【屯鶴峯(どんづるぼう)】
屯鶴峯(どんづるぼう)は、奈良県香芝市にある奇岩群・奇勝。
二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山。サヌカイトやザクロ石閃緑岩などの岩石が産出する。県天然記念物であり、金剛生駒紀泉国定公園の見所の一つである。
第二次世界大戦中に造られた複雑な防空壕があることでも知られる。本土決戦を目前にした陸軍が航空部隊・航空総軍の戦闘司令所として建設されたもので、二つの壕に分かれている。 現在、防空壕の一部は京都大学防災研究所附属地震予知研究センター屯鶴峯観測所として使用されており、地震予知研究計画の一環として地殻変動の連続観測が実施されている。---以上は
ウィキペディア「屯鶴峯」の項から引用
*****
32年ぶりの訪問か、妻と一緒に訪ねた。
妻は自転車、私はランで富田林のぴんぽん地球ス(テラス)をスタートして往復23キロ。
日差しが暖かく、寒いかと思ったけれどむしろ暑いくらいだった。
白い凝灰岩が異国情緒を漂わせる。関西のカッパドキアとも呼ばれるくらいだから。
妻も久々にやってきたのでテンションが上がる。
年末の慌ただしい時期、数組のカップルや家族連れが来ていた。
25歳の年にマウンテンバイクで何度か訪ねた時の写真がこちら

ライヴ動画はこちら
高校時代は剣道部に所属していた。
卓球部と剣道場を共用。週の半分は道場で稽古できたのだがあと半分は外のトレーニング。
ところがこの卓球部が強くて、インターハイ予選で勝ち進むと剣道部は卓球部に道場の使用権を譲らないといけないことが多くなって、必然的に外で走るトレーニングが中心になっていった。
周りが山に囲まれた高校。入学して最初の体育の授業は学校の周辺を40分(約7〜8キロ)走らされたのを覚えている。冬の校内マラソン大会も男子14キロ、女子は12キロ走っていた。
この屯鶴峯にも土曜日の外トレーニングで走りに来たことが何度かあって、防空壕跡を探検したことも懐かしい。
帰り道、その母校羽曳野高校(現・懐風館高校)も訪ねた。
外観や建物は何ら変わっていない。変わったのは学校名の看板だけ。
1976年に最初にこの門をくぐったことも今は昔。3年間の間にさまざまなドラマがあった。酸いも甘いも経験させてもらった忘れがたき学び舎だ。
*年末のご挨拶
今年一年、出会っていただいた皆さん、そして、お世話になった皆さん、ありがとうございました!
来年が皆さんにとっても素晴らしい一年となりますようにお祈りしています。
2018年もパワー全開で邁進してまいりますので、夫婦ともどもよろしくお願い申し上げます。
高繁勝彦・千秋(ぴあぴ)
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- 2017/12/30(土) 23:55:55|
- マラソン・ランニング
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【日常雑感122917】

事あるごとに思い出す、2013年に僕が走っていたオーストラリアの砂漠、ナラボー平原。
ノースマンからセデューナの1200キロ続く砂漠の平原をまるまる1ヶ月かけて走っていたのだ。
孤独なハイウェイでは、キャラバンやロードトレインが通過する以外には誰もやって来ないし、一人で走っている時には風の歌しか聞こえてこない。
地平線が360度広がる砂漠の平原…。
100〜200キロ走ってやっとロードハウスというトラックストップにたどり着き、ようやく文明の恩恵をこうむることができる。
シャワーを浴びて、屋根と壁のあるモーテルのベッドに寝る。
それ以外の場所では、砂漠の、どこでもない所の真ん中でテントを張り、水と缶詰とナッツとドライフルーツとクラッカーを食し、寝袋にくるまって眠り、起きたらまた黙々と走り出す…。
どこまで行っても地平線には追いつけない。そんなことが分かっていても僕には走ることしかできなかった。
まるで、自分の夢を追い続けるかのように、僕は地平線の向こうにあるものを追いかけて走り続けるのだった。
文明から離れた世界へと、最小限の文明を持って入っていく。
知恵と勇気を振り絞って、その日その日を生き延びるために走り続ける。
明日のことなど分からない…分かっているのは、生きるためには走り続けるしかないということ。
苦難や試練を快く心地よく受け入れ、あらゆるものと共存していく。
闘うべき敵はどこにもいない。弱い自分自身とさえ闘うこともない。
ありとあらゆるものを受け入れてしまえばそれでいい。
未来はまだ見えてこない…今この一瞬がすべて…。
2017年が間もなく終わり、新しい2018年がやってくるけれど、僕の人生の時間軸は何ら変わることなく、いつも通りに時間を刻み続けている。
どれだけ走ってもまだ足りない…だからこそ一歩ずつ、ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。

今、南河内富田林を走りながら、砂漠の平原に昇る朝日と、沈む夕日を思い返してみる。
僕は、いつもその太陽に見守られながら無事にここまで生きて走ってこれた。
無限に広がる宇宙の一点…地球という惑星の上で、僕は今日も生きて走っている。
与えられた命に感謝感激感動!
そして、2018年も、一本の道と二本の脚に魂を込めて、走り続けよう…。
幸せに満ちた平和な世界が必ず実現できるように、日々祈りながら…。
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
与えられたこの世での命をどう使っていくか…
ランナーはもちろん、すべての人々に考えていただきたい課題…。
何よりも自分自身が楽しめて、周りの人達をも楽しませられるような人生を…。
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- 2017/12/29(金) 23:48:01|
- 日常
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【納め不動〜滝谷不動尊】
日本三大不動のひとつ、
瀧谷不動尊では、毎月28日は御本尊瀧谷不動明王の縁日。
この日ばかりは交通規制が入り、近鉄滝谷不動駅までの約1キロの参道は歩行者天国でたくさんの露店が立ち並ぶ。
東高野街道が富田林を貫いている

近鉄滝谷不動駅前

石川をバックに…
役行者の絵が描かれた石碑(大峯三十三度満願碑)
ある民家の軒先にあった天狗さんの彫刻
野菜や果物、豆菓子、漬物、佃煮、靴、婦人服、農具、文房具、たこ焼き、お好み焼き、回転焼きなどの粉モンも…。
幼い頃に訪ねた記憶はあるものの、恐らく50年ほど振りに滝谷不動尊にお参りしてきた。
つれあいぴあぴとともに、富田林のぴんぽん地球ス(テラス)から近鉄滝谷不動駅まで徒歩約2キロ、そこから西に1キロばかり続く参道へ。一本歯下駄で歩けばいろんな方から声をかけられるし、どこに行っても注目の的。
声をかけてくれるのは、縁日のお店の店主から、通行人、市会議員や衆議院議員まで…(笑)。
レトロな昭和の匂いが漂う縁日。子供の頃を思い出す。
コンビニや大手スーパーとはまた違う、威勢のいい「らっしゃいまいどー」といった声が辺り一面に響き渡る。
昔はこういうのが普通だったはず。デジタルの時代になっていろんなものが変わってしまったということなのか。
参道を歩いているのは大半がデジタルとはあまり関係のなさそうな高齢者。
神戸から巡業できていた猿回し
ここを訪ねることで何らかのご利益があるということを確信している方々。
アナログの時代にはリアルなコミュニケーションがあった。顔文字やスタンプなどなくても通じ合えるものがあった。
昭和の時代に生きていた人間なら、何かワクワクするものを感じるであろう縁日…
また訪ねたい。また訪ねよう。仲間を連れてこよう…そんなふうに思わされた。
久々のお散歩デートではしゃぐぴあぴ

自称一本歯下駄ソムリエ
もうしばらくすれば平成の時代も終わるけれど、僕らが生きた昭和という時代は確実に存在していた…そのことだけは忘れたくない。いつまでも記憶にとどめておきたい。

たわし専門店
亀の子たわし…
ウコンセ・クソひとくちって(笑)
100円のお好み焼き
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- 2017/12/28(木) 23:51:04|
- 富田林
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【生きている内、動ける内が花】

「転びやすくなった」「思うように体が動かない」「柔軟性が乏しくなった」
中高年世代(40〜60代)にはありがちなことかもしれない。
体内年齢はかろうじてまだ30代の私も、いろんなところでガタは来ているのだが、何とか現状維持はできているのだろう。
走ることが何よりも体の機能維持に役立っていることは間違いない。
加えて、4年前から愛用している一本歯下駄。
走らなくてもいい。我が父(86歳)のように暇さえあれば歩く習慣をキープしていれば、筋力も衰えさせることはない。
瞬発力や巧緻性は年とともに衰えても、工夫と努力次第では柔軟性や持久力はそこそこ安定したままでいられるはず。
走ることが何故いいのか?
それは地面から体が浮遊することにも一因しているのだと思っている。
なわとびやトランポリンにしてもそう。
ジャンプ=跳躍することが関節や筋肉、骨や内臓にも何らかの影響を与えているのだろう。
足首の固い人は転びやすい。歩かない人は足首が固くなり、ちょっとした段差で躓いたりするもの。
一本歯下駄は不安定な状態を意図的に作り出せるので、足首には非常に効果的。
私が個人的に呼んでいる足首サスペンション効果が高められるのだ。
一本歯下駄でなわとびをしたりトランポリンで飛んだり跳ねたりするとなかなか楽しいもの。
日々の生活習慣がココロとカラダに影響する。
座る姿勢、立った姿勢、歩き方…毎日やっているあらゆることがトレーニングだと思えばいい。
悪い習慣がマイナス要素になるのであれば、少しでもいいと思うことを継続してみよう。
生きている内、動ける内が花…動けなくなって寝たきりになってあの世に行くのだけはまっぴらゴメンである。
しなやかな体が豊かな心を作る…バランスクッションの上でフラミンゴのポーズ
一本歯下駄に関しては
こちらのブログにもあれこれ書いています。参考までに…。
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- 2017/12/27(水) 21:56:08|
- ココロとカラダ
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【出会いと発見・気付きと学び】

今日、何か新しいものを見つけよう…ワクワクする自分と出会うために。
今日、誰か新しい人と出会おう…ドキドキする感覚を楽しむために。
今日、どこか知らないところを訪ねてみよう…新しい世界に一歩足を踏み入れるために…。
人生、ワクワクドキドキがあった方が楽しくて面白い。
旅に出ていなくても旅人の感覚は大切。
日常そのものが旅であり、冒険なのだという気持ち。
新たな出会いと発見、気付きと学びにいつも胸をときめかせていよう。
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- 2017/12/26(火) 22:02:00|
- 日常
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【2017年を振り返って〜一本歯下駄篇】

一本歯下駄クラブのフライヤをバッグにつけて歩く一本歯下駄ランナー矢野さん…もはや一本歯下駄クラブの「顔」である
*今年開催された一本歯下駄関連イベント…ほぼ毎月何らかの一本歯下駄イベントが開催されていた。
もちろん、これ以外にも個人イベントや少人数でのイベントも多数開催。
コアトレ☓一本歯下駄(vol.14~24) 10月を除く毎月第三日曜日、計11回開催
1月 一本歯下駄フェスタ@寺内町初鍋めぐり(大阪府富田林市)
2月 一本歯下駄@伏見稲荷(京都市)
3月 一本歯下駄フェスタ@寺内町雛めぐり(大阪府富田林市)
5月 修験者’s Trail Walk〜一本歯下駄金剛山登山(金剛山)
6月 一本歯下駄フェスタ@大仙公園(大阪府堺市)
6月 一本歯下駄フェスタ@春日井絆マラソン(愛知県春日井市)

7月 一本歯下駄フェスタ@ちはや園地(金剛山)
8月 一本歯下駄トワイライトウォーク@寺内町燈路(大阪府富田林市)
10月 一本歯下駄フェスタ@ながと旅ランin宇津賀(山口県長門市)
11月 一本歯下駄フェスタ@大阪マラソンエキスポ(インテックス大阪)
12月 淀川チョコマラソン
一本歯下駄のおかげで今年も楽しい一年でした!来年も一本歯下駄で盛り上げてまいります!
*
一本歯下駄クラブ(フェイスブック公開グループ)*
One-Tooth Geta Club(フェイスブックページ:英語版)
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- 2017/12/25(月) 14:16:41|
- 一本歯下駄
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【第1回淀川チョコマラソン by エコマラソン】

日本在住のドイツ人、お友達のユルゲンさんがやっている
runningintokyo.com主催の
「第1回淀川チョコマラソンbyエコマラソン」にゲストランナーとして参加してきた。
過去にもrunningtokyo.comのイベントで招待していただいたのは「彩湖エコマラソン」や「鴨川エコマラソン」など…
あまり馴染みのない人には、エコマラソンという言葉にピンとこないかもしれない。
runningintokyo.comによれば、エコマラソンは…
排気ガス削減のため、自転車での移動、参加者にも公共機関の利用呼びかけ
オリジナルエコバックを入賞者へ
計測用のパソコンを操作には、ソーラーパネルの利用
ゼッケンは回収しリサイクル利用
エコフレンドリーや社会的貢献チャリティー団体のサポート、収益一部の寄付
不要シューズ集めて、カンボジアのNPO care for Cambodia に寄付
そのNPOの学校運営、クラスづくりのための寄付
瀬戸内海の島等、地域まちおこしもエコマラソンを通じてサポート などの説明がつけられている。再生可能な社会づくりを目指し、チャリティや慈善活動にも関わる、まさにPEACE RUNの趣旨につながるもの。
会場は地下鉄御堂筋線西中島南方駅もしくは阪急南方駅から徒歩で行ける淀川河川敷。
コースはフラット。雨の予報だったが一転…青空も広がって暖かかった。
10キロの部のみで約230名が参加。
スタート直前にユルゲンさんがやってたジャパササイズが笑えた…
こちらの動画はものまねタレントのM高史さんがやっている
ゴールした後、ゴール手前30メートルのところで、後からゴールするランナーをハイタッチで出迎える、これも共存共走の醍醐味。
ゴールは笑顔で…の声をかけ続けた。
同じ空の下、同じ地球という惑星の上で共に走ることができる平和な今という時代に感謝感激感動!
今年もあと1週間…皆さん、大晦日までどうかいい走りを…GOOD楽駆!

年代別優勝者大集合…

今回のチョコマラソンの協賛の中には、スイスのプレミアムチョコレートブランド「Lindt リンツ」の日本法人が入っています。
来年1月14日は京都で
第10回鴨川エコマラソンが開催…こちらもまたゲストランナーで参加するかも…
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- 2017/12/24(日) 23:08:08|
- マラソン・ランニング
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【2017年を振り返って〜講演会・トークライヴ篇】
ありがたいことに、今年は12箇所でのトークライヴや講演会を開催して頂けた。
富田林のぴんぽん地球ス(テラス)でのイベントは除くが、メインとなったのはPEACE RUN2017四国一周ランニングの旅(下記青字)と弥富チャリティマラソン絡み(下記赤字)。
旅先でご縁をいただけるのは何よりありがたい。走り旅に欠かせないバギーVIENTO3号が会場にあるとより旅がリアルなものとして話を聴いてただける方に伝わるのだ。
教員として最初の赴任校、大阪府立狭山高等学校での講演もあった。若い世代に関わる機会も大切にしたい。
少子化の時代、十代二十代の若者たちの未来に少しでもプラスになるものを提供できるならば幸い。
また、家庭や仕事のストレスで疲れた同世代、40〜60代にも生きるパワーや希望を伝えたいという思いも依然強いものがある。
2017年4月
ジャンクスペースカナエル(東京都渋谷区)
2017年8月
未来フェスin京都2017@大江能楽堂(京都市)
2017年9月
地蔵寺(徳島県小松島市)
高知市市民活動サポートセンター (高知県高知市)2017年10月
ユニバーサル柔道アカデミー(愛媛県四国中央市)
丸亀創生塾 新明倫館 (香川県丸亀市)
デイハウスよりあい(香川県高松市)
株式会社ゴーフィールド(香川県高松市)
ながと旅ランin宇津賀(山口県長門市)
2017年11月
狭山高等学校(大阪狭山市)
海南病院(愛知県弥富市)
さくら動物病院(愛知県弥富市)来年も
九州一周の旅が4〜5月にかけてあるし、6〜9月に走る
「PEACE RUN2018ヨーロッパランニングの旅 PART2」帰国後もいろんなところを訪ねてみたい。
講演会・トークライヴに来ていただいて私の話を聴いていただいた皆さん、ありがとうございました!
限られた時間の中で、これまでの旅の話をするのはなかなか大変ですが、まだまだ話のネタは尽きません。
来年もいろんなチャンスを頂けますように…ぜひぜひよろしくお願い致します!
*講演会やトークライヴについてはこちらを
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- 2017/12/23(土) 14:29:39|
- 旅・冒険
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【2017年を振り返って〜ランニング篇】
今年は海外遠征こそなかったものの、国内でのランに集中できた年。やはり走って旅をするのは楽しい。
特に托鉢&野宿での旅が思い出深いものとなった。
学生時代は当たり前だった貧乏旅行。宿代を節約するためにテントで野宿していたあの頃のハングリー精神を思い出すいい機会となった。
9月から10月にかけて約1ヶ月で1000キロあまりを走った四国一周。
11月には愛知県弥富市で開催される弥富チャリティマラソンにゲスト参加するため、大阪富田林〜弥富間を往復351キロラン。
2つの旅のいずれも、多くの出会いと再会があって、いろんな方々の応援とサポートを得られたことは本当に感謝感激感動。
*ランニングの旅
9〜10月 四国一周托鉢の旅 1029.1キロ(32日間)
(富田林〜河内長野〜紀の川〜和歌山〜徳島〜高知〜松山〜高松〜徳島)
11月 富田林〜弥富往復托鉢の旅 351キロ(9日間)
富田林〜名張〜亀山〜弥富チャリティマラソン参加〜津〜伊賀〜奈良〜富田林
*ランニングイベント
3月 PEACE RUN3.11@富田林

3.11メモリアルイベントを錦織公園で開催。
この後、富田林の寺内町で開催された雛めぐりの会場で一本歯下駄フェスタも開催。
7月 ビギナーのためのトレイルランニング講座(金剛山)

金剛山にある宿泊施設香楠荘(こうなんそう)のサポートで開催。金剛山夏祭りに合わせたランイベント。
9月 よなきやラン☓PEACE RUN(河内長野駅〜よなきや)

四国一周ランニングの旅プレイベント。河内長野駅から紀の川市にあるラーメン屋さん二代目よなきやまでを仲間と走った。
*大会ゲスト参加
4月 奥出雲ウルトラおろち100キロ遠足(とおあし)
第0回大会(プレ大会)からゲスト参加。今年は一本歯下駄ランナー小平さんが人類史上初の100キロ完踏。
6月 春日井絆マラソン
愛知県春日井市の自動車学校の教習コースを使った2・5時間リレーマラソン…第1回からゲスト参加。
写真はチーム絆(別名:チーム一本歯下駄)
11月 弥富チャリティマラソン
小児がん克服支援活動のための弥富チャリティマラソンも今年4回め…第2回から連続で招待して頂いている。ローカル大会でありながらとてもアットホームでリピーターも多い。
12月 淀川チョコマラソン(今月24日開催)
*一般参加
12月 富田林市民マラソン
10キロの部に一般参加。地元富田林市で初の大会参加。久々にハイペースで走った。
テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2017/12/22(金) 17:03:28|
- マラソン・ランニング
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【2017年を振り返って〜メディア篇】
今年もいよいよあと10日、2017年総括ということであれこれ振り返ってみよう。
まずはメディア篇。
1月 NHK「おはよう日本〜まちかど情報室」

履物の良さを今に生かす…というテーマで、ARUCUTOの一本歯下駄SCAPPA(スキャッパ)が取り上げられ、そのシリアル番号000番を履く私が出演。富田林の寺内町を歩いたり、一本歯下駄でなわとびを跳ぶ場面がオンエアされた。
5月 スマイルFM

埼玉県朝霞市のコミュニティFMラジオ局「すまいるエフエム」。DJのThomas Tosh Sawadaさんはミュージシャン、英語・日本語どちらの放送にも出演。英語ドラマなんていうのも楽しかった。
6月 FC大阪テレビ

Jリーグ入りを目指す大阪のサッカークラブFC大阪が富田林市をバックアップするインターネットテレビ。このFC大阪テレビがのちにスタートした富田林テレビを制作協力するようになった。
8月 季刊誌「高速道路と自動車道」にエッセイ掲載
非常にマイナーな雑誌なのだろう。その存在さえも知らなかったのになぜかエッセイを依頼され、「ハイウェイの異端児」というタイトルで800字ほど書かせていただいた。お友達が「記事を見ました!」と知らせてくれたが、彼は日本道路公団勤務だった(笑)。
9月 FMびざん
四国一周ランニングの旅のスタート直後、台風で足止めを食らって徳島県小松島市に5泊させていただいたさなか、地元のコミュニティFMに出演させていただいた。お世話になった地蔵寺住職の服部さんもDJのお一人。
11月 富田林テレビ

FC大阪テレビの協力で毎月最終水曜日放送。11月からスタート。第二回目に出演させていただいた。
地域の活性化に貢献すべく、地元でのメディアにはできるだけ積極的に関わるようにしている。
*甲冑モデル

京都太秦にある本格甲冑体験スタジオ SAMURAI ARMOR PHOTO STUDIO"BUSYOWDO" のWebサイトのモデルをアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦が担当。
生まれて初めての甲冑体験…20〜30キロの重さがかなりヘビーだった。
SAMURAI ARMOR PHOTO STUDIO"BUSYOWDO"
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- 2017/12/21(木) 23:02:29|
- 旅・冒険
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【日常雑感122017】

形あるものは崩れ、命あるものは消えていく。それが世の常だ。
でも、そういったことにもきっと何らかの意味があるのだろう。
たとえ失われても、時と場所を選んで、形を変えて自分の所に帰ってくる。
そんな気がする。たぶんそうなんだろう。
そうすることでプラスとマイナスのバランスは保たれる。
この宇宙ではすべての現象に何らかのメッセージ(意味や理由)があって、
それに私たちが気づこうが気づくまいが、すべては完結した形でこの世界を築き上げているのだ。
すべては仕組まれたことなのだろうか。
大きな宇宙の流れに抗(あらが)うことなく、あらゆるものをありのままあるがままに受け入れること…
それが、この人生と旅で学んできたことのひとつ。
世界に平和を…人々の心に平穏を…
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
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- 2017/12/20(水) 23:41:34|
- 日常
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【風の歌を聴け】
街がクリスマスで浮かれている間にも、僕には走る道があった。
大陸からやってくる冷たい北西の季節風に吹かれるまま、ウインドジャケットに包まれたこの細身の体は二本の足に支えられ、大地を縦横無尽に疾駆するように初めから造られていた。少なくとも僕にはそう感じられた。
獣のように荒々しく地面を蹴り、大空をはばたく鳥のように華麗に宙を舞う。
僕の中の野性が目を覚ます瞬間、僕の脚は鋭利な刃物のごとく、研ぎ澄まされた空気の流れを切り裂いていく。
全てがこの一瞬で砕け散ってしまうほどの勢いが、僕の理性や感情を超越した独自の世界を創り上げていた。
気がつけば、いつもそこには風が吹いていた。
僕は風の吹く方向に目をやり、風の匂いからその風がたどってきた道を推測してみる。
そして、この風が行き着く先に思いを馳せ、ほんのしばし、風になった自分を頭に思い描いてみようと思った。
風の言葉は分からなくても、僕のハートに語りかけてくれる何かがそこにはありそうな気がしたのだ。
正確に言うならば、風が語るものは言葉ではなく、歌だ。
思い思いのメロディが、気まぐれな風に乗って宙を舞う。
耳をすませばそれは聞こえてくる。
いつの時代の、どこの世界のメロディかは分からない。
だが、その歌に耳を傾ければ妙に懐かしい気分になって、まぶたを閉じれば遠く離れた故郷の風景がおのずと目に浮かぶ。
見慣れたはずの故郷の山や川のイメージが風とともに僕の脳裏へとたどりつく。
そして僕は、この風がいつか自分の生まれ故郷で吹いていたものだということを知らされる。
僕はそんな心地よい風の歌に酔い痴れるようにして、さらに一歩ずつ前進する。
遠く、遥か彼方の世界からやってくるであろう僕の未来に向けて...。

友よ、新しい時代の足音が聞こえるか?
2018年の夜明けは近い…。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/12/19(火) 13:39:43|
- 日常
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【いつもいい風が】

写真は高石さんの公式サイトから…
年にふさわしく
風にふさわしく
病気の時は病気のままに
元気な時は元気なままに
走りつづけようと思います
そしていつものあいさつですが
走る人にも走らない人にも
走れない人にも
いつもいい風が吹きますように
ありがとう ---「気分はいつもトライアスロン」高石ともや(ランナーズ)から
******
フォークシンガー高石ともやさんは知る人ぞ知るスーパーランナーでもあり、トライアスリートでもある。
今年76歳という年齢が信じられないほどに若々しい人である。
先週の日曜日に開催された第45回ホノルルマラソンも8時間27分31秒で完走。
第5回からなんと41回連続出場という記録。
これまで全国各地のいろんなマラソン大会にゲスト参加、マラソン大会の会場や沿道でギターを爪弾きながら声援をかねて歌ってくれている。だが、体力の衰えもあり、ここ数年はもうホノルルマラソンだけに限定されているようだ。
その気さくな人柄の中には、恐るべき精神力を秘めているのだと思う。彼がたどってきた轍(わだち)を見ればその凄さが分かる。一見並みの人のように見えて、その実、超人的な偉業を成し遂げられているのだから。
30代半ばでフルマラソン2時間45分台を記録されているのもすごいのだが、歳を重ねるにつれて彼のチャレンジはエスカレートしていく。
48歳でウエストフィールドラン(オーストラリア1018キロ)、52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロスアンジェルス~ニューヨーク4700キロ)をいずれも完走している。
言葉で書けばたった数行の記録かもしれないが、30歳で京都~東京500キロあまりを走った自分自身の経験からすると、この二つの記録は彼の年齢から見ても怪物的である。
1970年、29歳の年に単独でアメリカひとり旅に出かけた際に、「ジョギング」という文化を知り、日本に持ち帰ったのが走るきっかけだったという。
その当時、日本にもマラソンという走るイベントはあったものの、トップランナーが走るもの、あるいは体育の授業やクラブ活動で走らされるものというイメージが横行していた。
楽しく走ること(=ファンラン)という概念が日本で広がり始めたのはそれからしばらくしてのこと。
ホノルルマラソンツアーで高石さんとお話させてもらったことがある。
いつも笑顔で、やさしさに満ち溢れたムードを醸し出していた。
ある年のホノルルマラソンの前夜祭でお話されたことが今も印象に残っている。
「日本ではなぜか勝つことばかりが大切にされてきたけれど、負けるのも悪くないと思うのです。みんなでジャンケン大会をしますが、皆さんは私の後にグーチョキパーを出してください。後出しでかまわないのです。ただし、私がグーを出したらパーを、私がチョキを出したらパーを、私がパーを出したらグーを出してください。負ける練習です」
そうやって何度かジャンケン大会をやった。
「負けるってどうですか?」と高石さんは会場にいる我々に問う。
「負けることは確かに悔しいのかもしれない。でも、負けるということは相手が勝って喜ぶこと。負けるというのは相手を喜ばせてあげること。だから、負けることは決して悪いことじゃないんです」そんな考え方を自分自身も初めて知らされて妙に新鮮な気持ちになった。
太平洋戦争開戦の年に生まれた高石さんの育った時代は、勝つことしか教えられなかった。
負け戦(いくさ)は駄目、絶対に勝たねば許されないのだという考えが前提にあったのだ。
何かと我慢や犠牲を強いられて日本人は頑張ってきたけれど、そろそろ自然体で生きていくことを学んで行くべき時…
高石さんはアメリカの旅から帰国してそんな風に感じられたのだろう。
辛いことも苦しいことも必要だから起きること。マラソンであっても人生であっても同じことなのだ。
今の僕のPEACE RUNの考え方には、高石さんの教えも当然ながら含まれている。
平和であること。それはみんなが平等にひとつの命を与えられて生きているということにほかならない。
今年も年忘れコンサートが29日大阪サンケイホールであるようだ。
生きている限り高石さんは歌い続けるであろうし走り続けるのだろう。
「いつもいい風が吹きますように…」常に誰かにそう祈ることができる自分でありたい。

*写真:1993年ホノルルマラソンツアーの完走パーティ会場にて高石ともやさんとの2ショット。
この年、高石さんは52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロス~ニューヨーク)を完走。
4700キロ・636時間10分46秒/64日間)参加者16人中第5位。
*
高石ともやのページ
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- 2017/12/18(月) 23:42:41|
- マラソン・ランニング
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【富田林市民マラソン】

地元富田林で開催された富田林市民マラソン10キロの部を走ってきた。
10キロ・5キロ・3キロの部に総勢500名あまりが参加。
人口約11万人の町富田林市で500人ものランナーが参加するって凄い。
同じ事務所所属の天晴レ天女ズと…
ゆきえさん(写真右)は5キロ一般女子の部に参加でなんと22分台で4位(3位と同タイム)!
ふだんキロ7〜8分のスピードでゆったりまったり走っているので周りのランナーの高速スピードが異常に速く思えた。
50分くらいで走れればいいと思っていたけど、今日の46分台はまあ上出来か。
30年ほど前、35分台で10キロを走っていたのを懐かしく思い出して、高速で走ることがちょっと新鮮な感じ。真剣にトレーニングしたら40分切りもまだ可能かもという手応えもあり。
5キロ16分台で走れる中学生が富田林にいるっていうのもびっくり。将来が楽しみな子供たちがたくさん頑張っていた。
ガチで走るシリアスランナーが中心の市民マラソン。何より大会が67年も続いてきたということが素晴らしい。
野球やサッカーなどスポーツが盛んな富田林、もっと多くの人が楽しく走れる場を作っていけたらいい。生涯スポーツとしてのランニングをさらに広めていきたいもの。
大会スタッフの皆さん、共走していただいた皆さん、ありがとうございました。
開会式の最後でPEACE RUNについ紹介していただいた
ゴールシーン
ゴール後、紀の川市にあるラーメン屋さん二代目よなきやオウナー前田さんとごろっぴあファミリーで記念撮影
午後は宮崎トレーナーによるコアトレ☓一本歯下駄

その後、コアトレに参加するためにわざわざ徳島からフェリーと電車を乗り継いでやってこられた岸本さんを寺内町にご案内。
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- 2017/12/17(日) 23:28:13|
- 富田林
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【日常雑感121617】

先に何が待っているとしても、不安や恐怖ではなく夢と希望を持ち続けようと思う。
一度しかない人生…生きて生かされている幸運に感謝感激感動。
不平や不満を持つことなく、いつも幸せと喜びの声を上げていられるように…。
日は西に沈んでも、どこか東の空でまたこの世界を照らし始める。
何が起ころうとも世界は回る…そして僕らは前に進み続ける。
やがて世界は愛と平和に満たされる…
大切なのはみんながそう思い続けること。
*****
明日は富田林市民マラソン、地元で走る初めてのマラソン大会。
いつも走っている石川サイクルラインがメインコース。
苦しんで走るのは好きじゃない。
走る以上は楽しくなければ。

速く走るのも、遠くまで走るのも、自分を追い込むのも、限界にチャレンジするのも、ランニングの楽しみ方。
100人ランナーがいたら100通りの楽しみ方がある、それがランニングだと思っている。
でも、今の僕は、何事にもとらわれることなくゆったりまったり走るのがいい。
こだわるものもしばられるものもない、自由な走りが理想だ。
多くのレースや大会を見てきて、最近そんなランナーがじわじわと増えてきているような気がする。
タイムや順位は気にしない。制限時間と走るコースを目一杯に楽しむ。
遅いか速いかよりも、どれだけ走ることを楽しんだかがカギだ。
一人ではなく仲間と走りながら、平和な今という時間を分かち合える…それもまたランニングならではの楽しみ…。
ゆったりまったり走っていれば、本当に必要で大切なものが見えてくるような気がする。
自分の知らない自分自身に出会えそうな気がする。
ゆったりまったり走ろう…いつまででもどこまででも…。
自分自身から解放されるために…。同胞との共走を楽しむために…。
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- 2017/12/16(土) 23:59:43|
- 日常
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【アクションなう!】
今や人生そのものが冒険…というような状況になることは前々からわかっていたけれど、先のことはどうなろうと、今にフォーカスして前に進んでいくしかないという現実。
僕が求めているのは、「なるようになる」生き方ではなく、「やりたいようにやる」生き方なのかもしれない。
今がリセットの時。リフレッシュしてリスタートすべき時。
どの方向を見つめてどんなアクションを取ろうとも、すべてはいい方向に進んでいくはずだから、悩まず、恐れず、不安も持たず、バギーを押して原野を駆け抜けていくように、ひたすらに、ひたむきに、ひた走るまでだ。
この世で与えられる時間やお金には限りがあるけれど、僕の夢や可能性はリミットレス。
一度限りの人生、しかも残された時間を、さあ、どう使っていこう?
考えている時間さえもったいない。
起こせ、アクションを…。感じろ。五感をフルに使って…。
すべて最後はうまく行く。今起きているあらゆることが通過地点なのだ。
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- 2017/12/15(金) 23:54:26|
- 日常
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【冒険してみたいというあなたに】
「自転車でアメリカやオーストラリア横断をしてみたい」
「ランニングで日本一周・縦断してみたい」
「砂漠マラソンを走りたい」
「海外のトライアスロンレースに出てみたい」 そんな夢をお持ちのあなたの冒険をアドヴェンチャー・コーディネーター高繁勝彦がサポート致します。
夢はあるのだけれどなかなか実現できない。やってみたいけれど具体的に何をどうしていいかわからない。
そういった悩みをお持ちの方、優柔不断でなかなか実行に移せない方、ぜひご相談ください。
これまでの海外でのランニング・自転車冒険旅行の経験を活かして、旅・冒険・チャレンジのプランニングからマネジメントに至るまで、皆さんが安全かつ快適な冒険旅行を楽しめるようにアドバイス・サポートさせていただきます。
特に海外でのチャレンジをお考えのお方で英語が苦手という方、四半世紀もの英語教師のキャリアを持つ高繁勝彦による、旅や冒険に必要な英会話レッスンも受講できます。
異国での宿の予約の仕方、外貨の両替、ビザの申請の仕方等、初歩的な海外旅行のノウハウについても伝授致します。
基本は大阪富田林のぴんぽん地球ス(テラス)にお越しいただきますが、遠方にお住まいの方にはフェイスタイムやスカイプを使ってのやり取りも可能です。
*問い合わせ&詳細は
こちら
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- 2017/12/14(木) 23:29:47|
- 旅・冒険
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【生きること・走ることと旅をすること】

僕が走り続けるのはプラス思考でいられるから。
ただ前を見て一歩ずつ前進するからポジティヴな生き方ができる。
立ち止まらず振り返らず、腕を振って脚を上げて、自分の走りに徹すること。
前向きにひた走っていれば、苦難や試練も自ずから消え去っていく。
生きることは走ること、走ることは生きること。
走るために生まれてきた自分は、生きるために走り、走るために生きるのだ。
旅を通じて心の琴線に触れる経験がいくつもあった。
その都度心ばかりか魂をも洗われる思いがした。
汚れのないピュアな自分に生まれ変わったような気がした。
今の世界に必要なのは、地球上にいる70億人の人々がそんな風に心の平穏を保つことができるようになること。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/12/13(水) 23:10:08|
- 人生論
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【心とは?思考とは?】
以前にも紹介したことのある下の仮説…
「脳があらゆる事象をポジティヴに受け入れた時、人は自分自身を完全にコントロール下に置くことが可能になる…」
これまでの国内外約2万キロの走り旅を通じていくつか気づいたこと…
その仮説の具体的な考え方とは…
1)空腹感を感じていても、そんなにお腹が減っていないと思えばたくさん食べる必要はない。
2)寒いと感じていても、それが心地良いと感じれば寒さを感じなくなる。
3)五感を研ぎ澄ませて、好奇心のアンテナをそこらじゅうに張り巡らせ、自分の内にある60兆もの細胞をフルに稼働させることが可能ならば、何を見てもうれしいし楽しいし感動できるし、何を食べても美味しく感じるし、始終ハッピーな気持ちでいられる。
4)真なる自分自身というのは常に自分の内に眠っていて、いまだ自分が知らない自分が存在しているということ。
5)真なる自分が目覚める瞬間、人は、60兆もの細胞の内、今まで決して使うことのなかった細胞を最大限使って生きようとする。1)について
空腹とは頭が感じていることであって、体は頭からの信号を受け取って空腹を感じ取る。イメージの中でごちそうをたらふく食べたあとを強くイメージしてみる。そうすると空腹感は収まる。これには訓練が必要だ。
たとえば、空腹感を覚えた時に水を飲む…そういった儀式的なものが習慣づけられると条件反射的に体は動くようになるのではないか?
2)について
ふだんから冬場の薄着を心がけること。そして、エアコンなどで暖房することを当たり前とせず、室温は自然のままにして、着るものでコントロールする。
一時期、三重県伊賀市に住んでいた頃、室温が2度で、室内では寝袋とダウンジャケットを着用、手には指切り手袋をはめてパソコン作業をしていた。寝袋はマイナス15度に耐えうる物だった。夏場も扇風機だけで冷房を入れない。自分自身の体がきちんと体温調節できることが大切。
暑いから冷房、寒いから暖房に頼る暮らしはランナーにとってはマイナス要素でしかない。
3)について
メンタルのあり方、あらゆる外的条件に振り回されないようにするために、あらゆるものをあるがままありのままに受け入れることができる自分をつくる。
耐える(我慢する)とかいう意識のあり方ではなく、マイナス要素のネガティヴな環境さえも快く心地よく受け入れられること。暑い・寒いといった気候条件だけでなく、精神的にダメージを与えうるような痛い・辛い・苦しい・悲しいといった状況下でもプラスに受け入れられる気質・体質に変えられるように。
4)と5)について
私を含め多くの人々が真なる自分自身とはまだ出会っていない。そんなチャンスは究極の状況でないとなかなかないのかもしれない。
火事場の馬鹿力のような土壇場で発揮される未知なる力をいつでも出せるようにするために、常に今がその時だと思えること。
全力とは100パーセントの力ではなく120パーセントの力である。というのも、100パーセントの力を出そうとしてもたいていの場合70〜80パーセントが関の山。
ならば最初から出し惜しみせず、120パーセントの力を出すようにするのがいい。
心のあり方によってそんな自分自身を引き出せるようになることが今の僕の課題でもある。

いつも言うことだけど、ココロとカラダは連動している。バランスよくココロとカラダが動かせる人は病気にもならないし、ビジネスや学業においてもそこそこベストの状態を保てている人。
エネルギーがうまく使われているからこそココロとカラダはバランスを保てる訳だ。
思考よりも感覚を大切に。直感こそが正しい。思考だけにとらわれると物事はうまくいかなくなる。
外的条件に左右されることなく、不動の心で己の体もうまく制御できるようでありたい。
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/12/12(火) 20:18:07|
- ココロとカラダ
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【決 断】

一生をかけてでもできないであろうことを
「やろう」と決めるのに
一秒もかからない
人生を変えてしまうような大きなことに
チャレンジしようと決断するのはほんの一瞬のこと
やるかやらないか
人生は選択の連続
決めるのは誰でもない自分自身
自分で決めたことの責任は取らねばならない
そして
その結果も甘んじて受け入れること
たとえそれが
成功であっても失敗であっても
優柔不断は愚か
人生を変えうるものがあるとすれば
それは
決断と行動なのだ
運命を変えることはできないとしても
今の自分自身の決断と行動で
必ずや未来は変わる
変えられる
信念と執念と
何が何でも最後まで
とことんやり続けようという思いさえあれば
たいていのことは乗り越えられる
そして
いつも乗り越えるべきは
今ある自分
*****
いよいよ来週は富田林市民マラソン。
地元で開催されるマラソンに初参加(今回はゲストランナー枠はありませんので一般参加として走ります)。
コースは何度か試走。平坦だけど風が吹けば追い風・向かい風で煽られるかも…。
この日の気温も低く寒くなりそう。
地元富田林を盛り上げるべく頑張って走ります。
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- 2017/12/11(月) 23:47:04|
- 日常
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【回想:ホノルルマラソン〜その2】
(ホノルルのさわやかな風に自然と笑みがこぼれる)今年もまたホノルルマラソンの時期がやってきた。今日12月10日(日本時間は11日)がちょうどホノルルマラソンにあたる。
過去5回走って、今もなお忘れがたいマラソンである。
常夏の島、南国ハワイでの暖かい気候の中でのレースというのも魅力だが、何よりも人々の暖かさ、大会主催者たちのホスピタリティもとても素晴らしいものがある。
(過去5回ホノルルマラソンを完走した際にもらった完走メダル)初めての海外旅行はハワイ、88年のホノルルマラソンだった。飛行機に初めて乗ったのもその時。現在でこそ3万人あまりのランナーが参加するそうだが、まだ参加者が1万人を越える前の時代である。
マラソンブームで、全国主要都市での大会も増えてきた。ファンランを楽しむランナーたちが増えてきたのはいいことだ。
ユニークで個性的な大会もじわじわと増えつつある。しかし、どれもたいてい似たり寄ったりで、ホノルルマラソンを越えるような素晴らしい大会は残念ながらまだ他に見たことはない。
2010年10月に訪ねた沖縄の伊平屋ムーンライトマラソンは、いろんな点でホノルルに近いものがあったが、まだ規模としてはホノルルと比べものにはならない。
以下は、1989年、二度目のホノルルを走った際の手記である。いつかホノルルを走りたいと思われる方の参考になれば幸いである。
*****
1989年12月10日午前5時半(日本時間12月11日午前0時半)、アロハタワー前。僕にとっては昨年に続いて二度目のホノルルマラソン。
大砲の音とともに夜明け前の空に、色とりどりの花火が上がり、1万人ものランナーはどよめきにも似た歓声を上げて暗闇の中をスタートし始める。42.195キロの長旅の始まりだ。
目標タイム別にスタート位置が異なっている。僕は3時間以内のクラスに入っていたのですぐにスタートできたのだが、恐らく最後尾は200メートルほど後ろにいるので、スタートラインを通過するまで結構時間がかかるだろう。
それにしてもすごい人だ。肌の色も目の色も、話す言葉もそれぞれ違うし、年齢も小学生くらいの子供からシワだらけのおじいさんまでさまざま。実にいろんな人間がこのレースを盛り上げている。まさしくこれはお祭りだ。年に一度のランナーの祭典なのだ。
暗闇の中、聞こえてくるのは硬いアスファルトを小気味よく走るランナーの足音と、彼らの規則正しい息遣いだけだった。前方を走る男たちの体臭が時折僕の鼻を刺激する。
徐々にペースアップして、軽快なピッチで遅いランナーをどんどん追い抜いていく。まるでカール・ルイスかベン・ジョンソンのような筋骨隆々の黒人も僕のペースについてこれず次第に後方へと消え去っていく。かと思えば、かなり高齢の白人のおじいさんが僕とほぼ同じペースで走っていたりして驚かされる。
アラモアナ通りからカラカウア通りへ入り、右手には有名なワイキキビーチが見えて、すぐ左にあるのはカピオラニ公園だ。26マイルを走り終えて僕たちの帰りを待っているゴールはこの公園内にある。
日本からの参加者は約5000人もいるという。例年参加者が増えているのもテレビが特番を企画したりして芸能人やタレントを走らせているからだろう。
ダイアモンドヘッドの登りのピークを越えて、しばらく住宅街の中を走っていく。うれしいのはエイドステーション(給水所)で地元の学生のボランティアたちが大きな声で声援を送ってくれることだ。それがブロンドヘアの可愛い女の子だったりするといっそう士気も高まる。
"Looking good!!(カッコいい!!)"とか"You can do it!!(完走できるわよ!!)"などという声があちこちから聞こえてくる。
10マイル付近からハイウェイに入り、わずかながら登りになっていて長い直線が続く。景色もほとんど変化がなく、ただひたすら走るだけの単調さからは免れられない。やがて東の空が白み始め、まばゆいばかりの朝日に向かってランナーたちは走り続けていた。
ハイウェイの向かい風が終わり、ハワイカイをぐるりと回る。アフリカ勢を中心としたトップ集団がやってくる。頭が小さく体は細く、異常に長い腕と脚…。同じ地球人なのにそんな風には見えない。まるで走るために作られたサイボーグかアンドロイドのようだ。
10人ばかりのトップ集団は通過点を一瞬で折り返し、ロングストライドでサバンナを走るカモシカのように駆け抜けていった。
この辺りは比較的フラットな道だ。陽射しが後頭部を強く照らしつけ、湿度も高いので、額や首筋の汗も止まることを知らない。エイドステーションでのこまめな給水、そして水をたっぷり含ませたスポンジがありがたい。
帰りのハイウェイに出る頃には疲れが出始めて少々ペースダウンしてくるが、ボランティアの差し出すガス抜きのコークを立て続けに2杯飲んで空腹感を紛らしてみる。何とかまだ持ちこたえられそうだ。問題は35キロ以降のへばりをどこまで食い止められるかだ。
マラソンは35キロ過ぎが精神的な中間地点と言われている。めまいのしそうなほどの空腹感と気だるさで両足も動かなくなればもうそれまでだ。
折り返してからは後続の多くのランナーたちとすれ違う。誰か知ったランナーがいるかもしれない…。1万人のランナーがいれば1万通りの走りがあるということだ。
気を紛らすために彼らのさまざまな表情を見ていると不思議と疲れがどこかに消えてしまいそうだった。
ハイウェイの緩やかな下りを終えて住宅街を抜け、ダイアモンドヘッドへ。
私設エイドステーションがあって、テーブルにバドワイザーの缶が置いてあるところも…。
最後の登りが待っている。ピークを越えるまでが実に長くて辛い。そんな辛さも忘れさせてくれる沿道の応援もいっそう熱がこもってありがたい。歯を食いしばって一気に駆け上がるともうあとは下るだけ。ゴールまでわずか1キロ。
ゴールのあるカピオラニ公園に入れば応援の人・人・人。
たくさんの拍手と歓声に迎えられラストスパート。ゴールとなる会場では、ひとりひとりのナンバーと出身地(国)と名前を英語で場内アナウンスしてくれる。
"Number 8939, Katsuhiko Takashige from Japan is coming back now!!"
<あと800メートル…SMILE>
と大きな文字で書かれた旗が見えた。ここからゴールラインまでは一直線。沿道の観客の声援も凄い。一体どれだけの観衆がいるのだろう?絶えず聞こえてくるどよめきは、まるで大きなスタジアムで響き渡る歓声のようだった。
何が一体このレースをこんなに盛り上げているのだろうか。
さまざまなランナーと同じ時間と空間をシェアできること?
あるいは応援してくれる人々やサポーター、ボランティアたちとの一体感?
常夏のハワイの美しい風景?
ありとあらゆる要素がホノルルマラソンを盛り上げてくれているのだろう。
ひとことでは説明できないくらいホノルルマラソンの魅力は奥が深い。
ここホノルルで42.195キロを走り切れば誰もがヒーロー/ヒロインになれる。
ゴールをする瞬間はいつも感動に満ちあふれているが、ホノルルのゴールはまた格別。
ラスト2分の1マイル(800メートル)の直線道路はランナーにとっての花道。
その花道の両脇は群衆が埋め尽くして我々ランナーのゴールを見届けてくれている。
公園の入口まで足を引きずっていたランナーたちもこの直線に入った途端、急にエナジーチャージしたかのように笑顔で走り始める。
僕は一気にゴール目指してストライドをぐんぐん広げて走る。
<FINISH>の文字がくっきりと目に映り、僕は両手を上げてガッツポーズを作る。僕がヒーローになる瞬間。
カメラマンたちがシャッターを切る「カシャカシャ」という音が聞こえる。
“GREAT!!(スゴイ!!)”と誰かが叫ぶ。
(ゴール直後、ストップウォッチを止めた)
8度目のフルマラソン完走。しかも初めてのサブスリー…それもここホノルルでだ。
ゴールではお姉さんたちが貝殻で作られた首輪を掛けてくれた。これに後からもらう完走メダルをつけるのだ。
2時間52分32秒。後半に少し誤差が出たが、予定通りほぼ1キロ4分を刻むことができた。
ゴール後完走者のみに与えられる<FINISHER(完走者)>と書かれたTシャツが渡される。これを着ている者は皆ヒーローだ。
僕は真新しいフィニッシャーズTシャツを身にまとい、ゴールラインの近くに立ったまま、他のランナーたちがヒーローになる瞬間を見届けていた。
次にあのゴールを越えるのはいつだろう。いつかまた笑顔でこのゴールラインを踏もう。
僕はそんな誓いを立てながら、次から次へとやってくるヒーロー/ヒロインたちに拍手を送っていた。
帰国してから送られてきた、英語で書かれた完走証
9672名参加中129位
男性25歳から29歳まで1095名中36位 全男性7175名中120位)
テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2017/12/10(日) 15:36:55|
- マラソン・ランニング
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【回想:ホノルルマラソン〜その1】

アメリカハワイ州ではそろそろ(現地時間12月10日午前5時)ホノルルマラソン2017がスタートする。
参加されるランナーは既に現地入りしているだろうし、米国ハワイ州オアフ島ホノルルは多くのランナーで賑わっていることだろう。
過去にホノルルマラソンは5回(1988〜1990年、1992〜1993年)走った。
中でも印象に残っているのは、初サブスリーだった1989年のホノルル。
そして、ある意味、今のアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦が誕生するきっかけとなっていたアースマラソンを走った間寛平さんとの出会い…。
間寛平さんと最初に会ったのは、1988年、私にとって初のホノルルマラソンだった。
僕が小学校低学年の頃から彼は吉本新喜劇に出ていて、当時は木村進と漫才のコンビを組んでいた。
吉本興業の走るお笑い芸人第一号だった。
芸能人の参加はそんなに多くはなかったけれど、その前年には郷ひろみが走って話題になっていた。
スタート前、寛平さんがウォーミングアップしている場面に出くわした。
いつになくシリアスな顔をされていたが声をかけてみた。
「こんにちは。寛平さん。何時間くらいで走られますか?」
「あ、あー、そうねぇ3時間台やったらまずまずですわ。ま、調子がようて3時間半から50分くらいまで…」
「天気予報だと気温がけっこう上がるらしいです…。頑張って下さい!」
「あ、おおきに。にぃさんも頑張って」他愛もないそういった会話を交わしたのを覚えている。
そしてレース後、彼の周りにファンが集まってきて、
「カンペイちゃ~ん、アヘアヘアヘやって~」という声が聞こえてくると、陽気にそのリクエストに笑顔で応える彼。
彼は当時まだ39歳で、その年、吉本新喜劇を退団して東京進出を果たしている。
テレビのドラマやバラエティショー、クイズ番組などにも出始めて知名度もぐっと高くなっていった時期だ。
その2年後、1990年の春、彼が大阪から東京までの560キロを走破したと言うニュースを知る。
僕も、その夏、東海道行脚の旅を企画。京都三条大橋から東京日本橋までの520キロを11日かけて走った。
大阪で花の万博があった年、猛烈な暑さの中、二度ほど熱中症になりかけた。
寛平さんにはサポートクルーがついていたが、僕は背中に荷物をしょっての単独行。
暑さと疲労で走り終わってしばらくは体調がすぐれなかった。
その後の彼のランニングライフは、24時間テレビをはじめスパルタスロン、サハラマラソン、アドヴェンチャーレースと数知れない。
2009年スタートしたEARTH MARATHON、彼にとっては本当に過酷で壮絶な走りだったと思う。
陸地2万キロをラン、海路2万キロはヨットで、北半球をぐるりと一周する旅だ。
途中、前立腺がんの治療のためアースマラソンも数ヶ月中断。
その治療が一通り終わって、本当に走っても大丈夫なのかと思わされたが、彼は走れる限りは走る人だった。
壮絶な環境の中でも淡々と走る寛平さんの姿に心打たれるものがある。
2011年1月、ゴールの大阪城公園野外音楽堂に出向いて、彼のゴールを見届けた。
その日が、僕にとってはアドヴェンチャー・ランナー開眼…彼からバトンを受け取った日となった(自分自身そう確信している)。
信じがたいことに、ゴール当時の彼は60歳。今年68歳でまだ現役ランナーだ。
彼はお笑い芸人なのだが、今の彼は、人を笑わせるよりも、自分のやっていることで自分を大笑いしてしまおうという心境なのではあるまいか。
タフでハードな人生をあえて設定し、体を張って、命を賭けて、「アースマラソン」というシリアスさを超えたものの中に、彼が求めている真のお笑い芸人の姿があるに違いない。これこそまさに、究極の自虐ネタなのだ。
寛平さんの足元にも及ばないが、同じ地球を走るというアクション=PEACE RUNを通じて、僕自身にも、この世界にも、何かを伝えることができると信じて、全力前進するまでだ。
一本の道と二本の足があれば、必ず人は進んで行けるはずだから。
ホノルルを走られる皆さん、記録よりも記憶に残る素敵なランを…GOOD楽駆!
(明日につづく)
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PEACE RUN公式グッズ(Tシャツ・パーカ・スウェット)購入申し込み*
ランニング道場:ランナーのためのワークショップ*
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦講演宅配(出前トーク)やっています!
テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2017/12/09(土) 10:13:08|
- マラソン・ランニング
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【イマジン】

想像するところから全ては始まる…
宇宙旅行やインターネットがそうであったように、いろんな発明や発見はそもそも想像の世界から生まれてきたのではなかったか。
絵空事ではなく、現実と夢はどこかでつながっているのだと信じてみよう。
目に見えるもの・耳に聞こえるものだけがすべてではない。
今、僕たちが想像しているものも、きっとどこか別の世界に既に存在しているはず。
今は離れたところにあるのだろうけれど、いつかそれら二つの世界が一つになる時がきっとやってくる。
想像された世界が現実のものとなるように、僕は、その接点にいつも立っていたいと思う。

37年前の今日、君は突然この世からいなくなった。
「想像してごらん…天国なんてないんだと…」と君は言ったね。
もしそうだとしたら、君は天国にはいないってこと。
じゃ、いったい君はどこにいるのかな?
恐らくこの世界のどこかで僕たちを見守ってくれているんだろうね。
ジョン、心配はいらないよ。
いつか君の望むとおりに、世界はひとつになるから…。

*写真:昨年8月に訪ねたビートルズ・ストーリーでのジョン・レノンの部屋(英国リヴァプール)

12月8日:対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)
1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。
「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。
元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまった。
アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉とした。
〜
今日は何の日(12月8日の項)から引用
*****
過去の歴史は当然変えることはできない。
ならば、今どうあるかで理想の未来は築き上げられる。
今生きて生かされている私たちの手に未来は託されているのだ。
:*+:*+:*+:*+ Love× Laugh→Peace +*:+*:+*:+*:
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/12/08(金) 23:59:59|
- WORLD PEACE(世界平和)
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旅をしていていつも心がけていたのは、こまめに深呼吸をすること。
時々深呼吸をしてリフレッシュするのは、頭にも体にも効き目あり。
ゆったりまったりのスピードで走る分には、1日40〜60キロのランでは大した疲労もない。
週に1〜2度休養日を入れてのリカヴァリーは必要だけれど、体は動かせば動かすほど細胞が活性化するので新陳代謝もより盛んになるし、その証拠に、切り傷や擦り傷などはひと晩経てば驚くほどのスピードで完治する。
そして、メンタルをポジティヴモードにセットすることで、体はあらゆるウイルスをはねのけてくれるのだ。
旅のさなか、虫歯にもならず、風邪を引きかけても睡眠時間を多めに取るだけで翌朝にはすっきり目覚めることもできる。
旅をしている間は爪や髪の毛の伸びるスピードも早まるのではないかと思われる。
科学的なデータは取っていないので分からないが、誰か自分を研究対象にしてもらえれば、人体の秘密もいろいろ解明されるようなことがあるかもしれない。
ここ7年ばかり健康診断も受けていないが、健康体は維持できている。
9月に四国一周して体重が一時55キロほどになった。通常は60キロ程度なので約5キロ減。
今は寒くなってきて食べる量が少し増えて体重も一時増えてきてはいるものの、寒さに順応するために体が体脂肪を必要としているのだろう。
僕たちの体には水と食べ物が必要だ。
できるだけ自然のもの、すなわち添加物や保存料を含まないものを意識して摂りたい。
そして、空気だ。
緑や木々の多いところで深呼吸をしよう。
自分自身の体を構成する60兆もの細胞がいきいきと活性化できるように。
体の声に耳を傾けるために体との対話の時間を欠かさず持とう。
過去に体の声を無視して、オーヴァートレーニングが元で慢性疲労症候群になったり、睡眠障害になったことがあったが、眠い時には眠り、お腹が空いたら食べ、疲れたら休む。
今はそういったことを徹底している。
いろんな制約があってなかなか思い通りに行かなくてもあせらないあわてない。
気持ちはいつでもゆったりまったり。
何かに追い立てられるのではなく、いつもマイペース。
自分が何かにコントロールされていると思うと辛くなるから、いつでも主体は自分にあると思っておくのがいい。
人間関係然り、時間やお金に関わること然り。
数字には感情はない。数字に振り回されていてはいけない。
朝起きたら窓を開けて深呼吸だ。
背伸びをして体の節々を動かしてみる。ラジオ体操も真剣にやればかなり体には効く。
そして、顔を洗ったら鏡の前に立ち、鏡の向こうにいる自分に微笑みかける。
一日の始まりを楽しく迎えられるように、好きな音楽をBGMに流すもよし、美味しいコーヒーを味わうのもいい。
ゆったりまったりと流れる時間を堪能できればそれでいいのだから。
仕事に出かける前にも深呼吸。仕事を始める前にも深呼吸。仕事の合間にも深呼吸。
そして、仕事が終わったら深呼吸。
一日の節目節目に深呼吸をすることで、体と心が対話する時間を楽しもう。
寝る前に深呼吸をしながら瞑想するのもいい。
特に信仰するものがなくても、時には何かに祈りを捧げてみよう。
恐怖や不安を感じそうになった時にも深呼吸。
人は、呼吸をすることで生きて生かされている。
深呼吸することで、穏やかな気持ちになって、穏やかな時間を過ごす。
感謝や感激、感動の気持ちが自ずと湧いてくるならば、体は必ず活性化する。
それを無駄な時間と思うようになってしまえば穏やかな時間を持つことはできない。
リラックス…リフレッシュ…リセット…リカヴァリー。
あせらないあわてない…ゆったりまったり…。
テーマ:より良く生きる! - ジャンル:ライフ
- 2017/12/07(木) 22:24:08|
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【ランナーが富田林に移り住むべき10の理由】
富田林を代表するランドマークPL(パーフェクトリバティー)教団の大平和祈念塔今あなたが住んでいる場所に特別なこだわりがあれば別ですが、どこに住んでもかまわないと言うならぜひ大阪富田林に移り住んでみてはいかがでしょう?
特に、次代の富田林を支えてくれる若い世代にとって住み心地がいい・暮らしやすいのが富田林。
ランナーなら、富田林で暮らしましょう。そして、富田林で走りましょう。
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦がランナー目線で見た富田林の素晴らしさをぜひ知ってください!
1)自然がいっぱい…住環境に恵まれている
石川沿いのサイクリングロード…春は満開の桜が楽しめる山と川があって緑がいっぱい。駅前であっても大阪市内のように地価が高くない。静かな新興住宅地も多い。
高齢者が多く、古いけれど大きな家が空き家になっているところも多く、好条件で家を買う・借りることができる。
寺内町周辺の古民家も今は物件多数あり。賃貸住宅も広さ・部屋数の割に家賃が安い。
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/citysales/ouen/index.html2)人が温かい
近隣の方々(特に古くからおられる年配の方々)がみな親切で、やたら声をかけてくれる。困っていたら必ず助けてくれる。これはお店をやっている人はもちろん駅・市役所・銀行・郵便局などで働く方々も同じ。都会と比べてみても明らかだけど、街を歩いている人々にギスギスした感覚がないのがうれしい。
3)食べ物が安くて美味しい。
水と空気がきれいなので農業が盛ん。地域で採れる野菜や果物が安い上に美味しい。スーパーマーケットでもいいのだけれど、道の駅や地場産の野菜を売っているアウトレットのようなところだとなお新鮮。近隣の地域でも米や野菜は安心価格で手に入る。
*富田林市農業公園サバーファーム
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http://www.savor-farm.or.jp/4)子供にとって暮らしやすい
自然がいっぱい。遊ぶ場所も山や川があるし、公園も多い。市内は教育環境も整っている。保育園や幼稚園、小中高等学校も市の中心エリアに暮らしている限りは通学も楽。市による子育て支援(妊娠中から中学卒業までしっかりサポート)もいろんな面で充実している。
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/citysales/ninshin/index.html >>
http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/citysales/timing/index.html5)交通アクセスがいい
大阪市内まで電車で30分。車がなくてもそこそこ生活はできるけれど車があればなお便利。市の中心部から半径1キロエリアにたいていの公共施設がある。買い物するにもたいていのものは市内で手に入れられる。
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/citysales/jukankyo/index.html
エコール・ロゼショッピングモール6)起業しやすい
会社を作りたい、新しいビジネスを始めたい、就農したい…そんな方々の相談・サポートもしてもらえる。
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/iju/company/7)スポーツ施設が充実している
ミズノグループが運営するスクールや市立のスポーツ施設が富田林市民総合体育館にある。
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https://www.mizuno.jp/facility/osaka/tondabayashi.aspx特に子供のスポーツが盛んな富田林、ざっとあげてみても、野球、サッカー、ソフトボール、剣道、少林寺拳法、ラグビー、空手、柔道、テニス、バスケットボール、バレーボール、トランポリン、バトン、ダンス、スポーツチャンバラなどが現在学べる。
駅前にはフィットネスクラブもあって仕事帰りに立ち寄ることができる。夏限定オープンの市民プールも人気。
*総合スポーツ公園
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http://www.tondabayashi-sp.jp/7)歴史ある地域である
夏の風物詩、寺内町燈路(じないまちとうろ)寺内町(じないまち)はじめ寺社仏閣が多数あって歴史好きな方には楽しめる。
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http://www5d.biglobe.ne.jp/~heritage/index.html >>
http://tondabayashi-navi.com/miru/jinaimachi.htmlお隣の羽曳野市と堺市では百舌鳥古市(もずふるいち)古墳群が世界文化遺産登録を目指している。近隣の河南町や大阪狭山市、千早赤阪村も見所たくさん。
毎年8月1日に開催される教祖祭PL花火芸術8)走る環境が整っている
石川河川敷のサイクリングロード、錦織公園、滝谷公園、ちょっと足を伸ばせばお隣の堺市には大仙公園や大泉緑地など大型の公園もある。コースの途中にはコンビニや食事できるお店も数多くあって便利。
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/citysales/koen/index.html9)トレイルランニングも楽しめる
金剛山をはじめとするダイヤモンドトレイル(通称:
ダイトレ)でトレイルを楽しめる。
錦織公園も山全体が公園なので走るには最適。人も少なくのびのび走れる。
毎年12月に開催される富田林市民マラソン10)住んでみればなおよくわかる富田林の良さ
富田林の広報用ポスター、現在、近鉄の主要駅に掲示されているまずは富田林を訪ねてみてください。いろんな出会いと発見、気付きと学びがあるはず。そして、何度か訪ねる内に住みたくなるような町、それが富田林。
*移住者の声
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/iju/voice/*富田林市ウェブサイト(富田林市の公式ページ)
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http://www.city.tondabayashi.osaka.jp/*富田林市市役所総合フェイスブックページ
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https://www.facebook.com/city.tondabayashi/*富田林市プロモーションアニメ動画「愛、煌き、とんだばやし~お父さん、ありがとう編~」
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https://www.youtube.com/watch?v=hrcleDcYZxo
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- 2017/12/06(水) 15:43:34|
- 富田林
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【愛と平和のタネを蒔こう】
愛と平和の種を蒔いています。
旅の行く先々で出会った人たちに幸せを届けるために。
もちろんできることは限られているでしょうけれど、ほんのわずかの時間、みんなが笑顔になれるのであれば、それはそれはとても嬉しいことであります。
出会わせて頂いた感謝と感激の気持ちを言葉やアクションで示しながら、お互いの魂にふれあえるような感動をシェアできれば言うことはありません。
ひょっとしたら、僕は旅しながら世界中に家族を作っているのかもしれません。
世界のどこを訪ねても、同じ地球人であるならば、兄弟姉妹と出会っているかのような気持ちを感じられること。
それが、自分自身にとっても出会うみんなにとっても、安らぎに満ちた心地よい時間でありますように…。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/12/05(火) 12:20:27|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【アドヴェンチャー・ランナーとアドベンチャーランナー】
昨日の「情熱大陸」をご覧になったランナーも多いことだろう。
日本人で初めて世界七大陸のアドベンチャーレースを走破されたアドベンチャーランナー北田雄夫(きただたかお)さんが取り上げられていた。

*
北田さんの公式サイト*ご覧になっていない方は
こちら(少し下にスクロールして「見逃し配信」の項、12月10日までご覧になれます)
同じAdventure Runnerを名乗るものとして誇らしい快挙である。
彼のお陰で、私のブログのアクセス数が昨日だけ急激に増えている(笑)。
北田さんとは、2014年9月、ライターの坪井伸吾さんが大阪でアドベンチャー展を開催された時に初めてお会いした。
*その日のブログは
こちらそして、その後2014年11月、私の「PEACE RUN2014 ニュージーランド縦断ランニングの旅」壮行会を訪ねてくれた。

*写真右から二人目、左手を上げているのが北田さん
砂漠マラソンなど彼のチャレンジが本格的に始まった年である。いろんなチャレンジャー、冒険家に会うことで情報を得ると同時にテンションを高めるのが目的だったと思われる。
Adventure Runner(アドベンチャーランナーもしくはアドヴェンチャー・ランナー)を名乗るランナーが私の知る限りこの世に3人いる。一人は北田雄夫さん、そして私、もうひとりは樺澤 秀近(かばさわひでちか)さん。

*樺沢さんの公式サイトは
こちらアドベンチャーランナーを恐らく一番最初に名乗られたであろう樺沢さんも砂漠マラソンや極地でのレースを数々経験。現在は、ロゲイニングなどの大会運営にも関わっておられる。2011年、私の「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」第一章アメリカ大陸横断ランニングの旅のスタート直前、東京新宿で壮行会(別の言い方をすると変態ランナーの集い)を開いていただいた際に初めてお会いした。
*この日のブログは
こちらこの会には、ノータイムポチリで有名になった「マラソン中毒者(ジャンキー)」の著者小野裕史(おのひろふみ)さん、チームイーストウィンドに所属していたアドベンチャーレーサーの和木香織(わきかおり)さん、ジャーナリストの山田洋(やまだひろし)さんらも同席されていた。
言うまでもなく、私は競い争うアスリート(競技者)ではなく、この地球という惑星を舞台に共存共走をゆったりまったり楽しむ走る旅人である。
生涯を賭けたプロジェクト「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走り終えるまで旅は続くけれど、着実に、確実に、前へ前へと進んでいく。
ゆっくりでもいいから、少しでも遠くへ進んでいけたらそれでいい。
目指しているのは、歴史的な記録よりも同じ時代に生きている人々の記憶に残る走り。
細かい話だが、2011年1月から私が自分につけた肩書はアドベンチャーランナーではなく、「アドヴェンチャー・ランナー」。英語で記せばどちらもAdventure Runner。アルファベットのVを「ヴ」と表記しているのだ。日本語にするとややこしい(笑)。
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」公式サイトは
こちら【追 記】
正体不明なのだが、もう一人アドベンチャーランナーのブログを今年3月から書かれている方がいた。
*
アドベンチャーランナーOfficial Blog
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- 2017/12/04(月) 17:38:24|
- 旅・冒険
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【HERO】
幼い頃、といっても昭和40年代、僕にとってのヒーローとはウルトラマンや仮面ライダーのようなつくりあげられた架空の存在だった。
それでも正義のために命も惜しまず、勧善と悪に立ち向かう彼らの姿は、僕を含め多くの子供にとって憧れの的だった。
大きくなったら科学特捜隊(ウルトラマンに登場する地球防衛軍的存在)に就職しようと真剣に考えていた時期さえ僕にはあったのだから。
スポーツ界にもプロアマを問わず、人並みはずれたパワーやスキルを持ち、「世界」という桧舞台で僕たち自身ができないことをやってのけてくれるヒーローやヒロインが現実に存在する。
彼ら/彼女たちが、その肉体と精神の限界に挑む姿は尊くも美しい。
僕たちはそういったチャレンジする姿を見て自然と心が揺さぶられる。
そして、やがて自分にも何かできるんじゃないかと思わされるようになる。
自分がなりたいと思うもの、それがヒーローだとすれば、なりたい自分になればいい。
その時初めて人は1人のヒーローになれるのだ。
大きな夢を自身の心のキャンバスに描くがいい。
その夢をかなえるためにはどうすればいいか、自分に何ができるのか、その答えを見つけるのはもちろん自分自身。
人間だから、何かトラブルがあったりして物事がスムーズに行かないこともしばしばある。
そうやって自信を失った時や落ち込んだりしている時には、たいていもう1つか2つ「泣きっ面に蜂」的なダメージがあるものなのかもしれない。
うまくいかない時には何をやってもうまくいかないのだから仕方ない。
「そんな時もあるんだ」と自分に言い聞かせよう。
自分自身と向き合って、冷静に、客観的に自分の内面を見つめる時間にしよう。
自分だけのヒーローであっても構わない。
そのために、自分の流儀を貫くこと。自分自身の確固としたポリシーを持つこと。
周りがどう思おうと自分で自分をカッコいいと思えること…。
自分が自分自身に感動できるなら、人生はもっと素晴らしいものになるだろうし、自分の生き方で誰かを感動させられるのであれば、もっともっと価値ある人生を送れるはずだから…。
自分の内にヒーローを見いだせたならば、きっと毎日が楽しくて仕方なくなるはず…思わず笑みもこぼれるというもの。
自信…とは、文字通り、自分自身を信じること。
何があろうとも最後まで自分自身を信頼するところから新たなパワーとエナジーが生み出される。
揺るぎない信念を持って、自分自身という人間を生きられるからこそ、人は目標とするところに立ち向かっていけるのだ。
本物のヒーローに出会いたいのなら、探さなくてもいい。
きっと自分の内にいるはずだから。
教員をやっていた頃に、英語の授業でひんぱんに生徒たちに聞かせた曲のひとつ…
マライア・キャリーの「ヒーロー」
「その時ヒーローはやってくる 自分自身を乗り越えるだけの力を身につけて…」
サビの部分の歌詞にいつも力づけられる。ヒーローは自分の中にいる…そう信じよう。
*****
H E R O
Lyrics & Music by Mariah Carey
そこにはヒーローがいる
君の心の奥深くをのぞいてごらん
自分が何者かなんて恐れる必要はないんだから
魂の奥深くまで手を伸ばせば
答えはおのずから見つかるはず
君が心に溜めていた悲しみももう
次第に溶けて流れていくだろう
*
その時ヒーローはやってくる
自分自身を乗り越えるだけの力を身につけて
君も恐れを投げ捨て最後まで生き抜くことを知るだろう
だから希望を失った時でも自分自身を見つめて強く生きること
やがて君にも真実が見えてくる
ヒーローは君の中にいるんだって
長い道のりになるだろう
たった一人でこの広い世界に立ち向かう時
君に手を差しのべてくれるものは誰もいない
自分の中に秘められたものを探り出せば
愛は必ず見つけられるから
君が感じていた虚しさも
どこかへと消えてしまうはず
* Repeat
神様には分かっている
夢を追い続けるのは簡単なことじゃない
でもその夢を誰かのために簡単に諦めるべきじゃないんだ
もうしばらく持ちこたえて
明日があるから
時が来れば きっと道は開けるだろうから
* Repeat
(Translated by K.Takashige)
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦57歳…自分だけのヒーロー目指してひた走ります…
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/12/03(日) 23:59:42|
- 人生論
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【嫌というほど】

嫌というほど地平線を追いかけてきた
嫌というほど原野を走ってきた
嫌というほど空腹を我慢してきた
嫌というほど砂漠を見てきた
嫌というほど峠を越えてきた
嫌というほど走る日々を続けてきた
嫌というほど暑さ寒さ雨風嵐を経験してきた

これまでの旅で、辛く苦しかったことは数知れない。
それでも、実際やめようと思ったことは一度もない
日々が経験の連続
日々の経験が人生のひとコマ
楽しいと思えばすべて楽しくなる
嫌だと思えばすべて嫌になる
幸いにも嫌だと思わなかった自分が幸せ
大変であるには違いないけれど
たいていのことは気がつけばちゃんとこなしてこれた
我慢や犠牲とかいうものではなく
ただ起きていることをありのままあるがままに受け入れただけ
好きなことをやっているのだけれど
好きなことをするよりも
やっていることを好きになれる人生
意外にも幸せはそんなところから始まるのだ

一本の道を走り続けるように
人生そのものも毎日が通過地点
いつたどり着くとも知れぬゴール
道は果てしなく遠くエンドレス
それでもいつかは終わるものと信じて
ひたむきにひたすらに
ひた走りながらひた進む
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2017/12/02(土) 16:39:28|
- ココロとカラダ
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