【水木しげるさんの幸福の七ヶ条】
第一条
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条
しないではいられないことをし続けなさい。
第三条
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条
好きの力を信じる。
第五条
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条
怠け者になりなさい。
第七条
目に見えない世界を信じる。
*****
水木 しげるさんが亡くなったのは5年前の今日のことだった。
日本を代表する漫画家。「ゲゲゲの鬼太郎」はその代表作。妖怪漫画の第一人者とも言われている。
大阪府大阪市住吉区で生まれ、その後鳥取県境港市に移られたという。
2010年のNHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」では一躍注目されたが、奥様の武良布枝さんが著した自伝エッセイが元になっていた。
大正時代に生まれ、激動の昭和から平成を生きてこられた方。
戦争でラバウル島へ。爆撃で左腕を失い、現地の野戦病院で療養し、現地人のトライ族と親しくなったことで、終戦の際にトライ族との永住を望み現地除隊を申し出るが、説得され断念という経歴も興味深い。
上の七ヶ条にある水木さんの思いは、これまでの人生を旅を通して見てきた私にも通じるものが多々ある。
平和を愛するが故に、世の中を成功や栄誉や勝ち負けだけで捉えてはいけないという教訓が生まれる。
不器用な人間であれば、なかなか自分の才能を生かせないのだろうけれど、好きなものをとことん極めて、ナンバーワンになれたらいいけれど、たとえなれなくてもオンリーワン(唯一無二)の存在になることで道はきっと開けるという考え方。
嫌なことはやらなくていい。好きなことを楽しむ生き方を大切にするということ。好きこそものの上手なれ。
「好き」であることがパワーとエナジーを生み出す訳だ。
水木さん自身が好きな漫画で生きていくことができたのはこう言った考え方がバックグラウンドにあるからだろう。
努力は人を裏切る…は一瞬ドキッとする言葉だが、頑張りすぎることが人をダメにするということか。
おそらくは、自分のキャパシティを超えるような努力は無駄であるという戒めだろう。
才能があってもそれを認めて活かしてくれる人との出会いがないとお金にはつながらないということだと思う。
それ故に、怠けることを奨励しているのが水木さんらしい。
頑張りすぎない。むしろ怠けること。
これは自然な生き方を実践せよ、直感を大事に…ということだろう。
最後にある「目に見えない力を信じる」は奇跡や魔法の存在を意味していると思う。
予想さえしない奇跡的なことで救われた(急死に一生を得るような)経験を持っている方なら、起きているできごとそのものにとらわれず、その裏に隠れた意味や理由を考えるはず。
宇宙とつながっているということを絶えず意識して、全て最後はうまくいくという思いを絶やさずに、いつものほほんと楽しく過ごしていればきっと人は幸せになれる。
世界の平和を願い、そのために人とつながり、みんなと共に笑顔でいられること。
漫画という水木さんが最も愛するメディアで、平和の大切さ・尊さを訴えることが彼のミッション。
そのミッションを最後まで貫き通せたというのは彼にとっても本当に幸せなことだったろう。
アーティストは命果てても作品は後世に残され受け継がれていく。
少年時代にリアルタイムで「少年マガジン」で読んでいた水木さんの作品。
数多くの作品を残した水木さんの漫画を今一度改めて読み直してみたい。
水木さん、あの世でもまだ楽しく漫画を描いていることだろうか…。
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- 2020/11/30(月) 09:23:02|
- 人生論
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【アドヴェンチャー・ランナー という生き方】

肩書きなんて本当はどうでもいいんだけれど、とりあえずは何をする人かを適切に語るものだから「アドヴェンチャー・ランナー」を名乗り続けている。かれこれ9年目。来年の1月で10年目。
それよりも、プロとかアマとかの区別は僕にはもう必要ないのかもしれない。
そこに人の生き方があり、他者から見れば人の生き様がある。
これまでのチャレンジ(海外遠征)は、貯金を崩しながら続けてきたし、スポンサーにもご支援いただけた。
一般の方々からクラウドファンディングで応援いただいたりしながら何とかここまでやってこれたことには本当に感謝感激感動。
これから先も、生きて走って旅をする上で、食べていくためには当然いろんなことをやっていかないといけない。
ネットショップをやったり、ランニングイベント運営に関わったり、講演やトーク、一本歯下駄などのイベントを主催したり招かれたり…。時折自分で何をやる人なのか説明が難しくなってしまう。
両親や妹は私が何をする人なのか、多分良く飲み込めていないと思う(笑)。
不器用な人間ゆえに、まだまだ自分を十分に活かし切れていないのは確かだろうけれど、その場その場で直感を信じて、やるべきことにベストを尽くすだけだ。
ミニマリズムの暮らしをマキシマムに楽しめるなら、人生ももっと価値あるものにできるはず。
何が最善なのかはわからない。
わかっているのは、今あるベストで、いつでも今がベストと言える自分で生きていけばいいということ。
アドヴェンチャー・ランナーという生き方…人生そのものがアドヴェンチャー…何があろうともまだまだ楽しまなければ…。

不安定な一本歯下駄というフットウェア(履き物)の上に不安定な人生を載せて…
さあ、僕はどこに向かって駆けていくのだろう…???(笑)
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- 2020/11/29(日) 21:39:53|
- 旅・冒険
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【風のお話〜ナラボー平原での思い出】

2013年のオーストラリア横断ランニングの旅で走ったナラボー平原。
たびたび僕の話の中で登場するのでこの名前は既に馴染みになっているかも知れない。
西オーストラリア州から南オーストラリア州にかけて、東西に渡り、約1200キロ続く砂漠の平原。
100キロから200キロごとに道の駅のようなロードハウスがある以外ただ原野が広がっている。
カンガルーの死骸が転がっていたり、生きたカンガルーがハイウェイをぴょんぴょん跳ねて横断していたり、エミューと言われるダチョウのような鳥が走っていたり…。
まるでハイウェイのモンスターとも思われるような、2両連結で全長20メートルもの18輪のトレイラー「ロードトレイン」が時速100キロ以上でぶっ飛ばしていたり…。
とかく日本の日常に慣れ切ってしまった人には全くの別世界というか異次元のようなところだ。
とにかく僕は丸々1ヶ月かけてこのナラボー平原をバギーを押して走っていた。
平原ではいつも風が吹いていた。
風が吹いていない時間は限られているのだ。
季節によって、あるいは時間帯によっても風の向きは変わる。
1995年の自転車でのオーストラリア横断の際には、偏西風が吹いているから西から東に走るのがいいとある方から教えられてパースからシドニーに向けて走ったが、追い風に助けられたという記憶は乏しい…というかほとんどない。
朝が追い風で午後が向かい風になったり、あるいはその逆もあったりする。
時には強烈な横風に煽られてバギーが持ち上げられそうになったりしたこともあった。
平原で遮るものがないから風も吹き放題。日本の台風で看板が剥がされるほどの風が大体風速20メートル以上だと思うが、そんなのはまだ序の口。
ある日、アウトバック(ブッシュ地帯)でテントを張ろうとしたら、猛烈な風が吹いていて、なかなかテントを地面に広げられない。ペグで止めながら作業をするけれど、そのペグさえもグランドシートが風で煽られ抜けてしまう。
大きな石を近くから集めてきて何とか設営するが、風でテントが変形するというのも初めて経験したこと。
ある晩、テントの中で寝袋にくるまって眠っている際に、風が誕生してやってくるまでの音を耳にした。
風ははるか彼方で誕生する。
それは、風の子供みたいな小さな塊みたいなもので、空中を移動している間に少しずつ大きくなっていく。
雪の玉が雪の上を転がっている間に大きくなっていく、あんな感じ。
最初「ピュー」という優しい音だったのが、テントに近づいてくる間に「ビュ〜〜〜〜」という音に変わり、最後には「ゴォ〜〜〜〜!!!」という激しい音になっていくのだ。
平原では朝夕と日中の気温差も激しいから、暑い時には温風や熱風にもなったりするし、寒い時には涼風や冷風にもなったりする。
湿度が高いと、風もあまり爽やかに感じられないもの。
走っていて感じる風は心地よいこともあるが、必ずしもそんな風ばかりじゃない。
例えば逆風、向かい風。
向かい風に不満を感じることは多い。
でも、追い風をありがたく思う機会は少ない。
それは、大抵の場合、追い風は吹いているのに気づくことが少ないだけ。
覚えているのは、ユークラというコミュニティに向かって走っていた時、風速20メートルほどの風が吹いていた。
そんな向かい風だとバギーを押して進めるスピードは時速1キロ程度にも減速する。
バギーが風で押し飛ばされないように一生懸命支えながら走るので腕や手足への負担はかなり大きい。
向かい風を苦と思わず、向かい風さえも楽しめるように…。
そういう意味では向かい風さえ味方になるってこと。
まあ、PEACE RUNには敵も味方もないんだけれど…。
逆境を逆境と思えば辛くなる…逆境がチャンスだと思えるようになれば怖いものはない。
追い風が吹こうが向い風が吹こうが気にしない。
泰然自若としてあらゆるものを受け入れられる人でありたい。

風はただ吹くものだけど、風にだっていろんな思いがきっとあるに違いない。
じっと耳を傾けると何か意味があるように感じることさえある。
風が語るものは時に言葉であったり歌であったりするのかも知れない。
風の思いをちゃんと感じられたら、それこそ本物の風来坊、本物の旅人になれるのだろう。
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- 2020/11/28(土) 23:20:51|
- PEACE RUN2013オーストラリア横断ランニングの旅
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【美具久留御魂神社で平和祈願PEACE RUN】
「美具久留御魂神社」と書いて「みぐくるみたまじんじゃ」と読む。
聞き慣れない名前だと思う。
初めて聞いたら多分思い出そうとしても思い出せない。
何かミラクルっぽい名前だったな…と私も感じたから(笑)。
大阪府富田林市宮町にあるパワースポット。
最寄り駅は近鉄長野線喜志(きし)駅。駅からは徒歩15分ほど、約1キロ。
ラクダの二つのコブのような形をした二上山を背にして参道を歩いていくと、下拝殿がある。
そこから、さらに石段を登ると上拝殿があり、その奥に本殿と摂社、未社が並ぶ。
「みぐくるみたま」という名は、「水泳御魂(みくくるみたま)」、つまり水を司り、山からの水を土地に配分する神を祭るということに由来しているという。
創建は、崇神天皇、祭神は大国主命。
本殿の背後には、昔から神奈備山(かんなびやま)、通称「真名井ケ原(まないがはら)」と呼ばれ、山そのものが御神体で人々から崇敬されてきた。
自宅のぴんぽん地球(テラ)スからは2キロちょっとのところ。
羽曳野市にある実家に帰る途中にいつでも立ち寄れる場所でもある。
トレイル気分で走れる場所としては錦織公園同様気持ちの良いところ。神聖な気持ちで走らないといけない場所でもあるが…。
ここを走るたびにいつも何か不思議な感覚に見舞われる。不思議な感覚…宇宙から何かがやってきて自分の中を抜けて大地に抜けていくような感覚とでも言うべきか…。
モヤモヤした時、何か困りごとがあったりする時にここに来るとインスピレーションめいたものが降ってくる、と言うか湧いてくる。
今年はコロナのおかげで10月にあるはずだった秋祭りも中止となってしまった。
今年の春から続いているシリーズ、コロナ収束のための祈りのPEACE RUNの一環でもある。
こちらで撮影した動画があと2つ。
内容が重複するところもあるかも知れないけれど見ていただけたら幸い。
動画中にもあるが、夜中や早朝に行くとイノシシに出会えるかも知れない。
*ウィキペディア
「美具久留御魂神社」
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- 2020/11/27(金) 16:08:36|
- WORLD PEACE(世界平和)
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【教えるよりも教えられる人でありたい】
石川県七尾東部中学校での講演風景(2013年2月)教師という仕事は、人を育てながら、自分自身も成長していくべき存在。
人に教えるよりも、人から教えられたことをベースに、目に見える具体的な行動で実践していくことが大切なんだろう。
どの大学に何人入れたかというのも大切な教師の役割なのかもしれないけれど、僕はむしろ、教え子たちが社会に出てからどれだけ役に立つ有為の人物に成長したかということに重きを置きたいと考えていた。
打てば響く子どもたち、打ったところですぐに響かなくても、少し時間が必要な場合もある。
響く子どもたちに逆にこちらが打たれることも少なくはない。
滋賀県立堅田高校での講演会(2014年11月)10年半も前に教師という仕事を離れ、一人の人間として考えた時、生徒も自分と同じ人間であるということに気づかされる。
大人と子供、あるいは教師や生徒といった肩書だけにとらわれていては見えないものがある。
そして、教師ではなくなった今だからこそ、人としてのあり方・生き方を模索しながら、過去の教え子たちに、言葉ではなく背中で語れる自分でありたいと思う。
学校という限られた場所から離れ、社会・世界という開かれた場所に目を向ければ、自分以外のすべての人から何か学ぶべきことがあるはず。
愛媛県四国中央市での講演会(2013年7月)作家吉川英治氏曰く…。
「我以外皆我師也(われいがいみなわがしなり)」
そう考えると、この社会・世界こそが大きな学校だということ。
人は生きている限り学び続ける存在…日々の出会いと発見、気付きと学びに感謝感激感動…。
香川県高松市立弦打小学校での講演会(2013年5月)*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦の講演についてのオファーやお問い合わせは
こちら…
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- 2020/11/26(木) 23:54:02|
- 教育
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【我が道を行く】
俳優であれ役者であれミュージシャンであれ冒険家であれ、好きなことだけをやって生きていくのは簡単なことじゃない。
簡単なことじゃないけれど、本当に好きなことなら簡単じゃないことでも楽しめるはず。
ただ単に時間と労力をお金に変える生き方は個人的にはあまり好きじゃない。
どうせなら人を笑顔にして自分も笑顔になれるような何かをクリエイトできればいい。
楽しいことをやって社会に貢献できれば言うことはない。
自分にしかできないことを自分なりの方法で取り組んで、人に喜びを提供できるのが本来の意味での「仕事」かもしれない。
そのためには、まず自分自身が今やっていることをとことん好きになれること。
と同時に、これに関しては自分がナンバーワンだと自負できるように、それをとことん極められること。
プロとしての誇りと自信を持てないのであれば、それは単なる趣味レベルでとどめておくのがいいのだろう。
「これをやるために生まれてきた」
そう言えるものがあるならばそれはミッション。
そのミッションを最後の最後まで果たすこと。
ミッションとは、取り組んでいることをとことん極めることでもある。
その道のナンバーワンであればいいけれど、そうでなくてもオンリーワンでもいい。
まだまだ道は遠いけれど、この道に間違いはないと今なら言い切れる。
振り返らず、立ち止まらず、一歩ずつ全力前進!!
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- 2020/11/25(水) 23:21:31|
- 人生論
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【あせらずあわてずあきらめず】

いつもよく口にするのだけれど、僕の人生とPEACE RUNを象徴するべく、この「あせらずあわてずあきらめず」はなくてはならないメッセージなのだ。
あせる…とは体よりも先に頭が動いてしまって、気持ち先行で体がついていけなくなる状態。
あわてる…のはパニック。とまどい、動揺し、平常心を失ってしまってまともに物事が考えられなくなること。
あせったりあわてたりすれば、ふだん普通にできていることもまともにできなくなってしまうもの。
落ち着いて、まずは深呼吸をして、今ある現状をしっかりと見据えよう。
そして、今ある状態でどうすればベストが尽くせるかをじっくりと考える。
自分自身の目標や目的・ノルマがはっきりとわかっていれば、あせったりあわてたりする必要もない。
不安になったり恐怖感を抱いたりしているのは自分の頭だけ。
そう思えば、必ず思い通りにことは進んでいくし進められるはず。
何よりも、あきらめないこと。
あせったりあわてたりするよりも先に、あきらめてしまえば、すべては水の泡。
あきらめさえしなければ、努力を地道に継続すればいいだけのこと。
鍛錬と経験次第で、自分自身はどうにでも変えられる。
思い通りの自分自身でいられるように、まだまだ未熟な自分を鍛えていかねば…。
人生に失敗はない…ただ、成功を先延ばしにするだけのこと…。
だから、僕らは一歩ずつ前に進み続ける。
あせらずあわてずあきらめず…。
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- 2020/11/23(月) 17:52:33|
- 日常
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【いい夫婦って?】

いい夫婦の日に私たち夫婦は入籍した。もう4年前のこと。
4年前まではほぼ毎年のように国内外を旅していて、3ヶ月から長い時は半年間離れ離れになっていた。
オーストラリア横断はまる半年日本を離れていて、毎日のようにチャットで会話していたけれど、ナラボー平原のど真ん中に予告もなく突然姿を見せてくれた時はびっくりして思わず泣かされてしまった。
シドニーやパリ、旅の終わりに必ず出迎えてくれて、たくさんの素敵な思い出がある。
夫婦というもののあり方はいまだ謎に包まれている。
ただいつも一緒に暮らしているだけでもない。
血の繋がりのない他人なんだけどただの他人という訳でもない。
いつも一緒にいるが故に、会話する中で意見の食い違いも多々あるし、腹が立つことだって時にはあるだろう。
お互いがフリーランス的なことをしているのでほぼ24時間一緒にいる。
今年はコロナで余計に一緒にいる時間が長い。
それでも、お互いマイペースで、気兼ねなく楽しくやっているという日々。
時折、自分たちがそれぞれ「片割れ」のような感覚になるのはやはり昔どこかで一つの魂だったからと気づかされる。
自分が相手であり、相手が自分。
だから、相手の好きなところも腹が立つところも、自分自身そのものということ。
僕は還暦、彼女も5年後。
この先いつまで生きられるかわからないけれど、ある程度先のことも考えていかないといけない。
いつもソウルメイトとしてお互い尊敬し合って、この世に存在してくれていることに感謝できる存在…
多分夫婦ってそんな感じなのかな…?
我が両親も来年そろって90歳を迎える。
今なおギクシャクすることもあるけれど、60年も一緒にやってきたってのは凄いことだ。
60年ともなるとお互い達観している。何とでもなれって感じですべて切り抜けられるんだろう。
美しいものや素敵なものを追求すること。
楽しいこと面白いことの中から自分を高めてくれるものを見つけ、それでこの世界をにプラスとなるように働きかけていくこと。
何よりもポジティヴに生きる姿勢…
マイナス的なことを言ったり考えたりせずに、いつも笑顔で感謝の気持ちを持って生きることで、いろんなことが変わっていくということを今も僕は学びつつある。
ぴあぴは音楽を通じて、僕は走って旅をすることで…それぞれに手段や方法こそ違うけれど、求めるものは共通している。
お互いにとって足りないものは補い合い、時には共同して創り出していく。
あらゆるものが共存して行けるように、愛と平和に満ちた関係をこの世界のいろんなところで作って行けたらと思う。
いつもありがとう…声に出して(いい夫婦の日だけでなく)毎日そう言えるようでありたい。
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- 2020/11/22(日) 23:05:05|
- 日常
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【TRUMEアンバサダーに就任】
11月19日、エプソンの高級時計ブランド
TRUME(トゥルーム)の公式アンバサダーとして任命された。
PEACE RUNのスポンサーに新たに参入していただいたのはエプソン。
冒険や探検、モータースポーツ等の世界で活躍するアンバサダー計7名のうちの一人がアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦。
10月初めに放送されたTRUME TIME AND TIDEというJーWAVE81.3FMの番組にリモート出演したことがまずその始まりだった。
*その日のブログは
こちら
これまでの旅でつけていた時計はTIMEX(タイメックス)のデジタルウォッチ。
普段は教員時代に購入したカシオのGショックGW-1200CJ-1AJFを付けていた。
最近はスマートウォッチなるものを走るツールとして活用。
歩数や走った距離・ペース、心拍数などもチェックできるのが役に立っていた。
TRUMEの公式サイトにあったそのポリシー…
時計の在り方を変えていく。
誰かと違うことを恐れることなく、自分らしくあることに誠実であること―。
「TRUME」は、そんなあなたが新たなフィールドを目指すとき、その挑戦を後押しするパートナーとなる。
― 「Not Watch But TRUME」―
「TRUME」は時計を超えて、唯一無二の存在へ。
そんな決めゼリフのようなカッコいいフレーズ(特に「誰かと違うことを恐れることなく、自分らしくあることに誠実であること…」)が妙に自分にマッチしてて嬉しくなってしまう。
今はコロナ禍で海外に出るのは難しいのだが、私の
PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅をバックアップしてもらえるという嬉しいお話も頂いている。
そして、11月中旬に発売されたTRUMEのニューモデルを身に付けてほしいということで近々提供していただけるのがこちら…。

L コレクションの
TR-MB7002というモデル、チタン・メタルバンド。
もう一つはチタン・ナイロンバンドのTR-ME2001。
太陽光発電ではなく、付けている人間が動く振動で発電できるというモデル。

いずれも日本製。
元々セイコーという有名な時計ブランドの時計を開発する部門だったエプソン、最近ではプリンターもお馴染みだが、精密機械作りを得意とするのは時計作りの技術が活かされているということだ。
歩く・走る…動いている間に自動でエナジーチャージ(発電)するという画期的なメカニズム。
エコを愛する私に、今最もエコな時計…
こちらの時計をはめて次に国外に出れるのはいつのことだろうか?
それにしても、やたらアンバサダーを名乗っているけれど、これでいくつめだろう?
ALTRA JAPAN(シューズ)、ARUCUTO(一本歯下駄)、ヤマノバコーヒー(コーヒー)、エコマラソン、
そしてこのTRUME(腕時計)で5つめだった。
アンバサダー・コレクターみたいになっていないか?(笑)
*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のTRUMEアンバサダーページは
こちら*関連記事:
トゥルーム「L Collection -Break Line-」、新ムーブメントが実現した白銀の世界
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
- 2020/11/21(土) 08:00:12|
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【旅の語録から】
旅をすればするだけ出逢い続けられるし、出逢えば出逢うほどつながり続けられる。
かように旅というのは素晴らしいものだと思い知らされる。
世の中に「旅人」という職業や肩書きを名乗る人間がいたっていいんじゃないかと最近とみに感じている。
出逢うため、つながるために、前に向かって、ひたすらにひたむきにひた進むだけ。
〜2017年富田林〜弥富間ランニングの旅にて
いろんなことが前に向かって加速している。
過去から現在、現在から未来へと進んでいく中で、自分の立ち位置を見失ってはいけない。
人や事象に流されるのではなく、すべては自分の意志で進んでいくこと。
大切なのは目に見えていることよりも、それらの内に秘められた意味や理由なのだから。〜2016年西ヨーロッパランニングの旅にて
「一人で旅をしてて寂しくないんですか?」
よくたずねられることだけど、長い期間一人でいることに慣れてしまっていて、一人が当たり前…何せ人生の半分は一人で暮らしてきたのだから…。
辛いとか苦しいとかいった気持ちは一人でまるごと吸収する。辛いこと苦しいことというのは、人に話したところで理解してもらうのがなかなか難しいこと…自分の中で消化してしまえばあとには何も残らない。
楽しいこととか嬉しいことはできるだけみんなでシェアする。一人でも多くの人に素敵な思いを感じてもらえれば自分自身も幸せ。
一人で旅をしているから仕方ないのだけれど、旅が終われば、大切な人と少しでも一緒の時間を過ごすのが理想だ。
旅の思い出話を聞いてもらうこともできるし、二人で旅をしながら楽しい時間を共有できるのもいい。
パースからの総走行距離が明日で3000キロを突破する。どれだけ走っても、4万キロという地球一周分の距離は果てしなく長く遠い…気長に行こう。
いつでも遠くを見つめていよう…。〜2013年オーストラリアランニングの旅にて
理想を現実に近づけるために今まで頑張ってきたけれど、いくらどれだけ素晴らしい理想を持っていても、今生きている現実の世界で実現できることには限りがあるのだ。
限られた時間とお金と命を使って、さあ何をするか…。じっくり考えて行動してみよう。
走っていてふと思うこと…これはひょっとしたら夢の中のできごとなのではないか…。
夢なら覚めないで欲しい。現実ならそのままに…。
ただ、これが終わって何年か経ってしまえば、結局夢の中のできごと同様に遠い遠い世界の夢物語になってしまうんだろうな…。〜2011年アメリカ横断ランニングの旅にて
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- 2020/11/20(金) 23:09:46|
- 語録
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【シンプリズム】
自然な眠りと目覚め。
走って飲んで食べて寝て…生活が簡素になると生き方もシンプルになる。
シンプルな生き方はシンプルな考え方を生み出す。
感性のチカラはそうやって磨かれていく。
余計なものをそぎ落としてしまえば身も心も研ぎ澄まされる。
魂のあるべき姿に気づくようになる。
今までいかに無駄なものにしがみついていたかということかを知るようになる。
宇宙から、大地から、さまざまな気づきと学びを得ること。
常にメッセージは発信されている。
日々それらをいかにうまくキャッチできるかが生きていくための鍵だと思う。
2014〜2015年にかけて走ったニュージーランド縦断ランニングの旅のさなか、そんなことをフェイスブックに投稿していた。
不自然なことは不自然なことを引き起こす…というのが私が旅を通じて得た一つの結論。
食べ物一つをとってもそう。
不自然なものを体に入れると不自然な現象が生じる。
添加物や保存料などはその代表。合成されたもの・加工されたものは全て自然のものではない。
人工の光や熱と共に暮らすのも実は自然ではないこと。
100パーセント自然の中で暮らすためには衣食住を尽く変えてしまうことになるので難しい。
それでも、できるだけシンプルな生き方を目指すことで近づくことはできる。
ココロとカラダに優しいのはシンプルな生き方と考え方、それがシンプルな暮らしを生み出すはず。
自然と共にあるという安心感を持って、我々が無から生まれ無に帰っていく存在であるということを意識していればきっと心穏やかに暮らせるに違いない。
余分なものを削ぎ落としたシンプルな日々を…。
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- 2020/11/19(木) 06:39:38|
- 日常
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【アドヴェンチャーに賭ける人生】

北極や南極などの極地でソリを引いて歩く者、アマゾン川をいかだで下る者、砂漠をリヤカーを引いて歩く者、自転車で世界を一周する者、走って日本を縦断・一周する者…私以外にもリアルタイムで地球の何処かを旅する仲間がいることは何度かここでも紹介させて頂いた。
それぞれの夢やチャレンジがあって、スタートラインに立つまでにも様々な試練や困苦があり、実際現地に出向いてからも予期せぬトラブルがあるのも事実だ。
旅の資金を、それまで働いて貯めたお金で賄う者もいる。クラウドファンディングに頼る者もいる。スポンサーにお願いする者もいる。
いろんな形で、それぞれのチャレンジャーたちが旅に出向くことで、夢や希望、勇気や元気をもらえたりするのは皆同じ。
同じ人間が、自分が経験したことがないのはもちろん、自分にはまったく想像もつかないような体験をするがゆえに応援したくなるということもある。
しかし、冒険に挑むことで、人はまた誰かに刺激をもらって(あるいは誰かに影響を受けて)、自分自身の新たなチャレンジに挑むことだって無い訳ではない。
チャレンジャーズ・スピリットはある意味良性のウイルスのようなもので、人から人へ感染することだってきっとあるのだろう。
多かれ少なかれ、人はみな自分自身の人生において何らかのチャレンジに挑むもの。できることもあればできないこともある。
できないままで終わることの方が事実多いのだろうけれど、少しでもできることを増やしていくことで、人生は豊かなものに変わっていくのではなかろうか。
どんな馬鹿げたことであっても、真剣に取り組むことが自分に対しても大いにプラスになるし、周りに与える影響も大きい。
人生でたった一度でも馬鹿げたことを大真面目にやってみよう。
一見意味のなさそうに見えることに意味を見出すのだ。
言い換えるなら、意味が無いと思えるものにも意味付けはできるということ。
なぜ生きるのか?なぜ走るのか?今はわからなくてもいつか分かる時が来るかもしれない。
生涯を賭けてその答えを見つけるのだ。
世の中に不可能なことなんてない。不可能のまま終わらせてしまう自分がいるだけなのだ。
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- 2020/11/18(水) 23:53:54|
- 旅・冒険
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【感性のチカラ:魂という感覚】

本当に大切なことは言葉では表せないし、文字や言葉だけでは伝えられない。
偽らず飾らず、ありのままあるがままを伝えることはもちろんだが、表現者は文字や言葉以上に伝えられるものを常に模索し続けなければならないのだと思う。
人は五感で感じる動物。
五感をフルに使って物事を吸収し、それらをこの世界にフィードバックすることで自分らしく生きていけるもの。
そして、感性のチカラもまた必要。
自分に対しても周りにいる人に対しても、それがたとえ物や事象であっても同じ。
あらゆるものに感謝感激感動する気持ちを忘れずにいたいもの。
偉人やすぐれたアーティストは、自分独自のスタイルや方法で自分らしさを表現し、それを人々に伝えることで自分自身のステイタスを固持している。
さあ、何を伝えよう?何を表現しよう?
考えない…考えても答えは見つかるものではない。
感じること…感覚を研ぎ澄ませて…。
心や体だけでは足りない…魂の感覚でこそとらえられるものがあるはず…。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/11/17(火) 20:34:41|
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【ワインにまつわるお話】
2016年の西ヨーロッパランニングの旅を走っている間、ワインもたくさん飲んだ。
スーパーマーケットの店頭では日本以上にいろんな種類のワインが並んでいた。
ひとりで飲む時にはそんな高いワインは飲めなかったが、パーティやディナーなどに招かれたりした際には結構高級なワインも飲ませてもらった。
日本では毎年この時期になるとボジョレーヌーボーが話題になる。
フランスでボジョレーヌーボーの話をしていたら、いろんな美味しいワインがたくさんあるのに、なぜ日本人はそんなにボジョレーヌーボーにこだわるのかと言われた。
フランス人にはワイン好きが多いのはもちろんのこと。
パリのカフェ・バーのテラスで、ワインを飲みながら仲間や家族と食事をする風景は当たり前のようにあちこちで見られる。
気温が低くても、テラスにはヒーターが付いていて寒さを感じることはない。
雨が降ってもガラスの天井がついている。晴れればガラス天井から差し込んでくる日差しが心地良い。
察するに、みんながおしゃべりを楽しむために、あるいは、人と人との関係性をいい方向に導くために、ワインという飲み物があるのかもしれない。
社交性の高い人々が多い国という印象を持ったフランス、あちこちの家庭でワインを飲みながら楽しい時間を過ごさせてもらった。
楽しいお酒は人をハッピーにしてくれる。
赤でも白でもロゼでも、料理に合ったワインを選べばいい。
でも、フランスで教えてもらったこと。
それは、ワインには笑顔と笑い声が似合うということだ。
*****
寒いこの時期には、赤ワインにシナモンとクローブとマーマレードを入れたホットワインがいい。
白ワインに生姜と蜂蜜を入れたのも美味しい。
日本酒の熱燗以上に体がポカポカ温まってくる。
テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
- 2020/11/16(月) 23:39:13|
- PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅
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【想像してみてごらん】
旅の合間の走り書き的なメモとしてツイッターやフェイスブックの投稿を活用しているけれど、それが後になって気づきや学びを与えてくれるもの。
やはり、旅の空の下にあれば、人は詩人になったり哲学者になったりできるものなのだと思う。
*****
一歩宿を出れば、一人で走る旅人は野ざらし。
雨も風も雷も…時には時速100キロ以上で走る車も脅威になる。
ただ、大切なのは恐れも不安も持たず、前に進んでいくこと。
何かが起こる前から偏った考えを持たぬこと。
すべてなるようにしかならない。それが現実。
せめて頭の中はいつも楽しいことでいっぱいにしておこう。*****
55.01キロ走ってNgateaの町のモーテルにチェックイン。雨も降らず概ね青空の下走ることができた。
ただ、上り下りの連続…走り方に注意しないと、バギーを押しての走りは、上りではふくらはぎ、下りではスネにダメージが大きい。上りも無理にストライドを広げずに、下りでは小刻みなピッチで無理にスピードを出さないこと。
現在、右足のふくらはぎがパンパン。オーストラリアの旅から9ヶ月経って走り方を忘れてしまっていたことを反省。
タイガーバームを塗って、青竹踏みと真向法で何とか対処。
月1000キロ超を難なく走るためには、肉体を自分のものと思わず、宇宙の一部と感じることなのだ。
要は、痛みも辛さも苦しさも「気」のせいと思えること。〜2014年11月16日 ニュージーランド縦断ランニングの旅にて
*****
今日も早い時間に走り終えました。
現在地はWuddinaという人口500人ばかりの小さな町。
うっかり忘れていたのが、今日が土曜日だということ。
土曜の午後は食料雑貨店も閉店。
安いモーテルを見つけてチェックインしたものの、
町はひっそり静まり返って眠っているかのよう。
今日はやたら水をもらう日となりました。
最初に停まってくれた車は、セデューナ在住の男性。
先日取材を受けて掲載された私の記事を見てくれたようで、
バナナと水1.5リットルを…。
二台目にはハーレーダビッドソンの大型バイクが後ろから来て、
600mlのペットボトルを差し出してGood Luck!と一声かけてそのまま激走…。
三台目は若いカップルが車の窓越しに1.5リットルのペットボトルを差し出してくれた。
名前も名乗らずに、お互い自己紹介することなく、まさに一期一会の場面。
出会えたことに感謝するとともに、同じ時代に同じ場面を共有できたことを喜びたい。
一本のハイウェイをたどりながら、様々なドラマが生まれる。
旅はまさに人生の縮図。
日々佳き出会いを…。〜2013年11月16日 オーストラリア横断ランニングの旅にて
旅も人生も、その人の心のあり方が大いに反映されるものだということを何度も経験してきた。
嫌な人と出会ったり、つまらぬことが起きたりするのは、自分自身の心の中が荒んでいたりよくない状態だったりするもの。
いい出会いがあったり、嬉しいことが起きたり、ありがたい知らせが届いたりするのは、心の状態が良好な時であることが多い。
自分に起こる出来事は全て意味があるし、自分の世界は意識によって変えられるということなのだろう。
自分というフィルターを通してこの世界を見ていく訳だから、自分の意識次第で世界は変えられるということなのだ。
それで一つ腑に落ちることがある。
ジョン・レノンが歌った「イマジン」である。
「想像してごらん…」ジョンは我々にそう呼びかける。
みんながただ今を生きている世界、国というものなんて存在しないということ、みんながただ平和に生きている世界、
個人の所有物なんてないということ、みんなが分かち合う世界…
想像すればそれが現実になる…ジョンはそのことをずっと前から知っていて、この歌を通じてそれをアピールしていたのだ。

一本歯下駄で山を歩いていて「転ぶんじゃないかな」と思っていたら大抵転ぶもの。
いわゆる「嫌な予感」は当たるもの。だから恐れや不安はいらないし考える必要もないのだ。
景気付けにやる「前祝い」も必ず予期したいいことが実現することを前提に行うもの。
どうせならいいこと・楽しいこと・嬉しいこと・みんなが幸せになれることを想像してみよう。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/11/15(日) 23:28:31|
- 旅・冒険
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【解き放たれること】
自由にものを考えるというのは、
つまるところ自分の肉体を離れるということでもあります。
自分の肉体という檻(おり)を出て、鎖(くさり)から解き放たれ、
純粋に論理を飛翔させる。
論理に自然な生命を与える。
それが思考における自由の中核にあるものです。
〜村上春樹・著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の中の灰田文紹氏のことば
*****
そう考えるのであれば、「死」というものは肉体からの解放であり、自由を意味するのではないか?
死を恐れるのは、逆に自由にものを考えられなくなる。
型にはまるということは自由ではなくなるということ。
それは何かにとらわれたり、取り憑かれたり、どうでもいいことにこだわってしまったり、
つまらぬ考えに縛られたり固執したりして自由から遠ざかってしまうことでもある。
水や液体がどんな器にも自然に入っていくのはあらゆるものに対して自由自在に柔軟な形を作れるから。
とらわれないしばられないこだわらない
一切の欲望や束縛を含め、あらゆるものから解き放たれたニュートラルな存在であることが大切なのだと思う。
土地でも財産でも地位でも名誉でも、持てば持つほど自由を失ってしまう。
逆に、持っているものを手放せば手放すほど自由になれる…
そんなことに目覚めたら、世界は変わるし変えられる…
「断捨離」なる言葉があったが、あれはまさにそういうこと。
旅をしている時によく思うこと。
身軽さを再優先するならば、理想は何も持たない手ぶらの旅。
自然界にいる鳥や動物のように、自然から与えられるものだけで生きていくのが素晴らしい。
必要な物はすべて与えられる…そんな信仰に基づいてただ旅を続けていくのだ。
食べ物も飲み物も誰かが与えてくれるか自分で見つけるかするまでは飲まず食わず。
まさに托鉢僧のような旅である。
2017年に四国一周を走って旅をした際にはお金は最低限のフェリー代のみ持参していったが
宿や食べ物・飲み物は提供していただき、お金は講演会やトークイベントの謝礼を頂きながら約1ヶ月旅を続けることができた。
お金というのはあれば便利なもの…そんな考えがじわじわと沸く中で、お金よりも大切なのは「人とのご縁」ということを思い知らされた。
ただお金を稼ぐことだけに必死になっていては、見失うことの方が多いのだということも。
お金はあくまでエネルギーのようなもの。お金を引き寄せるパワーを持った人のところに集まるもの。
人々に感謝感激感動を与えるならばその代価として入ってくるものだということかもしれない。
理想とするのは、宇宙の、大地の構成要素としての一人の人間であるという意識をしっかりと持ち、与えられた自分のミッションを自覚しながら、日々精進する生き方。
なかなか行動に移せないことで歯痒い思いもするけれど、自分自身の夢を叶えることで、世界にプラスを与えられる有為の人でありたい。
ただ、黙々と走り続ける中で、精神が肉体を離れ、透明な心を持ったピュアな存在になれるような気がする瞬間が一瞬やってくることがある。
ところが、現実生活に戻ってしまえば、煩悩だらけの俗人に戻ってしまって元の木阿弥。
忘れてはならない、日々精進。
*追記:
2014年のニュージーランドランニングの旅を走っている最中にこんなことを書いていた…。
月1000キロ超を難なく走るためには、
肉体を自分のものと思わず、宇宙の一部と感じることなのだ。
要は、痛みも辛さも苦しさも「気」のせいと思えること。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/11/14(土) 23:13:50|
- ココロとカラダ
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【アパラチアン・ラプソディ】

聞こえてくるのは風と戯れる枯葉の音。
まるで生き物みたいにカラカラと乾いた音を立ててハイウェイを転がっていく。
時に3~4枚が群がって競争している。
またある時には、自分と同じペースで転がって併走してくれたりもする。
木という自身の故郷を離れて、枯葉も戻ることのない旅に出て行くのだろう。
9年前の今頃は、アメリカ横断ランニングの旅に出向いていた。
ロッキー山脈よりもタフでハードなアパラチア山脈越えの真っ只中だった。
砂漠、平原、山脈…旅のいろんな楽しめる(苦しめる)要素を盛り込んだ、最高レベルの大人の遠足(笑)。
時に単調さに気が狂いそうになりながら、暑さと渇きでミイラになってしまうのではないかと思わされながら、何とか旅のゴールが見え始めていた頃。
ロスアンゼルスから5000キロを突破して、ゴールのニューヨークまであと300キロ。
1週間を残すばかりとなっていた。
10月末にハロウィーン寒波に見舞われ、アメリカ東部では積雪も観測されたが、僕はその頃、オハイオ州で冷たい雨に打たれながら、半ば低体温症気味で走っていた。
走っている内は体も温まっていいのだが、いったん休憩しようと立ち止まったら震えが止まらない。
気温は2〜4度程度だったか、トイレに入ってファスナーを下ろすためにジッパーを摘もうとする指が悴んで動かない。
鏡に顔を写したら唇が紫色になっていた。
温かいコーヒーが飲みたい…おでんとかすき焼きとか温かい食べ物が食べたい…
そんなことを考えながら走っていたのだった。
それにしてもアパラチア山脈は過酷だった。
ロッキー越えは勾配7パーセントほどのダラダラ登りが延々と続くだけでさして辛いと感じることもなかったけれど、アパラチア山脈は全く違う。
勾配10パーセントを超える登りもしばしばあったし、何より毎日標高700〜800メートル程度の峠を1日4〜5つ上り下りするのだ。
登りはもちろんバギーを押し歩き、下りもバギーが暴走しないように腕と手で支えながらスピードを牽制しつつ走らないといけない。
スピードを出して走ると路面につまづいて足首を捻挫したりしては元も子もないのだ。
時折雪がちらついたり、朝方霜が降りたり氷が張ったり、季節は確実に冬へと移り変わり行く中、僕は大陸を西から東へ、ひたすら前に進んでいくしかなかった。
大西洋が見えるマンハッタン島の東端に立ち、アメリカ大陸ランニング横断という夢を叶える瞬間が必ずやってくる…それだけを信じて…。
感謝感激感動…感性のチカラをフルに使い、身も心も研ぎ澄ませて走り続けた日々はもう過去のもの。
人生のエッセンス…生きることの真髄のみを追求しつつ、無駄なもの・不要なものは一切排除する、まさに断舎離された人生そのものだったのかもしれない。
旅の空の下にあれば、人は誰でも詩人になれるし、アーティストにだってなれるものなのかも知れない。
そのためには、五感をフルに使おう。第六感も鍛え上げよう。
人は感性だけでは生きていけないものなのかもしれないけれど、感性なくしてもまた生きていけないものだと思う。
求められているのは、できるだけ自然に逆らうことなく、自然の中で、自分らしくありのままあるがままの自分で生きていくこと、だと思う。
テーマ:生きる - ジャンル:ライフ
- 2020/11/13(金) 09:44:34|
- PEACE RUN2011アメリカ横断ランニングの旅
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【人生は経験で成り立っている】
毎日の生活の中で、いろんな出会いや発見、気づきや学びがある。
ボゥ〜っと生きていても、いやが上にも知らされることもある。
それゆえに、感性のチカラを研ぎ澄ませて、日々の感謝感激感動を絶やさぬようにしておくことが大切なのだと思う。
2年前の今頃のメモでは次のようなことを記していた。
「非常識もある日突然常識に変わり得る」
「今自分の身の周りにあるものを総合して観れば、その中に今までなかった新しいものが隠れている」
「24時間好きなものを追い求め続けていたらきっとさらに素晴らしいものが見つかる」
「行き詰まった時こそ、その辺にチャンスが転がっている。常に好奇心のアンテナを張り巡らせてチャンスを見つけること」
「自分に革命を起こした者がヒーローになり得る。一度は自分を壊してみることで新しい自分を作り直すことができる」
「短所こそが長所に変わる。短所を短所のままで見過ごしていてはダメだ。逆転の発想…物事を裏返して見た時に何か斬新なものを感じること」
これらは、2年前の今頃見た映画「ボヘミアン・ラプソディ」の映画の感想として書かれていたもので、映画の主人公となるフレディ・マーキュリーの生き方や考え方から学んだことでもある。
人生とは経験で成り立っているということをしばしば感じている。
知識や情報だけを持っていても、使い物にならなければどうにもならない。
何かを経験することでさらに知識や情報を求めようとする。そういったことの繰り返しが人を育てるのだ。
何かのスペシャリストやその道の達人になる人たちも、きっかけとなる経験があって初めて道を極めて行くもの。
誰よりもそのことが好きであるということも大切。好きこそものの上手なれの言葉通りだ。
一流になることを考える必要はない。
とことんそれを極めようという追求心と誰よりもそれを好きになろうという思いがあれば、自ずと一流に近づいて行くもの。
新たな流行やブームを巻き起こす人もきっとそういったところから登場してくるのだろう。
流行を追うよりも流行を自ら創り出すことなのだと思う。
今の時代、何がヒットするかはわからない。
今まであったものが再ブレイクするものもあるだろうが、今までなかったものがヒットすることもある。
感性のアンテナを常に広げて、今の時代が求めているものをキャッチすることが大切なのかもしれない。
若い人たちにとっては経験こそが何よりも大切。頭でっかちにならないように、失敗を恐れずに、いろんなことにチャレンジして、自分自身のアイデンティティとミッションを見つけて欲しい。
コロナ禍の今だからこそ、自分自身を高めるものを探し求めることだと思う。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/11/12(木) 23:41:29|
- 日常
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【パリの思い出】
2016年の11月、PEACE RUN2016西ヨーロッパランニングの旅のファイナルランをパリ凱旋門の真下で終えた。

ぴあぴ(その後帰国してからすぐに入籍)初め仲間たちが一緒に日本からやってきてゴールを盛り上げてくれた。
パリも真冬並みに寒かったけれど、とても素敵な街だった。
食べ物もそう。パンやチーズなど何を食べても美味しかったし、ワインもたくさん飲んだ。
ちょうど前年の同じ時期にテロがあったこともあり、警察や兵隊が銃を持って街角をウロウロしていたのが少し恐かった。
マルシェも訪ねて、地元のパリジャンたちの暮らしぶりをいろいろ見ていた。
これまでの旅のゴール、ニューヨークやシドニー、クライストチャーチとは全然異なるけれど、それぞれの街にそれぞれの良さがある。
パリはやはりお洒落な街。
レストランのパティオでワイングラスを傾けながらワインを飲むカップルなんか見てたら、それだけで映画のワンシーンに見えてくる。
バゲットをかじりながら颯爽と大通りを歩いて仕事に向かうスラリとした女性の姿に何か惚れしてしまうのも決して不思議なことなんかじゃない。

恐らくそれは、意図的に作られた世界で意図的に動かされている人々が織り成すドラマを見せつけられているのだろう。
同じようなことを日本でやれと言われて、やってみたところで全然シックじゃない現実になるのは目に見えている。
でも、パリにいて、パリジャンたちの一人一人に目を向けてみれば、やはりいろんなことが洗練されていて、真似のできないトリックを目の当たりにすると思わずため息が漏れる。
それは、フランスという異国にやってきて、異国という環境であるがゆえに感じられるイリュージョンなのだろうか?
地球を離れて別の惑星に足を踏み入れた宇宙飛行士たちが感じるレベルのものなのだろうか?
何はともあれ、約4ヶ月、西ヨーロッパを3300キロ走ってきて、最後に過ごす街をパリにしたのは正解だった。
凱旋門もエッフェル塔も、シャンゼリゼ通りも、僕の記憶の中にはっきりと残っている。
旅の続きをいつスタートさせられるかはまだわからないけれど、僕の旅人としての時間は、あの時の凱旋門の真下で止まったままだ。
止まっていた時間が再び動き出すまで、パワーとエナジーをじわじわとチャージしておこう。
旅は終わらない、世界の果てにたどり着くまで続いていく。
西ヨーロッパランニングの旅は神戸新聞やサンテレビでも取り上げていただいた。
*動画再生リストは
こちら
テーマ:フランス - ジャンル:海外情報
- 2020/11/11(水) 23:30:19|
- PEACE RUN2016ヨーロッパランニングの旅
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【一本歯下駄クラブ天狗の集い@交野ヶ原】
コロナ禍で久々の一本歯下駄イベントが交野市で開催。
古川さん・小林さん姉妹に企画していただいて多くの参加者も集まった。
平日なのでラッシュを避けて午前7時と早めに自宅の富田林を出る。
近鉄・JR環状線は比較的空いていた。京阪電車は各停を使って私市(きさいち)駅まで130分。
かつて学生時代には京阪沿線に住んでいたので懐かしい。京阪は車両がいつもホーム停車時に傾いているのはなぜなんだろう?
ここを訪ねるのは約40年ぶり。
午前10時前から参加者がじわじわ集まってくる。
一本歯下駄をお持ちでない方々には一本歯下駄を選んでもらって歩いていただく。
全員が揃ったところで水辺プラザへ移動。
そこで一本歯下駄フェスタ(一本歯下駄体験・一本歯下駄仲間との交流会)。
総勢10数名、平日にもかかわらず多くの方にお越しいただく。
約1時間、自己紹介タイムあり、一本歯下駄メンテナンスコーナーあり、一本歯下駄体験ありで大賑わい。
この後、一本歯下駄ハイクもあるためたくさんの種類の一本歯下駄を持参できなかったのが残念。
11時ごろ、第二部の一本歯下駄ハイク(登山というべきか)にスタート。これはまさに「大人の遠足」!
目指すはほしだ園地の星のブランコ。
よく踏み固められた遊歩道(セメント道と地道のミックス)を一本歯下駄で歩く。
ピトンの小屋…この辺りも色付く紅葉が見られる。
ほしだ園地の星のブランコという名の吊り橋。この辺りでもにわかに一本歯下駄体験会開催!
かなり長く、高いところにある。
吊り橋から見た風景も素晴らしい。
吊り橋を渡り、広場の東屋でランチタイム。
その後は、吊り橋を渡って同じルートを後戻り。
吊り橋から見た風景
初めて一本歯下駄を履く方々には地道の凸凹や砂地、濡れた道、木の階段、石・岩がゴツゴツしたガレ場やザレ場などを歩くのは並大抵のことではない。
私を含め、一本歯下駄経験者も転倒する場面が多々あって、サンダルやシューズに履き替えればいいものを、変なプライドがあってなかなかそうはしない。
私は15センチの高さの一本歯下駄をずっと履いていて、一本歯下駄しか持参していなかった(履き替えるものも一本歯下駄しかない)ので途中で10センチのスキャッパに交換。
荷物を持っていておしゃべりに夢中になっていて足元を救われるようにして前のめりに転倒…不覚であった(笑)。
まあ、長く一本歯下駄を履いていたらいろんなことがあるもの、これも経験。
転倒の衝撃で一本歯下駄の鼻緒が切れたり、前坪が抜けたりすることもあって、下山時は数名を除く方々が草鞋やシューズに履き替えた。
紅葉も少しずつ始まっていて紅葉狩りで観光に来られていた方々も多かった様子。
私市駅に着いたのは3時ごろ。最後に試し履きをしたいという方が数名。一本歯下駄体験会再開。
地元の小学生の群れも下校途中でやってきて試し履きで大喜び。
素朴で可愛い子供たち、一本歯下駄を楽しんでもらえたようだ。
写真アルバムはこちら
イベントの全行程が済んで、駅前のソトアソというトレイルランニングに特化したアウトドアショップを訪ねた。
オウナーの菊川さんは朝の一本歯下駄体験にだけ参加されていた。
ご自身もランナーで、息子さんも数々の大会で入賞するプロレベルのランナー。
Facebookの共通の友人が122名いることからも、いろんなつながりがあって、なぜ今初めて一本歯下駄でつながったのかある意味不思議だった。
今後、一本歯下駄とトレイルランニングをコラボさせたイベントとか、PEACE RUNに関わるトークイベントなどをやっていこうという話になって、またワクワクドキドキする展開が期待できそうだ。
参加された皆さん、お疲れ様でした。怪我や事故がなくて幸いでした。
企画していただいた古川さん・小林さんにはいろいろとお世話いただき心から感謝申し上げます。
次回、ぜひまた交野エリアでの一本歯下駄イベントでお目にかかれますように!
楽しい時間と空間をありがとうございました!!
年末大晦日には
「年忘れチャレンジウォーク一本歯下駄環状線一周2020」なるイベントもありますのでよろしくお願い致します!
【お知らせ】
11月18日(水)1:55PM〜
毎日放送
「ちちんぷいぷい」で、
先日訪ねた大阪府堺市のCAMP DEPOTでのインタビューを受けました。
私アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦が登場するようです。
見れる方はご覧ください!
ちちんぷいぷい番組公式サイト
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
- 2020/11/10(火) 09:26:49|
- 一本歯下駄
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【一歩先が未来だ!】

今はまだ見えない未来だけれど、いずれ時が来れば分かること。
恐れや不安があって当然。でも恐れや不安よりは夢や希望を持とう。
期待はしない…期待は裏切られるかもしれないから。
一歩ずつ、ゆっくりと一歩ずつ…
明日に向かって走ろう。
未来に向かって前進しよう。
ためらいや迷いもあればとまどいもある。
それも人間ならごく当然のこと。
あなたが残した足あとはすでに過去のもの。
今、あなたが踏み出すその一歩を信じよう。
立ち止まらず、振り返らず、ただ、前だけを見つめて…。
一歩先が未来だ。
一歩踏み出せば何かが変わる…
自分自身の何かを変えたければ、居着いていてはいけない。
最初の一歩をためらってしまうがために、何も変わらない、何も変えられない…
ともすれば負のループに陥りかねない…そんな自分のままで終わってしまう。
すべて捨ててしまえ…自分の心の中の声が言う。
ゼロからのスタート、あらゆるものをリセットすることで新たな未来が開ける。
西に日が沈めば今日という日は終わる。
そしてまた、東に日が昇り朝がやってくれば新しい一日がスタートする。
過去にとらわれるよりは、未来を自らの手で掴みに行こう。
光求めて、希望を胸に、最初の、その一歩を踏み出せ!
失うものなど何もない…そう信じて前に進め!
リスクを冒さずに新たなものを得ようなんて虫が良すぎる話。
暗い過去を明るい未来に…変える変えないは個々人の自由だけれど、
一歩踏み出さずに人生を終える時、反省ばかりか後悔まで残してしまうのもまた自分自身なのだ。
他人の人生ではなく、自分だけの人生を生きること…
自分の心と体をフルに動かして魂と対話せよ…。
曰く、一歩先が未来だ。
テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記
- 2020/11/09(月) 05:30:56|
- 語録
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【ファイントラックでお洒落にキメよう!】
2011年のアメリカ横断ランニングの旅から今日までずっと
PEACE RUNの公式スポンサーとして商品を提供いただいているのが
ファイントラック。
神戸に本社のある国産アウトドアブランド、縫製等第三国の製造等に一切頼らない高機能アウトドアウェアを作っている。
2004年創立だから既に16年目。
こちらの社員の皆さんは、ほとんど全てがアウトドアマニアと言っていいのだろう。
社長の金山さんはじめ多くの方々が何らかのアウトドアスポーツに関わっている。
それも、冬のアルプスを登ったり、氷瀑を登ったり、単なる趣味のレベルを超えたかなりマニアックなアウトドアを楽しむ方々。
それ故に、製品を作る上での見方・考え方もシビアである。
「遊び手が創り手」というキャッチフレーズは製品の至る所に活かされたポリシーなのだ。
ウェアだけでなく、これまで寝袋やテントなどのキャンプ用品も提供していただいている。
初代テントはポットラック、ワンポールで設営するティピー型テント。
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで使わせてもらった。
そして自立型の2ポールで設営するカミナドームは2016年の西ヨーロッパの旅で使用。
全てのウェア類はアウトドアでのタフ&ハードな使用にも耐え得るが故に「高機能」という呼び方をしている。
私自身もアメリカやオーストラリアの砂漠や平原で使ってきたし、極地を旅する仲間も実際に北極や南極でも使っている。
コロナ禍で実際に国外に出れない今ではあるけれど、久々にウェア類を提供していただいた。
ポリゴンアクトフーディ、ポリゴン2ULベスト、スカイトレイルパンツ、ピコバリアフーディの4つ。
ポリゴンアクトフーディとスカイトレイルパンツを着用してみた…
軽くて暖かい…
ポリゴンは寝袋等にも使われているが化学繊維でダウン並の暖かさ、しかも濡れに強くサラッとしているのが特徴。
日常のトレーニングでまた活用させていただくことにしよう。
一方で妻は…
ワークマンのジャケットを買ってあげたのだけど、凄く喜んでくれたようです…(笑)
*妻の
ブログ【講演会・トークライブについて】

全国各地でのトークライヴや講演会のオファーをお受けしております。
これまでにも、企業内での職員研修、小中高等学校、ランニングクラブや走友会、お寺や公民館、個々の家庭で、これまでの旅や冒険、チャレンジにまつわるお話をさせていただきました。
「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」を走るアドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦の生の声をお聞きいただき、生きる・走るモチヴェイションとしていただければ幸いです。
高校で四半世紀ばかり教壇に立っていたこともあり、特に学校は馴染みのある場所、未来ある若者たちにこそ特に自分自身の体験を聴いてもらいたいと思います。
講演・トークの内容・時間等については柔軟に対応させて頂きます。
またラジオ・テレビ・雑誌等メディアの取材・インタビューもぜひお待ちしています。
詳細は
こちらにお問い合わせ下さい。
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
- 2020/11/08(日) 11:07:50|
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【CAMP DEPOT訪問】
大阪府堺市に昨年9月オープンしたCAMP DEPOT、単なるアウトドアショップではない、キャンプに特化したアウトドアショップなのだ。
母体はホームセンターのコーナン商事。
ここはそのコーナンの本社跡、現在本社は新大阪に移転しているとのこと。
この店のことはアウトドア通のお友達から聞いていたけれど、たまたまYouTubeの動画で紹介しているのを見て、妻にそんな話をしていたところ。
ちょっと面白そうだから見に行ってみようということになり、妻のビジネスパートナーゴローさんと三人でいざ出発。
実は、店内に入ってすぐとある突発的な出来事が…。
それについては追ってまた…。
個人的にはアウトドア歴40年になるけれど、やはりアウトドアツールは見てもさわっても楽しい、使えばなお楽しい。
そんなこんなでこの40年もの間にいろんなツールを使ってきたし、自宅に眠っているものも多数あり。
今住んでいるぴんぽん地球(テラ)スは庭のある古民家。倉庫や離れでテントを張ってアウトドアを楽しむのもいいかも。
ブッシュクラフトなど自然の中でできるだけ自然に逆らわないアウトドアを楽しみたい。
これまでの旅で数え切れないほどキャンプをしてきた。砂漠や平原で砂嵐や突風、大雨による浸水など怖い目にも遭ってきた。
キャンプとは決して楽しいものばかりではない。レジャーとしてのキャンプだけならそれは楽しいかもしれないが…。
衣食住を移動しながら行うキャンプ、自然との共存が何よりも大切だ。
子供たちを対象にしたアウトドア教室みたいなことをずっとやりたいと思っていたが、それも実現可能かもしれないな。
テーマ:今日の出来事 - ジャンル:日記
- 2020/11/07(土) 13:02:10|
- アウトドア
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【メンタルで免疫力UP】
そろそろ風邪やインフルエンザの季節。
コロナ禍もまだ続いていて、皆さん警戒しているかもしれませんがご用心を…。
ストレスや疲労で免疫力が落ちているとすぐに風邪のウイルスにやられてしまう方も少なくない。
風邪を最後に引いたのはいつのことだったか…最後に風邪薬を飲んだのももう20年以上も昔。
教員を辞めてからここ10年、歯医者以外で健康保険証を使ったことがない。
アメリカやオーストラリア横断、ニュージーランド縦断、二度の日本縦断でも、多少熱っぽいことがあったけれど、アメリカ横断時のヘルペス(帯状疱疹)以外大した病気もしていない。
アメリカでのヘルペスは、砂漠を連日走っていて、暑さと渇き、限られた食べ物、砂漠の単調な風景の中を走るというストレスなどなどが度重なり、確かにメンタルが弱っていた時期に発症している。
現在も体脂肪6〜8パーセント。
脂肪が少ないと皮膚がかさかさになったり風邪を引きやすくなると言われるけれど、メンタルがウイルスの力よりも勝っていれば風邪を引かないということを教えられた。
それどころか、メンタルがしっかりしていれば虫歯にさえもならない。
普段気をつけているのは、不自然なものを極力避けて、自然のものをできるだけ体に摂り入れるということ。
歯を磨くのは塩、時々重曹。シャンプーとリンスはずっと使わず石鹸のみ。洗髪はお湯だけ。
運動して汗をかくことで身も心もリフレッシュすることを習慣づけること。
毎日笑顔でいられるよう努めること。
体を温めてもできるだけ冷やさないようにすること。
サプリメントは40歳を過ぎて卒業。
今は辻子谷龍泉堂(ずしだにりゅうせんどう)の紅参(こうじん)を1日2回摂っている。

蒸した高麗人参を乾燥させ粉末にしたもの。混じりものなしの100パーセント紅参。
健康食品の扱いで
こちらで販売している。
病は気から。
風邪のウイルスが体に入ってきてもウイルスに感謝して共存するならば、ウイルスさえも自分の細胞の中に溶け込んで体を構成する要素となりうるのかもしれない。
健康こそが宝。
健全な肉体に健全な心が宿る。
今、風邪を召されている皆さんはどうかご自愛ください。
"A sound mind in a sound body,
is a short, but full description of a happy state in this World:
he that has these two, has little more to wish for;
and he that wants either of them,
will be little the better for anything else."
—John Locke
健全な肉体にやどる健全な精神、というのは短い言葉ではあるが、
この世の幸せがすべて言い表されている。
両方を持つ者はそれ以上何も望みようがないし、
いずれかを持たない者にとってそれは何をもっても代え難いものだ。
---ジョン・ロック(イギリスの哲学者)
テーマ:心身ともに美しく健康に - ジャンル:ヘルス・ダイエット
- 2020/11/06(金) 23:53:50|
- ココロとカラダ
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【磨け!感性のチカラ!!】
人間、卑屈になってたらダメなんだね。
「俺が…」「私が…」
なんて言ってる内はいつまでたっても埒(らち)が明かないんだってこと。
エゴがあれば周りが見えなくなるし余裕もなくなる。
生まれてきて、生きてるだけで儲けもの。
地位や名誉や金なんか二の次。
今、生きて生かされていることがどれだけ価値のあることかを気づかなけりゃ。
仕事や金儲けだけしてても意味がない。人間関係にこだわりすぎててもダメ。
自然な形で、違和感なくいられることが大切。
少しでも「おかしいな」とか「何かちょっと違う」って感じたらそれは不正解な選択。
そして、もっともっと大切なことは、何に対しても誰に対しても感謝して心から
「ありがとう!」と思えるように。
どんなことがあっても感動して
「うれしい!」と思えるように。
何を見ても聞いても感激して
「最高!」って思えるように。
感謝感激感動、個人的には
「感性のチカラ」と呼んでいるけれど、人が魂を持って生きていくのだとしたら、やはりこの「感性のチカラ」をフルに使うことなんだね。
物事を損得勘定だけで見ていては見えない、気づかない、分からないことがたくさんあるんだ。
オーストラリアの砂漠のナラボー平原をたった一人で走っていて気付かされた。
人は一人では生きていけない。
産んで育ててくれる親がまずいる訳だし、学校に行けば自分を教育してくれる先生たちもいる。
兄弟家族親戚、友達や仲間がいて、恋人や配偶者がいて、この社会ではいろんな人がお互い支えあっている。
支えてくれる人がいるから自分も生きていられる。
そんな自分も誰かを支えている。
そう、人というのは支え合える存在。
「今」この時代に生まれ、この世界でつながった人たちと、「今」シアワセな時間を分かち合うために僕らは生きている。
感謝感激感動、感性のチカラを磨こう。
満面の笑顔で
「ありがとう」「うれしい」「最高」「楽しい」「素敵」「幸せ」などなど、自分の心が奮い立たされるような言葉を使うだけでいい。
人やモノ・お金が周り出し、気持ちよくいられる時間が増えるし、いろんなことがスムーズに動き出していくはずだから。
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- 2020/11/05(木) 23:57:57|
- スピリチュアル
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【ありふれた日常の中に見えるもの】

「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅を走っているアドヴェンチャー・ランナーです」
そんな風に自己紹介したり、誰かに紹介されたりすると、
「素晴らしい経験をされているんですね」
そんな風に言っていただけることがよくある。
旅での日常は、普通の生活から比べたら非日常的なものなのかもしれない。
でも、それは視点の違いであって、ありふれた日常の中にこそいろんな非日常が潜んでいるのだと思う。
忙しくなれば視野が偏ったり狭くなってしまったりすることも当然あり得る。
この世界は常に変化しているし、自分自身もまた同じ。
昨日と同じ自分は今日いないだろうし、明日の自分もまた今日の自分とは異なるもの。
旅を通じて、そういった視野を広げたりいろんな人の考え方を吸収することができることこそが僕は素晴らしいと考えている。
人があまりやらないことに取り組んでみると確かに視点は変わる。
それこそが個性を育むものであり、自分自身のミッション発見にもつながること。
特に若い世代に伝えたい。
人と同じである必要は決してないし、むしろ人と違う、他の誰でもない自分自身を貫き通せと…。
出る杭は打たれるかもしれない。
でも、打たれても打たれても出る杭であり続けることが時には必要なのだ。
僕自身は平凡な人間であるはずだった。
だが、出る杭になってみて初めて分かったことがある。
出る杭であっても打たれない杭もあるのだと。
それは、とことん打たれ続けて、打つ方が根負けするくらいしぶとく出続けた結果であろう。
地位や名誉、社会的なステイタスにこだわるのもひとつの生き方だとすれば、ありのままあるがままの自分であり続けるのもまたひとつの生き方。
価値ある自分をつくりだすよりも、何に価値を見出すか…
馬鹿と言われ続けるのもいい。
馬鹿も貫き通せば天才にもなり得る。
難しく考えすぎると疲れる。
シンプルで分かりやすい生き方を徹底しよう。
楽しく生きていくためのヒントは案外そんなところにあるのだろう。
コロナ禍でいろんなところで閉塞感やモヤモヤ感を感じることは多い。
それは自分一人だけではないというのも確かなこと。
周りを見回して、自分の立ち位置を見据え、どんな風に行動していくか、状況に応じて柔軟に対処していくこともまた必要なことかもしれない。
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- 2020/11/04(水) 23:46:58|
- 日常
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【第7回淀川エコマラソン】

1日の鴨川エコマラソンに引き続き、エコマラソン関西シリーズ第二弾は淀川エコマラソン。
淀川河川公園の西中島地区の一画が会場。
前日までの雨も止み、快晴。
この大会は3月にコロナのためにいったん延期したのがさらに延期となって8ヶ月後にようやく開催されたもの。
10キロとフルの部に約200名が参加。
これが今季初レースと言われる方も多かった。
平坦なコースで走りやすいこともあり、初めてフルマラソンにチャレンジするというランナーもいた。
受付では手指消毒や検温を徹底。
スタッフも全員マスク着用、受付のデスクでは透明なカーテンを付けてコロナ対策もバッチリ。
しかし、やりにくい時代である(笑)。
このナイロンの透明カーテンとみんなマスクをしているために、受付で参加者の名前を聞き間違えてナンバーカードを渡すというトラブルもあったようだ。
午前10時にフルの部スタート、その30分後には10キロの部スタート。
日中は日差しが強く、かなり暑く感じられたが、午後には北風が吹き始め、走っている分にはいいけれど、立ち止まると肌寒くなるという気候。幾分走りにくいコンディションだったかもしれない。
5キロ先で折り返す周回コース。4往復して最後約1.1キロ走って折り返し、ゴールで42.195キロ。
制限時間を過ぎてゴールされたランナーも数名いたが、スタッフ全員で拍手を送った。
今回は、協力いただいているフランスに本社を置くスポーツブランドメーカー「
デカトロン」が特別にブースを出店、商品(シューズ)の提供とシューズの試し履きもできるという場を設けてもらえた。
2年前に西宮で第一号店がオープン。幕張に二号店もできている。
近いうちにデカトロンの本拠地西宮の武庫川でもエコマラソンが開催できるかもしれない…という話もチラッと出てきた。
*動画もご覧ください!
*
エコマラソン公式サイト
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- 2020/11/03(火) 23:53:07|
- エコロジー
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【学ぶ】

教員時代にも生徒たちに何度も繰り返したことだけど、今も自分に言い聞かせていること…
人から「教えられる」のではなく、自ら「学ぶ」姿勢…
それってとても大切。
何でもかんでも知識や情報を鵜呑みにせず、「?:疑問を持つこと」も忘れない。
本やメディアなどから得た知識や教養だけではなく、自らが求めて選んだことで得られる経験を通じて自分の感性を磨くことで、人はより自分らしく生きていけるもの。
インターネットでいくらでも情報が手に入る時代であればこそ、自分の五感を使って知識や経験を得る、それこそが学びと呼ぶべきものなのだと思う。
「学ぶ」というのは、結局の所、自分というフィルターを通してこの世界をどう目に映し(観る)、どう捉えるかということなんだろうな…。
そうやって得られたものが自らの人間性を磨くし人格を創り上げていくのだろう。
曇らぬ瞳で、好奇心を持って、この世界のありとあらゆるものを観ていこうと思う。
そのためには、時流に流されることなく、世相に翻弄されることなく、ブレない自分軸を確固として維持していくことだ。
自分が求めるべきものをしかと見据えてひたすらにひたむきにひた進むこと。
まだまだこの世界は知らないこと・わからないことだらけ。
一生をかけて学ぶべきこと・知るべきことがたくさんある。
老いている場合ではない。成長し続けなきゃ…(笑)。
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- 2020/11/02(月) 06:08:37|
- 人生論
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【第19回鴨川エコマラソン】
コロナ禍はまだ続いているのだけれど、8ヵ月ぶりにエコマラソンが開催されて、久々に、本当に久々にランニングイベントのお仕事が回ってきた!
エコマラソンアンバサダーを務めている関係で、エコマラソン当日の大会スタッフもやるし、大会チラシを作ったり、動画を撮影・編集したり、大会運営のあれこれをお手伝いさせて頂いている。
2012年に日本に上陸したエコマラソン(最初はランニングトウキョウドットコムが運営)も8年目。
ドイツ人で埼玉県在住のユルゲンさんが主宰を務めているエコマラソンドットランが運営母体。
関東エリアでは彩湖(埼玉)や二子玉、関西エリアでは京都鴨川、大阪淀川と富田林、広島や愛媛の小島でも開催してきた。
コロナの時期にはオンラインマラソンもいくつかやってきたものの、やはりリアルに走れる大会が限られているこの時期、ランナーたちが走る時間と空間を得られるというのは何ものにも変えがたいということを知る。
笑顔でゴールするランナーたちを見届けながら、やはりランナーは走る人であり、走ることを楽しむ人なのだと思わされた。
コロナで走る意欲やモチベーションが低下したランナーもいるだろうし、大会がなくなって走るのをやめてしまったランナーだっているはず。
逆にまた、コロナ禍で運動不足となりランニングを始めたランナーもいるだろう。
三密に配慮しながらこうやって大会を作ればランナーは走りにやってきてくれる。
でも、今世の中で問題となっているのはランニングとランナーだけのことじゃない。
ミュージシャンたちがライブなど発表の場を失えば音楽という文化が廃れる。
料理する人たちはレストランや食堂が閉められたら料理を作る場を失い途方に暮れる。
誰もが何らかの形で普段の活動ができなくなってモヤモヤ感を持っている。
今はこうやっていろんな活動に制限がかけられ、自分が自分でいられなくなるような自体にも瀕している。
少しでもできることをできるような形で続けていくことが大切なのだと思う。
3日には淀川エコマラソン(フルマラソン)が開催される。
ランナーたちの笑顔を見れるのが楽しみでもある。
*
エコマラソン公式サイト
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- 2020/11/01(日) 23:48:34|
- エコロジー
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