【日本一周「絆」一筆書きプロジェクト 波多のさんと走る】
東日本大震災復興支援をアピールするために、書を披露しながら47都道府県を二本の脚で走って日本一周中の書家・波多の明翠さんの応援・サポート伴走に出向いてきた。
波多のさんは「書の町」として知られる愛知県春日井市出身・在住。
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「文字は絵画でいうモチーフ」と考え、独自の表現世界でShoアートを生み出すアーティスト。ニューヨークでの個展を開催、世界に自らの世界観を発信する一方、生まれ故郷春日井をこよなく愛し、「書の町」として有名な春日井市における数々の書イベントでも活躍している。
2009年の富士登山にインスピレーションを受け、より研ぎ澄まされた感性を得るべく「走るShoアーティスト」としての道を歩み始め、東京マラソン走破、100キロウルトラマラソンは二度の走破を達成。東海地区を代表するアマチュアマラソンランナーとしても名を記し始めている。(以上は公式サイトのプロフィールページから)
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旅のきっかけは、東日本大震災。
地元のNPOから支援を得てこのプロジェクトがスタート。
Shoと走ることで47の都道府県をつなぎ、全国各地で支援をアピールすることを思いついたという。
昨年の私の
「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」より約3週間前の5月17日に春日井市役所をスタート。
太平洋側を走りながら北海道へ北上し、日本海側を南下。
九州~沖縄~山口~広島~四国4県を経て本州に戻り、岡山~兵庫~大阪~和歌山~奈良~京都~三重入りが今日だった。
ゴールの愛知まで残すところ岐阜の1県のみ。
通過する各都道府県で「絆」の一文字を大書するパフォーマンスを披露してきた。
去年の春、彼女の旅のスタート前、ふとしたことがきっかけでfacebookでお友達になった。
彼女から少し遅れて私も旅へと…。北海道稚内を6月9日にスタートした。
7月初め、私が北海道の旅を終えて、本州に入った頃、東北青森辺りですれ違いそうだったのだが、彼女は内陸を、私は太平洋沿岸ルートをたどった。
通過ルートが違うために残念ながらニアミスで終わってしまったが、その後もお互いの位置を確認しあいながら、今回初めてお目にかかることになった訳だ。
今朝は、自宅から車で伊賀市中心部へ。某スーパーの駐車場に車を止め、伊賀上野駅まで2キロ弱走り、JR関西線で京都府の笠置駅まで。

彼女の宿泊する宿の前で落ち合って、10時少し前にスタート。

スタート地点の木津川のほとりで。
伊賀で朝の最低気温がマイナス2度。
日中も3度くらいまでしか上がらず。
ただ、日差しがあったおかげで走っている分には何ら問題はなし。
休憩でちょっと止まっている間に体温が急激に奪われる点には注意が必要だった。
国道163号線をひたすら東へ。
このルートは昨年ワラーチプロジェクトで木村東吉さんも走ったところ。
歩道があるところは安心だけど…。
鹿に注意!
歩道がないところもあり、路肩は狭く、にもかかわらず大型トラックやダンプがひっきりなしに行き来するところ。
700m近くある笠置トンネルを通過。
波多のさん、ウルトラランナーらしく上下動の少ないソフトな走り。腕もほとんど振らずすり足で早歩きしているかのような感じ。スピードは遅くても疲れを貯めないような走りを自然に身につけてこられたのだろう。
同じ走って旅をした人間にしか分からない共通の話題で盛り上がる。
驚いたのは、小さなバックパックだけで旅をされているのだが、衣類やその他のものはスーツケースに入れていて、毎朝、出発する際に、宅急便でその日のゴールする町にあるホテルや旅館に送り届けていたのだということ…。
「日本だからできること…」と彼女は言っていたが、きちんとその日指定された場所に確実送り届けられ、荷物が届いてなかったということは一度もなかったのだそうだ。
私は自分自身の荷物をすべてバギーに積んで押して走っていたが、そんな方法で荷物を減らすことが可能だったのだ。
しかし、毎日その分の搬送料がかかってしまうのだけど…。
彼女にもサポートする仲間がいて、その日のルートをきちんと組み立てて、宿泊する宿や、書道のパフォーマンスをする際の手配も事前に行われている。
新聞やテレビなど、これまで全国各地のメディアで紹介され、行く先々でいろんな方が会いに来てくれる。
Shoのパフォーマンスで書いた「絆」の文字も役所等でずっと飾られているところも多いという。
私が東海道を走っていて、たまたま泊まったあるホテルで、波多のさんも旅の途中に泊まられていて、彼女のことを覚えておられたオウナーにも出会った。
バックパックにつけた「日本一周 絆 一筆書き」の自筆の札。熊除け?の鈴もついていた。
えんたりんぐ三重県!
距離が20キロあまり。
ほとんど休憩もとらず…ゆったりまったり走るばかり。
鍵屋の辻の前の標識。「みぎいせみち ひだりならみち」
25キロばかり走って伊賀上野城に午後1時半ごろ到着。
波多のさんのお友達ちばさんご夫婦が応援に来てくれた。
だんなさんは元競輪選手。
左京源皇(さきょうみなもとのすめら)さんともつながっていたのだった。
4人でファミリーレストランで遅めのランチを食べて解散。
波多のさんはホテルへ…。
予定では2月2日、春日井市役所でゴール。
ゴール時点で全走行距離は6630キロ。
あと一週間、来週の土曜日、春夏秋冬4つの季節を経て、約9ヶ月、262日ぶりのふるさと入り。
そのあとは完走祝賀会。
私も参加する予定である。
波多のさんのこのプロジェクトはいったん春日井市でゴールしてしまうが、長旅を一度経験した人間は、きっと一度では終わらないということを私は知っている。
長期間に渡る旅で、人は自分自身をリセットする時間をもつことができる。
悟りの境地…とはまた違うのだろうけれど、自分自身を解き放つことで、身も心も本当に自由な気持ちになれる。
そして、旅をすることで生活はよりシンプルなものになり、自分自身もまたよりピュアな存在に変わることになる。
私自身、これまで何度も仕事を辞めて、その都度長旅に出た。
挙句の果て、旅人としての人生を送ることになった。
松尾芭蕉や種田山頭火がどんな風に旅をとらえていたかはよく分からない。
ただ、時代背景は違っていても、同じ人間であるならば、自分の脚で旅をするということで、きっと同じように感じる場面が多々あるに違いないと思っている。
波多のさんは旅が終盤に近づくにしたがって、「旅が楽しくて仕方ない…ゴールするのが嫌だ…」という話をされていた。
ホームシックと逆のパタン、トラベルシックとでも言うんだろうか…。
旅人は旅を続けることで旅人たりうる。
旅が終われば、自分がまるで違う人間になってしまうような危惧さえ感じられてしまうのだ。
旅をしない期間は、旅の空が恋しくて仕方なくなる。
旅が終わり、旅をしなくなったことでうつのような症状になったり、時には塞ぎ込んだり、まっとうな社会生活を送れなくなることだってありうる。
経験した者にしか分からない、経験した者ならば分かる…そんなことがいくつもあるものなのだ。
辛く苦しいことも多々あるけれど、楽しいことも山ほどある…それは人生もまた同じ。
頑張れ!波多のさん!ゴールまであともう少し!!
波多のさんの詳しいプロフィールは
こちら日本一周「絆」一筆書きプロジェクト公式サイト これまでの軌跡は
こちらfacebookページ
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- 2013/01/26(土) 21:17:35|
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