【ランニング道~マラソン講座(19)】

*PART19 ウルトラマラソンへの道(1)
10キロやハーフの大会に何度か参加し、ある程度一定した力で走ることができるようになればフルマラソンへのチャレンジとなるだろう。
20年ほど前までは、シーズン中にはフルマラソンを二度走っていた。シーズン初めと終わりに一度ずつ走り、そのシーズン内でのレベルアップの度合いを見るためでもある。
毎月一度はフルを走るランナーもいるようだが、こうなると記録を狙うのは二の次になるだろう。記録よりもむしろ、何度フルを走ったかということへのこだわりだけで走るのならそれでもいいのではないかと思う。ただ、フルを走った後の体へのダメージは意外に大きい。1~2ヶ月間を空けるのが本来は望ましいといわれているが、これもコンディショニングの問題。ベルギー人の男性が365日連続で走ったというニュースも最近耳にしたが…。
自分自身のウルトラ初挑戦は1989年。フルでマラソンデビューしてから3年目の6月に行われたサロマ湖100キロマラソンだった。
既にその前年12月のホノルルと、その年の3月の篠山ではサブスリーを記録していた。
42.195キロではもう満足できない状況になっていたのだろう。さらなる感動を求めてウルトラに挑もうという気持ちが出てきてもごく自然なこと…。
当時はウルトラといえば「サロマ」。まだ100キロマラソンがレアな時代だった。というよりも、フルでも相当長い距離なのに100キロも走る…ということが常人からしてみれば、いわば「異常な」ものだったのかも知れない。
それでも、雑誌「ランナーズ」のツアーで全国から参加者が集まってきていた。
軽い気持ちで参加し、スタートラインにたって、いざ走り出したはいいが、集団の中で走っていて、あまりのスローペースにそれでいいのかどうか不安になってきてしまった。
30キロ辺りから少しペースを上げたところ、フルマラソンのポイントで3時間40分台。キロ5分より少し遅め。このままだと9時間を切れる…。そんな勝手なことを頭に思い描いていた。
50~60キロまではそんな調子で走っていたが、65キロすぎからペースがずるずる落ち始めた。女子のトップで愛知県の鈴木さん(当時50歳代だった)としばらく併走するも70キロを過ぎた辺りから着いていけなくなった。
鈴木さんは総合でも10位以内。8時間30分くらいでゴールしていた。サロマでは何連覇か忘れたがしばらくはウルトラの女王だったのだ。
峠をひとつこえたところで右足太ももにけいれん!
立ち止まり、深呼吸してしばらくストレッチを繰り返す。半ば絶望的な気分にもなりかけて「棄権」の二文字が頭をかすめたが、あきらめてはならない。
歩くのは嫌だったので、けいれんが治まり始めた頃、恐る恐るゆっくり走り出す。
ペースはさらに落ちて80~90キロをだらだら走る。
残り10キロは本当に惰性で走っていた。残りのキロ表示もどうでもよくなってふらつくような足取りで走っていたのを覚えている。
最後の3キロあたりで再びけいれんが起こるも、痛みを無視してやけくそで走った。
泣きそうなくらい足は痛く重く、走ろうという気力を全身から搾り出すようにして必死で走った。
キロ5分で走りきれば8時間20分のタイムだが、70キロ以降の失速でタイムは9時間33分。
ゴールしてしばらく引っくり返ったままの自分がいた。
このレースで反省すべきは、やはり超長距離に耐えうる足が必要ということだった。
何度かウルトラを走られているランナーの話を、その夜の完走パーティでお聞きしたが、みんな6時間走とか80キロ走などをレース前にきちんとされているのだ。
自分はせいぜい40~50キロのLSDを数回こなした程度。これで70キロまで持ったのはまだよかったのかも知れない。
この翌年の6月、第一回阿蘇カルデラ100kmマラソンにエントリーすることになるのだが、3ヶ月計画で練習メニューを考えた。
ウルトラのトレーニングとして6時間走(キロ6分=時速10キロ)を月一度。80キロLSDを1度。
3月の篠山フルが終わると同時に、ターゲットを100kmに絞っての練習再開。
スピード練習はもう除外して、毎日走るよりも走れる時にまとまった距離を走ることを重視した。
休日はほとんどLSD。ペースはほとんどキロ6分。キロ5分より速いスピードでは走らない。週3~4日は通勤ランニングで往復10キロあまり。時々迂回コースでプラス4~5キロ。それ以外の日は自転車での通勤。
トライアスロンもやっていたので、バイク・スイムも平行して練習していたが、これらはランの疲れをほぐす意味合いの方が大きかった。心肺器官を高める効果はあるが、ランで使った筋肉を休ませながら全身が鍛えられるのが確実にプラスになっていた。
休みの日にはダイヤモンドトレイルを走ったり、自宅から約10キロ先にある竹内峠に行って戻ってくるような起伏走を行ったりもしていた。ウルトラでは、後半足が疲れてきた時、やはり上半身が強い方がいい。腕の振りもさることながら、上体の崩れたフォームで走れば余計に疲労は加速するのだ。下半身中心のトレーニングしかしていないウルトラランナーは、70キロ過ぎでヘタってしまうのは目に見えている。自分の初ウルトラのサロマがちょうどそうだったように…。
ふだんは朝夕走る分割走をした方が故障しにくいのは確かであるが、週末にのみまとまった距離を走るのが理想だ。雨で走れない時にはスポーツクラブのトレッドミルかエアロバイクでトレーニング。もしくは家の玄関先で万歩計をつけてその場駆け足1~2時間とか…。
サロマで初ウルトラを経験した時に驚いたことがひとつある。
完走者の大半は40歳以上のランナー。20代30代で棄権したランナーも少なくはない。スピードではなくて明らかにスタミナが要求されるのがウルトラなのだ。
加えて、ウルトラでは女性の方が強いということもその時知った。
フルで4時間台の女性ランナーが、ほぼ同じか少しそれより遅いペースで100キロを走りきるという事実。
完走パーティでお話しした40代半ばのある女性は、フルのベストが4時間30分台だそうだが、この日の100キロは9時間40分。自分の少し後でゴールしていた。
当時28歳だった自分はまだまだヒヨッ子に過ぎなかったのだ。

(「その2」につづく)
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テーマ:マラソン - ジャンル:スポーツ
- 2011/02/19(土) 17:02:11|
- マラソン・ランニング
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