【TOMOSU RUN~その3】
そして、TOMOSU RUN本番の朝…午前3時起床。
陸前高田ドライビングスクールの寮に宿泊していた。
自動車学校に合宿で運転免許を取得するためにやってくる人たちの寮だが、門限やら飲酒禁止など、結構規則がたくさんあって厳しい。
外はまだ真っ暗…でも夜空を見上げれば満天の星。
同じ部屋だった釜石出身の菊池さんが、震災のあった夜も同じように満天の星だったということを話してくれた。
車で再び陸前高田市立米崎小学校へ。
午前5時、当日の受付開始。
ランナーたちは荷物を預け、走る準備にかかる。
続々とやってくるランナー。
5時半を過ぎて開会式。
スタート前に、震災と津波で失われた方々のご冥福をお祈りするために、ランナーとスタッフ全員で1分間の黙祷を捧げる。
TOMOSU RUNのフラッグに書かれた寄せ書きもほぼスペースいっぱいに…。
メディアの取材もあった。
実行委員会からの連絡…
スタート前の記念撮影…。
うれしいことに、仮設住宅に住まわれているご婦人の何人かが朝早いのに応援に出てきてくれた。
午前6時、10キロと60キロのランナーたちが一斉にスタート。
コースは…

国道45号線へ…。
エイドステーションごとにチェックポイントがある。
マラニックなので競争ではない。
エイドステーションでいったんみんなが揃ってから走り出す。
エイドステーションもコミュニケーションの場、他のランナーと、あるいはスタッフたちといろんなやりとりがあるもの。
支える側と支えられる側がひとつになるというのも大切なことなのだ。
ランナーにとってはアップダウンがやはりこたえる。
気温は10度を超えることはなかった。

大船渡小学校に立ち寄った。
やってくるランナーたちにハイタッチ!
まるでエイドステーションごとにゴールがあるようだ。
ここから何名かの子供たちが一緒に伴走してくれる。
10キロゴールはおおふなと夢商店街。
商店街の皆さんが笑顔で迎えてくれる。
いい匂いがすると思ったら…イカとホタテ貝のバーベキュー!!
さんまのつみれ汁やおにぎりも…。
津波の様子を記録したDVDを鑑賞する時間もあった。
TOMOSU RUNの寄せ書きを商店街に寄贈。
8時半過ぎ、60キロの部が再スタート。
10キロ以降、先頭集団から最後尾までかなりバラけてしまって、できるだけ後ろの方を観察しながら走る。
道の駅さんりくのエイドステーションではふかひれスープもあった。

少し日ざしも出てきたが、山あいは気温も5度前後で寒い。
停まったり歩いたりすると急激に体も冷えてくる。
紅葉も美しい。
自動車道ができて国道45号線の一部は交通量も少ない静かな道になる。

ウルトラマラソンや距離の長いマラニックでは、同じペースで走るランナーは皆仲間。
ただでさえ辛い走りが退屈で苦しいものにならないように…走りながら語らい、少しでも心身の疲労を癒すのがいい。
自分自身、いろんなランナーと走りながら交流することができた。
オーストラリア大使館の職員の方と、来年の「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」について話すと、ぜひオーストラリア観光局にも働きかけようと快い返事が…。
今年の「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」の様子をずっとブログ等で追っかけていてくれたランナーもいた。
それまで「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」や「アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦」の存在を知らなかった人たちが知るようになってくれるのはありがたいこと。
何度もアップダウンを繰り返し、トンネルを抜けて前進。
一番長い2300mのトンネルは中に入ると車の排気ガスのせいで空気がよどんでいて息苦しかった。
暗闇の中を走る車の騒音もけたたましい。
狭い路肩でトンネルの壁に肩や腕が触れるか触れないかの状態で走るわけだ。
普通のマラソン大会ではトンネルを通過するのはまれだろうが、自分の国内の旅ではこれまで5000mもあるトンネルを含め数え切れないほどのトンネルを通ってきた。

ローソン釜石平田店で地元の多くの子供たちが加わって残り約7キロをみんなで走る。

JR釜石駅を通過。

最後のエイドステーションは地元のMAIYAというスーパー。
店長さんの計らいでアンパンやバナナ、みかん、ドリンクを大量に提供していただく。
走ってきた子供たちも大喜び。
そしてゴールの釜石中学校まで残り1.2キロ。
ランナーたちは疲れていたのだろうけれど、元気な子供たちに励まされながらゴールを目指した。
「歓迎 釜石へようこそ!」のバナーが見えてきた!
ついにゴールだ!!
ゴールする時のランナーの笑顔がやっぱりいい。
続々と帰ってくるランナーたちに拍手が送られる。
最終ランナーを待つゴールテープ。
日が沈み、真っ暗になったので釜石中学校の生徒たちがゴールの花道にキャンドルを設置してくれた。
最終ランナーが帰ってきた。
全員が無事完走した訳だ。
スイーパーは
走る.jp/代表の山田さん。
スタートからゴールまでずっと最後尾に付きっ切り…お疲れ様でした!
参加したランナーの多くがきっと楽しめたことだろう。
手作りの大会でありながら、いろいろと試行錯誤的にやっている部分も多々ありながら、それがいい意味でランナーたちには新鮮に見えたことだろう。
競争ではなく「共走」。
みんながつながる、みんなとつながる…まさにそうなのだ。
同じ時代に生きて走って、同じ時間を共有する。
「友」と走る…「共」に走る…それがTOMOSU RUN。
沿道にいた地元の方々も笑顔で手を振り声援を送ってくれた。
被災地の方々にしてみれば、モノやお金はある程度揃ってきたけれど、何よりも、被災しなかった人たちが被災地を訪ねてきてくれることが一番嬉しいのだ。
コース上にあったがれきの山や津波で何もかも流された町の風景を目にすることで、今の被災地の現状を目の当たりにしたランナーは、何かを感じたはず。
その何かを故郷に帰ったら誰かに伝えるべきなんだろう。
復興は終わらない…まだまだ今後も続いていく。
少なくとも、被災地が復興再生するまで続けていかなければならないと思う。
午後5時半、体育館で後夜祭が始まる。
TOMOSU RUNのロゴの形に灯されたキャンドル。
大船渡出身のシンガーソングライター濱守栄子さんのライブ…リハーサルが行われていた。
ゲストランナー宮地藤雄さんと私のあいさつも…。
阪神・淡路大震災を経験した神戸のダンスチームのパフォーマンスが…。
三人合わせて150歳…浜のキャンディーズのプチライブも…。
そして、個人的には一番楽しみにしていた濱守栄子さんのライブ。
TOMOSU RUNのfacebookページで初めて彼女の存在を知った。
「国道45号線」のミュージックビデオ、初めて見た時に、訳もなく涙が流れ熱く込み上げるものがあった。
濱守栄子【国道45号線】MV
自分がこの夏たどってきた風景が映し出され、その中には彼女の母校岩手県立高田高校の被災した校舎もあった。
昨年8月、東日本大震災チャリティプロジェクトCDとして発売された。
岩手県トラック協会と有限会社フォーユーネットワークスのCMソングなのだという。
売上の半額を義捐金として、陸前高田市と大船渡市に寄付している。
彼女は東京在住だが、各地でチャリティーコンサートやライブ活動を展開。
既に彼女のCDはアマゾンで購入していたが、前夜祭で今月リリースされた「わたまち」を入手。
後夜祭では、この動画をバックに歌ってもらった。
国道45号線/濱守栄子/Instrumental/Director's Edition
何度聴いても心に染み入る…。
ふるさとを心底愛しているから…
ふるさとにいる人たちが大好きだから…
心の琴線に触れるメッセージ…それが歌になる
彼女の歌が、聴く人の魂を揺さぶるのはごく自然なことなんだろう。
7月と今月であわせて二度走ったけれど、またいつか走って思い出を作ろう…国道45号線。
またこの場所を訪ねて、この土地に住む人たちの笑顔を見に来よう。
失われた風景がいつかまたよみがえる日を心待ちにしている…。
「いつかまたあの頃のようにあの場所で笑い合いたい…」
濱守栄子さんのそんな思いがきっとかなえられると信じて…。
誰もが自分自身のふるさとを愛しているはず。
ならば、ふるさと日本もきっと愛することができる。
日本だけじゃなく、70億人の同胞が暮らすこの世界も、我らのふるさとの星「地球」さえも…。
3.11が教えてくれたことがたくさんある。
失われたものは帰ってこないのかも知れない。
でも、きっと形を変えて、別の時間と場所を選んで戻ってくるのだろう。
いろんなつながりの中にいる自分であることに気づこう。
夢をかなえるために、このつながりがきっとプラスに働いてくれるはず。
そして、自分自身も誰かの夢のサポーターになって、誰かとつながり続けていくこと。
いつの日か、世界が一つになるために、70億人の人々が少しずつつながっていく必要がある。
そして、そんなつながりを作っていくために走り続けるのがアドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のミッションでもあるのだ。
*毎日新聞にもTOMOSU RUNが紹介されました。
東日本大震災:阪神の希望、広めたい 「希望の灯り」掲げ、岩手・陸前高田から釜石へEiko.Hamamori | 濱守栄子 オフィシャルウェブサイトTOMOSU RUN公式サイトTOMOSU RUN公式ブログ
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テーマ:東日本大震災支援活動 - ジャンル:福祉・ボランティア
- 2012/11/24(土) 23:59:59|
- マラソン・ランニング
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