
今回の旅で、ニュージーランドは「いつか住んでみたい国」のベスト3に入ってしまった。
ビザ無し滞在3ヶ月では時間が足りなかったため、まだ走り切れていないエリアが残っているので近い将来再度走りに行くつもりだ。
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」のベストショットをお楽しみ下さい…。
標高1000m級の峠を超えて…北島デザートロードにて
ヒツジたちはただ黙々と放牧地の草を食む…僕もただ黙々と走り続ける。

牧歌的な風景の中を走る…
プカキ湖の眺め
早朝のレイク・テカポ湖畔を一本歯下駄がゆく…
サザンアルプスの眺め、まだ残雪が結構あるようだ。

海あり山あり湖あり滝あり氷河あり…ニュージーランドは大自然の宝庫
オットセイたちは道端近くの草むらにもごろごろ転がっていた(カイコウラにて)
ニュージーランドでは平坦な道はほとんどない。国土の大半は山なのだ。
青空と白い雲がニュージーランドには似合う…

地道の凸凹やガタガタが実はかなり大変。手から腕、肩、全身に振動が…

トレイルも充実…車が一切入ってこないのはストレスフリーだ
ダニーデンのボールドウィン・ストリート…最大傾斜37パーセント。ギネス・ブックに「世界で一番険しいストリート」という名目で登録されている。
インバカーギルのクイーンズパーク

ニュージーランド最南端ブラフにて

ゴールのクライストチャーチを目指して共走…
ゴールはクライストチャーチ大聖堂前…ここも震災で被災した街…
*「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/25(金) 23:59:59|
- 旅・冒険
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【2015年私の10大ニュース〜PART4】
*
メディアとPEACE RUN
今年もいくつかのメディアに登場した。
テレビとラジオ、雑誌の3つに取り上げられたが、一番大きなものはジェイ・スポーツ
Wings For Life~World Runの解説担当として番組に出演したことだろう。
約6時間に渡る番組、まさにPEACE RUNの精神「共存共走」を絵に描いたような大会。
世界中のランナーと同じ地球という惑星で、同じ空の下、走ることでつながっているということを実感できるのだ。
その中で「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を紹介して頂く時間もあった。
その日のブログは
こちら 8月にオンエアされたNHKラジオ第一のラジオ深夜便「ないとエッセー」では、「走ることは生きること」というテーマで4回に渡り語りを担当。
第1回「人はなぜ走るのか」
第2回「“旅ラン”の楽しみ」
第3回「広がるランナーの輪」
第4回「走って世界を平和に」
ラジオは過去にいくつか出演したことがあるけれど、あらかじめ書いた原稿を朗読、録音というのは初めての経験。
原稿もかなり書き直した。音だけのメディアなので、耳で聞いて理解しやすい言葉を使わないといけない。あまり難しい言葉は避ける。
内容としても聞いていて情景がすぐにイメージできるようなものを…という注文があった。
原稿ができたら次は音読練習。
長年教師をやっていて、生徒たちに一方的に語ることは慣れたものだったが、一人のスタジオで原稿を感情を込めて読むということはあまりしたことはない。それでも、ディレクターさんからお褒めを頂いたのは嬉しかった。
聞いていた方々からの感想もなかなか好評。
実家の両親が聞いていたようで、「あれは実に良かった!アナウンサーなれるで」と父親からも褒めてもらえた。
7月末に実家に帰ったら父親がこんなものを作ってくれていた(笑)。

*
ラジオ深夜便公式ページ そして、最後に創文企画の
「ランニングの世界」(第20号)に寄稿。
「駆け足の人生〜アドヴェンチャー・ランナーは地球を駆ける」というエッセイを書かせて頂いた。
いつもブログを書いたりしているので書くこと自体は苦にならないけれど、3000字という制限がネックだった。
書きたい内容をまとめ、整理する…これが至難の業。
書きたいことは腐るほどあるし、そのうち何を取捨選択するか…書いては消し書いては消しを繰り返し、完成間近で再度面白く無いから最初から書きなおしたり…。
「ラジオ深夜便」の内容とダブらないようにするということも含めて、PEACE RUNを紹介しながらこれまでの自分自身のランニングとの関わりをまとめないといけない。
ブログなどは独りよがりの内容でも特に問題はないけれど、この「ランニングの世界」の編集主幹は山西哲郎先生。早い時期から市民ランナーの先駆者として活躍されていたファンランの大家とも言える御仁。
原稿の依頼を受けた時から、襟元を正される思いでしゃきっと背筋が伸びる思いがした。せめて一ランナーとして誇りと責任ある文章を書かねばという気持ちに自ずとさせられた。
原稿が完成し、送ったあとも「あれでよかったのか?」と何度か自問自答したが、10月の発刊のあと、自宅にも二冊が届き読み返してみた。
ランナーとしては異端児のようなアドヴェンチャー・ランナーではあるけれど、この原稿を依頼される際に山西先生は、「私と山西先生が説くランニング観は方向性として共通するものが有る」とおっしゃられていたそうだ。
あくまでも自然流…そして、走ることを心から楽しむこと。
今、この「ランニングの世界」(第20号)を読み返してみる。
活字として一体どれくらい多くのランナーの目に止まっているか分からないけれど、少なからずアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦の発信する情報が世に与える影響というものがあるのだろうと感じる次第である。
書店では手に入らないけれど、
創文企画に直接申し込めば随時手に入れられるそうだ。
来年もまたどんなメディアからお声がかかるかわからないけれど、ありのままあるがままの自分で情報を発信するというスタンスは変わらない。
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「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/24(木) 23:59:59|
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【2015年私の10大ニュース〜PART3】
*相馬・南相馬訪問
もう5か月も前のことになるのだ。
2012年にたずねて以来久々の福島県訪問。
原発事故のあった福島を再度訪ね、オーストラリアとニュージーランドで集めてきた義援金を届ける旅。
2011年、東日本大震災のあと
RUN×10(ランバイテン)運動をスタートさせた。
ランナーが1キロ走るごとに10円を貯金して被災地に送る取り組み。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」はそもそもは東日本大震災被災地のための復興支援からスタートしたのだった。
東京からは近くに思える福島、大阪から車で行くとなるとかなり遠い。
仙台のチャリティマラソンに参加するというミッションがあったことで、今回の旅が実現した。
Q(ku:)の芝田吾朗さん、妻のぴあぴが同伴だ。
東京から合流したエスパー清田くん、そして別便でやってきた天晴レ天女ズのお二人と原町で再会。
福島の子どもたちに何ができるのだろう…オーストラリアやニュージーランドを走りながら考えていたことがいろいろとある。
願いは一つ、子どもたちが笑顔で暮らせるようになることだ。
先延ばしになっていたことがようやく実現…
原町聖愛保育園と相馬市さとばたけ報徳センター、飯豊小学校に義援金を届けることができた。


それだけでなく、原町聖愛保育園では清田くんのスプーン曲げパフォーマンスと天晴レ天女ズの体操、南相馬の37カフェでも清田くんは子どもたちの前でスプーン曲げを披露。


実際に、被災地を訪ねなければわからないことも多々ある。現場の空気は現場に出向いてこそ初めて分かるもの。
僕は政治家でもないし実業家でもない。世界を動かすだけのパワーには乏しいかもしれない。
それでも、一人の人間として、考え行動することはできる。
やっている取り組みを自己満足とか、偽善とか言われることもない訳ではない。
それでも決してネガティヴな気持ちにならず、平和への思いを福島の子どもたちとシェアすることは価値の有ることだと思っている。
ポジティヴな気持ちが世界をいい方向へと導いてくれるように…。
ネガティヴな経験をした人たちが、さらにネガティヴな方向に引っ張られては元も子もないのだ。
個人にできることはたかが知れているかもしれないけれど、今後もPEACE RUNの原点に基づいて、できるだけの支援は継続していくつもりだ。
*
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- 2015/12/23(水) 23:59:59|
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【2015年私の10大ニュース〜PART2】
PART1からの続き…
☆武装ではなく和装キャンペーン
今年は特に和装に力を入れた一年だった。
「武装ではなく和装」
和装の「和」は平和と調和の「和」。
和(なご)む、和(やわらぎ)といった読み方もできるこの漢字。
「和」は音を同じくする「輪」にも通じる。
和が保たれていれば自然と人の輪が広がっていく。
作務衣、着物、袴など着ていると、和装の良さを改めて教えられている。
夏にはふんどしも締め始めた。
和装で気づくのは、自然素材の素晴らしさ…木綿や麻、絹など、肌に触れる感触が化学繊維とは完全に異なるということ。自然の恵みで本当は十分なはずだったということを学ばせてもらった。
自然のものを身に着けていれば自ずと自分らしくいられそうな気がする。
そういう訳で、走る時以外はできるだけ自然素材の和装に努めている。
和装につながったそもそもの始まりは次にあげる一本歯下駄だったというのも面白いことだ。
☆一本歯下駄フェスタ
2013年、一本歯下駄の魅力に取り憑かれ、一本歯下駄を購入して履き始め、走る時にシューズを履く以外は大半一本歯下駄で過ごしていた。最近は一本歯下駄で早歩きやスロージョグも楽しんでいる。
「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」にも一本歯下駄を持参し、ウェリントンやクライストチャーチはじめ幾つかの都市で一本歯下駄を履いて歩いた。
一本歯下駄があまりにも楽しい履物であるがゆえに、妻のぴあぴがやっている
のんき屋でも一本歯下駄を扱い始めた。
そして、全国各地で一本歯下駄フェスタを開催するようになり、今年もいろんなところを訪ねた。
ランイベントの合間に一本歯下駄仲間が集まるような場面も多々あった。
4月は島根の
奥出雲ウルトラおろち100キロ遠足(とおあし)の会場で、5月には京都、大阪城公園。

そして愛知県春日井市の絆マラソン会場ではチーム絆が一本歯下駄を履いて走った。
6月に広島、7月には仙台のチャリティマラソンにも。

9月に再度京都で一本歯下駄サミットなるイベントも開催した。
そして10月は大阪マラソンの前日受付会場となるインテックス大阪で。
11月は愛知県弥富市の弥富チャリティマラソン会場、そして大阪市鶴見区の鶴見緑地ではシティランニングフェスタでも。
個人的にも数え切れないほどの場所に一本歯下駄を履いて出向き、数え切れないほどの人々に一本歯下駄を履いてもらい、数え切れないほどの人が一本歯下駄を手に入れて履いてくれている。
普段の街歩きはもちろん、トークイベントや同窓会、酒宴の場でも一本歯下駄は欠かせない。
今やPEACE RUNそのものよりも一本歯下駄で知られるようになった感もある。
元はといえばPEACE RUNの活動の一環としてスタートさせたのが、
一本歯下駄で世界平和実現…をテーマにスタートした
一本歯下駄クラブ。
フェイスブック上の公開グループだが、クラブのメンバーも今年総数300人を超えた。
英語版のフェイスブックページ”
One-Tooth Geta Club”もスタートさせ、英語での情報発信も行っている。
時折海外からの問い合わせもあって、やはり一本歯下駄は人の興味を引くフットウェアなのだろう。
来年も一本歯下駄で全国主要都市をできるだけたくさん訪ねよう。一本歯下駄を通じていろんな交流が生まれ、世界に新たな流れが生まれてくれることを期待している。
*PART3につづく
*
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- 2015/12/22(火) 23:59:59|
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【2015年私の10大ニュース〜PART1】
ざっと思いつくままにこの一年を振り返ってみた。
ランキングの順位は問題では無いのだけれど、思い返せば今年もいろんなことがあったな〜。
1) 娘の瑞樹と13年ぶりの再会
2)「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」
3)テレビ出演(ジェイ・スポーツ Wings For Life~World Run)
4)ラジオ出演(ラジオ深夜便「ないとエッセー」)
5)ランニングの世界寄稿
6)武装ではなく和装キャンペーン
7)相馬・南相馬訪問
8)一本歯下駄フェスタ(大阪・広島・奥出雲・弥富)
9)50K6DAYS
10)55歳*****
☆55歳そうなのだ。
1960年生まれの私は今年55歳。
ちなみに体組成計では体内年齢は30歳と表示されます。
気がつけば60歳まであと5年。
5年前、50歳になる年に教員を辞めてアドヴェンチャー・ランナー デビューしたのがつい昨日のことのよう。
この歳になって何を破天荒・ハチャメチャやっているのか…といろんな方にも言われてきたけれど、これが自分にとっては正道なのだと言い聞かせながらここまでやってきた。
先のことは何一つわからないけれど、夢と希望を胸に抱きながら邁進していくまでだ。
応援して頂いている皆さんにはいつも感謝感激感動です。

今後ともよろしくお願い致します!
☆50K6DAYS昨年に続いて今年も50キロを6日間連続で走る個人イベントを実施。
昨年は7月だったが今年は8月。
ぴあぴの自転車伴走のおかげで30度を超える暑さの中でも何とか持ちこたえることができた。
このイベントの少し後にファスティング(プチ断食)もやったけれど、食べなくても走れる体に改造されつつあるのを実感した。
野菜果物中心で低糖質な食事。乳製品や肉は摂らない。
ファスティングの効果としては胃袋が小さくなって少しの量を食べただけでお腹が膨れるのはありがたかった。

6日間の内にもランナー仲間が共走しに来ていただいて大いに励みになった。
定期的なイベントとしてやっていきたいもの。
*次回 2015年私の10大ニュース〜PART2につづく。
*
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【トレーニングクリエイター宮崎要輔さん来満】

19日午後6時に天満満天堂で開催されたイベント
「トレーニングクリエイター宮崎要輔氏を迎えて」では、筋肉博士ともいうべき宮崎さんによる様々なトレーニング法を披露して頂けた。
一本歯下駄GETTAを開発された背景には、人に秘められた様々な可能性を引き出すために体をどう動かせばいいのかという疑問と向き合いながら様々な試行錯誤があったはず。
体のメカニズムを知るのはなかなか簡単なことではない。一本歯下駄を履き始めてからわかったことだが、力任せに動くことはやはり無駄な力を使うだけ。
ランナーが一本歯下駄を履いて歩く時、無理に着地した足で地面を蹴るのだが、足で地面を蹴ることなく全身が前に進んでいこうとする力をうまく足にのせて体幹を使って移動するのが理想。
プロアスリートたちの体の使い方を研究して生み出された独自のトレーニング理論を紹介して頂いた。
普段使わない筋肉を意識して動かすことで全身を活性化する機会になっただろうか。

肩凝りや腰痛、膝痛、猫背など不自然な姿勢が引き起こすいろんな問題も、ちょっとしたエクササイズで改善できるのだということを教えられた。

参加したのは大半がランナー。みんな一本歯下駄を持っておられる方。
結構ハードな動きもあったけれど、目からうろこのような気付きと発見もあった。

私は新たに宮崎さんから提供頂いた後(くるぶし)一本歯下駄MUSASHIを一足お先に手に入れた。
また新たな楽しみが…(笑)。我が家の下駄箱は文字通り下駄だらけ。シューズはどんどん少なくなっていく…。
最近天満満天堂ではバランスディスクに片足立ちしたり、一本歯下駄を履いてバランスディスクに片足立ちしたりするトレーニングに皆精を出しています(笑)。
うれしいことに毎月第3土曜日に宮崎さんのワークショップを開催して頂けることになりました。
*
スポーツ工芸ブランドarucuto 一本歯下駄マガジン
*一本歯下駄GETTAは
こちら*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
- 2015/12/20(日) 23:59:59|
- ココロとカラダ
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【ゴール】

ゴールはいつも一つの節目、そして通過地点。
それでも、スタートから長い道程を経てランナーがやっとたどり着いた場所。
自分で自分を褒めてあげるべき場所。
一生懸命頑張ったランナーの苦労を労って拍手と歓声を贈ってあげる場所。
そして、それぞれのランナーにとっては、次なるチャレンジのスタート地点…。
僕たちランナーは走る…走り続ける…人生における真のゴールを目指して…。
Go The Distance!
ランニングは「シェア」を楽しむものなのかもしれない。
同じ時間に同じ場所を走り、平和な「今」という時間をシェア。
ランナーも応援している者も共にゴールの喜びをシェア。
共に走りあったランナーたちと健闘をシェア。
カップルで、親子で、家族でゴールをシェア。
改めて思う…走るってやっぱり素敵だ。
走るって最高だなぁ。

*
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2015/12/19(土) 23:59:59|
- マラソン・ランニング
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【ありふれた今日であっても】

どんなに平凡でありふれた一日であっても、それは自分の人生。
今日が昨日の続きで、明日は今日の続き…そんな風に考えずに、毎日毎日が新しい一日だと思えるように。
同じように見えたとしても、今日は昨日と違う一日だし、明日も今日とは違う一日だと思えるようにしよう。
同じように見えるのはただ変化に気づいていないだけ。

五感を働かせて、感性のチカラで生きていけばいい。
目に見えないものを観る眼、聞こえないものを聴こうとする耳があればいいだけのこと。
心のあり方ひとつで、空の蒼さに心動かされたり、風の爽やかさに何か感じられたりするものがきっとあるはず。
感性のチカラとは…いろんなものや人に感謝、そして感動・感激できること。
心と体、すなわち自分の命を使って生きるのはもちろん、魂が喜ぶような日々を生きたい。
生きて生かされている心と体とは別に、永遠に滅びることのない魂で生きていけるように…。
ありふれた今日を愛おしく生きよう。

*
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テーマ:よく生きる - ジャンル:ライフ
- 2015/12/18(金) 23:59:59|
- 日常
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【Peace Be With You】
先に何が待っていても、不安や恐怖ではなく夢と希望を持ち続けようと思う。
一度しかない人生…生きて生かされている幸運に感謝感激感動。
不平や不満を持つことなく、いつも幸せと喜びの声を上げていられるように…。
日は西に沈んでも、どこか東の空でまたこの世界を照らし始める。
世界は回る…そして僕らは前に進み続ける。
世界は愛と平和に満たされる…大切なのはみんながそう思い続けること。
「凛カーネーション」by 天球ぴんぽんず
*
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- 2015/12/17(木) 23:59:59|
- 未分類
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【人生は航海】
人はみな、ある意味航海という名の冒険に出ている。
大海の上では何が起こるかわからない。
安定を求めても船は荒波に揉まれ大きく揺れることもある。
凪いだ静かな海で安らぎの時間を過ごすこともある。
そう考えると、自分の人生をどう生きるかなんてのはあまり重要ではないのかもしれない。
心の平穏を持って、出会う人々と同じ今という時間をこの地球という惑星で過ごせる、ただそれだけで十分なんじゃないかと思う。
恐れや不安を持たず、愛と平和に満たされた時間を同胞たちと分かち合う、僕らはそうするために地上に舞い降りたんだろう。
どんな場面にあっても、自分が自分らしくいられるために、本来の自分を忘れずにいたいと思う。
まだまだ航海は続く…真の自分自身と出会えるその日までは…

もうあとには戻れない…
だから振り返ることもしないし、ひたすら前に進んでいくだけ…
*
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- 2015/12/16(水) 21:18:45|
- 人生論
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【そらのもり〜その2】

熊本県上益城郡御船町にあるOrganic Cafe そらのもり〜おがた農園で迎える二日目の朝。
あいにく天気はどんより曇り空。
雨のやみ間に近くの国道を少し走った。
そらのもりの入り口
熊本市内に向かう車は結構多い。
ここから熊本市内まで26キロという標識がすぐ近くにあった。
今日ライヴ二日目は午後2時半から。

リハーサル風景
今日の会場は元診療所のあったところ。


平日にもかかわらず参加して頂いた皆さん
ライヴの中で撮影した動画を一部…
ヒカリノコ〜New Version
Smile
大人子供
アンコールに「くるくるマシーン」
ライヴを終えて、午後6時半頃熊本を出発、車で大阪に戻ります。
*
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- 2015/12/15(火) 23:59:59|
- 日常
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【そらのもり〜その1】
熊本県上益城郡御船町にあるオーガニックカフェそらのもり〜おがた農園で目覚めた朝。
快晴の熊本…そう寒くもない。

何より空気が美味しい。
昔懐かしい五右衛門風呂も…

敷地内にある建物は元診療所だった
農園の作業場
とれたてのニンジン
縁側のあるお家に住みたい…と思った朝…
古き良き時代の日本の香りがした…
朝食風景
裏山にある巨大ブランコ…農園の園長先生いいちろうさんが命懸けで作られたもの
アルプスの少女ハイジごっこができる(笑)
ぴあぴがそのブランコを体験
一本歯下駄登山を試みる…

登りは何とかなったが下りは粘土質の土で危険を感じ、ソックスを脱いで裸足に…
心地よい空気に包まれて…
子どもたちの遊び場は必ず外…この子たちにはデジタルツールは全く関係なさそう
ライヴは夜。お昼にリハーサル。
子どもたちと一本歯下駄で戯れる時間。

大人も子どもも、一本歯下駄で盛り上がるカフェ

ディナーバイキング…何を口にしてもとにかく美味しい

そしてライヴ…

飛び入りのお客さんも加わり盛り上がる一方。





かように楽しい夜は更けていく…
この日の写真…
ライブの様子は
こちら
ライブ以外の写真は
こちら*
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- 2015/12/14(月) 23:59:59|
- 日常
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【熊本へ】
筑紫野のお友達てとさんのところで一泊して、ご自宅の窯で焼いた美味しいパンのランチをお昼に頂いて、いざ熊本へ。
国道3号線をたどってひたすら南へ。
熊本を訪ねるのは恐らく4度め。
1983年夏に自転車で九州一周をしたのが最初。
二度目は1990年の阿蘇カルデラスーパーマラソン(100キロ)。
三度目は
「2010年のPEACE RUN日本縦断ランニングの旅」。
2010年には博多から佐賀を抜けて、唐津や伊万里経由で来たので、途中国道から外れてはいるものの、熊本市内に宿泊。
いつも愛飲しているコーヒーを送ってもらっている
Coffee【豆】伊勢屋さんをまず訪ねる。


今回の
イベントを企画していただいたのも伊勢屋さんのご縁。
ご主人と4人で養生カレーを食べに行って、その後、そらのもりという農園&オーガニックカフェへと。
熊本市内から車で1時間足らず。標高200mを超える山の中にある。
とにかく自然が一杯で空気が美味しい。
朝になったら写真を撮りに行こう。
店のオウナーのあきこさんとそのお父様としばらくお話をしていた。

衣食住をすべて自力でやろうと言うスーパーお父さん。
若い頃は会社勤めだったけれど、脱サラして農業を営む。家も造って、食料は自給自足。
いつか蚕をかって絹を作るために養蚕もやろうという。
ぴあぴが最近興味を持って研究している菌についてもあれこれ既に実践されていた。
熊本の夜、気温も高くそんなに寒くもない夜。
昭和の時代を感じさせる古民家で、透明な空気の匂いを感じていた。
*
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- 2015/12/13(日) 05:59:59|
- 日常
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【Q(ku:)ライヴ in 福岡】

二年ぶりにQが福岡でライヴをやりました。
Q(ku:)は芝田吾朗さんと妻ぴあぴのユニット

大阪天満橋から車に乗って山陽自動車道をひたすら西へ…約8時間かかりました。
途中のパーキングエリアで見たペットボトルのクリスマスツリー
会場は福岡市にある今泉ル・ブルトンというフランス料理店。とてもオシャレなお店。
料理も美味しかった(写真撮ってません)。
言葉で説明するよりも音と画像で…
司会は吾朗さんの姪にあたるあずちゃん担当

「タイトルなし(インプロ)」
「僕の宇宙」
「ネオリズム」(途中で切れています…)歌でみんなをハッピーにする…
愛と平和に満ちた時間と空間を提供することが人々の癒しになる…
僕はミュージシャンではないけれどミュージシャンに憧れるのはそんなところにも理由があります。
「マンモススンスン」の歌は私アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦が作詞、ぴあぴが曲をつけてQが歌っています。
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」で偶然拾ったマンモスのフィギュアに「スンスン」という名前をつけてしばらく旅をしたことがベースになった歌です。
*
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- 2015/12/12(土) 23:59:59|
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【憧れのホノルルマラソン】

そろそろホノルルマラソンのランナーがハワイ入り。
1988年を皮切りに過去に5度走ったホノルル。
この時が生まれて初めての飛行機搭乗、と同時に生まれて初めての海外旅行でもあった。
自己ベスト2時間52分台を最初に記録したのもホノルル(1989年開催の第17回大会)。
まだ東京マラソンなどの都市型マラソンが日本では開催されておらず、第一次ランニングブームの当時はホノルルマラソンこそが市民ランナーの憧れの大会でもあった。
スタートに並ぶ約1万人のランナー。データによればこの年は約6000人の日本人ランナーが参加したという。
*2014年の第42回大会は総参加者数30434名中日本人ランナーは13454名。
見るもの聞くものすべてが新鮮だったのは初めての海外ということもあったが、日本では体験できないようないろんなことが経験できたから。
圧巻だったのはラストハーフマイル(800m)。
ゴールとなるカピオラニ公園の直線道路の両脇には応援の観客がずらっと続いていて、その拍手や声援の凄さに腰を抜かしそうになったこと。
アメリカンホスピタリティというものを身を持って感じさせられた。
ゴール直前に"Katsuhiko Takashige from Japan!!"というアナウンスが聞こえると、両脇にいる観衆からは拍手だけでなく凄まじいほどの歓声が沸き起こる。
くたびれきった脚も体もそれで元気を取り戻し、一気に奮い立たされテンションが上がるのだ。
諸手を挙げてのゴール!!
フィニッシュラインを越えるとすぐに、僕は腕時計のストップウォッチを止めた。と同時に、ボランティアの女性から貝殻製のペンダントを首にかけてもらった。
それまでの日本の大会では経験したこともなかったような劇的なゴール…
やはりハワイまで来てよかった…と実感させられた。
レースの翌朝、フィニッシャーTシャツを着て街を歩いていると地元の方から「おめでとう」と声をかけられたりしたことも懐しい。
最後に走ったのは1993年だったか。
結婚したら妻と、子どもが大きくなったら子どもと走ろうと言う密かな夢もあったけどどちらもまだ実現はしていない。
妻ぴあぴは走る気はないというので娘に期待がかかっているが…さてどうだろう?
(過去のブログから…)
*
ワイキキの熱い砂*
ホノルルマラソン回想
*
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テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2015/12/11(金) 17:56:52|
- マラソン・ランニング
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【HAPPY BIRTHDAY,DEAR FATHER!】
*1991年の私(当時31歳)と我が両親今日は父親の84回めの誕生日。
両親ともに昭和6(1931)年生まれで健在。
多少ボケてはいるのかもしれないが、よく食べよくしゃべりよく歩く二人。
ここ数年病院に通うこともなく、元気で暮らしてくれている。大した親孝行はできてないけれど、実家に帰るたびに温かく迎え入れてくれるのは本当に嬉しい。
父は昔から旅好きで、写真や山歩きも好きだった。若いころに始めた趣味の俳句を60年ばかり続けている。関西俳人教会の事務局長を務めてもいた。
定時制高校に通いながら朝日新聞社で定年まで働いた。高卒というだけで、あとから入社してきた年下で大卒のエリートたちに媚びることもなく黙々と働いてきたことは称賛に値する。
父は父なりにいろいろとやりたいこともあったろうけれど、数年前に自転車で走っていて倒れてから心臓にペースメーカーが入っている。
手術したあと開口一番、「俺はサイボーグだぞ」と気取るようなお茶目なところもあって笑える。
それでも健康で長生きできたことこそ父の誇り。
彼ができなかったことを今、自分が代わりにやっているようなところもあるのかもしれない。
「男なら大きな夢を持って冒険しろ、チャレンジしろ」と、今までも、今もなお後押ししてもらってきたおかげで今の自分がある。
いつあの世に逝ってもいい…と会うたびに言うけれど、100歳くらいまではまだ大丈夫のような気もする。
父の若い時代の写真を見ながら、最近いろんなところで父親に似てきたなと思うところも多々出てきたように思う。自分でも電話で父の声を聞くたびに、声がそっくりであるだけでなく、話し方まで似てきたなと思うことがある。
血は水よりも濃し…同じDNAが受け継がれているということに感謝しよう。
夕方、宅配便が届くが、父親の誕生日なのに、妻のぴあぴあてにお歳暮が…

大好物の播磨屋のおかき詰め合わせセットが…
本当に息子孝行の父親…感謝感激感動!

この夏、里帰りした時のディナー風景

我が両親は完全なアナログ世代。
父はずっとワープロを使っていた。ほぼ使いこなせるようにはなったけれど、最後に使っていたNECの文豪というワープロも故障してしまって、ノートパソコンを買ってあげたが、それも操作がワープロに比べて複雑なので途中で放棄。
両親揃って、インターネットはもとより携帯電話も使ったことがない。
ファックスを過去に買ってあげたが使いこなせないのでオクラ入り。
相互の連絡は電話かハガキか手紙のみ。
私が
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」に出向いている間は、ぴあぴが私に変わって、私の旅で撮影した写真入りはがきを送ってくれていた。
父に電話をして、ぴあぴからもお礼を言ってもらった。凄く喜んでいたに違いない。
また夫婦そろって実家に帰ろう…。

ぴあぴの長男良太くんと、今年夏、13年ぶりに再会した私の実の娘瑞樹(いろいろ複雑な事情があって両親は娘に一度も逢ったことがない)もぜひ逢わせてあげたいものだ。
*2016年1月の
イベント情報もご覧下さい!
*
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- 2015/12/10(木) 19:24:49|
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【IMAGINE】

想像するところから全ては始まる…
宇宙旅行やインターネットがそうであったように、いろんな発明や発見はそもそも想像の世界から生まれてきたのでは…。
絵空事ではなく現実と夢はどこかでつながっているのだと信じてたい。
ジョンはその接点をイマジンで教えてくれたのではなかったか…。
目に見えるものだけがすべてではない。
今、僕たちが想像しているものも、きっとどこか別の世界に既に存在しているはず。
今は離れたところにあるのだろうけれど、いつか二つの世界が一つになる時がきっとやってくる。
想像された世界が現実のものとなるように、僕は、その接点にいつも立っていたいと思う。


*写真は今日の大阪城公園
*その他の写真は
こちら*
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- 2015/12/09(水) 22:20:45|
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【12月8日】
今日はジョン・レノンの命日。
当時彼は40歳、あまりにも早過ぎる死だった。
もし生きていたら彼も75歳。
彼の願う平和な世界にはまだ遠いのだけれど、必ずそんな世界はどこかに存在している。
想像しよう…世界中の人々が平和に暮らす姿を…。

そして、今日は「対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)」
1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。
元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまった。
アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉とした。
---
「今日は何の日(12月8日)」から引用
*****
過去の歴史は当然変えることはできない。
ならば、今どうあるかで理想の未来は築き上げられる。
今生きて生かされている私たちの手に未来は託されているのだ。
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
*
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- 2015/12/08(火) 21:22:29|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【深呼吸】

旅をしていていつも心がけていたのは、こまめに深呼吸をすること。
時々深呼吸をしてリフレッシュするのは、頭にも体にも効き目あり。
ゆったりまったりのスピードで走る分には、1日40〜60キロのランでは大した疲労もない。
週に1〜2度休養日を入れてのリカヴァリーは必要だけれど、体は動かせば動かすほど細胞が活性化するので新陳代謝もより盛んになるし、その証拠に、切り傷や擦り傷などはひと晩経てば驚くほどのスピードで完治する。
そして、メンタルをポジティヴモードにセットすることで、体はあらゆるウイルスをはねのけてくれるのだ。
旅のさなか、虫歯にもならず、風邪を引きかけても睡眠時間を多めに取るだけで翌朝にはすっきり目覚めることもできる。
旅をしている間は爪や髪の毛の伸びるスピードも早まるのではないかと思われる。
科学的なデータは取っていないので分からないが、誰か自分を研究対象にしてもらえれば、人体の秘密もいろいろ解明されるようなことがあるかもしれない。
ここ5年ばかり健康診断も受けていないが、健康体は維持できている。
今年の夏に3日間ファスティング(プチ断食)にトライしたが、体重は通常よりも5キロばかり落ちた。今もその体重は変わらず。外食をして一時的に体重が増えても、運動して排泄すればきちんと元に戻る。
体脂肪も5〜6パーセントを推移。
体は自然にデトックスすることを覚えたのだろうか。
55歳という年齢は決して若いとはいえないのだけれど、体組成計によれば体内年齢は30歳と表示される。
家では乳製品や卵製品は摂らない。米も1週間か10日に1度ばかり雑穀米を食すが、肉はほとんど食べていない。
ファスティングのあとやはり胃は小さくなっているのかして、少し食べれば満腹になる。
妻ぴあぴが作る豆乳ヨーグルトや甘酒を毎朝とっているおかげでお通じも快調。
水と空気と食べ物、できるだけ汚れていないもの添加物や保存料のないものを意識して摂りたい。
そして、空気だ。
緑や木々の多いところで深呼吸をしよう。
自分自身の体を構成する60兆もの細胞がいきいきと活性化できるように。
体の声に耳を傾けるために体との対話の時間を欠かさず持とう。
過去に体の声を無視して、オーヴァートレーニングが元で慢性疲労症候群になったり、睡眠障害になったことがあったが、眠い時には眠り、お腹が空いたら食べ、疲れたら休む。
今はそういったことを徹底している。
いろんな制約があってなかなか思い通りに行かなくてもあせらないあわてない。
気持ちはいつでもゆったりまったり。
何かに追い立てられるのではなく、いつもマイペース。
自分が何かにコントロールされていると思うと辛くなるから、いつでも主体は自分にあると思っておくのがいい。
人間関係然り、時間やお金に関わること然り。
数字には感情はない。数字に振り回されていてはいけない。

朝起きたら窓を開けて深呼吸だ。
背伸びをして体の節々を動かしてみる。ラジオ体操も真剣にやればかなり体には聴く。
そして、顔を洗ったら鏡の前に立ち、鏡の向こうにいる自分に微笑みかける。
一日の始まりを楽しく迎えられるように、好きな音楽をBGMに流すもよし、美味しいコーヒーを味わうのもいい。
ゆったりまったりと流れる時間を堪能できればそれでいいのだから。
仕事に出かける前にも深呼吸。仕事を始める前にも深呼吸。仕事の合間にも深呼吸。
そして、仕事が終わったら深呼吸。
一日の節目節目に深呼吸をすることで、体と心が対話する時間を楽しもう。
寝る前に深呼吸をしながら瞑想するのもいい。
何かに祈りを捧げるのも…。
恐怖や不安を感じそうになった時にも深呼吸。
人は、呼吸をすることで生きて生かされている。
深呼吸することで、穏やかな気持ちになって、穏やかな時間を過ごす。
感謝や感激、感動の気持ちが自ずと湧いてくるならば、体は必ず活性化する。
それを無駄な時間と思うようになってしまえば穏やかな時間を持つことはできない。
リラックス…リフレッシュ…リカヴァリー。
あせらないあわてない…ゆったりまったり…。

*
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- 2015/12/07(月) 20:35:50|
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【川の流れのように】
深く静かに流れる大河のように、何があっても動じることなく、思うままに生きていける自分でありたい。
自分自身の存在理由を明確にし、常にこの世界との接し方を考えながら、他者への気配り・配慮を忘れず、太陽のような笑顔を絶やすことなく、ポジティヴな気持ちで前に進んでいくこと。
旅も人生も、ある意味自分自身の修業の場、様々な苦難や試練は覚悟の上、どんなことがあっても乗り越えていけるだけのタフでハードな自分になるために、日々全力前進。
ランナーであり、旅人である前に、一人の人間として、正しい生き方を全うすることが求められている。
先のことは深く考えない。今ある自分のベストで、今この一瞬を精一杯生きられればそれでいい。
求めるものは少なく、自分が発揮しうる力は最大限に。
命ある限り、自分自身を究極のレベルまで高めていくこと。
明日はいつでも新しい日、何の失敗もない。
だからこそ夢と希望を胸に、新たに生まれ変わった気持ちになってその日その日を迎えよう。
いくつになっても成長し続ける…老いている暇なんかない。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」のフライや(チラシ)を作成しました。
お店やオフィスで貼って頂ける方はこちらの、pdfファイルをプリントアウトしてご利用下さい。
*
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- 2015/12/06(日) 23:59:58|
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【アドベンチャーサイクリストたちは地球を駆ける〜JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブ】
1991年、131日かけてロスアンジェルス〜シアトル〜ニューヨーク・マンハッタン11628キロを自転車で走った今もリアルタイムで地球を駆けまわる仲間たちがいる。
人力で移動するのもいろいろあるが、一番手っ取り早いのは自転車。徒歩やランニングに比べて一日で進める距離も100〜150キロ。バッグをキャリアにつければ荷物もかなり運べる。水と食料を積んで道路があればどこにでも走っていけるというメリットは旅人にとっては最高である。
フェイスブックなどのSNSのおかげで、インターネットに接続できる環境にあれば彼らの動きも手に取るように分かる時代。旅人から発信された情報を得て、私たちは彼らの旅を一部分ではあるが共有することもできる訳だ。
私も所属している自転車冒険家たちの集まり、JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブ。公式サイトは
ペダリアンドットコム。
「民族、国境を超越した一人ひとりの“友情”の成果が“平和”へ貢献、寄与することを認識し、地球をペダルによる友情の足跡で埋めつくすべく、民間大使として国際交流を深めよう」を活動目的に前進を続けています」
という趣旨のもと、
池本元光さん(現JACC代表)が1979年に設立。
池本さんは、1968年から4年4ヶ月の歳月をかけて世界5大陸47カ国を走破、日本人として初の自転車世界一周記録を打ち立てた。
池本さんのあとも、記録に残っている限りでは、100名近くのサイクリストたちが世界一周の旅にチャレンジしてきており、今もリアルタイムでこの地球の何処かを銀輪で駆け抜け轍を残している。
JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブが設立された1979年は、私自身も自転車に興味を持ち始め、サイクリングを楽しんでいた頃だった。
「サイクルスポーツ」という自転車専門雑誌を定期購読していたが、そこに紹介されていた海外を走るサイクリスト(JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブのメンバーもいた)たちの活躍を興味深く読んでいたものだ。
私の旅と冒険の原点は自転車にある。学生時代に始めた国内での自転車旅行、これがきっかけとなって
アメリカ横断、
アラスカ北極圏〜カナダ横断、
ニュージーランド&オーストラリア横断自転車旅行へ…。
本当なら自転車で世界一周を目指すはずだったが、諸事情で断念。
トライアスロンにも一時期ハマっていてびわ湖で開催されたアイアンマン・ジャパン(トライアスロン日本選手権)にも出場。3.9キロ水泳、180.キロ自転車、42.2キロマラソンを11時間あまりで完走。
*アイアンマン完走記は
こちらマラソンに出会ったのが25歳、その後ウルトラマラソンにのめり込んで、走り旅(旅ラン)に魅せられたことが、今のアドヴェンチャー・ランニングにつながっているということは間違いない。
自転車との出会いがなかったらマラソンもやっていなかったかもしれないし、世界五大陸を走る
PEACE RUNも存在しなかったはず。
何がきっかけで人生が変わるかは誰にもわからないものなのだ。
現在、世界を走っているJACC日本アドベンチャーサイクリストクラブのメンバー、30代の若者3名を紹介しよう。
いずれも個性豊かな若者たち。
小口良平さん(35歳)
2007年3月9日オーストラリアをスタート。ニュージーランド、東南アジア、中国、中近東、東ヨーロッパ、アフリカ、ヨーロッパ、西アフリカ、北アメリカと走ってきて現在南米ペルー。
10年をかけて150ヶ国140,000キロ走破を目標に自転車で世界一周中。旅の資金は会社勤めをして貯めたお金を捻出。
植村直己冒険賞受賞の
中西大輔さんの130カ国の記録を塗替え、日本人最多訪問国記録を打ち立てるのも時間の問題。
現在は南米ペルー、来年には帰国される予定だ。
*小口さんのブログ
地球一蹴●ちゃりんこ世界一周☆の旅-Rio Cycling Around The Earth
出堀良一さん(31歳)
2009年6月6日、アラスカをスタートして現在世界一周中
8ヵ国目の中米コスタリカの首都サンホセの西100キロほどの太平洋岸のキャンプサイトで、テント泊中の深夜、強盗に襲われ、顔面殴打、絞首され意識喪失、愛車等を強奪に遭っている。
JACC日本アドベンチャーサイクリストクラブの迅速な手配で自転車等を受領し、再出発を叶え、南米からオーストラリア(砂漠の3000キロを含む)を経てユーラシア大陸へ。そして現在はアルバニア。テントが凍るような気候の中で野宿されたりで大変な様子。これからユーラシア大陸横断へと。
*出堀さんのブログ
Road To World Trip “自転車”世界一周踏闘記
磯田喜之さん(34歳)
2009年8月、カナダ・バンクーバーをスタートして世界一周へと。北中南米走破、アマゾン川イカダ下りにもチャレンジし、一時帰国して資金を貯め、そしてまた旅に出るというスタイルで、今年6月には、タンデム自転車でヨーロッパからアフリカを目指して再スタート。現在はモロッコからサハラ砂漠縦断、西アフリカを南下するルートをたどるのだという。
*磯田さんのブログ:
「現代の秘蔵っこ、磯田よしゆきの自転車世界一周旅行」磯田さんとは日本で何度かお会いしているが、小口さんとはまだ対面していない。出堀さんは2013年のクリスマス前にオーストラリアのメルボルンのホテル前でお会いしたことがある。
まだ他にも地球を駆けまわっている仲間がいる。
大きな野望を胸に、夢と希望をペダルに乗せて走る…
そんな旅人・チャレンジャー・冒険家たちをぜひ応援していただきたい。
私が作ったJACC日本アドベンチャーサイクリストクラブのフライヤー
素晴らしい偉業を成し遂げているにもかかわらず表舞台にあまり出ることはないのは、目立ちたがらない地味な人たちが多いから…か?
いずれにしてもメンバーも高齢化が進み、数少ない若手のメンバーに頑張ってもらわないといけないし、次代を支える若いメンバーを集めていくことが今後の課題となっている。

5日夜にあった忘年会の様子…
2016年1月9日午後6時にはホテルクライトン新大阪で新年会もあります。会員外の方も参加可能です。
詳細はペダリアンドットコムのトップページに…
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「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/05(土) 23:59:59|
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【今日はE.T.の日】

1982年のこの日、アメリカ映画「E.T.」が日本で公開された。
地球に取り残された「地球外生物」E.T.と1人の少年の友情を描いたスティーヴン・スピルバーグ監督の名作は、世界中で空前の大ヒットを記録。
観客は1000万人を突破し、『タイタニック』と『もののけ姫』(いずれも1997年)に抜かれるまで最高の配給収入を記録していた。
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今日は何の日?〜12月4日の記念日から
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当時僕は大学生だった。
映画館でこの映画を見たけれど、単なるSF映画とはまた違った印象を持った。
だいたいのところ、その当時、SF映画で宇宙人と言うと、タコかクラゲのような火星人やエイリアンのような侵略者のイメージが強かったけれど、E.T.は全く違ったインパクトを持っていた。
どことなく間が抜けていそうでユーモアにあふれたかわいいマスコット的な宇宙人。
人の言葉を話し理解する、非常に高い知能を持った地球外知的生命体。
ところが、外観もさることながら異星人というだけで人々の奇異な目にさらされる。
悪意など微塵もない、愛と優しさに満ち溢れたE.T.であっても、我々人類とは違っているがゆえに排他的な目で見られ、よそ者・異端児扱いされる。
異なるものに対して友好的な態度で接するか敵意を持って接するかで相手の立ち位置も変わってくる。
これまでの歴史がそれを物語る。文明と呼ばれるものを持った人々が大陸にやってきた時、先住民に対してどんな態度で接したか。あるいは、平和な土地に突然争いをもたらした人々も…。
違った物同士でも仲良くやれるのであればそれで言うことはない。
さまざまな価値観や個性を持った人種や民族がいるこの惑星でもそれは同じ。
人であろうと動物であろうと、この宇宙に生きとし生けるものならば、基本的にはみな命を持ったひとつの生命体、そんな風に個人的には考えている。
「共存共生」
みんなちがってみんないい…この考え方があることで世界は平和へと向かっていく。
笑い合い、手をつなぎ、助け合う。
みんなが感謝感激感動できる、感性のチカラをもって私達人類がうまくやっていけるのであれば、故郷の星に帰っていったE.T.もまた地球に戻ってきてくれるかもしれない…。
映画 「E.T.」 劇場予告
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「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
- 2015/12/04(金) 23:59:59|
- MOVIES
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【一期一会】

出会いとは、誰かの人生にふれること。
つきつめていけば、誰かの心にふれ、さらには誰かの魂にふれること。
ひとつの出会いが自分の人生を変えることもあるし、誰かと出会うことでその人の人生が変わることもある。
出会いは別れの始まり…別れるのはきっと誰かと出会うため…。
そうやって人は出会いを続ける。

僕たちが生きているというのは、人と出会うためなのかもしれない。
あらゆる出会いに意味があり、その意味を考えることが出会いを良きものにしてくれる。
どこかを訪ねて出会う人がある。そこを訪ねなければ出会えない人もまたいる。


出会いとご縁に感謝感激感動…。
世界を平和にするために、自らの脚で地球を駆けまわる人生を選んだ。走って旅をすることが多くの出会いにつながることになる。
地球上70億人のすべての人に出会うのは難しいけれど、一人でも多くの人と出会えますように…。
今日も良き出会いを…。
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
二年前の今頃走っていたオーストラリアの風景…
どこまでも続く地平線は未来が可能性に満ち溢れているということを物語っているかのようだった…。
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「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」音楽は
天球ぴんぽんずの「すみれロード」
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」の動画は
こちらにも…
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- 2015/12/03(木) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【0 to 1(Zero To One)】

1を2にすることは難なくできるとしても、0を1にするのはそうたやすいことではない。
無から有を作り出すこと。
命のないものに魂を吹きこむように、芸術家たちは歌や曲、絵画や彫刻をつくりあげていく。新しい物が生まれるというのは要はそういうことだ。
思いを形に、思想を行動に、何時の時代においても、世界のどこであっても、世の中を牽引してきた先人たちも皆同じ。
あらゆる困難を乗り越えて(受け入れて)次のステップへとコマを進め、一つ一つの歩みが大きな流れを生み出すまでは決してあきらめなかったのだろう。
目に見えないものを観る眼、聞こえないものを聴く耳を持って、それを広く世界に知らしめるために、よりはっきりとした形で具現化すること。

最初の一歩を踏み出さなければマラソンランナーは決してゴールできない。
最初の一歩を踏み出す前にまずはスタートラインに立つことだ。
スタートラインに立つのは簡単なことか?
スタートラインは見えているか?
そのスタートラインは正しいものか?
あれこれジレンマも伴って自分を取り巻く世界は複雑なものに見えているかもしれないけれど、余計なものをまずは取り去るところから。
シンプルに生きていくために、「0(=ゼロ)」の自分であろう。
1からのスタートではなく「0」からのスタート…。

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「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイト
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- 2015/12/02(水) 23:59:59|
- 人生論
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