【エンターテイナー】

人を楽しませるのがエンターテイナーであるならば、僕はまだエンターテイナーと呼ばれるような存在ではない。
しかし、人を楽しませることが平和につながるのであれば、僕もエンターテイナーになるべきなのかもしれない。
時に、人にいろんな思いを伝える能力が不足しているがために、自分自身をうまく伝えられないもどかしさを感じることもある。
私の場合、ミュージシャンではないので楽器ができる訳でも歌を歌える訳でもないが、周りには妻を始めミュージシャンも多い。音楽を使って自分を最大限表現することもまた素晴らしいことだ。
いずれにしても、人は、この世界ではいろんな思いをもシェアしながら生きていくものだから、自分を表現する手段はひとつでも多くある方がいいし、人間関係を円滑に保つためにもコミュニケーション能力を高めておくこともまた必要なのだろう。
不器用な自分であるがゆえに、いろんなことがうまく伝わらない場合も多々あるし、誤解を招くことだってもちろんある。
大切なのは、誠実であること、謙虚であること、感謝感激感動の気持ちを忘れないこと。
それはエンターテイナーであろうとなかろうと変わらない。
自分を飾らず偽らず、素(す)ままの自分で向き合えるように…
まだまだ修行中の身ではあるけれど、じっくり時間をかけて自分自身を開発していこうと思う。

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- 2017/03/31(金) 21:55:24|
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【One For All, All For One】

目に見えている世界は、ひょっとしたら虚構の世界なのかも知れない。
今、見ているものも、手に触れているものも、実際には存在してなくて、自分自身の意識だけが感じていることなのかもしれない。
だとしたら、少しでもいいイメージを持つ方がいい。
明るく楽しい平和な世界をいつも心に思い描きながら、
やさしさと愛情に満ちあふれた時間と空間がつくられるように…。
走って旅をしながら、いつも心にはそんな思いがあった。
訪ねる先々で、人々とそんな世界をシェアできることを願っていた。
物々しいニュースや、悲しい事件は今も現実に起こってはいるのだけれど、
みんなが少し意識を変えて、フォーカスするポイントをいい風に変化させることができれば、世の中は変わるし変えられるはず。
怒りや悲しみのエナジーは強く、ともすれば、ネガティヴな世界へ人々を引きずり込んでしまうのだろう。
だからこそ、心から祈り続けたい。
個人レベルではなく地球レベル、いや、宇宙のレベルで、あらゆる物事がいい方向へと進んで行くように…。
世界が愛と平和に包まれる、それってそんな難しいことなんかじゃない。
エゴを棄てエコに意識を向ければ、一人一人の心に平穏な気持ちが生まれれば、流れは自然と作られて行くもの。
新たな時代が新たな世界を作り出して行く。
僕たち一人一人が主役、誰もが、みんなのことを考え、誰もが、みんなに考えてもらえるように…。
一人はみんなのために。みんなは一人のために。
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- 2017/03/30(木) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【桜・さくら・サクラ】

一番美しく咲き誇る中で、潔く散るからこそ愛でられる桜。
散るべき時を知っておくことは、ひょっとしたら生きていく上での美学なのかもしれない。
まだまだ散るには早いのだけれど、命ある存在ならば、遅かれ早かれ散るのが定め。
今、どれだけ美しく咲くことができるのか、男の美学を極めることに時間を費やすとしよう。
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- 2017/03/29(水) 23:59:59|
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【Family Reunion】
6連勤のあと2連休。で、娘が京都から訪ねてきてくれるということで、まずは実家へ。
「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」出発前に会って以来娘とも9ヶ月ぶりの再会。
諸事情があって、我が両親と娘(2人の孫)は初顔合わせ。
彼女が誕生した時にも父と母には会わせられなかったという過去がある。
娘が6歳6ヶ月の時にさよならも言わずに別れて以後13年間会えなかったのが、娘からこのブログにコメントが届いたのがもう3年ほど前のこと。
インターネットで「高繁勝彦」を検索したらしく、その後ツイッターやメールでやりとりをして、二年前の夏、ようやく再会に至った訳だ。
*その日のブログは
こちら本当は、富田林のぴんぽん地球ス(テラス)を訪ねて貰う予定だった。しかし、ぴんぽん地球ス(テラス)では天球ぴんぽんずのレコーディングがあったため、今夜は実家で娘ともども一泊お世話になることに。
前日に母に電話で訪ねる旨連絡していたものの、父にそれが伝わっておらず、初めて孫と会った際に、妻のぴあぴと勘違いしていたようだ。
タイミングよく娘の叔母といとこが来てくれて集合写真。
「正月とお盆が一度に来たようだ…」とは父の感想。

孫娘との記念ショット
お外で久々の食事会
2人が生きている間に孫の顔を見せてあげられたのは何よりもお互いにとってよかった。これもある意味親孝行なんだろう。
2人合わせて170歳、多少ボケは入ってきているけれどまだまだ元気だ。
インターネットも携帯電話も持たない2人。完全なアナログ人生を楽しんでいる。
ただ、こちらにとっては不便なことに手紙か電話でしか連絡ができない。
三重県伊賀市から富田林に引っ越してきたおかげで、以前よりはひんぱんに実家を訪ねることができるようになった。
暖かくなったらまたぴんぽん地球ス(テラス)にも来てもらおう。
絵描き志望の娘(某私大法学部在学中)が友達と出した画集。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
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- 2017/03/28(火) 23:59:59|
- 日常
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【Color Your Life】

「つまらない」「面白くない」
そんな風に感じるのなら自ら刺激を求めればいいじゃないか。
自分の人生をモノトーンにしているのは自分自身。

刺激は求めればいくらでも自分の身近なところにあるはず…。
刺激を求めることに億劫になってしまえば、もう既に老化は始まっている。
変化を恐れない。むしろ変化を楽しむもの。
誰かの目を気にするよりは、自分自身が楽しむことを優先する。
求めよう、新たな刺激…。
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- 2017/03/27(月) 23:59:59|
- 人生論
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好きなことには、時間やお金、情熱・労力を惜しむものじゃない。
やりたいことがあるのなら、死ぬまでに必ずそれをやっておくんだ。
人生は一度限り。
後悔することほど馬鹿馬鹿しい人生はないんだから…
*****
父はそんなことを私によく話してくれた。
今思えば、自分に備わった冒険心は父親譲りのものだったのではないかと思う。
父は好奇心旺盛で、新し物好きで、暇さえあれば家を空けて外に出ていた。
昭和6年(1931年)生まれの父は今年12月で86歳になる。
若い頃から俳句をやっていて、吟行と称して休みの度にあちこち出かけるような人だった。
根っからの読書好き、知識や情報を吸収するためというよりはむしろ、本に囲まれた暮らしを夢見ていたのだろう。
あまりにも本を買いすぎて二階の父の書斎は本だらけ…そんなこんなで母親から書店立ち入り(書籍購入)禁止令まで出されたことも過去にあったと記憶している。
父は幼い私を連れて、ことあるごとにフィールドに出かけていた。
未だ忘れられないのは、私がまだ小学校低学年の頃、雪が積もった冬の金剛山(大阪府と奈良県境にある1125mの山)に連れて行ってもらった大晦日の夜。
気温は氷点下。初日の出を拝むために、夜を徹して真っ暗な登山道をヘッドライトの灯りを頼りに歩いた。
父のペースについていくだけでも大変なのに、凍結した路面、急勾配の道で滑りそうになっても父は手を貸してくれない。
手はかじかみ、寒さのあまり泣き出しそうになった私に、父親は「男なら泣かずに歩け」と檄を飛ばした。
父はスパルタ教育で育てられた人。ふだんは優しい父も、必要とあらば厳しさを教える場面も当然ながらあった。
父も私もしばらく無言のまま、私は、少しでも早く山頂に着けることを祈りながら、歯を食いしばってひたすら歩くだけだった。
長い長い登りが終わってようやく山頂の広場へ。寒い夜にもかかわらず私の体は汗だく。
登山客で賑わった食堂で、温かいうどんとおでんを食べながら父は言った。
「寒いのによく頑張ったな。」
大自然の中で強く生きることを教えられた一場面だった。
美しいものには素直に感動し、人には優しさを惜しみなく分け与えることをモットーとした生き方を常日頃から教えてくれたのも父。
父は定時制高校に通いながら美術系の専門学校を出て、朝日新聞大阪本社に就職。
デザイナーとして認められ広告関係の部署で定年まで働き続けた。
職場でもいろんな試練があったのだろう。40年以上も同じ職場で働き続けた父はやはり立派だったと思う。
男ならいろんなことにチャレンジすべきであるということを教えてくれたのも父だった。
ストレートに本音を語ることは少ないシャイな父だったが、教えられることは山ほどあったのだ。
父から受け継いだDNAは既に自分の中に組み込まれているはず…。
父も本当はリスクを冒していろんなことにチャレンジしたかったのだろう。
父が果たせなかった夢を、代わりに成し遂げるミッションを背負っているのは私なのかもしれない。
何のためにこの世に生まれてきたのか…?
数年前まではあれこれ悩んでいたのだが、今はもう迷うことなどない。
私は世界を走って旅をするためにこの世に生まれてきた…
今私の人生は、それを証明するためにあるのだということをここに再認識しておきたいと思う。
父と何の約束もしていないが、父が生きている内に、「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走り終えられたらと思う。
それが、「人生は一度限り」と教えてくれた父に対する、私の親孝行なのかもしれない。

久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
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- 2017/03/26(日) 19:59:51|
- 旅・冒険
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【不可能を可能にするために】

心のあり方を変えるだけで人生は変る…変えられる…
「無理だ」と思った瞬間に
進歩は止まる。
「不可能だ」と口にした途端、
未来はつまらないものになる。
常識を打ち破るのは、
いつも限りなくゼロに近い
可能性を信じた者たちの
純粋の魂なのだ。---近藤 太香巳(こんどうたかみhttp://ameblo.jp/kondotakami/=株式会社ネクシィーズ代表取締役社長)
*******
一見不可能に見えることも、ただそう見えているだけなのかもしれない。
不可能を可能に変える要素は至る所にあるはずだけれど、一番大切なのはメンタルなのだと思う。
不可能と思っている自分自身こそが、実はいろんなことを不可能にしているのかもしれない。
マイナス要素を持つ言葉を使わないこともプラス思考的人生を送るノウハウのひとつだと考えている。
「できない」は「できるかも知れない」
「だめ」は「まだ大丈夫」
「無理だ」は「もうちょっと頑張ろう」
そんな風にニュアンスを変えてみるだけで物事に取り組む姿勢も変わるはず。
いつもいつの時代も、不可能を可能に変える人間がいるから人類は繁栄し続けてきたのだ。
常識にとらわれない自由な発想と、飽くなき夢を追い続ける情熱があれば、人生はもっともっと面白くなる。
可能性を信じて、たとえその時点で0パーセントであっても、明日には1パーセントになっているかも知れない。
ひょっとしたら1週間後には10パーセント、1ヵ月後には50パーセント…。
やがて半年後には70パーセント、いや80パーセントになることだって十分に考えられるのだから。
誰しもが、最初から信じていないことでも、時にそれは起こりうる。
一見「できない」と思うことも「できるかも知れない」から始める生き方、忘れずにいたい。
すべては君の心が決める…思い描くものに君はなればいい…
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/03/25(土) 23:59:59|
- 語録
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【日常雑感032417】

今年も桜の時期がやってきた。
不思議なもので、花は季節を違(たが)えることなく、花を咲かせるタイミングをきちんとわきまえている。
一度散っても、必ず次の年にはまた美しい花を開かせる。
まるで、誰にも教えられることなく、自らの意志で美しく咲くことがミッションだということを理解しているかのよう。
限られた期間に目一杯美しく咲いて、そして潔く散っていく。
日本の国花にふさわしい花なのだろう。
僕自身も、自らの意志で美しく花開く人生を送ろうと、毎年この時期には思わされる…。
まだまだ美しく咲くには時間も労力もかかる。
散ることは考えない…花を咲かせることに全力を注ぐようにしよう。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/03/24(金) 23:50:50|
- 日常
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【リセット・リフレッシュ・リスタート】

よどんだ空気やモヤモヤ感が自分を取り囲み、悩みやイライラがたまれば、自ずとテンションは下がり、波動も落ちる。
切り替えが必要な時もあるもの。
いつも言うことだけど、ココロとカラダは連動している。
そのバランスが崩れるとトラブルやハプニングに見舞われる。
これまでの旅を通じて学んだことのひとつだ。
気持ちが塞いでいたら、それは楽しいことを考えたり、カラダを動かしたりしてリセットするタイミング。
過去と未来にこだわり過ぎたりとらわれたりすれば、ココロとカラダがスタックしてしまう。
今にフォーカスして、頭から過去と未来についての余計な思考はいったんクリアだ。
リセットボタンを押すみたいな儀式というか何かがあるといい。
深呼吸してリフレッシュ。
悪い「気」を吐き出し、いい「気」を取り入れる。
カラダが喜ぶのは体内にいい「気」が満ちて、細胞の隅々まで染み込む時。
ランナーが走り出すのはそういうことなのかもしれない。
カラダ中の関節を動かして、すべての筋肉にも軽い刺激を入れる。
ストレッチとかマッサージなんて大そうなものでなくてもいい。
リラックスしながら、ココロとカラダが踊り出すかのような場面を作り出すだけだ。
五感が冴え渡るようになるのはそれから…。
目には美しいものを見せて、心地よい音を耳に聞かせる。
音楽でもいいのだけど、できるなら小川のせせらぎや鳥のさえずり…自然にある音がいい。
芳しい花の香りを嗅ぎ、いっぱいの水を味わって飲む。
心地よい日差しを浴びたり、爽やかな風を感じたり…。
そうすることで自分自身が解き放たれる時間を持つこと。
さあ、今から、ここから…。
新しい何か素敵なことが始まる予感。
ワクワクドキドキ感がみなぎり始める。
リスタートするのに最適な瞬間を見つけてみよう。
体調を崩したからと言って薬や医者に頼らない。
それもまた自分自身をリセットする場面、自然の流れに身をまかせる。
繰り返すけれど、ココロとカラダは連動している。
今の自分のあり方は自分のココロが反映されたもの。
原因があって結果がある。
いい原因をたくさん作ること…いい結果が生まれてくるために…。
明日は常に新しい日、何の失敗もない…by 赤毛のアン
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/03/23(木) 23:22:20|
- ココロとカラダ
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【「私」が「私たち」に変わる時】

マラソンで競争をやめた時、それは「共走」に変わる。
「私」が「私たち」になった時、何らかの変化が起きる。
私たちは、共に生きて、共にこの地球に存在している。
私たちの人生こそはエゴではなくエコであるべき。
誰かに勝った負けたなんてことにとらわれていても仕方ない。
ランナーであればこそ、同じ時代に生まれ、同じ地球という惑星で、共に走れることを心から喜べるように…。
スローであること、ゆったりまったりであること…
21世紀はスピードではなく、環境が最優先される時代。
地球に生きている誰もが、平和で安全で健康な日々を送れること。
スピードを重視した思想や行動が、様々な争いや摩擦を引き起こしている。
スマイルがあふれ笑い声がこだまする平和な社会の実現を!
スローランニング=共存共走
スローライフ=共存共生
自然と調和した平和な世界…。
あせらずあわてず、ゆったりまったり、生きて、走ること!
平和な世界はここからだ!!
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/03/22(水) 23:59:59|
- エコロジー
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【「ありがとう」は魔法の言葉】
仮に、もし大切な人が突然この世界から消えてしまったら…。
そんなことを時に考えさせられる。
それは、自分の親や兄弟姉妹であるのかもしれないし、配偶者や親友であるのかもしれない。
この世で出逢えた縁(えにし)を大切に、いつでも感謝の気持をもって接することができるように…。
よくよく考えてみれば、私たちはこの世に生まれ、遅かれ早かれこの世から消えてしまう運命。
それが、明日なのか、明後日なのか、ずっと先なのかは分からないけれど、いつか必ずその日はやってくるということだけは確かなこと。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」---村上春樹『ノルウェイの森』(上巻)より
そう、死は、この世に我々が誕生したのと同時に必ずついてくるオプションなのだ。
肉体はこの世での仮の姿、魂は滅びることはないのだろう。
来世ではまた違う存在として新たに誕生すると思えば、死も恐れるに足りない。
5年前に実母を失った妻のぴあぴはこう語っている…
死について・・・
こちらでは最期なのかもしれないけれど
あちらの世界では誕生やと私は思ってる
その方がなんか夢があっていい感じ。
死は悲しむものではなく
本当は祝うことなのかもって思ったりもする。
こちらの世界で生きてる人には
とてもさみしいことだけれど
あちらの世界では
誕生して喜ばれているのかも。
そう想像したら悲しくないよね。
だから私は母の命日はあちらのお誕生日だと思っている。
その日には、あちらの年の数だけろうそくたてて祝ってあげるわ。
なるほどもっともなことかもしれない。
西に沈んでいく夕日は、地球の反対側では東に昇る朝日…そんな風にとらえるのも悪くはない。
この世に生を与えられ、与えられた命で生きて生かされている私たち…。
生きているだけで本当に素晴らしいこと…ご先祖様に、両親に十分感謝しなくてはと今思わされる。
「生きているだけで丸儲け」本当にそのとおりだ。
命ある者だけが現世での今という時間を過ごすことができる、ただそれだけでも幸せで素晴らしいことなのだ。
いつも「ありがとう」の気持ちを胸に、ためらうことなく「ありがとう」の言葉を誰かにかけられるように…。
同じ時代と空間を生きているすべての同胞とともにいられることにあらためて「ありがとう」と言いたい。
そして、私自身も、この世で迎える最後の瞬間まで「ありがとう」の気持ちを忘れることのないように…。
「ありがとう」は人を幸せにする言葉
「ありがとう」は自分自身も幸せになる言葉
「ありがとう」は世界を平和にする言葉
「ありがとう」そう思える今という時間に「ありがとう」
テーマ:癒しと潤いのある生活 - ジャンル:ライフ
- 2017/03/21(火) 07:39:53|
- 未分類
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【ひとたび走り出せば】
ひとたび走り出せばあとはゴールを目指すだけ。
ゆっくりでいいから確実に、ゴールにたどり着くまで走り続ける。
前だけを見つめて、後を振り返ることもない。
旅人こそは、前向きな気持ちで邁進し続ける人なのだ。
ひとたび走り出せば風を感じて前進するのみ。
ひたすら楽しむ…よけいなことは何も考えなくていい。
道中での出会いに胸ときめかせ、ハプニングすら楽しもう。
旅人こそは、ワクワクドキドキ感を持って進んでいく人なのだ。
ひとたび走り出せば時間を忘れてしまおう。
過去にもとらわれることなんてない。
未来を心待ちにして今という時間を堪能する。
旅人こそは、今この一瞬に価値を見いだせる人なのだ。
ひとたび走り出せば風景の一部になろう。
我を忘れて大地に溶け込んでしまおう。
宇宙の塵や芥にも満たないちっぽけな自分であってもいい。
旅人こそは、大きな野望を胸に、ひたすらにひたむきにひた進む人なのだ。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/03/20(月) 23:59:59|
- マラソン・ランニング
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【春風はいつも】

懐かしい香りとともに
春風はいつも
遠い昔の記憶を蘇らせてくれる
まだあどけなさ残る
我が幼年期の
ふるさとの花の香漂う
いつの頃からか
春が近づくと
訳もなくうれしくなり
野山に飛び出した
日が暮れるまで
野山を駆け回った
あれらの日々はもう遠い
柔らかな土の薫り
暖かな風の匂い
透き通る空の青さ
汚れのない雲の白さ
何もかもが
特別に見えた
春の始まり
何か新しいことが
起きそうな予感
春風はいつも
私の心をさらって
どこか遠くへ
吹き抜けていった
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/03/19(日) 19:52:40|
- マラソン・ランニング
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【日常雑感031817】
「ないもの」に目を向けず、
「あるもの」に目を向ける。
否定ではなく
肯定。マイナスではなく
プラス。
心のあり方次第で
人生はどんな風にも
変わりうる。
幸せは、未来に求めるものではなく
今に見出すもの。
そして、
幸せは誰かが与えてくれるものではなく
、自分からつくり出すもの。今日もいい一日を…。
ふと自分の周りの
空気感が変わったような気がしたら、
人とお金の流れが変わり出した。
新しい次元に切り換わる前兆ととらえていいんだろうな。
ほんわか柔らかくて
優しい気持ちに包まれたら、いろんな物事から
メッセージが届くものなのだ。
リフレッシュ、自分自身のリセット、そして、リスタート!
ホンモノの馬鹿というのは、
好きな時に好きなことを好きなように好きなだけやって、
それだけでも生きていけるヤツのことをいうのだろう。
世間の目とか評価なんて一向に気にしない。
ポイントは、
自分自身がやっていることをとことん楽しめるかどうか。
僕が目指しているのはそんな馬鹿野郎である。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/03/18(土) 22:57:45|
- 日常
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【春の朝】

Pippa's Song
Robert Browning
The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ―
All's right with the world!
(Pippa passes, 1841)
春 の 朝
ロバート・ブラウニング/作 上田 敏/訳
時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(「万年艸」明治35年12月発表)
(『海潮音』明治38年10月刊所収)
*******
高校時代の英語の教科書の扉にあった詩…。
なぜか今も忘れずに心のポケットにしまっていた。
好きだったのは、
「すべて世は事も無し」
という下り。
いろんなことが多々あったけど、
最後には全てうまくいきましたとさ…。
そんなオチを感じてしまう。
人生もそうあって欲しい。
そうしなければならないのだろう。
すべて最後はうまくいく。
春の朝、めざめてみて、一日の始まりにそう誓う
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/03/17(金) 23:44:26|
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【怒りはエゴ、笑顔はエコ】

怒りはエゴ、笑顔はエコ。
怒りは憎しみや悲しみにつながるけれど、笑顔は心の平穏と世界平和につながる。
怒れば自分だけでなく周りも嫌な気分になるけれど、笑顔になればみんながハッピーな気分になれる。
しょせん人間なんて感情に左右される動物で、怒りもすれば笑顔も浮かべる。
でもどうせなら、怒っているよりも、いつも笑顔を浮かべていた方が幸せになれるというもの。
一日に一度、できるなら一日の始まりに、鏡に向かって最高の笑顔を浮かべてみよう。
自分だけではなく、あなたの周りにいる人々を幸せにするために…。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2017/03/16(木) 19:20:06|
- 笑ってください
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【出会いと発見、気付きと学び】

傍から見ていて苦しいと思うようなことも、楽しんで取り組めるのであればそれは当人にとって楽しいこととなり得る。
体に悪いと思えるようなことも、体にいいと信じていればそれは当人にとって体にいいことになり得るのだろう。
一人ひとりに個性があるように、一人ひとりに好みがあるように、物事のとらえ方や、物事に対する考え方はさまざま。
何か一つの価値観を誰かに押し付けたりするのはよくないことだし、ひとつの価値観をめぐって議論するのも時と場合によっては意味のない争いにもなりかねない。
結論:「みんなちがってみんないい」のである。
いさかいや争いを引き起こすことなく、あらゆるものを受け入れて、みんながうまく共存できればそれでいい。
妥協とは違う。お互いの違いを認めあうということ。
違うことを認めない限り平行線はどこまでも続く。宗教や信条・価値観、いろいろな場面で世界は今そんな状況に置かれていることも多々あるのが現実。
ただ、未知の分野におけるいろんなことを自ら試してみる・体験してみることで新たな価値観に出会う楽しみもあるはず。
今まで知らなかったことを経験し、今まで知らなかった新たな世界に足を踏み入れるのもまた楽しいこと。
僕が旅を続けるのも、そういった出会いや発見、気付きや学びが毎日のように得られるからというのもある。
たとえ冒険家やチャレンジャーを名乗らないとしても、限られた時間をこの世で生きて生かされているのであれば、未知なる世界に通じるドアをひとつでも多く開けてみるのもすごく刺激的で面白いことだと思う。
人生でたった一度のチャレンジがその後の人生を変えてしまうことだってあるのだから…。
道をたどることで未知のものと出会う…何とも素晴らしいことだと思う。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
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- 2017/03/15(水) 23:59:59|
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【RUN×10(ランバイテン)運動6周年】
今日3月14日はRUN×10(ランバイテン)運動6周年記念日。東日本大震災の3日後、3月14日に次のようなツイートをツイッターでつぶやいたのがそもそもの始まり…。【拡散RT希望】RUN X 10(ラン・バイ・テン)運動~被災しなかったランナーの皆さん:その日の走行距離に10を掛けた金額を毎日貯めて募金しませんか?10キロ走ったら100円を貯金箱に入れるだけ。自分のためにも被災地の復興にも役立ちます。今すぐ、毎日実行できること。#runx10震災直後はあらゆるものが自粛モード…マラソン大会もことごとく中止され、ランナーたちは「こんな状況の中で走っていたのではひんしゅくを買う」ということで、家にこもって悶々とした日々を送っていた。私自身、悶々としていても仕方がないので、走りながら、ランナーが走るための理由をあれこれ考えていた。そんな中で生まれてきたRUN×10(ランバイテン)運動。多くの方々がこの運動に賛同してくださったおかげで、ランナーの世界では走ることを通じての被災地支援ということでメディアにも取り上げられた。あれから6年…PEACE RUNの取り組みの中核となるこのRUN×10(ランバイテン)運動があることも、私が走り続ける理由の一つになっている。
昨年は、4月に熊本地震があったので、急遽RUN×10(ランバイテン)運動の再スタート。
被災地の方々が笑顔を取り戻すまでは、走り続けなければ…。小さな取り組みでも、多くの方々が継続することで大きな力になるということ…平和を実現するのも結局は同じことなんだろうと思う。走ることを通じて社会貢献…のちに生まれた”THE SWEEPERS”もそんな意味合いを持っていたけれど、どちらも継続することで世界を変える原動力となるもの。地道な取り組みでも少しずつ永く続けていきたい。
*RUN×10(ランバイテン)運動Tweetviteサイト*3月14日のブログ
テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア
- 2017/03/14(火) 22:13:09|
- ボランティア
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【一歩ずつゆっくりと一歩ずつ】
1986年3月の篠山ABCマラソンが僕にとっては初マラソン。その前年の10月から走り始めたので、今年で走り出してから32年もの歳月が流れたことになる。
教員時代には国内外のさまざまなレースや大会にも参加して、当時目標としていたフルマラソンでサブスリー(2時間52分35秒:1988年篠山ABCマラソン)、100キロウルトラマラソンでサブ10(9時間16分08秒:1990年阿蘇カルデラ100キロ)も達成した。
2010年3月に教職を離れた。人生をリセットする時間が必要だったのだ。
ただ決められた距離を時間内に走るだけでは面白くないから、二本の脚とバギーを移動手段として、2度の日本縦断6900キロ、アメリカ横断5300キロ、オーストラリア横断5200キロ、ニュージーランド縦断2800キロ、西ヨーロッパ3360キロを走破。
この6年間で計2万3562キロ(国内:6925キロ、国外:16637キロ)に及ぶバギーを押して旅を続けてきた。
56年の人生のわずか10分の1の期間で、僕はいろんな国のいろんな街を訪ね、いろんな人に出会い、僕の人生はガラッと変わった。それまでの人生観を180度変えてしまうかのような6年間だった。
だが、走るべき道はまだ残されている。
この地球という惑星で23363キロ走ることになる。

月間1000〜1200キロ走っても折れることのない鋼(はがね)のような二本脚だけが頼りだ。
一本の道を二本の脚で走れることに心から感謝。走ることで得られる出会いと発見、気付きと学びに感激。移動する中で常に感動を求め続ける。
僕はやはりランナー(=走る人)、走って旅をするアドヴェンチャー・ランナーなのだ。
朝日を全身に浴びながら、僕は日々生まれ変わる。
過去から未来につながる今を走る…それが今の僕にできること。
一歩ずつ、ゆっくりと、一歩ずつ…。
あせらずあわてずあきらめず…ゆったりまったり…。
久々の東京でのトークイベント開催が決まりました。
アドヴェンチャーランナー高繁勝彦氏トークショー
日時:4月9日午後5時30分〜7時30分
場所:コワーキング・スペース・カナエル(東京都渋谷区)
*ワラーチ作りのワークショップも同日開催しています。
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- 2017/03/13(月) 19:18:26|
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【PEACE RUN3.11&一本歯下駄ウォーク@富田林寺内町雛めぐり】
昨日、6回めの3.11。朝は富田林の錦織公園を仲間と共走。
ぴんぽん地球ス(テラス)を矢野さん、鰐淵さんが訪ねてくれて、車で公園へ。

パニックスターさんは一本歯下駄で駆けつけてくれた。
公園と言っても山をそのまま自然公園にしているため、道はほぼ地道でトレイルといっていい。
急斜面の下りも見事転ぶことなく一本歯下駄でクリア。

残り30分ほどのところで、何とマサキさんがやってきて驚き!
マサキさんは2010年の日本縦断で5度(札幌・博多で二度、那覇、石垣島)応援に駆けつけてくれた方。
5年前に単身赴任先の博多から東京に転勤。今回は大阪に別の用事があったので東京から始発の新幹線で来阪。

午後の部は、富田林寺内町で開催されている雛めぐりの会場を一本歯下駄ウォーク。
矢野さんと鰐淵さんは寛平マラソンの前日受付へ。
パニックスターさんとたるぐちさん、マサキさんと私の4人で寺内町を一本歯下駄で練り歩き。

古民家の軒先や玄関先にいろんな種類の雛飾りが置かれている。
晴れ着姿の子どもたちと…
平和な今の時代に、走ったり一本歯下駄で歩いたりできることに感謝…
*その他の雛めぐりの写真は
こちら
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- 2017/03/12(日) 22:03:53|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【6回目の3.11】

2011年のアメリカ横断の翌年に走ったPEACE RUN2012(稚内〜鹿児島)は二度目の日本縦断だった。
それは、アメリカ横断にスタートする前から既に計画されていたプラン。太平洋沿岸を走ることで東日本大震災の津波の爪痕を北から南へたどる巡礼の旅でもあった。
青森県久慈市から走った記録は
こちらから…(DAY28以降をご覧下さい)
陸前高田の海岸線を走りながら目にした風景は、ただ呆然と立ち尽くすしかできないものだった。
家があった場所もビルがあった場所も、まるで空襲で焼き討ちされたあとのように何もなくなっていて、鉄骨のビルの骨組みだけがわずかに残されているだけ。
3.11から1年と4ヶ月ほど経過していたにもかかわらず、辺りは津波の水が引いて直後の風景といってもいいくらい。
国道45号線はまだ工事中の箇所もあるものの、車の往来は何とか可能。
しかし、その国道沿いも仮設のコンビニとガソリンスタンドが営業している程度。
仮設住宅や役場は高台の方にあって海岸近くはひっそりとしたまま…まるで戦場痕のよう。
不思議な空気が辺り一面によどんでいて、僕は遠くの瓦礫(がれき)の山々に目を向け、まったくどうしていいか分からないまま、しばらくその場に立ち尽くすだけ。
3.11に起こった自然の猛威を想像しながら、いざ自分がその時その場面に出くわしていたら果たしてどうしていただろう…僕の頭に浮かんだのはそんなことくらいのもの。
その後も行く先々でいろんな方々と出会いお話を聞かせてもらった。
家は流されたものの幸いにも無事だった方、家族や親戚・友人を失われた方…周辺地域に住まわれていた方々は多かれ少なかれ何らかの形で被災された方々ばかり。
聞いた話をフェイスブックやツイッターに投稿したり、ブログに記載したりして、被災地からの詳しい情報を、被災しなかった方々にできるだけ克明に伝えるように努めた。
意外に知られていないのは、岩手や宮城、福島はもちろん多大なる被害を受けていたが、青森や茨城・千葉もあちこちで被災されていたということ。茨城で出会ったある一人暮らしのおばあさんは「何でうちのところにはボランティアが来ない」と嘆かれていた。
メディアの報道するものは全体で起きていることのあくまでもごく一部でしかない。
そんな風にして、自分の脚で走り、自分の目と耳で見聞きすることが大切だと思った。
百聞は一見に如かず…そのとおりだ。
もちろん、そうすることで得られたものを自分の口で誰かに伝えることも…。
2013年から2015年にかけて走ったオーストラリアとニュージーランド、そして昨年走った「PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅」でも、たびたび東日本大震災の話題を現地の方々に伝える機会があった。
特に3.11の少し前に大地震があったニュージーランドのクライストチャーチでは現地在住の日本人の皆さんとの交流もあって、あらためて考えさせられることが多々あった。
震災や津波は、テロや紛争とは違って自然が引き起こすものであるがゆえに避けられない。
いつどこで、どんなタイミングで起きるかもまだ正確には分からない。
自然と共存するということを考えるならば、僕たちは極力自然な生き方を実践していくのがいいのだろうと思っている。
走ることでできることは少なからずある。だからこそ、今後も走り続ける。
走り続けることで、人々の心に少しでも安らぎが訪れるように…。
想像してみよう…

京都マラソンの参加者約1万6千人…奈良マラソン1万7千人、徳島マラソン1万5千人(参加予定)、山中湖ロードレース約1万4000人…
それとほぼ同じ数の人々が6年前の3月11日、東日本大震災で亡くなられている。
スタートラインにおられたランナーの方々はスタート時の人の群れを思い出してみて欲しい。
その8倍もの人々がいまだ避難生活をしており、さらにはその約6分の1の人々が震災後も行方が分かっていない。
数字はあくまで数字だ。
実際にその数が表わすものを目に見れば、あらためてその凄まじさ・恐ろしさを知らされる。
そして、日本の人口1億3千万人。
被災しなかった人たちの方が当然数は多い。
僕たちは平和な時代・平和な社会にいるから走ることもできるし、旅を楽しむこともできる。
平和であることに感謝しながら、すべての人々が安全で健康な日々を送れるように…。
未来に夢を持って、いろんなことにチャレンジしていけるように…。
あの日の記憶を風化させないのはもちろんだけれど、今一度生きて生かされていることをあたりまえだと思わずに、心から感謝しようと思う。
3.11で亡くなられた方々のご冥福を今一度お祈りするとともに、被災された皆さんの一日も早い復興をお祈り申し上げます。
*トップ写真:2012年の日本縦断ランニングの旅で立ち寄った陸前高田の海岸。震災から1年4ヶ月たっていたが、まるで津波が引いた翌日のような風景に僕はただ立ち尽くすことしかできなかった…
*東日本大震災メモ(2017年3月10日現在)
東日本大震災により亡くなられた方 15,893人
行方不明者 2,553人
福島県の避難 約15万人:
県外避難合計約5万人、県内避難約10万人(2013年3月7日現在)
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- 2017/03/11(土) 20:46:22|
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【何のために走るのか?】
ランニングブームが陰りを見せているというニュースを見た。
「ランナー人口、4年で100万人減」ランニングブームではなくて、実はレースや大会ブームだったのだと個人的には思っている。
走る目的がフルマラソンに参加してタイムや記録を残すこと…にこだわっていたランナーが実は大半を占めていたのか。
もちろん、それは悪いことなんかじゃない。自分自身のチャレンジともなるし、頑張ろうという励みになる。
自分自身の実力が数字となって顕著に表されるわけだから。
走り始めた32年前は自分のために走っていた。
少しでも速く走ることを頭において、ライバルに負けないように一生懸命トレーニングを重ねた。
仕事や家庭もあったから、限られた時間の中で練習をして、レースや大会にもたくさん出場したし、そんな中で怪我や故障も多々あった。
2010年の日本縦断を機に走って一人で旅をするようになってから状況はガラリと変わった。
ランナーは、誰かのために、何かのために走ることもできるのだということを知った。
世界平和のために走ろう…被災地の復興のために走ろう…そうやって
PEACE RUNが生まれ、アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦が誕生した。
東日本大震災直後、1キロを走るごとに10円を貯金して被災地に送る
RUN×10(ランバイテン)運動を提唱し、ゴミを拾いながら走る
"THE SWEEPERS"というグループを発足した。体幹を鍛える一本歯下駄と出会ってからは
一本歯下駄クラブもスタートさせた。
ランナーはただ走るだけではない…走ることで社会貢献もできるのだということをアピールしたかった。
自分だけのために走るのはエゴな走りかもしれない。
でも、誰かのために、世界のために、地球のために走るのであればそれはエコな走り。
遅くてもいい、ゆっくり遠くまで走りたい…
そんな思いで今は「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走っている。
僕が走ることで、どれだけ世界が変わるかはわからない。
でも、僕が走ることで、誰かが笑顔になり、誰かがほんの少しでも幸せを感じてくれるのであれば、少なからず世界はいい方向へと向かっていくのだと信じたい。
明日が常に明るい日となるように…
自らが一隅を照らす光とならんことを…。
*
PEACE RUN3.11
3.11を忘れないメモリアルイベントを今年も開催します。
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- 2017/03/09(木) 23:59:51|
- マラソン・ランニング
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【トレイル礼讃030817】

自分自身がこの大自然の一部であることを悟った時、人は、ある種の大きな力とも言うべきエネルギーを自然界から得ることができる。
自分を走らせ続けるもの、そして自分を生かし続ける力も、この自然から与えられていることを忘れてはいけない。
トレイルで過ごす時間は、できるだけ頭と心を空っぽにして、宇宙の時間にこの身を委ね、ありのままの自分で、あるがままに存在すること。
身も心もピュアなものにするための、それがひとつのセレモニー(儀式)であるかのように振舞うこと。
僕にとってトレイルを走る行為は、しばし眠っていた自分の内なる野性と向き合う時間。
あるいは、山々に宿る神々と対話しする時間。
どんなにタフでハードな道であっても、自分が大自然の一部になれる瞬間を心から大切にしたいと思う。
トレイルで、僕は大地からの洗礼を受ける。できれば朝、目覚めてすぐに走り出し、汚れのないピュアな心と体で森に足を踏み入れる。
森の精霊たちが、どんな思いで自分を迎え入れてくれるのかは知る由もない。
だが、自分にとっては、魂を清めるための儀式として、何かに取り憑かれたかのように森を走ることが必要なのだ。
トレイルで、僕はしばしばランニング・ハイに見舞われる。
大地から、宇宙からのエネルギーが魂に注入される瞬間を目の当たりにしているのかも知れない。
アドレナリンラッシュ…脳内にβエンドルフィンが拡散する。
木々に囲まれたトレイルを駆け抜け、心地よい朝の陽射しを全身に浴びるのが今一番の幸せ…。
走りながらふと思った。自分は二本の脚でこの大地に立ち、地球という惑星を二本の脚で移動している。
たどるべき一本の道と走れる二本の脚があることに感謝。
同じ空の下のどこかでこの大地を駆け抜ける仲間たちがいることにもまた感謝。
春の心地よい薫風を楽しみ、夏の青空の下乾いた日差しを浴び、秋の寂れた雑木林の落ち葉の感触を楽しみ、冬の木枯らしが頬を掠めていく…。
あらゆる朝の風景を楽しめるランナーであれ。
ひなびた山里の静かな風景の中で、頭を空っぽにして走る。
不安とか心配とか、もやもやとか…自身のテンションを下げるような余計なことは一切考えない。
自分自身をリセットして新しい自分をスタートさせる瞬間…。
風景の一部として、その場の空気に、ごく自然に溶け込んでしまえるような、そんなランを楽しむのがいい…。
渓流のせせらぎも歌い始めた。
枯葉がからからと乾いた音を立てて転がってる。
森は音楽にあふれてる。
重要なのは走ることではない。移動すること、旅をすることなのだ。
研ぎ澄まされた心と体で森に入ろう。穢れなき魂でトレイルを走ろう。
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- 2017/03/08(水) 19:00:59|
- マラソン・ランニング
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【生きている限り青春】
近頃思うこと…
50代は若者なのか、老いぼれなのか?
80代から見れば当然若者…でも、20代から見ればオヤジ。
物理的な年齢はさておき、気持ちのあり方次第で人は若くもいられるし、老けてもみられるもの。
両親は今年86で今も健在。母はそろそろ認知症が始まっている。
父もしっかりはしているが何度か入院をして、確実に老いているということは否めない。
いくつになっても2人にしてみれば僕はいつまでも子供であるし、たったひとりの息子。
57年近く生きてきて、いろんな思いが複雑に交錯する。
高校3年生…18歳10代には、心と体の命ずるままに、ただ我武者羅に生きていた。
20代には、いろんな物事に対する好奇心と強烈な野心があった。
30代には、少しばかりの冒険心を持って現実の世界を見ることができた。
40代には、堅実さを身につけて世の中を見るようになった。
50代には、あらゆる束縛から解き放たれて理想と現実のバランスを考えるようになった。
教員時代…25歳
30歳…北米大陸単独横断自転車旅行
32歳…北海道富良野にていずれにしても、人は歳を取るごとに経験を重ね、勘を働かせて未来を予見するようになるのだろう。
だけど、決して臆病になったり、引っ込み思案になって新しいことに取り組むことを避けたりしてはいけないのだ。
47歳…琵琶湖一周ランニングの旅にて50を過ぎて人生の転機を迎えた。全く予期することのなかった人生を今生きている。
あとどれだけ生きれるのだろう?いくつまで走り続けられるのだろう?
先のことなど誰にも分からない。分からないからこそ楽しめる要素がいっぱいなのだ。
過去にとらわれず、未来には希望だけを持って、今この一瞬にすべてを賭けよう。
50歳
55歳僕はギャンブラー。
人生を冒険に投資することで大きな賭けに出てみようと思う。
失うものなど何もない…そう思えば怖いものなんてないのだから。
不器用な人間かもしれないけれど、自分を偽ることも飾ることももはや必要ない。自分らしく生きていくことが何よりも僕にとって必要なんだ。
友よ、今の僕を見ていておくれ。
僕の生涯を賭けたチャレンジをどうか見守っていて欲しい。
僕が、君たちの誇りとなれるように精一杯頑張るから…。
人生生きている限り青春…謳歌すべし!
*
サミュエル・ウルマンの「青春という名の詩」
テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2017/03/07(火) 14:16:32|
- ココロとカラダ
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【金剛山】
どんよりとした朝の空、香楠荘での仕事の前に、朝のトレイルを独り占め…
ダイヤモンドトレイルをたどって香楠荘から約20分…久々にやってきた金剛山頂!
早くからボランティアのおじいさんたちがゴミ拾いをしてくれていた。
早朝7時過ぎでも結構登山客がいる。ほとんどがおじいちゃんばかりだったが…。
みんな元気だ。山を登るから元気なのだろうけど…。
あまり知られていないのだけれど、この標識があるのは国見城跡の広場。実際の山頂ではないのだ。
以下は、
ウィキペディア「金剛山」から抜粋…
標高1,125m。最高地点は葛木岳(かつらぎだけ)といい、御所市の葛木神社の本殿の裏にあるが、神域となっており立ち入ることはできないため、国見城跡の広場が山頂扱いされている。他に湧出岳(ゆうしゅつだけ)1,112m、大日岳(だいにちだけ)1,094mのピークがある。大阪府の最高地点 (1,053m) がこの山の中腹にあり、その旨の標識が掲出されている。三角点は湧出岳に設置されている。
*****
葛木神社
帰りの途でちはや展望台に登る。晴れていればもっと眺めが良かったのだろう。
修験道の開祖役小角(えんのおづぬ)や南北朝時代の楠木正成(くすのきまさしげ)と縁の深いこの山で、僕が走っているのもきっと何か意味があることなのだろう。
山の朝の空気にふれているだけで、とてもすがすがしい気分になれる。
元々、僕は山に生まれたのではないかとさえ思わされる。
山の精霊に取り囲まれているかのような不思議な感覚…。
仕事前、わずか一時間足らずのトレイルランだったが、十分にリフレッシュできた。
久々に山から下界に降りてきて感じるのは街の喧騒。
人と車が集まれば空気も汚れるしやかましくなる。
文明とは人間にとって都合のいいように自然に手を加えること、時として本来の自然環境を破壊することでもあるのかもしれない。
人そのものも自然が創ったものであるということを忘れてはいけない。
今は雪のない金剛山、毎日のように登山される年配のハイカーも多い。
*
金剛山登山情報 *
香楠荘ホームページ
テーマ:写真日記 - ジャンル:日記
- 2017/03/06(月) 21:00:50|
- アウトドア
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【日々気づき、学ぶこと】

辛いことが多いのは
感謝を知らないから
苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるから
悲しいことが多いのは
自分のことしかわからないから
心配ごとが多いのは
今を懸命に生きてないから
行きづまりが多いのは
自分が裸になれないから
*****
上の箴言(しんげん)は、金剛山香楠荘にある箴言板から。
金剛山の登山道にも、同じ作者が書いたと思われるものがたくさんあるらしい。
人間はやはり感情の動物。己の感情だけにとらわれていては、ちっぽけな人間のままで終わってしまう。
つまらぬ感情が怪我や病気、様々なトラブルを引き起こすということも知っておきたい。
人間が人間らしくあるために、先人からの教えを大切にしたい。
そして、もっと大切なことは、この自然と宇宙から学ぶことができる。
まずは、自分がいかにちっぽけであるかを知るところから。
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/03/05(日) 23:50:59|
- 日常
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【山を愛する者として】

山の朝の、凛(りん)とした透明な空気が好きだ。
晴れて風のない、静かで穏やかな時間、周りには誰もいない。でも、僕は何か特別な空気を感じている。
長年生きて来て深い経験を積んだ老翁が、じっとそばに座って、無言で僕のことを見守ってくれているかのよう。
山の高みから眼下に広がる世界を見れば、改めて自分自身のちっぽけさに気付かされる。
まるでそれは、一本歯下駄を履いた時に得られる感覚のよう。自分が別の人間に生まれ変わって、今から新しい自分になると心に決める瞬間にもどこか似ている。
高みに立つということは、それだけ意味と価値のあることなのだろう。
高みに登っていくのは決して楽なことではない。
世界五大陸4万キロランニングの旅は、水平移動が中心になるけれど、山を歩くというのは垂直移動の旅。遠くを目指すか、高くを目指すかの違いこそあれど、自分自身の二本の脚(簡単に言うと人力)で移動し続けることに意味や価値を見出すという点では極めてよく似ている。
点から点の移動だけではない。移動するプロセス(過程)そのものを楽しむこともまた大切なのだ。
どれだけ時間がかかるかわからない。どんなトラブルやハプニングが起こるとも知れない。自分に何か特別な変化が生じることもあるだろう。

「覚悟」というほど大げさなものでなくてもいい。「何があっても大丈夫、すべて受け入れて楽しめるから…」と思うだけでも十分。
心穏やかに笑顔で…前に向かって進んで行けば、トラブルやハプニングに見舞われることもない。
そして、山に惹かれる人たちも、そんな感覚をいつも感じていたいと思うが故に、あらゆる山の頂きを目指すものなのかもしれない。
僕は山のプロでも何でもないが、山は大好きな場所のひとつ。海と山、どちらで死にたいかと尋ねられたら、迷わず「山!」と答えるであろう一人。
「今日もいい人生を送ろう」
山の懐に立って、眼下に広がる世界を見ながらそう自分に言い聞かせる時、山は黙ったまま何も言わない。
何も言わないけれど、僕の気持ちを十分に汲み取ってくれているのだと僕は勝手に思っている。
山の心は山に登らなければわからない。山に登ればこそ分かるもの。
こまめに金剛山に登るようになって40日を超えた。
まだまだ山のことはわからないことだらけ。でも、僕が求めているものが山にあるということだけは間違いない。
テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2017/03/04(土) 22:21:13|
- アウトドア
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【日常雑感030317】
1日から五連泊のはずだったがシフト変更のため、昨日はいったん帰宅。
今朝、またトレラン通勤で、今夜から来週月曜日の夕方まで山籠もり。
下界の昨夜の雨は山上では雪だったようで、今朝は辺りにうっすらと白いものが…。
日勤が終わった後、久々の拾活へと。

金剛山では初の拾活。
環境美化集団
"THE SWEEPERS"は、地球規模で考え、地域規模で活動に取り組む。
ある程度ゴミの持ち帰りが徹底されているおかげで、街に比べればはるかにゴミは少ない。
約一時間かけて、香楠荘からロープウェイ山頂駅、そして伏見峠まで行って、帰りはちはや園地で拾活。
小さめのレジ袋がそこそこいっぱいになった。
山を愛する綺麗な心で、いつも山を綺麗にしておこう。

寮に戻る前に見つけたのは自然のアート。
自然が意図的に作ったのか、偶然にできあがったものなのか、よくわからないけれど、美しいものは美しい。

そして、さらには美しい日没の場面にも出くわす。
明日もきっと素敵な一日になるという前兆なのだろう。
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2017/03/03(金) 21:01:18|
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