【旅と共存共走】
*旅とは…?
旅というのは、訪ねたことのない遠くの土地を訪ねることだけを意味するのではないと思う。
自分の街にいても、知らなかった人と出会い、語らい、お互いが笑顔になれる時間を持つことも、
ある意味旅の時間といってもいいのだろう。
地球は僕達のふるさと。
どこにいようと、心が揺れ動くのであればそこは旅の途上。
*共存共走

もっとこの人(たち)とここで一緒にいたい。
もっとこの人(たち)と同じ時間を過ごしたい。
そんな仲間を世界中に作ろう。
そして、自分自身もそう思ってもらえるように
そんな思いが作り出すのがきっとPEACEなんだね。
一人であっても、心は誰かと、同じ空の下、同じ大地の上でつながっているはずだから。
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- 2020/05/31(日) 23:01:20|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【親切 vs おせっかい】
揃って昭和6年(1931年)生まれ、88歳の両親をほぼ毎日訪ね、父と母の世話をしている。
昨年末まではまだ普通に歩けていた父も、足腰が弱って歩く際にも杖が必要となっている。
それでも、まだ二人で何とか生活は可能なレベルとは言える。
妹と相談して、ケアマネジャーさんにも加わってもらって、何とかデイサービスに週1〜2度でも通ってもらうように勧めてきたけどそれも簡単なことではない。
筋力の落ちた父のリハビリは何より必要だし、今やっておかないと、この先転倒でもしたら次は車椅子生活か寝たきり状態になるのは目に見えている。
母にしてみれば、まだ自分のことは自分でできると自信を持っているようだし、父にとっても、知らない人の世話になるのはありがたくないのだろう。
父が仕事を定年で辞めてから30年近くずっと二人でやってきたこともあって、その生活リズムを崩されるのは喜ばしいことではないのは確からしい。
特に母は「介護」とか「デイサービス」の話題が出てくると様子がおかしくなる。
過去に妹も私もそういったことで母と激しい口論をしたことは何度もあった。
それでも、デイサービスの1日体験をしてもらうところまではこぎつけたが、やはり居心地の悪さを感じるのだろう。
父は家に居てもたいていソファの上でウトウト…傾眠傾向が強い。
調子が良ければ部屋の片付けをしたり新聞の切り抜きを整理したりしているが、ムラがある。
母も、ピアノを弾いたり編み物をしたり、ほぼ毎日同じことの繰り返し。
外の世界は、コロナ災禍もあって、この数ヶ月ほとんど見ていないという現状。
実家を訪ねる前にスーパーで食材を買って、実家で二人にお昼ごはんを作る。片付けもやる。
リハビリ体操や脳トレを一緒にやって、おやつを食べて、父のトイレ・シャワーの介助をする。
夕食の準備をして自宅に戻ってくるのが最近のルーティーン。
トンチンカンなこともいろいろあって、やたらいろんなものがなくなる。
その都度探し回るが見つからないことも多い。
それが、忘れた頃に見つかることもある。
こうやって、こちらが親切のつもりでやっていることも、時に二人には迷惑でおせっかいなこともあるに違いないと最近とみに思う。
先住民のいる土地に文明人がやってきて、その土地を支配し、自分たちの言葉や文化を教え、完全にその地を植民地化するのにも似ている。
答えのない問いに一生懸命答えを見つけようとしている中で、ひょっとしたら答えなんてないのかもしれないと感じている。
何もしないという選択肢もあるのだろう。それでも、時間だけは前に進んでいく。
いろんなしがらみもある中で、試行錯誤は続くけれど、残された二人の人生に平穏な日々を提供するのがせめてもの親孝行なのだろうか。
これまで親孝行らしいことをほとんどできなかった愚息の頭が最近考えていることを綴ってみました…(笑)。
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- 2020/05/27(水) 23:03:16|
- 未分類
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【何を当たり前とするか?】

9年前の今頃、アメリカ横断ランニングの旅を走っていた。
まず最初の難関がモハヴェ砂漠だった。
時期にもよるが、熱波に見舞われたら摂氏50度もあり得る。
摂氏50度レベルで運動するというのは確実に命の危険を感じる温度。
インドや東南アジアではエアコンの入っているのはお金持ちの家。
古いタクシーに乗ればエアコンもないという。
それどころか、貧困に加え電力不足もあってエアコンや扇風機は一部の人しか使えないのだ。
一方で夏の日本、リモコンのボタンひとつで部屋は涼しくなる。
暑いと言ってもせいぜい40度未満。40度を超えたらニュースになるくらい。
コンビニも自販機もそこらじゅうにあって、ガリガリ君をはじめ冷たい食べ物や飲み物もお金を出せば手に入る。
砂漠の熱波に見舞われた時に、クーラーボックスもなく、どうしても冷たい水が飲みたかったから、ボトルに濡れタオルを巻いて、扇子で一生懸命扇いだ。
気化熱で少しでもボトルの水の温度が下がればいいと思いながら20分くらい扇子を仰ぎ続けた。
全身猛烈に汗まみれになったが、45度のテントの中で、恐らく20度程度の「冷たい」水が飲めたことに感動した。
文明がいかにして生まれてきたかを垣間見た気がした。
そこで思ったこと…
果たして、便利さは幸せを生み出すのだろうか?
たとえ、不便であったとしても、不便さの中から生まれてくる生活の知恵こそが、人々の生きる力になっているのだということ。
なければないで済ます、あるもので何とか間に合わせる…そんな発想はふだんの暮らしの中からはなかなか生まれてこない。
人の一生は、何を当たり前とするかで変わってくるものだということ。
「当たり前」の反対語は「ありがたい(有り難い)」。
何でもかんでも当たり前と思っていれば感謝の気持もなくなるけれど、それを当たり前と思わなければとてもありがたいこと。
アドヴェンチャー・ランナーのひとりごとでした。
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- 2020/05/26(火) 20:18:59|
- 日常
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【ナチュラリストめざして】
できるだけ自然に逆らわない生き方・考え方を40歳になった頃から心がけている。
言い換えるなら、不自然なことをしない、不自然なことを避けること。
最近も継続しているのは、お風呂でシャンプー・リンスをしない…お湯だけで汚れを落とす。
歯磨き粉を使わずに塩や重曹で磨く。
肌に触れるものは極力、木綿や麻、絹などの自然素材。
食べるものも、加工品を避け、農薬を使わない果物や野菜。
たとえ体調が悪くても薬や医者に頼らず、薬草を使ったりファスティングしたり…。
そういった、昔からのライフスタイルこそが心にも体にも実際プラスになっている。
不自然なものを受け入れた時、連鎖反応的に不自然なことが引き寄せられるもの。
今ある不自然な現象はその結果にすぎない。
不自然な思想や不自然な行動が不自然な人間を作り、そういった人間が不自然な社会・世界を形成する。
多くの人々はそれに気付かされることなく、不自然を当たり前のものとして受け入れていく。
覚醒した人々は、できるだけ不自然なものから離れていく。
何が不自然であるかを見極めることができなければいけない。
ポイントは感覚…自分がそれをいいと感じるかどうか…。
旅を通じて、自然回帰を人生のテーマとしてとらえ始めた。
太古の昔のくらしに100パーセント戻ることはできないかも知れないけれど、
少しでも近づくことは可能だ。
平和な社会は自然な姿…闘い争うのは人々のエゴとエゴがぶつかる不自然なもの。
心穏やかに笑顔を浮かべた人々が集まれば自然に平和な時間と空間が生まれてくるはず…。
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- 2020/05/24(日) 23:07:55|
- 日常
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【受け入れる】

「いつか変わるだろう」と思っている内は何も変わらない。
「今変えてやろう」と思った瞬間に流れは変わるもの。
流れを変えるために、今自分にできる事を見つけよう。
努力しても変わらないものはそっと受け入れよう。
あきらめるのではなく、ありのまま、
あるがままに受け入れることも時には必要だから。
拒めば拒むほど嫌なことは自分に付きまとうもの。
いっそ受け入れてしまえば気も楽だ。
なぜ自分がそれを拒んでいたか、
それもあとになって分かるかもしれない。
世の中にあるものはすべて鏡みたいなものなんだろう。
自分の心が投影されて、やがて自分のところに帰ってくる。
あるいはそれはこだまみたいなもの。
きれいな声はきれいなまま帰ってくる。
ピュアな心のままの、ピュアな自分でありたい。
過去を捨てる覚悟を持って旅に出たはずだったけど、
実際は過去を捨てたのではなく、過去をありのまま、
あるがままに受け入れただけだった。
自分にないものばかりを求めていたけれど、
ないならないで済ませられることに気がついた。
今あるもので間に合わせられるということも教えられた。
余分なものをそぎ落とせば本当に必要な物が見えてくる。
生活がシンプルなものになれば、
生き方や考え方もシンプルでピュアなものに変わってくる。
走ることももちろんだけど、
それ以上に旅を通じて学んだことは多い。
旅も人生も、さまざまな出会いや発見、
気付きや学びに満ち溢れている。
だからこそ僕は生きて走って旅をする。
僕の未来はいつも地平線の向こうにある。
〜アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦・談
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- 2020/05/23(土) 23:16:26|
- 哲学
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【フレンチトーストの思い出】
昔々、といっても時をさかのぼること約40年。
僕の20代は1980年に始まった。
まさに青春時代の真っ只中、僕は大阪北部の片田舎にある私立大学の2年生で、
キャンパスから歩いて15分ほどの所に下宿していた。
下宿とはいっても、それは6畳1間のおんぼろアパートで、
建物は相当老朽化していつ崩れてもおかしくなかった。
雨戸はきしんで動かないし、廊下や階段は人が歩くたびギシギシ鳴るし、
共同トイレも夏になれば失神しそうなくらいの悪臭を放った。
すぐ近くには竹やぶと、花池という名の池があり、
一年を通じて湿気が多くジメジメしていたから、
ゴキブリやムカデ、ハエ、蚊、蟻などがひっきりなしに現れた。
誰かが影で「昆虫の館」と呼んでいたくらいだ。
いくらおんぼろでも、家賃だけは他のどこよりもはるかに安かったから文句は言えない。
僕はそんな小さな城の主(あるじ)になって、ささやかではあるが誰にも干渉されることなく
憧れの1人暮らしを満喫していたのだ。
仕送りを使い果たし、バイトの給料が入るまではいつもサヴァイヴァル生活が続いた。
冷蔵庫には例によって、バターとマヨネーズ、ケチャップ、
水の入ったポットと製氷皿が行儀良く納まっていた。
貧乏学生の冷蔵庫といえば大体がこんな具合なのだ。
日曜日は昼過ぎまで寝て朝飯代を浮かし、おもむろに起きだして顔を洗ったら、
隣人から卵と牛乳を恵んでもらって近くのパン屋に行き、
食パンの耳を20円で買ってくる。
わずか20円で両手に余るほどの量があるので、
うまくいけば3日間は何とか飢えることなく生き長らえることができた。
早い時間ならまだ食パンの耳も柔らかい。
それが僕の好物フレンチトーストを作るのにうってつけの材料となるのだ。
砂糖とバニラエッセンス、卵と牛乳をかきまぜ、
4つに切ったパンの耳をその中によく浸しておく。
途中で裏返して、漬け汁がパン全体にたっぷり染みるまでじっくり待つこと2時間…
焦ってはいけないのだ。
暖めたフライパンにサラダ油をひき、
卵と牛乳をたっぷりと吸収したパンの耳を裏表ともキツネ色になるまでじっくりと焼く。
片面7~8分が目安。
焼きあがったフレンチトーストに蜂蜜とバターをたっぷりと塗って食べる。
空腹にはこのひと口がこたえられない。
年がら年中活躍しているやぐらコタツのテーブルに、
ミルクティーとフレンチトーストというささやかだけどこの上ない贅沢。
ステレオでユーミンのLPを聴きながら本当にやさしい気分になれそうな気がした。
卵と牛乳をくれた隣人にも何切れかを皿に盛って届けた。
それ以後、彼も僕のフレンチトーストのファンとなった。
ひもじい思いをするたびに何度も食パンの耳には救われたものだ。
インスタントラーメンを食べた後のスープにパンの耳を浮かべて食べたり、
オーブントースターで焼いてマヨネーズとケチャップだけをつけて食べたり……。
何度か店に通う内にパン屋の主人とは顔見知りになり、
彼もやがて食パンの耳代20円を僕から受け取らなくなった。
今思い返せば、あんな貧しい時代もあったということがまるで嘘みたいだが、
当時は当時で、「苦労」というものを楽しむ余裕があったのかも知れない。
あれ以来もう僕は食パンの耳にお目にかかっていない。
それに、あのパン屋の主人は今でも元気にしているだろうか?
その当時は豚のエサと言われた食パンの耳だが、あのフレンチトーストの味はもうることもあるまい。
貧しくていろんなものが不足していたけれど、心が豊かだったあの時代に、
どうやら僕はたくさんの忘れ物をしてきてしまったようだ。
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- 2020/05/22(金) 23:27:31|
- 回想
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【父のラブレター】
朝、生活時間帯の違うつれあいぴあぴと散歩…
5月の晴れた青空とさわやかな風がありがたかった。
花を見たり、富田林の寺内町を楽しんだり…
彼女とどこかに行くと言ったら、スーパーやショッピングモールでの買い物か、朝の散歩くらい…。
彼女はミュージシャンで、バンド仲間と地方に出向いたりすることはこれまであったが、
僕が彼女と旅行したのは2016年の西ヨーロッパランニングの旅で、ゴールのパリに来てくれた時が最後。
だから、一緒に歩くだけでも嬉しいし楽しい…
この日、彼女がブログで嬉しいことを書いてくれている。
*
すれ違いの夫婦(笑)何か、2012年に出逢った時から、不思議な感覚で、ソウルメイトってこういう関係なのかな…と感じていた。
いつものように、朝から実家へ。
書斎を片付けている父から「面白いものが出てきた」と差し出されたのはこちら…
今から63年前の昭和32(1957)年の消印が押されている。私が生まれるまだ3年前…
当時26歳の父が、同い年の母あてに書いたラブレター。
当時、父は朝日新聞社勤務で尼崎の園田にある独身寮に入っていた。
母は生まれ育った奈良市柏木町在住。
その後、ここには1970年の数ヶ月だけ私と妹を含む家族で4人移り住むことになるが…。
二人が出会ってまもない頃に、父がいかに母にぞっこんだったが伝わってくる。
このラブレターは便箋2枚に、父が描いたマンガも含まれている。
何とも微笑ましい…見ていて幸せな気分になれる。
メールではない、完全なアナログの時代…
恋文を書いて、便箋を畳んで、封筒に入れて切手を貼って、ポストに投函…
相手からの返事が来るまでのワクワクドキドキ感は、デジタル時代の今はなかなか得られないもの…。
これを書いている時の父の緊張と期待と不安が入りまじった気持ちが何となく伝わってくるし、
これを受け取った母の嬉しそうな笑顔もまた目に浮かぶ。
その時代の二人の写真も残されている…
父は写真が好きな人で、この当時の写真もたくさん撮ってアルバムにストックしている。
そこから2年間の交際を経て昭和34年に二人は結婚。翌35年に私が誕生。
あたり前のことだけれど、二人の出会いがなければ今の私の存在はない…。父と母が出会ってくれてありがとう…なのだ。
母は当時を思い出し、「そういう時もあったね〜」と当時を振り返っていた。
夫婦げんかの絶えない二人ではあるけれど、それも愛情の裏返し…
何度も夫婦間の危機はあったようだが、61年もの間やってきた二人…
足腰は衰え、老いを静かに受け入れつつある父
77年前に表彰された健康優良児を今なお誇りにしている母…
まだ出会って8年目のぴあぴと、この先どれだけ一緒にいられるかわからないけれど、やはり夫婦って大切な存在。
夫婦って一番近い他人…でも、必ず前世でも現世でも来世でも、切っても切れないつながりがあるのだろう。
父のラブレターでそんなことを感じさせられた。
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- 2020/05/20(水) 23:31:30|
- 家族
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【今がすべて】

「今」がすべて。
今が素敵…今が最高…今が幸せ…そう思える今にしなければ生きている意味も価値もなくなってしまう。
なぜなら、今という時しか生きられないのが私たち人間だから。
今を楽しみ、今にすべてを賭けられるように…
そのことが頭にありながら、なかなか今にフォーカスできないというのであれば、
人生をもっと突き詰めてシンプルなものにする必要があるのだと思う。
いざとなったら…というけれど、今こそがいざと言う時、いざと言う時がまさに今なのだと思うことなのだ。
「今」と「いざという時」、この二つを別のものと考えていたら、いつもチャンスを逃してしまう。
時間軸の中ではすべてがつながっている。終わりも始まりも、生も死も、過去も未来も現在もない。
生きている、今この一瞬の連続が自分の人生そのもの。
備えておこう、今がいざと言う時…
いざと言う時がまさに今この一瞬…。
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- 2020/05/18(月) 05:41:55|
- 語録
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【旅に出よう】

きっと多くの旅人がそう感じているのかもしれないのだけれど、
僕にとって、旅とは魂を浄化する場。
シンプルでピュアな自分自身を取り戻すための、ある意味儀式みたいなもの。
でも、旅を続けていれば、非日常が連続する日常を取り戻せる。
今まで知らなかった自分自身と出会うチャンスが与えられる場。
それが山であっても海であってもいいのだけれど、大自然の懐(ふところ)に包まれて、
人間の手が触れていない世界に足を踏み入れるのがいい。
原野の真っ只中、どこでもないところの真ん中に一人ぽつねんとたたずめば、
まるで生まれ変わった新たな存在のような自分自身になれる。
目には見えないのだけれど、神や天使が自分のすぐ近くで、
いろんなメッセージを送り続けてくれているかのようにも感じられる。
旅はいい。
旅に出よう。夢と希望を持って。
チャレンジしよう。
冒険しよう。
いくつになっても、どんなレベルでも構わない。
チャンスはきっと至る所にあるはずだから…。
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- 2020/05/17(日) 23:19:47|
- 旅・冒険
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【旅の日に想う】
今日は「旅の日」…。
日本旅のペンクラブ(旅ペン)が1988年に制定。
元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ旅立った。
せわしない現代生活の中で「旅の心」を大切にし、旅のあり方を考え直す日。*****
今、このデジタルの時代に松尾芭蕉が生きていたとしたら、一体どんな旅をしていただろう?
スマホで写真を撮って、一句詠んでfacebookやインスタグラムに投稿したり、ツイッターで「白川の関なう」とかやっているんだろうか?
はてまた、デジタル版「奥の細道」というタイトルの電子書籍を出版していただろうか?
アナログ時代の旅にはゆとりがあった。
GPSやグーグルマップに頼らなくても、足と口と耳さえあれば、多少道に迷うことはあれど目的地にたどり着くことができた。
旅こそは、人のコミュニケーション能力を高めてくれるもの。
「可愛い子には旅をさせろ」というのももっともなこと。
デジタルが人間の生活を本当に快適で便利なものにしたとは思わない。
むしろ、私たちの生活をさらに慌ただしく気ぜわしいものにしたんじゃないかとさえ思わされる。
ないならないで済ませる…あるもので間に合わせる…そんな柔軟な考え方に切り換える…それこそがアナログ的発想。
いつも心は旅をしている…旅の空の下にいなくても、心が解き放たれていれば、僕たちはどこにでも旅していけるんだよ。
*
今日は何の日(5月16日)
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テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2020/05/16(土) 04:48:31|
- 旅・冒険
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【アーティスト:父高繁泰治郎】
実家に介護に出向く日々…父の書斎からいろんな掘り出し物が出てくる。

父がデザイナーとして勤めていた朝日新聞社後援の昭和31年(1956年)南極探検関連イベントの絵葉書、
このイラストは父がいろんな資料を元にして半分想像で描いた油絵。
実際のサイズはA2くらいらしい。
父は広島県福山市鞆の浦出身。
16歳で大阪に出てきて、定時制高校に通いながら絵の塾(絵画研究所)に通い、朝日新聞社で広告デザインの仕事をしていた。
そんなさなかに、出会った人物がいる。
日本の昭和期を代表するグラフィックデザイナー
田中一光(たなかいっこう)氏である。
彼は、京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)を卒業後、鐘淵紡績(後のカネボウ)入社。
そして、産経新聞社に入社。何かのきっかけで朝日新聞社に見学にやってきた際に父高繁泰治郎と出会う。
彼の2歳年下の父は、田中氏と意気投合。絵やデザインの話題で盛り上がる。
自身の朝日新聞社の独身寮に彼を呼んで泊めてあげたり、一緒に酒を飲んだりしたのだという。
父もまた田中氏の奈良の実家に泊まりに行ったこともあったようだ。
田中氏は、めきめきと頭角を現し、大阪の吹田の万博では政府館1号館展示設計責任者に任命されたり、
1964年の東京五輪では参加メダルの背面[シンボルデザインをしたり、1970年の札幌冬季五輪では入賞メダルや参加招待状デザインなどもしている。
30代なかばで独立し田中一光デザイン室を設立、主宰となる。
国際舞台で活躍、国内外での様々な賞を受賞、最終的には紫綬褒章、文化功労賞顕彰。
生涯独身を貫いたようだが、浮いた話はほとんどなく、デザイン一筋の人生だったと…。
20代後半で田中氏が東京に行ってからは彼も忙しくなり、父が電話したものの再会するチャンスもないまま
71歳で急性心不全で他界されたという。
*上のイラスト数点は田中一光氏の作品…
*以下は父の作品…
法善寺水掛不動にて、1959年11月26日

1959年11月15日 奥の建物は難波高島屋らしい
1959年当時の千日前
「俺の友達はみんな出世して偉くなっていったけど、
俺はそういうチャンスに恵まれることはなかったなぁ」
…高繁泰治郎・談
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テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2020/05/15(金) 23:20:44|
- 家族
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【ライ麦畑よ、永遠に】
I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy,
but that’s the only thing I’d really like to be.
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。
馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとうになりたいものといったらそれしかないね。
*****
2010年に他界したJ.D.サリンジャー、今年で没後10年。
今から40年ばかり昔、高校時代に野崎孝の「ライ麦畑でつかまえて」を初めて読んだ。当時、大人になんかなるもんか…と啖呵を切っていた自分。
いかに幼稚で戯けたことを考えていたか、当時の日記を読み返せばよく分かる。少年時代の、カミソリのように鋭く繊細な部分、当時、ホールデン少年に共感を覚えた仲間は多かった。
大人の穢れや醜さで、少年の純粋なハートを決してスポイルしてはなるまい…そんな思いで僕たちは必死だったのだろう。1989年のアメリカ映画「フィールド・オブ・ドリームス」(ケヴィン・コスナー主演)を見た時に、
ジェームズ・アール・ジョーンズ演じるテレンス・マンというサリンジャー氏をイメージさせる作家が登場してくる。
(映画の原作となるW・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』ではサリンジャー氏が実名で出てきている)少年の瞳の輝きを忘れないこと。
いつでもハートは熱く、決してプアでチープなものにしないこと。
たとえあざ笑われたとしても、自身の生き方に信念を貫き通せること。偏屈や変わり者といわれても、それを個性と主張する。
世間との煩わしい接触を避け、引きこもりながらも自分自身の喜びを追及する。生き方をシンプルにすればするほど悩み事は減っていくもの。
それを僕は「ミニマリズム(最小限主義)」と呼んでいる。
身辺整理をすることで、持つべきものも、人との関わりも、最低限にとどめてしまえば煩わしさは解消されるはず。ホールデン少年は、誰の心にもいる。
それを自由に表に出せないジレンマ(葛藤)と戦いながら、人は知らず知らずのうちに大人になっていく。
どうして我々はそんなに早く大人にならねばならぬのだろう?
(Why must we grow up so fast?)
---"Pretty Maids All in a Row" by Joe Walsh
(「お前を夢見て」by ジョー・ウォルシュ)サリンジャー氏の魂の眠る場所…ライ麦畑よ、永遠に…。
*
ウィキペディア「ライ麦畑でつかまえて」
「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝訳野崎氏訳とはまた趣の異なる村上春樹氏の翻訳も味わい深い…
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」村上春樹訳 続きを読む
テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学
- 2020/05/14(木) 15:32:44|
- BOOKS
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【いつもいい風が】
写真は高石さんの公式サイトから…
年にふさわしく
風にふさわしく
病気の時は病気のままに
元気な時は元気なままに
走りつづけようと思います
そしていつものあいさつですが
走る人にも走らない人にも
走れない人にも
いつもいい風が吹きますように
ありがとう ---「気分はいつもトライアスロン」高石ともや(ランナーズ出版1986年)から******フォークシンガー高石ともやさんは知る人ぞ知るスーパーランナーでもあり、トライアスリートでもある。78歳という年齢が信じられないほどに若々しい人である。ホノルルマラソンは第5回からなんと43回連続出場という記録。
彼の公式ページによれば昨年2019年はスタートからゴールまで9時間38分かけて完歩したという。これまで全国各地のいろんなマラソン大会にゲスト参加。
マラソン大会の会場や沿道でギターを爪弾きながら声援をかねて歌ってくれている。
だが、体力の衰えもあり、ここ数年はもうホノルルマラソンだけに限定されているようだ。その気さくな人柄の中には、恐るべき精神力を秘めているのだと思う。彼がたどってきた轍(わだち)を見ればその凄さが分かる。一見並みの人のように見えて、その実、超人的な偉業を成し遂げられているのだから。30代半ばでフルマラソン2時間45分台を記録されているのもすごいのだが、歳を重ねるにつれて彼のチャレンジはエスカレートしていく。48歳でウエストフィールドラン(オーストラリア1018キロ)、52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロスアンジェルス~ニューヨーク4700キロ)をいずれも完走している。言葉で書けばたった数行の記録かもしれないが、この二つの記録は彼の年齢から見ても怪物的である。1970年、29歳の年に単独でアメリカひとり旅に出かけた際に、「ジョギング」という文化を知り、日本に持ち帰ったのが走るきっかけだったという。その当時、日本にもマラソンという走るイベントはあったものの、トップランナーが走るもの、あるいは体育の授業やクラブ活動で走らされるものというイメージが横行していた。楽しく走ること(=ファンラン)という概念が日本で広がり始めたのはそれからしばらくしてのこと。過去に5度走ったホノルルマラソンツアーで何度か高石さんとお話させてもらったことがある。いつも笑顔で、やさしさに満ち溢れたムードを醸し出していた。ある年のホノルルマラソンの前夜祭でお話されたことが今も印象に残っている。「日本ではなぜか勝つことばかりが大切にされてきたけれど、負けるのも悪くないと思うのです。みんなでジャンケン大会をしますが、皆さんは私の後にグーチョキパーを出してください。後出しでかまわないのです。ただし、私がパーを出したらグーを、私がチョキを出したらパーを、私がパーを出したらグーを出してください。負ける練習です」
そうやって何度かジャンケン大会をやった。「負けるってどうですか?」と高石さんは会場にいる我々に問う。「負けることは確かに悔しいのかもしれない。でも、負けるということは相手が勝って喜ぶこと。負けるというのは相手を喜ばせてあげること。だから、負けることは決して悪いことじゃないんです」そんな考え方を自分自身も初めて知らされて妙に新鮮な気持ちになった。太平洋戦争開戦の年に生まれた高石さんの育った時代は、勝つことしか教えられなかった。負け戦(いくさ)は駄目、絶対に勝たねば許されないのだという考えが前提にあったのだ。何かと我慢や犠牲を強いられて日本人は頑張ってきたけれど、そろそろ自然体で生きていくことを学んで行くべき時…高石さんはアメリカの旅から帰国してそんな風に感じられたのだろう。辛いことも苦しいことも必要だから起きること。マラソンであっても人生であっても同じことなのだ。今の僕のPEACE RUNの考え方には、高石さんの教えも当然ながら含まれている。平和であること。それはみんなが平等にひとつの命を与えられて生きているということにほかならない。走り来て47年-走りつづける面白さ 唄い来て52年-唄いつづける面白さ
そう語る高石さん、今年は新型コロナウイルスの感染拡大でコンサートも自粛(中止)されるばかり。
それでも、生きている限り高石さんは歌い続けるであろうし走り続けるのだろう。「いつもいい風が吹きますように…」常に誰かにそう祈ることができる自分でありたい。
*写真:1993年ホノルルマラソンツアーの完走パーティ会場にて高石ともやさんとの2ショット。この年、高石さんは52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロス~ニューヨーク)を完走。4700キロ・636時間10分46秒/64日間)参加者16人中第5位。
*高石ともやのページ
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テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2020/05/13(水) 05:45:30|
- 人生論
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【荒野へ】

「荒野へ」 (集英社文庫) ジョン・クラカワー・著、 佐宗 鈴夫・翻訳
Christopher・J・McCandless(1968-1992)
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Every man dies. Not every man truly lives.
誰もがみな死ぬ運命にあるけれど
誰もが真に生きている人ばかりではない
〜ウイリアム・ウォレス(1270-1305) スコットランドの愛国者、騎士、軍事指導者
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ノンフィクションで、舞台がアラスカということである。
この原作を読む以前にちらっと話を聞いたことがある人物、クリス・マッキャンドレス。
何一つ不自由のないエリート的生活に見切りをつけて、アラスカの原野へ。
生きることの真髄を見つけるために、着の身着のままアラスカを旅する。
危険を承知で、何もかも(お金も名前も学歴も)捨てて、大自然の中に飛び込む彼を人は無謀と言う。
冒険とはそもそも無謀なところから始まる。
無謀さとは、慎重さに至る最初のステップだ。
何らかの無謀さが前提で冒険は行われるものなのだ。
旅を通じて未知なる世界に身を置き、真の自分自身と出会おうとする。
さまざまな出会いは、時に彼を勇気付け、励まし、心から癒してくれるものになる。
「幸せとは誰かと分かち合ってこそ現実のものとなる」彼のその言葉を痛いほどしみじみと感じる。
1994年、アラスカ北極圏を自転車で横断した際に僕もかつて旅した地、
フェアバンクスや北極圏の自然が懐かしい。
それも、クリスがスクールバスの中で息絶えたわずか2年後のことだった。
彼はヘンリー・デイヴィッド・ソーローに傾注し、自然に心の拠り所を求める。
いくつかのサイトを調べていて、彼はまるで僕の分身(あるいは僕が彼の分身)なのだと思った。
「自分の居場所を見失ったら、迷わず旅に出ろ」僕が人生で学んだことはそういうこと。
若者よ、ニートや引きこもりになっている場合ではない。
何かを感じたら、即行動するがいい。
向こう見ずで失敗ばかりしている自分ではあるが、荒野では、自分だけのたった一人のヒーローなのだ。
「若い内、動ける内、生きている内」
僕が考えた、夢をかなえるための(ドリカム)3原則…。
老病死はいつか必ず自分を捕らえにやってくる。
クリスはそのことを恐ろしいほどに感じていたに違いない。
その若さで、体が自由に動く時に、生の喜びを心から堪能すべきであるということを。
肉体と精神の限界に挑もうとするのはアスリートの考え方。
そして、生きることの真髄を真っ向から捉えようとするのは哲学者の生き方。
心の中にあるものの全てを惜しみなく言葉にして語るのは詩人のあり方。
高い志のもとに彼は生き抜いた。
魂を捨てぬ限り、自分自身は滅びないという絶対の確信があったのだろうか。
思考ばかりではだめなのだ。
感じるものを大切にするためには、動くこと。心も体もフルに動かすこと。
行動あっての人生。
だからクリスも僕も旅に出た。
行動から思考は生まれる。
精神は肉体から創られる。
そして、生命は魂から生まれ出る。
よりよく生きていくためには、常に、今何が必要で不必要なのか、改めて考えなければならない。
最小限主義(ミニマリズム)を貫く生き方を…。
ショーン・ペン脚本・監督作品、エミール・ハーシュ主演で映画化もされた。原作を読んだら必見。
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- 2020/05/12(火) 05:42:45|
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【イニュニック [生命] ~アラスカの原野を旅する】

イニュニック [生命] ~アラスカの原野を旅する
星野道夫・著 (新潮文庫)
写真家(cameramanではなくphotographer)と呼ばれる職業に憧れた時期が私にもあった。
写真というメディアを使って真実を人々に伝えるという行為は確かに簡単なものではないだろう。
その技術(ハード)面だけでなく、何を撮るかといったソフト面がむしろ重視されるからだ。
ファインダーを通して見た世界が、自分自身というフィルターを経て大衆に伝えられる時、
そこに含まれた真実がいかにリアルなものとして人々の目に映るか、
そういった可能性を追求していくのもまたこの職業が持つ魅力だと思う。
著者は慶応大学卒業後にアラスカ大学へ留学、
以後極北の野生動物や先住民(イヌイット)の暮らしなどを写真と文章で記録しつづけた。
言葉も分からぬままイヌイットたちの集落に単身飛び込んだその大胆さにも驚かされるが、
その地に骨を埋める覚悟で‘90年アラスカの原野に小屋を建て、
以後3年間の暮らしがこの「イニュニック」には記されている。
何かをやり始めたら後先考えずに寝食も忘れてそのことに傾注する。
学者やアーティストにはそういったタイプの方々がいらっしゃる。
それゆえに、いろんなものを犠牲にすることにもなりうる(当人は「犠牲」だなんて思わないもの)。
きっと星野さんもまたそんな人だったのだろう。
「生命」とは「生きる」とは一体どういうことなのか?
自分を含む生きとし生けるもののすべてに同じように時間が流れ、
それぞれに過去があり未来があるけれども、すべてが「今」という時間に集約されている。
その「今」を精一杯生きている野生動物の魂の輝きまでをレンズにとらえた氏の瞳の鋭さ、
そして常に「今」という一瞬を全力で生きた彼の言葉のひとつひとつにもその魂が込められている。
これは単なるエッセイではなく、かといってありふれた写真集でもない。
彼の著作を読んでいく内に、生涯を賭けて貫き通そうとした一人の人間のドラマをも読み取ることができるだろう。
‘96年ロシア・カムチャッカでヒグマに襲われ急逝するまでの20年、
極北の地においてその生を全うした男のロマンを追体験してみたい。
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- 2020/05/11(月) 06:18:55|
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【アルジャーノンに花束を】

「アルジャーノンに花束を(FLOWERS FOR ALGERNON)」
ダニエル・キイス著・小尾芙佐訳 (早川書房)
チャーリー・ゴードンはパン屋の店員で32歳。
幼児の知能のまま大人になってしまった彼にビークマン大学の精神科医ストラウス博士は、天才に生まれ変われるという脳手術を勧める。
その申し出に大喜びのチャーリーは、連日の検査を経て手術を受けることになる。
手術は成功し、チャーリーは日に日に記憶力を高め、今まで知らなかった外国語をたった一日で習得するほどの大天才に変わってしまった。
一方で、同じ手術を受けた白ネズミのアルジャーノンも恐るべき知能を発達させ、チャーリーとともにストラウス博士たちの研究材料となっていた。
知能を発達させることで、チャーリーとアルジャーノンはひと時の幸せを手にしたように見えたが、
その実、彼らを待ち受けていたものは決してそのようなものではなかった...。
32歳にして思春期を経験することになったチャーリー。
戸惑い、葛藤しながらも彼が追求しつづけたものは...。
悲しい結末に涙を流したら、心が洗われる思いがする。
それは自らの精神の浄化作用なのか、あるいはこれが「アルジャーノン・ゴードン現象」なのか?
幼児の知能が徐々に天才の知能に移行していく流れを文字だけで巧みに表現している。
翻訳も素晴らしいのだけれど、英語ができる方はオリジナルで読む価値あり。
2002年にフジテレビがドラマ化したことでも話題になった。
1959年に中編小説として発表され、1966年に長編小説として改作されたが、いずれも秀作として文学賞を受賞している。
60年も前に書かれた小説とはいえ、いつ読んでも新しい。
僕自身はといえば、ごく普通に子供から大人になってきたつもりだけれど、
実は今なお自分の中には子供の部分も残っているはずだろうし、あえて出す必要がないから隠しているのかもしれない。
知能(知性)とは何か?
人間にとって本当の幸せとは何か、あらためて考えさせられる。
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- 2020/05/10(日) 06:32:10|
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【森の生活〜ウォールデン】
I went to the woods because I wished to live deliberately,
to front only the essential facts of life,
and see if I could not learn what it had to teach,
and not, when I came to die, discover that I had not lived.
I did not wish to live what was not life,
living is so dear;
nor did I wish to practice resignation,
unless it was quite necessary.
“WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS” by Henry David Thoreau (1854)
私が森に引きこもったのは
思慮深く生きたかったから
生きていくのにきわめて重要な事実から目を背けないように
生きることから教えられるものはないかどうかを模索するために
自分が死ぬ段になって
生きていなかったというようなことを悟りたくなかったから
私は人生と呼べないような人生を送るつもりは毛頭なかった
どうしようもない状況にならない限り
生きることにこだわり続けたかったから
生きることはそれだけ大切なことなのだ---H.D.ソーロー「森の生活」より *翻訳:高繁勝彦
*****
ソーローが教えてくれること…
思慮深く生きること
生きることから学ぶこと
生きるのに必要な事実から目を背けないこと
生きることを心から堪能すること
じっくり考えれば分かることがある。
失敗でさえも成功に変えられる叡智を人は持っているはず。
生きるのに必要なものにはしっかり目を向けよう。
生きていくのに必要でないものは人生から排除しよう。
欲望よりも理性の力をうまく生かすこと。
そんな中で自分自身の生き方を見いだして、とことんそれを楽しむこと。
そこで感性は磨かれ、自分だけの生き方が生まれてくるというもの。
驚くべきことに、ソーローは19世紀半ばにして既に断捨離の概念を実践していたのだ。
周りからいくら「変わり者」扱いされようと、彼は自分の生き方にとことんこだわった。
俗世間から離れてみて、初めて真の自分自身を知るようになったのだろうか。
シンプルでピュアな生き方を求めるがために、旅に出るのもきっと同じ原理なのかも知れない。
独身時代の、自分にとってささやかながら最大の贅沢といえば、ひとり旅だった。
ふと思い立って最小限の生活道具をバックパックに詰め込んで近くの山へ出かける。
テントの中で、インスタントラーメンを食べた後、
シェラカップに注いだアールグレイティをすすりながら、
ランタンのほのかな灯りの下で読む一冊の文庫本、それが誰のどんな本であれ、
渇いた自分の知的欲求を満たすには欠かせないものになる。
テントというひとつの空間は僕にいろんな夢を見せてくれる。
鳥の歌声で目覚めると、朝露の水滴が陽の光を受けてテントの屋根でキラキラ光っている。
寝袋の中で、僕は果てしなく自由なのだと感じずにはいられなくなるだろうし、
憂うつな雨の日には、冒険の夢を思い描きながらさまざまな思索にふけってみたりする。
そんなテントの中で幾度も繰り返し読んだ一冊、
今や、アメリカ文学の古典であり、エコロジストたちのバイブルとも言われている、
それがH.D.ソーロー(1817-1862)の『森の生活』だ。
ソーローはハーヴァード大学卒業後、約10年間教師生活を送るが、
生徒たちに体罰を加えることに反対し、学校側と意見が合わず対立、そして辞職。
その後短期間の肉体労働や執筆活動で生計を立てながら読書と思索にふける日々を送る。
1845年、28歳の時に、街から離れたウォールデン池のほとりに小屋を建て、
2年と2ヶ月をそこで暮らすことになる。「森の生活」はその時の生活体験報告でもある。
金儲けにはたいした興味を示さず、自給自足に徹し、肉食をせず、
もちろん飲酒喫煙もしなかったが、恋愛さえすることもない。
彼は、自分を束縛する全てのものから自分自身を解放しようとしていたのだ。
そんな質素な生活の中で自然を心ゆくままに堪能し、
人生の意義をひたすら追究しつづけた彼のライフスタイルに、
僕は強く惹かれるものを感じてしまう。
現代人はとかく時間にとらわれがちで、
人間自らが便宜上創りだした1日24時間というシステムに
縛られるようにして毎日を過ごしている。
ある日僕は、ソーローが体験したように、
時間にとらわれることのない暮らしを送ろうと旅に出た。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを銀輪で駆けつづけ、
生活から一切の不必要なものを排除するよう努めた。
その3年あまりの年月は、腹が減れば食べ、眠くなれば眠る、
そんな風にシンプルではあるが、
人生において本当に必要なものを探求していた自分にとっては充実した毎日だった。
ただ本能のままに生きるのではなく、そこに思慮深さがプラスされることで、
人生はいくらでも味わい深いものになるということを、僕は学んだのだった。
俗世間から閉ざされていてもそこには素晴らしい発見があり、出会いの歓びがある。
人間というこのちっぽけな存在もまた自然を構成する一要素にすぎないと悟った時に、
人は生きることの精髄を味わうことができるのだろう。
自然に根ざした暮らしを続けていく内に、
自分自身が自然の中に含まれるということにきっと快感を覚えるようになるはず。
今、再び、冒頭のソーローの一節を口ずさみながら、
完璧なまでの自由人を目指したソーロー自身の魂の声に耳を傾けてみたい。
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- 2020/05/09(土) 05:39:33|
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【山岳は人類の故郷である】
山岳は人類の故郷である。
吾輩の遠き祖先はこの森に山に生活してゐた。
文化の惰力は今や天地創造の神の法則から脱線しつゝある。
危ない哉!恐るべし!人類は将に己の武器で自殺せんとしてゐる。
燦たる文明の光の裏にもなほ生存競争の悪魔は潜伏しているではないか!?
暗き森!高き山!これぞ實に神の住ひであり天國へ通ずるの門口である。
行け!急げ!森に!山に!
探れ!無盡の寶庫!
叩け!天然の偉大なる学堂を!
鍛へ!抜山蓋世の大和魂を!
洵に山巓は神の聖壇である。
---岡本勇治「世界の名山 大台ケ原山」から〜大正12年「大台教会本部」発行
*******祖父(母の実父)岡本勇治は植物学の研究で知られた人であった。
祖父は、植物学者牧野富太郎氏や小清水卓二氏とも交流があり、95歳まで生きた牧野氏に比べ、33歳という若さで他界したがために、さほど名を知られるまでには至らなかった。しかし、実家に帰省していた昨日、父からもらった一枚のコピーに、上記のメッセージがあり、「岡本勇治」でネット検索していると変愚院さんの「ペンギン夫婦の山と旅」というブログにヒットした。そのブログの記事「世界の名山・大台ケ原」では祖父の著書が紹介されていた。大正12年発行で、文体は上記の通り文語調。難解な言葉がやたら多く、辞書なしでは完読は難しいかと思われる。祖父といっても母の実父であり、母が2歳の時に亡くなっているので、母自身も祖父に関する記憶はほとんどなく、母は主に祖母や兄から祖父の人となりについて聞かされていたようだ。しかし、上のメッセージを読んでみて、自分自身の中にも確実に祖父のDNAが含まれているということを直感した。過去に一度だけ大台ケ原を訪ねたことがある。もう30年以上も前のことだ。文明に汚染されていない大自然の中で、自分自身が妙にハイな気分になるのを感じた。それはランナーズハイにも似たものかもしれない。最近、山に行く機会が増えてきて、やたらと野性に返ろうとする自分自身に気づく。
それは、この時の感覚がじわじわと蘇ってきている証拠だろう。祖父が上のメッセージを書いた際には、明らかにこれと同じ感覚があったに違いない。それを、仮に「ネイチャー・ハイ」と呼ぶことにしよう。野性に返ろうとする生き方、自然回帰の思想がそこには息づいている。古来、修験者たちが自然の中に神を見出した理由が、最近何となく分かったような気がする。近いうちにまた、祖父を偲んで大台ケ原に行ってみようと思う。
- 2020/05/08(金) 07:47:27|
- 山
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【こどもの日に思う】
新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が月末まで延長された。
そのおかげか、今年は近隣でも鯉のぼりをあまり見ていない。
学校もずっと休みのまま、子どもたちは家でいったい何をしているんだろう?
かなり昔のニュース記事だったか、GPS(衛星利用測位システム)を使ってある地域の小学生数百名の放課後の行動を調べる調査があって、半分以上の子どもたちが屋内で過ごしているということがわかったという。バブル以前、恐らく80年代初頭くらいから分かっていたことだが、外で遊ばない子が増えているとの傾向をあらためて裏付ける印象的なニュースだった。塾通い、習い事…今どきの子供は忙しい。少子化ゆえに同級生も少ないだろうし、外と言っても都会では遊べる場所も限られる。治安が悪いから子供を一人にさせられないという親もいるだろう。一方で、我々の子供時代はどうだったかというと…ビー玉、メンコ、かくれんぼ、鬼ごっこ、馬跳び…。昭和35年(1960年)生まれの自分が、幼い頃に遊んだ遊びの大半は体を使っての外での遊び。小学校が終わったら、ランドセルを玄関に放り投げて、日が暮れてくたくたに疲れるまで遊びつづけたもの。遊ぶ場所にも困らなかった。
高繁勝彦少年11歳の頃
「広っぱ 原っぱ ヨーロッパ」という言葉を思い出す。あちこちに空き地があって、大きな土管の中に隠れて「ひみつのさくせんかいぎ」など開いてみたり、廃材を使っていかだを作り、ため池に浮かべて「たんけん」に出かけてみたり、カラダだけではなく知力・気力も使って、サヴァイヴァルライフ的な遊びも楽しんだ。生きる力や生きる知恵を遊びから学んだのだった。子ども社会の中にも自然と序列ができて、統括役・参謀役・歩兵役といった肩書きこそなかったが、漫画「ドラえもん」の中の、ジャイアンやスネ男、のび太のような、それぞれの個性を生かした役割が決められていた。子ども社会の中にもルールがあり、組織としてどうあるべきかということもそんな遊びの中で学ぶことができたのである。どこにでもいる「近所の悪ガキ」たちにいじめられることもあったかも知れないが、いじめられる人間には、正義感を持ったヒーロー的な人物が身近にいて、救ってくれる場面も多々あった。いまどきの子どもたちはどうだろう?少子化の影響で一人っ子も増えている。上の記事にある通り、外で遊ばない子どももざらにいる。外で遊ばないというよりは、外で遊べないのである。一歩家を出ればいろんな危険にさらされるし、外でできる遊びというものを知らないということもある。何よりも「ゲーム」の存在が子どもたちの生活を大きく変えたことが挙げられる。そんな環境で育ってきた子どもたちが今後日本の社会をどう変えていくであろうか。めまぐるしく移り変わっていく今の日本の社会。高度なテクノロジーによってあらゆるものがデジタル化・スピード化し、競争社会はいろんなところで波紋を広げている。アナログ全盛期、何もかもスローでゆったりまったりしていたあの時代が懐しい。「大きくなったら○○になる」そんなことを今の子供は親や教師に語ってくれているのだろうか?
やんちゃ坊主だった高繁勝彦…恐らく1歳ちょっと過ぎた頃
10年前までは寮のある学校に勤務し、血気盛んな中学生や高校生たちと寝食をともにしていた。いろいろ大変なこともあったけれど、少しでも健全で全うな生活を彼らが送れるように、人生というものの素晴らしさを肌で感じられるように、誰かが一肌脱がねばならぬのだという使命感を持って、彼らと接していた。今は、子どもたちが憧れてくれるようなヒーローになるべく、世界を駆け抜けるアドヴェンチャー・ランナーとして、冒険という文化を次代につないでいくために時に学校を訪ねて話をすることもあるが、大人になることがいかに楽しくてワクワクするかを語ったり、夢を持ってチャレンジし続けることの意味を一緒になって考えてもらったり、それはそれで自分自身のミッションだと思っている。
純粋で汚れのない子供の瞳の輝きを今一度思い出してみよう。子供の頃経験したような、楽しいことを本当に純粋に楽しめる時間を少しでも持つようにしよう。次代の日本の社会を担っていく若者たちの未来を、保証してやれるのは我々大人の役割。親だけでなく、子どもたちの身の周りにいる全ての大人が、そのことに気づいてほしい。それが、かつて子どもだった、そして今も心のどこかに子どもの気持ちをわずかながら残しておくべき、我々大人にできることだと思う。
高繁勝彦少年17歳
テーマ:ひとりごと…雑記…きままに - ジャンル:日記
- 2020/05/05(火) 23:21:17|
- 日常
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【結婚ってなんやろうね?】
早くから自立してたのだとは思う。
家に風呂がなかったので小学校低学年からひとりで近くの銭湯に通ってた。
お風呂屋さんで出会うおじいちゃんたちと友だちになってコーヒー牛乳をおごってもらったことも懐かしい。
大学1回生の11月に一人暮らしを始めた。4畳半一間のアパートが我が城だった。
学費は出してもらったけれど生活費は居酒屋でのバイトで稼いだ。
大学2回生の頃、自転車で一人旅をするようになり、日本国内、アメリカ横断、オーストラリア横断、ニュージーランド縦断、
アラスカ北極圏〜カナダ横断と旅をしてきて、旅先で出会った名古屋の女性と結婚。
それからしばらく名古屋エリアで暮らし、娘も誕生。マイホームも25年ローンで手に入れてうまく行っているかのように見えた。
ところが、務めていた私立高校を辞めることになり、三重県の某私立高校に転勤、単身赴任したことが人生の転機。
42歳でバツイチ。娘とも逢えなくなってしまった。
過労で仕事も辞めたのが2010年。僕は走って日本縦断の旅に出た。
翌年アメリカ横断ランニングの旅に出た時にフェイスブックでメッセージをもらった。
それが今の妻ぴあぴである。
帰国後の2012年、彼女のところを訪ねる。
音楽事務所兼ライブスペースだった天満満天堂を何度か訪ねた。
あまり話す機会はなかったのだけれど、彼女にはなぜかソウルメイトのような感覚を感じていた。
2013年6月9日ロックの日に婚約。
その間、インターネットで自分の存在を見つけた娘が13年ぶりに大阪を訪ねてくれた。
最後に逢ったのはおばあちゃんにランドセルを買ってもらって嬉しそうにしてた時。
さよならも言わずに別れたのがつい昨日のことのようだった。
その後、オーストラリア横断、ニュージーランド縦断、西ヨーロッパ7カ国を走って旅をする。
旅の間もぴあぴとのメッセージのやりとりは絶やさず。
オーストラリアの砂漠ナラボー平原に突然仲間と現れ応援に駆けつけてくれたり、フランスパリに旅のファイナルランを応援に来てくれたり…。
2016年富田林にあるぴんぽん地球ス(テラス)に移り住む。その機会に入籍。いい夫婦の日11月22日だった。
二匹の猫アリとミャオとの出会いがあったのもここ富田林。
教職を離れてからこの10年、いろんなことが予期せぬ展開を見せた。
2012年、二度目の日本縦断ランニングの旅のさなかに妻の母が逝去。
2018年、義父がベッドから落ちて起き上がれなくなり介護がスタート。その1ヶ月後には亡くなった。
妻はミュージシャンで、音楽で生計を立てている。私が朝型で彼女は夜型。
まるで日本とアメリカでそれぞれ暮らしているかのように時差が同じ家の中で存在している。
買い物に行ったり一緒に外に食事に出たりする以外なかなか一緒に行動する時間は少ないのだけれど、
大切なことはいつも相談に乗ってもらってアドバイスをもらっている。
僕は、息子としても、父親としても、夫としても三流。自分でも認めるところである。
それでも、いろんな人の支えがあってここまでやってこれた。
父と母がいて、娘がいて、妻がいて、みんなの支えがなければここまではこれなかったのかもしれない。
結婚とは何ぞや?今なおわからぬ問題ではある。
お互いの不完全なところを補い合って、人生を謳歌することなのかな…?
夫婦とは一番近い他人なんだろうけれど、他人以上に肉親のような存在。
親の介護が始まって妹との距離は近くなったけれど、やはり他人行儀なところは否めない。
僕たち夫婦は再婚同士で、お互いに前の配偶者との子供はいるが、二人の間に実の子供はいない。
今いる二匹の猫アリとミャオが子供みたいな存在だ。
新型コロナウイルスのおかげでいろんなことに制限があるけれど、妻は音楽で、僕は旅とランニングと一本歯下駄で人生を楽しんでいる。
経済的には大変な時期ではある。でも、それは我々だけではない。
共に力を合わせ、助け合ってやっていくことが求められるのが今の時期。
さあ、次のステージでは何が待ち受けているだろうか?
この10年は先が見えない毎日の連続、それゆえにハプニングもトラブルも心から楽しめる。
いろんなものが足りないけれど、何だかんだで満たされている人生だと思う。
そして、僕は今年還暦。
せいぜい頑張っても残りの人生あと40年…楽しまなければ…。
「PEACE RUN2013 オーストラリア横断ランニングの旅」で
砂漠の平原ナラボー1200キロを走っている際に、何度も聴いた曲がある。
この動画のバックで流れる妻のバンド天球ぴんぽんずが歌う「空」。
砂漠の単調さに辟易した時、孤独に苛まれた時、いつでもこの歌に励まされていた。
「空の青さよりも何より君が好き…」
「生きていくために必要なものは愛だけなんだ…」人を生かし続けるパワーとか、人を走らせ続けるエナジーとか、すべては自分のうちから湧いてくるものなのだろう。
ただ、そのパワーやエナジーを生み出す根本にきっと共通するものがあるはず。
不思議なのは出会いと縁、奇跡は確かに毎日起こっているのだ。
毎日顔を合わせているだけではわからないけれど、オーストラリアでは半年あまり、
ニュージーランドや西ヨーロッパを走っている間は約3ヶ月、離れ離れになっている間にいろんなことを考えさせられた。
お互いを尊重しながら、日々共にできることを笑顔で楽しむのがささやかながら幸せな時間。
*妻のブログ
「夫婦ってなんやろうね?」#招福ハレルヤ…天球ぴんぽんずがいったん活動休止になって新たに昨年誕生したバンド。
FBページ インスタ Twitter
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/05/02(土) 23:43:49|
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