【ANOTHER DAY@鹿児島】
鹿児島の滞在もう一日。
部屋でインターネットが使えず、荷物をまとめてチェックアウトして天文館のアーケード内のマクドナルドへ移動。
今日の宿を決めないといけない。
大きなバッグも宅急便で大阪の実家へ。
やっと身軽になれた。
バギーを押さずに移動できるのが何だか新鮮。
ツイッターとfacebookのコメント・メッセージの返信作業。
でも、AC電源のないマクドナルド、PCのバッテリーは約90分しか持たない。
3分間しか地球にいられないウルトラマンのように、ちょっと焦りだす。
お昼は山形屋近くのラーメン屋さんでちゃんぽんを食べた。
スープがなかなか美味しかった。
ちゃんぽんは野菜がたくさん入っているので大好き!
その後、山形屋の入り口付近のベンチに腰掛けヒューマン・ウォッチング。
鹿児島の繁華街、この時間帯はなぜか女性が大半。
男性は皆仕事中か…。
人の行き来を見ているとみんな大阪や東京に比べてのんびりしているし、慌てて何かをしようという人の表情はあまり見られない。
地方都市っていうのはやはり大都市に比べて時間がゆったりしているんだろうな。
午後3時ジャストに天文館エリアにあるカプセルホテルに移動。
二年前にも泊まったことのあるところ。
キャビンタイプで個室。
冷蔵庫はないけれど温泉にゆったり浸かれるのがありがたい。
明日の夜に大阪行きのハイウェイバスで鹿児島を後にする。
2年前、最初の日本縦断の前に買った日本地図を今回も使っていた。
これで実際に日本一周を完了したことになるわけだ。
距離にして約6800キロ。
去年のアメリカ横断と合わせて1万2千キロを3年がけで走ったのだ。
今回の旅、稚内から鹿児島まで96日かけて3482.3キロ走ったけど、その内オフ日が17日。
実走79日とすると一日あたり44.1キロ走った計算。
40キロ未満の距離の短い日も多かったのだな。

鹿児島の地で旅を終え、明後日には故郷大阪へ。
旅の終わりが必ずあるものとは分かっていたけれど、いつも急にそれまでの現実に戻るのがなかなか大変なこと。
浦島太郎シンドロームが自分を待ち受けている。
そのために次の旅に向けてモードを変換することが求められる。
何だかんだ言っても昨年のアメリカ横断ランニングの旅に比べれば、日本はまだまだ走りやすい。
地形的・気候的には厳しい部分があっても、町が至る所にあり、自販機やコンビニも数えきれないほど存在している。
100キロ以上何もない空白部分が全くと言っていいほどない。

来年走るオーストラリアはそんな訳にはいかない。空白部分が200キロというのが何か所もある。
砂漠の大平原、水は自分で運搬するしかない。
暑さと乾きだけじゃない。
何日走っても景色の変わらない単調なルートをたった一人で走り続けるだけの忍耐力も必要だ。
日本は恵まれている。
旅人にとっては実に「過保護」な国だ。
治安も他の国に比べればいいし、一人で夜の街を歩いても何ら問題はない。
政治があまり機能しなくても警察はある程度機能しているし…。
日本人の常識がほぼ日本全土で通じるというのがありがたい。

旅人が長旅を終えるとホームシックの逆のトラヴェルシックになる。
それは旅人が移動し続ける中で、あらゆる人との出会いや町への訪問が、全て通過地点で終わってしまうからなのだろう。
1つの場所にとどまることができず、出会ってもすぐ別れてしまう日常が連続するのだ。
ひとつ所にとどまらない…これが常に新しい自分に生まれ変わる原動力。
流れる水、転がる石と同じ。流転を繰り返すことで新たな時代を模索し続ける。
一歩先に進むことで今とは違うものを見つめる目を養うのだ。
剣道では「居着く」その瞬間が隙になる。
だから動き続ける。

発想の転換は案外そんな単純なことから生まれてくるんじゃないか?
僕は保守的な人間でも革新的な人間のどちらでもない。
単にステレオタイプ的な型にはめられるのが嫌なだけだ。
あいつはあいつでしかない…そう言われる方がまだましだ。
幼い頃から群れるのを好まず、たとえアウトロー呼ばわりされても一向に気にしない。
むしろ人と違うことを指摘されることを陰で喜んでいた。
傑出した天才や偉人にはなれなくても、最後まで人と違うものを求め続けていこうと、50を過ぎてあらためて考えさせられた。

父は会社人だったがおべんちゃらやお世辞なんてものは一切使わなかったという。
自分を気に入らない人間はたとえ上司であれ部下であれ相手にしなかった。
同時に自分を理解してくれる人間に対してもこびへつらうことはなかった。
「俺は俺」という確固とした自分があったからだ。
父は出世とか昇進とかいうものには対して興味を示さず、仕事が面白ければ上司の指示も無視して動いていたらしい。
一つのことにとことん夢中になりがちな人種であったと思われる。
あとさき考えぬ行動のために、職場でも結構トラブルを招いたということもあったとか。
一方、母はマイペースながら緻密で細やかな気配りができたことで父親のサポート役に徹した。
人の話は聞かないが、自分自身の話は無理やり聞かせるような人。
それでも説得力のある言葉で人を言いくるめてしまう才能には長けていたのだ。
計画的に物を進められる点では尊敬できる。
無計画な父の行動をコントロールし、多少問題があってもそれを乗り越えるだけのノウハウを見つけ出し、父に適切な助言ができるのは母以外にはいなかったのだろう。
父も自分同様、金銭面では無頓着な人だったが、母の管理があったからこそ財政は安定していたのだ。
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東日本大震災で被災された方々の中には今も現状に戻れず、苦難と試練の日々を余儀なくされている方が多くいらっしゃいます。
本当はモノやお金だけでは不十分なのかもしれませんが、それでも思いを伝えることは可能です。
1キロ走って10円、小さなアクションも積もり積もれば大きなものになっていくはず…。
よろしくお願いします!
アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦、今回の日本縦断で3482.3キロ走ったので3万4千823円を被災地に送ります。
PEACE RUN×10
「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」、東日本大震災復興支援のための被災地巡礼の旅を走りました。
取り組まれる方は被災地に3万4千823円を被災地に送って下さい。
賛同いただける方、よろしくお願いします!
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テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記
- 2012/09/14(金) 20:38:21|
- 日常
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
高繁さん
お疲れ様です。
質問ですが、96日間の宿泊はどのような感じですか?
費用は全部でどれだけかかりましたか?
いちばんつらかったことと苦しかったことはどんなことでしたか?
- URL |
- 2012/09/16(日) 21:59:42 |
- 中西 #HfMzn2gY
- [ 編集 ]
中西さん:
コメントありがとうございます。
旅のデータをまた整理しますが、テント泊は北海道での一部と東日本大震災の被災地エリアでの数日だけでした。
本州では暑さでテントで寝るとかえって体力を消耗しかねないので民宿や旅館、ビジネスホテル、時々個人宅に泊めてもらったりしていました。
費用についてもまた正確に計算しますが、大体宿泊が3000~5000円程度。
飲食費が一日2000~3000円程度。外食はめったにしないのでスーパーで買ってきたお惣菜を宿で食べるという風な毎日です。
走っている間はパンやバナナ、ドライフルーツなどを食べていました。
辛かったこと・苦しかったこと…やはり道路事情の悪さ…歩道のないトンネルやグーグルマップの検索ルートで自動車専用道に侵入させられたこととか…。
あとはハンパない暑さ…コンビニが80キロない区間も北海道ではありましたね。
それに、バギーの不調。
それでも、今回の旅はいろんな出会いがあったり、各地でイベントがあったりで、うれしい・楽しいことの方が多かったように思います。
> 高繁さん
> お疲れ様です。
> 質問ですが、96日間の宿泊はどのような感じですか?
> 費用は全部でどれだけかかりましたか?
> いちばんつらかったことと苦しかったことはどんなことでしたか?
- URL |
- 2012/09/17(月) 09:09:35 |
- KAY(高繁勝彦) #-
- [ 編集 ]